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溶接ー2ー


結局、廃工場に行くことになったのは、京介さんとみかっちさん、当事者の伊丹さんと俺の合計四人だった。
「ここで待機してようか」と言ったワサダさんに、「あんた彼氏いるんだから、二人きりは駄目だって。帰んなよ。しっし」とみかっちさんが追い立てるようにして帰らせた。
みかっちさんが和気さんのことを狙っているという噂はどうやら本当のように思えた。
四人が乗り込んだ伊丹さんの車で深夜の国道に入り、しばらく走った。そこからはただでさえ地元民ではない僕にはさっぱり分からなくなったが、とにかく都市部から外れた狭い田舎道を一時間くらい走ってようやく目的地にたどり着いたのだった。
「ここから歩くよ」
伊丹さんが懐中電灯を手に持ちながら車のドアを閉めた。
カメラは藤原さんという伊丹さんの友人の持ち物だったので、今はない。四人はその幹線道路から外れた何もない山道を静かに進んでいった。
途中、何もない道端に急に石碑のようなものが現れた。伊丹さんが緊張するのが分かる。
「こっち」
そうして石碑の角を回り込むようにして、枝道へ入った。車がやっと一台通れるくらいの狭い道だ。こんなところに工場なんて、不便で仕方がないだろうに。
一体なんの工場だったのだろうと思いながら俺は舗装もままならないその砂利道を黙々と歩いていった。
どこからともなく山鳩の声が聞える。こんな夜中なのに、鳥が起きているということが不思議だった。
京介さんを相手にしきりと話しかけていたみかっちさんの口数も減り始めたころ、ようやく建物の影が見えてきた。
ビデオに映っていたのと同じだ。真否はともかく、心霊スポットという噂が立つほどの建物だ。夜の山の中にいきなりその姿が現れると、さすがに不気味な迫力があった。
「こっち、こっち」
伊丹さんがビデオの再現のように手でみんなを招きながら壁を回り込み始めたので、その不気味さが一層増したように感じた。
朽ちた壁が続く中に、横開きの大きな扉が見えてきた。
「この中だ」
声が震えて上ずっている。
「こ、この中ね」
みかっちさんが確認するように言うと、京介さんの背中を押しながら進もうとしている。その先には斜めに傾いて片側が半分開きかけているように見える扉が見えた。
さすがに京介さんも少し嫌そうに「押すなバカ」と言うと立ち止まり、扉の中の様子を伺いながらゆっくりと近づいていった。
四人それぞれが持った懐中電灯の明かりが扉の隙間に集中する。そこからなにか気味の悪いものが顔を出しそうな気がして、ゾッとする。
「入るぞ」
そう宣言したかと思うと、京介さんが扉の隙間からスルリと中に消えていった。俺もおっかなびっくり後を追う。
中はむっとするような黴臭い匂いが立ち込めていて、ビデオで見ただけのものとは違う臨場感が、恐怖心を圧迫してくる。廃工場の中を懐中電灯の丸い光が、大きな人魂のように彷徨う。
人の気配はどこにもなかった。物音と言えば、自分たちの息遣いと背後から扉を越えてくる残りの二人の足音だけだった。
床の真ん中あたりに月の光が落ちている。見上げると、トタン屋根の天井の一部に丸い穴が開いていた。その落ちてくる淡い光が、どこか非現実的で幻想的な雰囲気を生んでいた。
「あっちだ」
伊丹さんが懐中電灯を左手側の隅に向ける。京介さんを先頭に足音を殺しながらゆっくりとそちらに歩いていく。
ドキン、ドキン、と心臓が高まり始める。転がったドラム缶の影になにか動いたような気がする。しかし、それが恐怖心の生み出す錯覚だということも分かる。
「これか」
京介さんが立ち止まったその足元を見ると、そこには蓋があった。
