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鋏−2−
俺は思わず肩を揺すって笑った。人違いだ、と言うと不審げに首をかしげていたが、まあいいわとペンを握りなおした。

地図が出来上がると彼女はノートのページを破り取り、俺に差し出した。右上に、小さく携帯電話の番号が書かれている。

「助けてくれたら、メチャ可愛い友だちを紹介してあげる」

生意気なことを言うので、

「お前でも十分カワイイぞ」

とうそぶいて反応を見たが、憎らしいことに平然としている。

「じゃあ」

と言って席を立つ彼女へ、とっさに声を掛けた。

「3つの地蔵のうち、どれが鋏様なんだ」

立ち止まって半身でこちらをじっと見ている。

「いいだろう? 秘密を教えておまじないの効果が消えたって。むしろそれで解決じゃないか」

迷うような素振りを一瞬見せたあと、音響は囁くような声でこう言った。

「みぎはし」

そして向き直ると逃げるような早足で店の自動ドアから出て行った。

暗闇に溶けていくように消えたその姿をしばらく目で追っていたが、やがてテーブルの上のふたつのグラスと破られたコースターの残骸に視線が落ちる。

その欠片を手に取って、なんとはなしに眺めていると不思議なことに気がついた。指で裂かれた白いコースターは、その裂け目に紙の繊維がほつれたような跡が残っている。ところがその破片のうち、いくつかの断片に綺麗に切り取られたような痕 跡が見つかった。まるで鋭利な刃物で裁断されたような跡が。

さっきのコースターを裂いた、まるで夢遊病のような彼女の行動が、これを隠すためだったかのような気がしてくる。

渡されたノートのページを光にかざすと、彼女の描いた赤いハサミのイラストが、やけに禍々しく見えた。

二日後、俺は懐中電灯を片手に真夜中の山中を歩いていた。バイトも休みだったので昼間のうちに下見をするつもりだったのだが、暇つぶしのつもりで入ったパチンコ屋で高設定のパチスロ台に座ってしまったらしく止めるに止められなくなり、まあいいやなんとかなるだろうと、これまで犯してきた学生としての過ちから全く何も学んでいないような頭の悪い判断をして、夜に至ってしまっていたのだ。

もう出始めた蚊にイライラしながらも、ポケットに忍ばせたノートの切れ端の地図を何度も確認しつつソロソロと歩を進めた。


街から少し離れただけなのに、まるで別世界のような気味の悪さだ。すでに人の世界ではない。ほんとすいません、と一体何にあやまっているのか自分でも分からないまま頭の中で繰り返している。

ガサガサと草むらが音を立てるたび、うそだろと思い、山鳩の泣き声がどこからともなく響くとまるで自分が通ることへの合図のような被害妄想に駆られて、たのむから見逃してくれと思うのだった。

まったく、格好をつける必要がどこにあったのだろうか。自分のバカさ加減にうんざりする。

懐中電灯の白い光が大きな木の中腹に刻み付けられた矢印を照らし出し、確実に目的地に近づいていることが分かる。

また山鳩の声がホウホウと聞こえ、同時にかすかな羽ばたきを耳にした。湿気を含んだ濃密な空気に胸が詰まりそうになる。

思えばこうしてひとりで真夜中に心霊スポットに行くなんて、ほとんどないことだ。たいてい、くだんのオカルト道の師匠と一緒だった。彼はその心霊スポットの本来のスペック以上のものを引き出す実に迷惑な存在だったが、その背中を追いかけているだけで俺は暗闇に足を踏み出すことができた。怖いものだらけだった。けれど怖いものなんてなかった。

ザザザザザ…… 不吉な音とともに風が草を薙いだ。

後ろは振り返りたくない。自然、足早になる。

こういう足元がよく見えない場所で、俺が思うのは小さなころから同じ。誰かに足を掴まれたらどうしよう、という妄想だった。風呂場で髪を洗っているときに目をつぶるのが恐ろしいように、人間は目に見えない空間を恐れている。自分という観察者のいない場所では、誰も《ありえないこと》など保証してくれないからだ。

