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桜雨ー後編1ー
結局、尾行は失敗した。見つかってしまったのではなく、見失ったのだ。
まあこんなものか。
そう思って、私はついこの間ヨーコと一緒に見つけたクレープ屋でショコラクレープを買った。食べながら街をうろうろする。そうして気がついたことは、一人だとこうしていてもあまり楽しくないということだった。
「あいつ、風邪早く治るかな」
あの騒々しさが嫌いではなかった自分に少し驚く。
CDでも見て帰るか……
そう思ってCDショップのある方へ足を向けようとした時、いつかザビエルに見つかりそうになったホテル街が近くにあることを思い出した。
そう言えば、今までにザビエルに遭遇したのもこの辺りばかりだった気がする。もしかするとまた近くにいるのではないかと思い、CDショップは後回しにしてその通りに足を踏み入れた。
昼間はやけに閑散としている印象だ。通りに面した飲み屋らしい店にはほとんどシャッターが下りている。
そんな中、くたびれたジャンパーを着た中年の男が道の真ん中に立って、通行人をじろじろと見ていた。いかがわしい店の呼び込みにしても、声掛けさえしていない。たまに見かけるが、いったいああいう人はこの街でどんな役割があるというのだろう。垣間見る大人社会は、まだまだ不思議なことばかりだった。
それにしてもザビエルはどうしてこんなところをうろうろしているんだろう。補導ならゲームセンターでも巡回している方が現実的だ。こんな場所で行われる不良行為など、生徒の中のごく一握りだろうに。
ふと、ヨーコに聞かされた無責任な噂話が耳の奥で再生される。
ザビエルの特殊な性癖のことだ。女子高生が好きだなどという。私にはそんな風には見えなかった。あの落書きの相合傘の方がよほど信憑性がある。
しかし。この嫌に空疎な昼間のホテル街を歩いていると、なんだか変な空想が湧いてくるのだった。髪を触られそうになったことを思い出し、不快な気持ちになる。
と言って、ザビエル自身が心底嫌いな訳ではない。
そんなことを思いながらザビエルの顔を思い浮かべる。ただ、変な噂を立てられた中学の時の暗い思い出が蘇るのが嫌だった。
「ねえ、ちょっと」
ぼうっとしていた時に、ふいに横から声をかけられて驚いた。
「ここでなにしてるの。その制服、女子高だよね」
若い男だった。小洒落た服を着ていて、髪は黄色く染めている。
「別に」
なるべく無表情であしらおうとしたが、男はいやに身体を近づけてくる。「ねえ」
「別に」
そう言って離れようとするが、しつこかった。場所が場所だけに、少し怖くなる。周囲の目もかなぐり捨てて、走って逃げたほうがいいのか、一瞬迷った。
しかしその次の瞬間、背後から鋭い声が上がった。
「なにしてるっ」
驚いて振り向くと、少し前に見失ったザビエルがいた。
その剣幕に驚いて、若い男はへへへ、とバツの悪そうな乾いた笑いを残して去って行った。助かった、と思うと同時に、やっぱりいた、という嫌な感想が脳裏をよぎった。
「大丈夫か」
そう言って近寄ってくるのが、さっきの男と同じくらい不快で、思わず身体を硬くする。
「なにかされなかったか」
第一声が、だから言っただろう、という押し付けがましい説教ではなかったのが唯一の救いか。
「はい」そう返事をした後の、第二声は「だから言っただろう」だった。
そしてうんざりした私に向かって、第三声が続いた。
「なにか買わされそうにならなかったか」
緊張を帯びた声に、ドキリとする。
買わされる?
なにかの影が頭の中を走った。心臓が高鳴り始める。
「買うって、なにを?」
「なにって、その……」
ザビエルは困惑した顔で、口ごもった。
私は直感に従い、自分のスカートのポケットに入っているものを取り出した。
「これですか」
そのオレンジ色の袋を見た瞬間、ザビエルの顔色が変わった。なにか言い出そうとする前に、私はその機先を制する。
「さっき拾いました」
「なっ……」
と言って絶句する。
「ど、どこでだ。吉永かっ?」
いきなり口をついて出てきた脈絡もない名前に、また私の脳裏を暗い影が走る。
吉永。
二つ隣のクラスの女子にそういう名前の子がいた。顔ははっきりとは思い出せない。しかし、分かった。
あの、公園を出た後ですれ違った女子生徒がそうだ。青ざめた顔で慌てながら走って来た子。
そんな確信があった。
だったら……
寒気が体中を駆け抜けた。
「あの公園」
そう言いながら、私はオレンジ色の袋を投げる。それを落とさないようにうろたえながらキャッチしようとしているザビエルを尻目に、私は走り出す。
すべてが最悪のタイミングであり、最悪の組み合わせだった。
嘘だろ。
思わずそんな言葉を口をつく。
さらに間の悪いことに、その通りを抜ける先には見覚えのある顔が二つ並んでいた。その女子生徒二人は、凄い形相で走ってくる私に驚いて道を開けようとした。
見られていた。
これは偶然?
