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巨人の研究―幕のあとで―

――わたしはしっている

ハッとして周囲を見回す。師匠の背中を見つめたまま、つかの間ぼうっとしていたところから現実に引き戻される。
なんだ今の声は?
どこからともなく聞こえた気がした。けれど、本当に声だったのだろうか。耳に声色が残っていない。白昼夢、いや、幻聴だろうか。
雑踏の音が大きくなった気がする。そばを歩くビジネスマンの肩が当たる。よろけそうになりながら、僕の目はある存在に気づいた。
やはり幻聴だったのだろう。それを見たことにより、頭の中でその言葉が連想されたに過ぎない。
大通りを歩く人々の中に、たった一つこちらを向いている顔があった。道路を隔てた向かい側の歩道に、それはいた。身じろぎもせずに、じっと師匠の方を向いている。
白い仮面。のっぺりとして目鼻の形に表面が凹凸している。目の部分が開いているのかも判然としない。距離が離れているせいか、服装もよく分からない。ただ行き交う歩行者の群の後ろに白いその顔が浮かび上がって見えている。
師匠もいつの間にか立ち止まっている。その存在に気づき、睨むようにそちらを見ている。
ただならないものを感じて、僕はゆっくりと師匠のもとへ近寄った。
「なんです、あれは」
「見たことがある。あの仮面」
師匠の声が高ぶっている。震えているようだ。
「なんとかっていう劇団のポスターにあった」
劇団?
そう言われてみると覚えがある気がする。確かあまり有名ではない小劇団だったはずだ。街なかでちらほらとポスターを見かけるが、どこの劇場で公演しているのかも知らない。ただ、全員が白い仮面を被って演じている舞台写真が載っていた。前衛的なのか、それともそういう手法が一ジャンルとしてあるのか。
「ずっと感じていた視線は、あいつか」
猫の毛が逆立つように、師匠の身体の周りに針のように尖った空気が発散されているのを感じる。
今日出発した時から師匠が言っていたのはこのことだったのか。
どうしてこのタイミングで?
そう思った瞬間に、もう答えはあった。どう考えても、一連の巨人あるいは小人に関する出来事と無関係ではない。
白い仮面の人物は少し俯いたかと思うと、クックッ、と小刻みに顔を上下させた。
笑っている。
間を隔てる片側三車線の道路を沢山の車が通る。前が詰まり、大型バスがゆっくりと僕らの視線を遮った。
十秒。十五秒……
やがて動き出したバスが去った後には、もう白い仮面は見えなかった。初めからいなかったかのように。
僕は師匠の性格は知っているつもりだ。
気にいらない相手に対してキレると、すぐに行動に移す。たとえ相手が誰であってもだ。何度もそれを見てきた。道路を車が走っていようが、それをかわしながら最短距離で向かって行くのが師匠のはずだった。
その師匠が動かない。
いや、動けないでいる。
顔色が蒼白だ。唇からも血の気が失せている。僕にもあの仮面の人物のただならない雰囲気は感じられたが、師匠はそれ以上に異様とも言える反応をしていた。
僕は何か話しかけようとして、それが出来ないでいる。雑踏に立ち尽くしている僕らを、みんな迷惑そうに避けて行く。
やがて師匠がこちらを向いて、蒼白い顔のまま口の端だけを上げて笑った。
 
(完)

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あきゅろす。
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