金属製の蓋だ。冷え冷えとした地面にまるで張り付くように据えられている蓋だった。人間が一人、出入りできるほどの大きさの。その下には、地下へと伸びる階段があるのだろうか。
だが、蓋は溶接されていた。この目で見るとはっきりと分かる。何年、いや十年以上も前からこの蓋は、こうして溶接された状態で誰にも開けられることもなく、ここで時の経過とともに緩やかに朽ちていったのだろう。
「髪が」
みかっちさんが短い悲鳴のようにそう言った。
再び目を落とすと、蓋の溶接された縁から人間のものと思しき髪の毛のようなものが生えているのに気づく。
ゾクゾクと寒気が増す。この感じはやばい。やばい。頭の中でそんな警戒音が鳴っている。
しかし、京介さんが俺を見てこう言った。
「抜いてみろ」
「なんで俺ですか」
思わずそう言い返すと、「他人の髪の毛なんて触りたくない」と言うのだ。どこかずれている気がする。
「いいからやれ」
有無を言わせぬ口調でそう命令されると、従わざるを得ない。メンバー的にも俺がやるしかないのだろう。真っ青な顔でぶるぶる震えている伊丹さんを振り返り、改めてそう思った。
髪の毛のように見えるものは、蓋の縁から少しずつ束になり、何条かに分かれて出ていた。
俺は息を止めて、その髪のひと束を指先で摘んだ。その瞬間思った。
髪だ。
あきらかに人の髪だった。
そして同時に気づく。こんなにたくさん髪の毛があっただろうか。ビデオで見た時よりも多い気がする。それに、一度は蓋の縁をガリガリと指先で掻き、なんとか持ち上げるための取っ掛かりになりそうな場所を探していた伊丹さんが、その時全く気づいていなかったというのが不可解だった。
増えている?
溶接された蓋の、ないはずの隙間から生えている髪の毛が?
そんな、馬鹿な。
周りは静かだった。伊丹さんは蓋の下へ声を掛けようとしない。いるんですか、とは。
俺は震える指先で、摘んだままの髪をそっと引っ張った。
ずるり。
抜けた。数本の髪が、わずかな抵抗のあと、抜けた。その抵抗が、溶接によるものなのか、それとも、別のなにかによるものなのかは分からない。
思考がそれ以上深くならないように、俺は軽い口調で「抜けました」とその長い髪の毛を翳して見せた。
その瞬間、悲鳴が上がる。伊丹さんとみかっちさんだった。
「毛根が」「毛根があるじゃない!」
二人とも、まるでそれが今ヒトの頭皮から抜けたばかりであることの証明のように驚愕している。
「おい、落ち着け」
京介さんがそう言ってみかっちさんの肩を抱く。
伊丹さんは胸ポケットから携帯電話を取り出した。そしてボタンを押してから耳に押し当て、すぐさま「出ろよ。なんとか言えよ、おい」と捲くし立てた。
「どこにいるんだよ。電話出ろよ!」
薄ら寒い廃墟の中に、その声が響く。
だが次の瞬間、「あ」と言って動きが止まった。伊丹さんは目を泳がせなら「着信音が聞える」と呟く。

リリリリリリリ……
リリリリリリリ……

携帯電話の着信音が、どこからともなく聞えて来る。
俺は身体を硬直させ、摘んでいた髪の毛を取り落とす。
みかっちさんが叫び声を上げた。伊丹さんも、わああ、と叫んで耳を塞ぐ。
全員の視線が蓋に向かっている。いや、蓋ではない。その下にあるはずの空間に。
着信音はそこから聞えているのだ。溶接され、人が入れないはずの地下から。
その時、ドラム缶が蹴り飛ばされる物凄い音がした。
金属の塊がひっくり返り、打ちっぱなしの床に打ち付けられる、ゴワンゴワンという轟音が。それは携帯電話の着信音など耳の奥から一瞬で吹き飛ばされるような音だった。
飛び上がらんばかりに驚いた俺は、その音のする方へ目をやった。
そこでは京介さんが、右足の踵を上げ、痛そうに顔をしかめている。ドラム缶を蹴ったのは京介さんだった。
だが、一体なぜ?
