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テレビー2ー

男の首は目を見開き、恐怖が張り付いたような表情をして何ごとか訴えるようだったという。
その口は叫び声のために開かれていたが、なんの言葉も発していなかった。肺から供給される空気の道が断たれたからだった。
「目が合ったって人の話では、まだその時点で男は死んでなかったんじゃないかって言うんだ。たしかに、首が飛んでもほんの数秒なら脳は生きているだろう。瞬間に失神していない限り、意識もあるかも知れない。その胴体から離れた頭部が、最後の瞬間に自分と目が合い、そしてその目が合ったことを認識していたのかも知れない。声にならない叫びは、自分に向けられたのかも知れない。いったいなにを叫ぼうとしていたのか…… と、こういう話だ」
「私が知り合いから聞いた話では、その事故に遭遇した夜に一人で寝ていると物凄い叫び声が部屋の中に響いて、驚いて飛び起きても周りに誰もいない。怖くてその夜は家族と同じ部屋で寝たんですが、次の日に一人で寝ているとまた叫び声で目が覚める。いったい、自分が叫んでいるのか、それともここにはいないはずのだれかが叫んでいるのか…… そして何を叫んでいるのかも最後まで分からない。それでノイローゼになってしまった、ということでした」
「それは知り合いが体験した話?」
「いえ、友だちから聞いたと言っていました」
「フレンド・オブ・フレンドだな。典型的な怪談話だ。当時めちゃくちゃこの噂が流行ってて、猫も杓子もみんな『知り合いから聞いた話だけど』って言って広めてたな。わたしも気になってこの話を片っ端から蒐集したんだよ。この生首と目が合った後のパターンは決まってて、さっきの叫び声で目が覚めるってのがテンプレートだ。他にもゴミ箱みたいな人間が入り込めないくらい狭い場所から誰かに呼びかけられるってパターンとか、直接その男の生首が部屋の窓の外に現れてパクパク口を動かしてるんだけど、ガラス越しだから聞こえないって話もごく少数だけどあった。バリエーションだな、いずれにしても、みんな実際にあったその事故を目撃してから怪現象に襲われるっていう筋だ」
なるほど。そう言えば大学に入ってからもどこかでこの話を聞いたことがあるような気がする。
「まあ、生首と目が合うっていうインパクトありきで生まれる噂話なんだろうが、当然『友だちから聞いた』、『知り合いから聞いた』っていう話の元を辿っていっても、その友だちも実は別の友だちから聞いたって言いだして、結局実際の体験者には辿り着けない。……ところがだ」
師匠はそこで言葉を切り、空になったそうめんの器をチンチンと箸で叩いた。
「仮に、その知り合いの話、友だちの話がすべて本当だったとして考えてみると、こういうことになる」
師匠は部屋にあった目玉のオヤジのぬいぐるみを手に持って、空中に浮かばせる。
「事故が起こったのは、帰宅ラッシュも終わり、ホームに客が少なくなった時間帯だった。その乗車口近くにいたのは数人だったと思われる。そこでその中の一人が線路内に飛び出し、通過する貨物列車に跳ね飛ばされる。千切れ飛んだ生首の視線を再現すると、こうだ」
目玉のオヤジの目の上に鉛筆を立てて空中を横切らせる。
「視界自体は傘のように広がってるけど、目が合うという状況は視界の正面でなくてはならない。つまり線だ。この線の上にたまたま他の人の目があったわけだが、人もまばらなホームで首が宙を飛んだ一瞬に視線と視線が合うという偶然自体がなかなか起こりえないことだ。いて一人だね。ホームで横にずらっと客が並んでたら別だが、もちろんそんなことはない。ということは、どういうことだ?」
話を振られて、僕と隣人は顔を見合わせる。
「だから、その運の悪い一人と目が合ったんでしょ」