いや、どちらでもいい。
私は急ブレーキをかけて、その二人にすばやく声をかける。
「どうして囃し立てないの」
いつか校門のところでザビエルをからかっていた上級生だ。相合傘の落書きをされるような教師二人をからかうように、こんなところに二人でいるところを見てからかわないのだろうか。
「え? だって、捕まって説教されてたんでしょ」
二人はそう言って顔を見合わせる。
なぜ? どうして、そんな好意的な見方をしてくれるのか。ホテル街に二人でいたというのに。
私は、ヨーコから聞いたあの噂を早口で捲くし立てる。すると二人は笑い出して、ないない、とばかり手を振る。
「わたしら、一年の時、ザビエルが担任だったけど、それはないわ」
それを聞いて、いい加減なヨーコの言うことを真に受けてはいけない、ということを学んだ。
「ありがとう。じゃあね」
そうしてまた私は走り出す。
走った。とにかく走った。
もっと走りやすい靴を履いてくるんだった、と後悔したが、それでも必死で走り続けた。地元の強みで、いくつかショートカットをしながら街なかを駆け抜けた。
息を切らせながら、あの公園へ向かう直線の道へ入る。
嫌な予感が全身を覆っている。これまでに見てきた不吉なパーツパーツが、最悪の組み合せでそこにあるのだ。
電信柱のところには、もう不良たちはいなかった。
その横を走り抜ける。
公園がすぐ先に見えた。
「ヒロさんっ」
そのままのスピードで公園の中に駆け込むと、胸に突き刺さるような光景が目に飛び込んできた。
「ヒロさん!」
あのダンボールハウスはめちゃくちゃに壊されていた。なけなしの家具は土の上に散らかされている。
そしてその中にヒロさんは傷だらけになってうずくまっていた。

駆け寄って頭を抱く。
うう。と言ってヒロさんは唸った。
服は破かれ、顔や胸元などに殴られたり、蹴られたりしたような跡がある。ところどころに血が滲んでいる。
なにか言おうとしていた。しかし割れて血が滴っている唇はぶるぶると震えてなかなか言葉にはならなかった。
怒りが、私の身体の芯の部分に灯った。
「しっかり!」
その時の私には救急車を呼ぶ、という当然のことが浮かばなかった。背丈は伸びたが、それだけ子どもだったのだろうと思う。
公園の中を見回したが、他に誰の姿もなかった。暴行した犯人はすでに立ち去った後だ。
入り口のところに目をやると、こちらを恐々と覗き込んでいる三人組の女の子たちが目に入る。
「なにがあった?!」
私は声を張り上げる。女の子たちはびくりとして後ずさりしそうになった。小学生だろうか。
「お願い。教えて」
その必死な言葉に反応してくれたのか、その中の一人がおずおずと近づいてきて他の二人もそれに続く。
彼女たちが震える声で教えてくれたのは、私の想像したとおりのできごとだった。
セーラー服の女子生徒と学ランを来た数人の男子が公園にやってきたかと思うと、入り口の辺りでわめき出し、いきなりダンボールハウスを襲撃して、中からヒロさんを引きずり出した。
そして殴る蹴るの暴行を加えたと言うのだ。
ヒロさんは顔を庇いながら必死で助けを求めたが彼らは聞き入れず、何ごとか叫びながら殴り続けた。
『拾っただろう』『返せ』
そんな言葉だったと、女の子たちは言った。
私は自分が殴られたような気持ちになった。ハッとしてヒロさんの手を見る。右手の先を。
そこは、何度も踏みつけられたように皮膚の下が青くなり、表面にも擦過傷がたくさんできていた。
そしてその手のひらは開かれ、ぶるぶると震えている。なにがあっても、どんなに辛い思いをしても握ったままだった手のひらが。
「おのれ」
思わず口にした激しい言葉に、女の子たちが泣きそうな顔をしてびくっとする。
吉永という私と同じ一年の女子生徒は、あの不良たちの仲間だ。どこかで見たことがあると思ったが、やつらとつるんでこの辺りでだべっているのを見たのだった。
そして私がザビエルを尾行していた時に公園の入り口で見たのは、吉永と彼らが座り込んでいた跡だった。不良たちと別れて街へ向かった吉永は、落し物をしたことに気づく。それも重大な落し物だ。
それを手に入れるのに、警察の目を掻い潜らないといけないような代物。それも最近はある一人の教師が勘付いてそのあたりを巡回している。そんな危険を冒してやっと手に入れたモノなのに、落としてしまったのだ。吉永は焦って引き返す。もちろん、さっき座り込んでいた、あの公園にだ。そこしか考えられない。途中で電信柱の辺りにまだたむろしていた男たちに声をかけて、一緒に公園に駆け込む。
しかし、ない。
オレンジ色の袋は落ちていない。クスリの袋は。他の缶ジュースや菓子袋はそのままなのに。
公園の中には誰もいない。
いや、いる。
住み着いているホームレスが。汚らしい、落ちているものなら何でも拾う、社会のゴミが。
彼らはヒロさんを家から引きずり出し、暴行した。『拾っただろう』『返せ』と言いながら。
そして握り締めた右手に気づき、開かせようとする。ヒロさんは抵抗する。余計に興奮した彼らは『返せよ』とわめきながら暴行を続け、ついには無理やりに拳を開かせる。
数十年、握り締め続けた手のひら。
幸せの妖精をつかまえた手のひら。
そのために、人生のすべてを投げ打った、手のひらを。
「くそ」
私は地面を殴りつけた。
『バカよ、バカ。でもロマンティックね。幸せの妖精をつかまえたホームレス!』
ヨーコの言葉が頭の中をよぎる。
これがその結末か!?
目の前がチカチカとする。酸素が足りない。ちくしょう。なんなんだこれは。
ふいに腕の中のヒロさんが跳ね起きた。
「ごめんなさい」
そう言って、地面の上を這いずり始める。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
怪我をしたことなど忘れたかのように、地面の土を払いながらまばらに生えた雑草を掻き分ける。




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