最後の矢印が見えた。二股にわかれた木の根元。俺は深呼吸をして、お尻のポケットに差し込んだ愛用のハサミをジーンズ越しに確認する。

懐中電灯の明かりに、一瞬人影が見えた気がした。ドキっとしたがもう一度ゆっくりと照らして見ると、地蔵らしき黒い頭が闇に浮かび上がってきた。

ひとりで来なければいけないということは、他人に見られてはいけないということだ。そしてそこで行われる刃物を使った呪い……丑の刻参りと構造が似ている。女子高生がするようなおまじないとは、少し毛色が違う。

今更そんなことを思ったが、足が動かなくなりそうだったので脳裏から振り払う。周囲を観察し、少し斜面になった部分を下るものの崖ではないことを確認する。ゆっくりと、藪が途切れた場所から回りこむと、山中に異様とも思える方形の人工の空間が現れた。雑草が生い茂っているとはいえ、踏み固められた赤土の地表がぽっかりと目の前にある。

リィリィという虫の音が聞こえるなかをゆっくりと進むと、斜面に沿うようにひっそりと立つ影が視線の端に入った。

懐中電灯のスイッチを切り、深呼吸をする。

やっぱり帰ろうと思う。

心臓の音を聞く。

目を閉じる。

覚悟する。

何歩か靴の裏を引きずるように進むと、懐中電灯をポケットに無理やりねじ込んで両手を恐る恐る前に突き出す。

急に空気がねとつくように感じられ、息苦しくなる。あのコーヒーショップで覚えた嫌な感じを思いだすまいとして、まさにそのせいで思い出してしまう。

あれは霊なんかとは違う、もっとわからないものなのだと思う。その根源に今、近づきつつあった。

足が止まりそうになったところで、左手が硬いものに触った。内臓のあたりに嫌な感じがズーンと落ちてくる。それでも両手で、胸の前にある石のざらついた感触を確かめる。

これが左端の地蔵の頭のはずだった。赤ちゃんの頭くらいの大きさだ。なにか別の恐怖心がもたげてくるような気がして、すぐに手を離す。次の地蔵までは3歩と離れていない。爪先が地蔵の胴体らしきものに当たり、手探りをするとさっきと同じざらついた手触りが手のひらに入ってきた。

次だ。

もう、余計なことを考えないようにして目を閉じたまま次の場所へ手を伸ばす。ひんやりしたものに指先が触れた。

なにか変だ。

なにも変なところがない。

目を開けたい衝動に駆られる。苔むしているのではなかったのだろうか?髪の毛なんて生えていない。

そう思ったとき、右半身がなにかの気配を捉えた。目を閉じていてもわかる。たぶん、かすかな風の流れでそう感じるのだろう。数がおかしくないか、という疑念を封じ込めてソロソロとさらに右側に手を伸ばした。

次の瞬間、右手が嫌なものに触れた。夜気に湿った、小さなあたま。苔じゃないのはすぐにわかった。髪の毛が、生えている。

混乱が恐怖心に点火する前に俺は両手をソレから離し、ジーンズの後ろポケットからハサミを取り出した。愛用というほどでもないが、家にあるハサミというとこれだけだ。

屈み込んで、地蔵の前にある石造りの小さな台を探り当て、ハサミを置いた。そしてあらかじめ決めてあった名前を3度唱える。俺にストーキングまがいのことをしていた女の名前だった。

音響にこのおまじないのことを聞いたときから、その効力を解くには、上書きするしかないのではないかと思っていた。根拠はない。カンだ。そして上書きされるにうってつけの存在がいた。失敗でもいい。そしてこのおまじないが、本当は別の意味であったとしても、それでもよかった。目の前にあるものがなんなのか、わかりたくなかった。