そう考えるより早く、京介さんは瞬時に身体を反転させ、右手を伸ばして伊丹さんの携帯電話をもぎ取った。そして一瞬だけ耳に当てると、唖然とする俺たちにその携帯電話のディスプレイを翳してみせる。
「聞いてみろ。相手には届いてない」
俺は携帯電話を受け取りもせず、ただ耳を近づけて『……電波の届かない場所におられるか、電源が入っていないため……』というメッセージを聞く。
「幻聴だ」
その言葉にハッとする。
耳を澄ましたが、確かに聞えない。空のドラム缶が立てた騒々しい音にかき消され、携帯電話の着信音は完全に途絶えていた。始めからそんな音が存在していなかったかのように。
京介さんは手にした携帯電話のディスプレイにふと目を落とし、ボタン操作をした後で、険しい表情をした。
「……おい」
そうして押し殺したような低い声で言うのだ。
「伊丹。この相手、誰だ」
伊丹さんを睨みつける。
その訊き方はどこか奇妙な気がした。それが分からないから、こうしてこんなところまでやって来ているはずなのに、この場面で何故そんなことを?
あまりの展開にバクバク言っている心臓を胸の上から押さえつつ、俺は京介さんと伊丹さんを交互に見た。
京介さんは携帯電話をゆっくりと伊丹さんの方へ向け、その表示された画面を前に突き出した。
『木だ 弘子』
そこにはそんな文字が書いてあった。
「間違えて掛けたんじゃないな。昨日のその時間に、着信があった番号だ。ビデオで見た通り、その後お前からリダイアルをしている」
名前?
なぜアドレスに名前が入っている?
しかし、名前の下に表示された番号を見ると、確かにさっき和気さんの部屋で見せられた番号なのだ。あの時は、番号だけが表示されるモードだったらしい。しかし、着信履歴や送信履歴ではこうして名前までちゃんと表示されていた。
木だ 弘子
田んぼの田がひらがなになっている。まるで慌てて打ち込んだかのようだ。
見覚えのない名前だった。
混乱して、俺は伊丹さんを見た。
「分からない」
真っ青な顔をしてぶるぶる震えながら、頭を抱えている伊丹さんがその手をガリガリと動かしている。
「分からない!」
伊丹さんが叫んだ瞬間、ゴトリ、という音が響いた。
思わず床に転がっているドラム缶に目をやったが、もう動いてはいない。一体何の音だ、と思い周囲を見回そうとした時だった。
「上!」
みかっちさんが叫んで、天井を指さした。
見上げると、屋根に開いた穴が半月状になっている。さっき見た時には、丸い形だったはずなのに。
床に落ちた光も、半月の形になっている。
ゴトリ……
また音がして、半月が三日月になった。差し込む月の光も、細くなって行った。
穴の真下の床は雨が吹きさらしだったためか、変色している。そこに落ちる白い月の光が、か細くなって行くにつれ、床の染みがドス黒くなって行くように見えた。まるで血の跡のように……
ゴトリ……
天井の穴はさらに小さくなる。まるで、蓋を閉じているような動きだった。
そう思った瞬間、恐怖心が爆発的に増殖した。凍りついたように足が固まる。蓋が。蓋をされてしまう。出口がなくなる!