「そうだ。そして生首と目が合った人は、その夜に怪奇現象に襲われる。それが続くストレスでノイローゼになってしまう。だけど、その怪奇現象自体がそもそも人身事故を目撃するというショキングな体験をしてしまったことによるストレスが引き起こしたとも考えられる。ありえる話だろう。おかしなことじゃない。おかしいのは、その生首と目が合ってしまった人物が、大島の知り合いの友だちであり、大学生の川村君の友だちであり、小学生のみゆきちゃんの友だちであり、主婦の麻子さんの友だちであり、ゲートボール愛好会の政吉じいさんの友だちであり、アフリカからの留学生のバラク君の友だちであるということだ」
なぜか、ぞくりとした。
今出た名前はすべて師匠が蒐集した噂話の話し手なのだろう。なんだかほのぼのとした顔ばかり浮かぶが、その分余計に気味が悪いような気がした。
「年齢や、属している社会にもまったく接点のない不特定多数の人々と、共通の友人であるその誰かは、自分自身には名前がない。ただ彼らの知り合い、友だちである、というパーソナリティしかない。そして貨物車に跳ねられ、即死したはずの人の生首と、目が合ったという。その誰かの方が、よほど妖怪的ななにかだと思うね」
師匠は鍋からそうめんのおかわりを器に取り分けながら、そう言った。
「気持ちが悪いですね」
僕がそう言うと、隣人も頷いている。
それからさらに師匠は人身事故にまつわる怪談話をいくつか披露して、そのあい間あい間にそうめんを食べ続けた。
テレビはニュースのあと視聴率の低そうな情報番組に変わり、僕らはそれを惰性で見ていた。
主婦の体験談を再現したVTRがだらだらと流れていて、その中で夫の浮気現場を目撃してしまったというシーンが映し出された時に師匠が「あ」と言った。
自宅の一室の襖を主婦が開けようとする場面だ。その中では夫と浮気相手が大変なことになっていた、という話だが、師匠はその襖を開けるところに反応していた。
「最近考えたんだけど、襖ってさ、両開きだとこう両手の指をさし入れて左右に引くよな」
師匠は起き上がって目の前に両手を出し、それを動きで示す。両肘を張って、丁度目の高さに手のひらが鉤を作っている。
「普通はもっと低い位置でしょ。膝のあたりで開かないですか。そんな力の入った位置だとまるでホラーですよ」
「そのホラーの話をしてるんだよ」
ああ。それならよくそんなシーンを見る気がする。閉じていた襖が少し開いて、その奥からギョロリとした目が覗く、というやつだ。ベタだが、日本家屋の持つ独特の暗さと雰囲気を再現できていれば、なかなか怖くなる場面だ。
「それをもっと怖くできないかと思ってな。色々考えたんだ。まずこれ」
師匠はさっきと同じ両肘を張ったポーズをとる。
「襖を左右に開こうと指を入れた場合、当然親指は下を向いている」
その通りだ。片方の襖を開ける場合は、右手で左側の襖を左に開くこともあるので親指は上を向いていることもあるが、両方を同時に開く場合は必ず下向きだ。
「そこで、部屋の外、襖の裏側の左右にさらに二人の人間をそれぞれ配置する。そして襖に腹をつける形で、部屋の外から見て右側の人間が左手を、左側の人間が右手を伸ばして襖の隙間に指を入れる。部屋の中から見たら、襖が左右にゆっくりと開いていき、その奥からは目玉がギョロリ、というシーンだけど、指の形がおかしい。親指が上を向いているんだから、左右の手がまるで入れ替わっているような錯覚に陥るんだ。もちろん手を胸の前でクロスさせて襖を開ければ一人でも同じことができるけど、もちろんゆっくりと開いていく襖の間には、そんな腕の交差は見えない。……こわっ」
師匠はそんな一人芝居をしていたが、親指の向きがおかしいなんて、よほど気をつけていないと気がつかないんじゃないだろうか。
そんなことを指摘すると、「じゃあその二だ」と言って、また最初の両肘を張ったポーズを取った。
「今度はこの形を三人で再現する。さっきと同じように部屋の中からは見えない位置の襖の裏側に二人の人間を配置する。で、今度は背中を襖につけた状態で腕を伸ばす。すると逆手(さかて)で襖に指をさし入れることになる。真ん中に立っている人間が襖を開けようとするのと同じ指の形だ。でも目玉を覗かせる役と、手の持ち主が別だから、気持ちの悪いことができる」
