血−前編−
大学1回生のとき、オカルト道を突き進んでいた俺には師匠がいた。ただの怖い物好きとは一線を画す、得体の知れない雰囲気を持った男だった。
その師匠とは別に、自分を別の世界に触れさせてくれる人がいた。オカルト系のネット仲間で、オフでも会う仲の「京介」さんといいう女性だ。
どちらも俺とは住む世界が違うように思える、凄い人だった。師匠のカノジョも同じネット仲間だったので、その彼女を通じて面識があるのかと思っていたが、京介さんは師匠を知らないという。
俺はその二人を会わせたらどういう化学反応を起こすのか、見てみたかった。そこで、あるとき師匠に京介さんのことを話してみた。
「会ってみませんか」
と。
師匠は腕組みをしたまま唸ったあとで、
「最近付き合いが悪いと思ってたら、浮気してたのか」
そんな嫉妬されても困る。が、黒魔術に首をつっこむとろくなことがないよ、と諭された。ネットでは黒魔術系のフォーラムにいたのだった。
どんなことをしてるのか、と問われて、あんまり黒魔術っぽいことはしてませんが、と答えていると、あるエピソードに食い ついてきた。京介さんの母校である地元の女子高に潜入したときの出来事だったが、その女子高の名前に反応したのだった。
「待った、その女の名前は?京子とか、ちひろとかいう名前じゃない?」
そういえば京介というハンドルネームしか知らない。話を聞くと、師匠が大学に入ったばかりのころ、同じ市内にある女子高校で新聞沙汰になる猟奇的な事件があったそうだ。女子生徒が重度の貧血で救急車で搬送されたのであるが、
「同級生に血を吸われた」
と証言して、地元の新聞がそれに食いつき、ちょっとした騒ぎになった。その後、警察は自殺未遂と発表し、事件自体は尻切れのような形で沈静化した。しかしそのあと、二人の女子生徒が密かに停学処分になっているという。
「当時、僕ら地元のオカルトマニアにはこの事件はホットだった。○○高のヴァンパイアってね。たしか校内で流行ってた占いの秘密サークルがからんでて、停学になったのはそのリーダー格の二人。どっかで得た情報ではそんな名前だった」
吸血鬼って、いまどき。俺は師匠には申し訳ないが、腹を抱えた。
「笑いごとじゃない。その女には近づかないほうがいい」
思いもかけない真剣な顔で迫られた。
「でも京介さんがその停学になった人とは限らないし」
俺はあくまで一歩引いて流そうとしていた。しかし「京子」という名前が妙に頭の隅に残ったのだった。
地元の大学ということもあってか、その女子高出身の人が俺の周辺には結構いた。同じ学科の先輩で、その女子高OBの人がいたのでわざわざ話を聞きに行った。やはり、自分でもかなり気になっていたらしい。
「京子さん?もちろん知ってる。私の1コ上。そうそう、停学になってた。なんとか京子と、山中ちひろ。占いとか言って、血を吸ってたらしい。うわー、きしょい。二人とも頭おかしいんだって。とくに京子さんの方は、名前を口に出しただけで呪われるとかって、下級生にも噂があったくらい。えーと、そうそう、間崎京子。ギャ、言っちゃった」
その先輩に、「京子」さんと同学年という人を二人紹介してもらった。二人とも他学部だったが、学内の喫茶店と、サークル の部室に乗りこんで話を聞いた。
「京子さん? あの人はヤバイよ。悪魔を呼び出すとか言って、へんな儀式とかしてたらしい。高校生がそこまでするかってくらい、イッちゃってた。最初は占いとか好きな取り巻きが結構いたけど、最後はその京子さんとちひろさんしかいなくなってた。卒業して外に出たって話は聞かないから、案外まだ市内にいるんじゃない?なにしてるんだか知らないけど」
「その名前は出さないほうがいいですよ。いや、ホント。ふざけて陰口叩いてて、事故にあった子、結構いたし。ホントですよ。え? そうそう。ショートで背が高かったなあ。顔はね、きれいだったけど・・・近寄りがたくて、彼氏なんかいなさそうだった」
話を聞いた帰り道、ガムを踏んだ。嫌な予感がする。
高校時代から、怪我人が出るような「遊び」をしていたという、「京介」さんの話と合致する。山中ちひろというのは、京介さんが親しかったという黒魔術系サークルのリーダー格の女性ではないだろうか。間崎京子。頭の中でその言葉が回った。
それから数日、ネットには繋がなかった。なんとなく京介さんと会話するのが怖かった。ギクシャクしてしまいそうで。ある意味、そんな京介さんもオッケー!という自分もいる。別に取って食われるわけではあるまい。面白そうではないか。しかし「近づくな」と短期間に4人から言われると、ちょっと警戒してしまうのも事実だった。
そんな、問題を先送りにしただけの日々を送っていたある日。道を歩いているとガムを踏んだ。歩道の端にこすりつけていると、そのとき不思議なことが起こった。一瞬、あたりが暗くなり、すぐにまた明るくなったのだ。雲の下に入ったとか、そんな暗さではなかった。一瞬だが真っ暗といっていい。
しばらくその場で固まっていると、また同じことが起こった。パッパッと、周囲が明滅したのだ。まるでゆっくりまばたきした時のようのようだった。しかしもちろん、自分がしたまばたきに驚くようなバカではない。怖くなって、その場を離れた。
次は、家で歯磨きをしているときだった。パチ、パチ、と2回、暗闇に視界がシャットダウンされた。驚いて、口の中のものを飲んでしまった。
そんなことが数日続き、ノイローゼ気味になった俺は師匠に泣きついた。師匠は開口一番、
「だから言ったのに」
そんなこと言われても。なにがなんだか。
「その女のことを嗅ぎ回ったから、向こうに気づかれたんだ。『それ』はあきらかにまばたきだよ」
どういうことだろう?