硬直した俺を、いや、全員をその金縛りから解いたのはやはり京介さんだった。
「出るぞ」
そう言って全員の肩を強く叩き、上ではなく、水平方向にあった出口への脱出を促した。
懐中電灯で照らされるまで、完全にその扉のことが頭から消えていた。あの天井に開いた穴が唯一の出口であるかのような錯覚を、埋め込まれていたのだった。そのことにゾクリとする。
俺たちは走った。
傾いた扉に異変はなく、来た時と同じように隙間に身体を滑り込ませ、外に出ることができた。
廃工場の外で、四人揃っていることを確認した後、すぐにその場を離れながら、京介さんは「もう帰るぞ」と有無を言わせない口調で言った。みんな神妙な顔で頷いた。
来た道を戻るあいだ、京介さんは伊丹さんの携帯電話のアドレスから『木だ 弘子』を削除した。
そうしてようやく持ち主に電話を返すと、「本当に知らないやつか」と訊く。
伊丹さんは何度もつんのめりそうになりながら、それでも早足で歩きつつ「し、知らない」と真剣な表情で答えた。
「どうしてその名前で登録した?」
「……分からない。覚えてない」
伊丹さんはその後も終始そんな調子だった。
車を止めてあった場所に辿り着いたが、持ち主が運転できる精神状態になかったので京介さんがハンドルを握った。結局無事に帰路につくことができたのだが、俺もどこか浮き足立っていて、一体なにが起こっていたのかという好奇心よりも、危険から離れたいという心理の方が勝っていたのだった。
その日はそのまま解散になった。車の中でも皆無口で、廃工場での出来事を語り合うこともなかったのは、本能的に避けるべき危機を知っていたのだろう。怪異は、あの廃工場という空間だけで完結していないのかも知れなかった。何故なら、結果的に伊丹さんは俺たちをつれてもう一度あそこに呼び寄せられたのだから。
目に見えない怪異の伸ばす糸が、身体のどこかにこびり付いているような気がして、どうしようもなく気持ちが悪かった。
「あのビデオは処分するよ」
伊丹さんが別れ際、ぽつりとそう言った。



次の日、俺はオカルト道の師匠に、昨日の事件の顛末を語った。一晩寝て起きただけで、喉元過ぎれば、というやつだ。
師匠は面白そうに聞いていたが、トタン屋根の破れ穴が閉じて行くように見えたくだりで、「どうして僕も呼んでくれなかった」と言って悔しがった。
この人は多分、こういうことに首を突っ込んでいつか死ぬんだろうと思った。
そうしてさらに数日が経ち、伊丹さんもようやくオカルトフォーラムに顔を見せるようになった。『猫元気?』と訊かれ、『今ぼくの横で寝てます』と答えた。
その後、師匠に会った時、ふいに「そういえば、行って来たぞ」と言われた。
どうやらあの廃工場へ行って来たらしい。それも蓋を開けたというのだ。
驚いて「どうやって?」と訊くと、知り合いの工場から工業用の切断機を借りて、持って行ったとのこと。
「蓋の縁に髪の毛が挟まってたとか言ってたけど、僕が行った時は見当たらなかったよ」
「そんなことより、蓋の下はどうなってたんですか」
髪の毛がなかったというのも気にはなったが、蓋の下のことを聞きたかった。
散々もったいぶった後、あっさりと「なんにもなかった」と聞かされた時には嘘だろう、と思った。
噂にあったような地下室などはなく、いや、正確にはかつてあったのかも知れないが、蓋のすぐ下はコンクリートで埋められ、人が一人入れるか入れないか、という空間しかなかったのだと言うのだ。
「なんか、ねずみか何かの骨が散らばってたけど。それだけ」
そう言って空気が抜けるように笑った。
「屋根の穴ってのも普通に開いてたし、集団で幻覚でも見たんじゃない?」
昔、女の子が殺されて捨てられてたって場所なんだし、恐怖心からそういう集団心理が働いてもおかしくないと、鹿爪らしくそう言う。
そんなこと初耳だった。
「あれ? そういう噂知らなかった? 僕が調べた限りでは、工場が潰れた直後くらいに、敷地内で身元不明の十六、七歳の女の子が白骨状態で見つかったとか。まあ裏は取ってないけど。犯人も見つからずじまいだったって話」
「その殺された子って、もしかして木田弘子とかって名前だったんだじゃないですか」と訊ねると、師匠は「さあ」と首を振るだけだった。

(完)

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あきゅろす。
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