俺は左を向くと懐中電灯をつけ、目を開けて脱兎のごとく逃げ出した。這い上がるように斜面を駆け上り、後ろを振り返らず走った。

山鳩の鳴き声が追いかけてくる。草いきれが鼻にこびりつく。閉じ込めていた畏怖の心が、奇声をあげているような気がした

よっつめだった。

俺が数え間違えたのか、それとも地蔵ははじめから4体あって、音響が3体だとウソをついたのか。それともそれは、目を閉じないと見つからない、何か得体の知れないものだったのか……もと来た道を逆走していると、懐中電灯の光が道の真ん中に赤いものを反射した。

赤いハサミだった。

一瞬躊躇したあと、拾い上げる。ノートの切れ端に描かれたイラストにそっくりだ。山に入ったときとは別のハサミをジーンズのポケットに納めて、俺は帰途を急いだ。耳は、聞こえるはずのないショキショキという音の幻を湿った風の中にとらえていた。

その次の日、俺はこの前のコーヒーショップでひとり音響を待っていた。

たぶん解決した。

そう言って呼び出したのだが、あながち間違いでもないように思う。この手にある赤いハサミがその象徴のような気がした。

店内の光度を抑えた照明にそっとかざしてみる。一体なぜ地蔵に供えられたはずのハサミがあそこに落ちていたのか、俺には知るよしもなかったがこうして見ると何事ごともないただのありふれたハサミにしか見えなかった。

「遅せぇな」

独り言をいってしまったことに気づいて周囲を気にする。さすがにコーヒーショップにハサミを持った男がひとりでいては気持ちが悪いだろう。そう思って一応念のためにカモフラージュ用の文房具一式と大学ノートを脇に置いてあった。

ふと思いついて、汗をかいたコーラのグラスを持ち上げ、白い紙でできたコースターをつまんだ。右手で持ったハサミを円のふちにあてがう。深い意図があったわけではない。ただ前回、音響が破いたコースターの切れ端に残っていた鋭利な断面が気になっていたからだった。

軽く力を込めて、刃を噛み合わせる。そのとき、予想外のことが起きた。

ぐにょりという鈍い感触とともに、コースターが切れもせずハサミの刃の間に変形して挟まったのだ。

首筋にあたりがゾワっとした。

ギチョン。という音をさせてハサミを開く。コースターがぽとりとテーブルの上に落ちた。確かに少し厚みがあるとはいただの紙なのだ。切れないはずはない。

もう一度ハサミをよく見てみる。そういえば持ったときに何か違和感があった。空中でチョキチョキと素振りをしてみるとその正体に気づいた。

俺は左手にハサミを持ち替えてもう一度コースターに刃をたてる。こんどはシューッという小気味よい音とともに白い紙に切れ目が入っていった。"左利き"用だ。

あるのは知っていたが、現物を見たのははじめてだった。俺は手元の赤いハサミとコースターとを見比べながら、笑いが込み上げてくるのを抑えられなかった。

あのとき、音響は右の平手で俺の頬を叩いた。怖がらせるような意地の悪いことを言った俺を反射的に叩いてしまった彼女に、負い目を持ったのがこの無謀な冒険のきっかけだ。クールそうな彼女にそんなことをさせてしまったという負い目。だが、あのときの彼女にはとっさに利き腕ではない方を繰り出すだけの、理性の働きが確かにあったのだった。

はめられたのかも知れない。そういえば、ノートに地図を描く時の彼女は左手でペンを握っていた気がする。あの平手で俺がなにを感じるか、計算ずくだったとするなら……そのときはじめて俺は、あの暗い服を好む少女に好奇以上の興味を持ったのだった。

1週間後、例のオカルト道の師匠と仰ぐ大学の先輩と会う機会があった。お互いの近況を交換し合うなかで、俺は鋏様の話と《黒い手》騒動の時の少女と再び会ったことを話した。

師匠はニヤニヤと聞いていたが、口を開いたかと思うと

「僕ならその鋏様とやらの髪の毛、ハサミでジョキジョキにしてやったのに」

と言い放ち、俺は心底この人に頼らなくてよかったと胸をなでおろした。

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