「霊視ってあるよね? 霊視されている人間の目の前に、霊視している人間の顔が浮かぶっていう話、聞いたことない?それとはちょっと違うけど、そのまばたきは『見ている側』のまばたきだと思う」
そんなバカな。
「見られてるっていうんですか」
「その女はヤバイ。なんとかした方がいい」
「なんとかなんて、どうしたらいいんですか」
師匠は、謝りに行ってきたら?と他人事まるだしの口調で言った。
「ついて来て下さいよ」
と泣きついたが、相手にされない。
「怖いんですか」
と伝家の宝刀を抜いたが、
「女は怖い」
の一言でかわされてしまった。
京介さんのマンションへ向かう途中、俺は悲壮な覚悟で夜道を歩いていた。自転車がパンクしたのだった。偶然のような気がしない。またガムを踏んだ。偶然のような気がしないのだ。地面に靴をこすりつけようとして、ふと靴の裏を見てみた。
心臓が止まりそうになった。なにもついていなかったガムどころか、泥も汚れも、なにも。では、あの足の裏を引っ張られる感覚は一体なに?「京子」さんのことを嗅ぎ回るようになってから、やたら踏むようになったガムは、もしかしてすべてガムではなかったのだろうか?
立ち止まった俺を、俺のではないまばたきが襲った。上から閉じていく世界のその先端に、一瞬、ほんの一瞬、黒く長いものが見えた気がした。睫毛?そう思ったとき、俺は駆け出した。勘弁してください!そう心の中で叫びながら、マンションへ走った。
チャイムを鳴らしたあと、「うーい」というだるそうな声とともにドアが開いた。
「すみませんでした!」
京介さんは俺を見下ろして、すぐにしゃがんだ。
「なんでいきなり土下座なんだ」
まあとにかく入れ、と言って部屋に上がらされた。俺は半泣きで、謝罪の言葉を口にして、今までのことを話したはずだが、あまり覚えていない。
俺の要領を得ない話を聞き終わったあと、京介さんはため息をついてジーンズのポケットをごそごそと探り、財布から自動二 輪の免許書を取り出した。
『山中ちひろ』
そう書いてあった。俺は間抜け面で、
「だ、だって、背が高くてショートで・・・」
と言ったが、
「私は高校のときはずっとロングだ」
バカか、と言われた。じゃあ、間崎京子というのは・・・
「お前は命知らずだな。あいつにだけは、近づかないほうがいい」
どこかホッとして、そしてすぐに鳥肌が立った。
はじまりはただの占いだったという。女の子であれば、小学生や中学生のときにハマッた経験はあるだろう。高校になっても占いに凝っている子となれば、占いの方法もマニアックなものになり、ちょっと傍目にはキモいと言われたりする。
京介さんもそのキモい子の1人で、タロットを主に使ったシンプルな占いを休み時間のたびにしていたそうだ。やがて校内で一過性の占いブームが起きて、あちこちで占いグループが生まれた。
子どもの頃から占い好きだった京介さんはその知識も豊富で、多くの生徒に慕われるようになった。タロットやトランプ占いから、ホロスコープやカバラなどを使う、凝ったグループも出てきはじめた。その中で、黒魔術系と言っていいような陰湿なことをする集団が現れる。そのボスが間崎京子という生徒だった。
京介さんと間崎京子はお互いに認め合い、また牽制しあった。仲が良かったとも言えるし、憎みあっていたとも言える、一言では表せない関係だったそうだ。
そんなある日、京介さんはあるクラスメートの手首に傷があるのに気がついた。問いただすと、間崎京子に占ってもらうのに必要だったという。
間崎京子本人のところに飛んでいくと、
「血で占うのよ」
と涼しい顔でいうのだった。指先や手首をカミソリなどで切って、紙の上に血をたらし、その模様の意味を読み解くのだそうだ。
そんなの占いとは認めない、と言ったが、取り巻きたちに
「あなたのは古いのよ」
とあしらわれた。
その後、手首や指先などに傷を残す生徒はいなくなったが、血液占いは続いているようだった。ようするに目立つところから血を採らなくなった、というだけのことだ。
これだけ占いが流行ると他の子とは違うことをしたいという自意識が生まれ、よりディープなものを求めた結果、それに応えてくれる間崎京子という重力源に次々と吸い込まれていくかのようだった。
学校内での間崎京子の存在感は、ある種のカルト教祖的でありその言動は畏怖の対象ですらあった。「名前を出しただけで呪われる」という噂は、単に彼女の地獄耳を怖れたものではなく、実際に彼女の周辺で不可解な事故が多発している事実からきていたそうだ。
血液占いのことを京介さんが把握してから数週間が経ったある日、休み時間中にクラスメートの一人が急に倒れた。そばにいた京介さんが抱き起こすと、その子は
「大丈夫、大丈夫。ちょっと立ちくらみ」
と言って何事もなかったかのように立ち去ろうとする。
「大丈夫じゃないだろう」
と言う京介さんの手を、彼女は強い力で振り払った。
「放っておいてよ」
と言われても放っておけるものでもなかった。その子は間崎京子信者だったから。
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