師匠は僕を立たせて、ギョロ目役だ、と言ったあと、自分は僕の方を向いたまま右横に立って片手を伸ばす。ちょうど僕の胸のあたりに右手の指が来ている。「すー」と言いながらその指を自分の方に引き、「そら、開いたぞ、目だ」と合図した。
僕はカッと目を見開いて、小島だか中島だか大島だかという名前の隣人の方を睨みつけた。心なしかびくりとしたようだった。
すると次の瞬間、師匠はその格好のままストンとその場にしゃがみ込んだ。腕は伸び、指は鉤を作ったまま床の上に落ちている。
「部屋の中からはどう見える」
「顔が同じ位置で目を見開いたまま、腕だけが下に落ちています」
襖がそこにあるという前提の元に隣人が答えた。
なるほど、開ききっていない襖の裏側でそんなトリックを使われているとは思いもしない人なら、相当驚くだろう。人体の構造上、ありえない動きだからだ。もちろん襖から覗く顔と手が同じ人物のものだとしてだ。
「三人じゃなく、二人でもできるな。片方の手だけが他人のものだとしても、色々脅かすバリエーションができそうだ。両方右手とかな」
そう言ってニヤニヤしている。こういう悪だくみをさせたら本当に生き生きしてくるので、面白い人だ。
そんな微笑ましい気持ちでいると、師匠はこちらを向いてまた両肘を張ったポーズを取った。
「おい。タネを知ったからって安心してるなよ。わたしが死んだら、これを逆手に取って、トリックと思わせておいて実はホンモノ、っていう出方をしてやるからな」
覚悟しとけ。
底意地の悪そうな顔で僕らの顔を順に見る。
「ちょっと待って下さい。手が落ちるとかそれ以前に、死んでるんですよね? 襖から顔が出た時点で幽霊なんですけど」
僕の指摘に、腕組みをして唸り始める。
「出た時点で幽霊か」
「幽霊です」
「なんの工夫もないのに、幽霊だというだけで驚くかな」
「驚きますね」
僕らの会話を隣人が面白そうに聞いている。
「ていうか死なないでください」
最後に僕がそう突っ込むと、師匠はふっ、と息を吐いてぽつりと言った。
「死んだあとの方が面白そうだ」
その言葉を聞いた瞬間、僕の足元から頭の先へ、とても嫌なものが走り抜けた。
後悔であり、悲しみであり、自分がただの石ころになったような無力さでもあった。
僕はその場に座り込んでしまいそうな脱力感と闘いながら、この人と初めて会った時のことを思い出していた。
喧噪の残る夜の街を、無数の霊をつれてただ歩いていた。寒気のするような、そしてどこか幻想的な光景。その時の彼女の目には、周囲のすべてがまったく映っていなかった。
いや、少し違う。
映っているものすべてに等しく価値がない。
そういう目をしていた。
時おり現れる、彼女のそういう眼差しを見るたび僕はどうしようもなくつらい気持ちになる。彼女がふと我に返ったかのようにその表情を無くす時、彼女と僕らのいる世界がとてもか細い繋がりしか持たなくなるような気がするのだ。
なにか面白いことを言わなくてはならない。楽しいことを言わなくてはならない。怖いことを言わなくてはならない。
早く。
そうして僕は、強張った口を開く。
何と言ったのか、もう覚えていない。きっとくだらないことだったのだろう。
師匠はそんな僕ににこりと笑って、「ユタって知ってるか」と言った。
知っている。現代に残る、シャーマンの一種だ。
「殯(もがり)の島でな、ユタのばあさんに言われたんだ。ちょうど島を出る時に。たった一言。知らない言葉だった。ただ、ののしられていた、ということだけは分かった。忌まわしいものを見るような、落ち窪んだ目の奥の光を今でも覚えている」
「なんて、言われたんですか」
師匠はふふん、という表情で「ぐそうむどい」と言った。

(完)

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