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巨人の研究―前編2―

二人して大皿に盛られた素麺を食べつくし、ようやく人心地がついたと言ってあぐらをかく師匠に「こんなに沢山どうしたんです」と、まだ残っている素麺の束のことを問うと、「消防団に差し入れがあってな」という答えが返ってきた。
この人は学生だというのに、地元の消防団に所属しているのだった。それも副班長だというのだから、あらためてそのバイタリティには驚かされる。
「で、そっちの話から聞こうか」
師匠が麦茶を二つのコップに注ぐ。
僕は昨日部室で聞いたことをすべて話した。そして自分の体験談も。黙って聞いていた師匠は「それが昨日の話か」と確かめるように言って、このカスが、という顔をした。
「このカスが」
言われた。
気づいたのがようやく昨日とは遅すぎる、と言いたいようだ。
「お前は親殺しの夢の時にも前科があるからな」と付け加える。
その時のことは後から聞かされていた。今年の夏の初めに、この街の多くの人が自分の親を殺す夢を見たのだそうだ。僕もそのころ何度かそんな夢を見た気はするのだが、あまり気にせずにいたので、本気で危機感を覚えて原因究明に奔走したという師匠に散々こき下ろされたのだった。
しかし、そのことと小人を見たという話に何の関係があるというのか。
「いいか。小さい人を見るという怪談はよくありそうだが、怪談話全体の比率からすると少ない。それは幽霊というよりも妖怪的な存在だからだ。なぜなら、日本人の持つイメージの中で、死者の霊の現れ方としては一般的ではないから。小人を見たという怪談には、因縁話がからむことが少ない。幽霊を見たという話には、それが幻覚にせよ何にせよ、前提として死者への畏敬という『原因』が存在することが多い。ところが小人を見たという怪談には、見てしまった、という『結果』しかない。小人の姿でヒトのようなものが現れる必然性など、普通はないから。やはり幻覚にせよ、何にせよ、だ」
師匠は麦茶を一息に飲んで、カツンと音を立ててコップをテーブルに置く。
「まあ、なにが言いたいかと言うとだ。因縁話という『原因』があれば怪談は自然に発生するものだ。それがない小人目撃談はどうしても数が少ないんだよ。もちろん古来から続く、妖怪もしくは妖精的な存在という、それ自体が正体であり因縁となった小人伝説はある。東北の座敷童やアイヌのコロポックル、徳島の子泣爺。一寸法師や桃太郎に代表される童子型の英雄譚も小人の一種だ。遠く異朝をとぶらえば、ドワーフやレプラコーン、取り替えっ子をするピクシー、グレムリン効果で知られるグレムリンとかも小人だな。もちろんその手前に妖精という括りがまずあるけど。ただこれらはもちろん、現代において頻繁に目撃されるようなものじゃない」
「それはそうでしょう。座敷童なら今でも出るって噂の旅館とかありそうですが」
「そう言えば、旅館の座敷童の絵がまばたきするっていう恐怖映像があったな。まあそれはともかく、問題なのは小さい人を見たという話がここ最近増えているってのが、いかに異常な事態かってことだ」
師匠は右手で受話器を持つような仕草をする。
「実話って触れ込みのくだらない怪談ビデオを作ってるディレクターに知り合いがいるんだが、電話で訊いてみても特に最近そんな傾向は見られないとよ。少なくとも関東近辺では。予感はしてたが、恐らくこの街だけで起こっていることだ」
たかが小人を見たという怪談話を無駄に大げさにしようとしているように思えて、変な笑いが出てしまった。
じろりと睨まれる。
「お前は昨日ようやく三つ四つの体験談を仕入れたところかも知れないけど、わたしはここ二、三週間で既に少なくとも百以上蒐集している。もちろんこの街で、それも最近の話ばかりだ」
百以上? 予想外の数に驚いた。強調されるまでもなく異常な数だ。
一寸法師だとかドワーフだとか、具体的な恐怖心を抱きようのない話に頭が浸かっていたところから、一気に現実に引き戻された気がした。背筋がゾクリとする。
「なんなんです、それは」
「なんなんだろうな」
試すような目付き。
小人を見たという人が増えている? どうしてそんなことが起こる?
考えても分からない。口裂け女や人面犬のように、子どものコミュニティーの中で爆発的に広がる都市伝説はあるが、この小人の話はただ小さい人を見たという共通項があるだけで、現れ方に一貫性がない。都市伝説の類にしては違和感がある。
「なぜなんです」
素直に訊いた。答えがあるならば知りたかった。
師匠は野球の練習に持って来ていたさっきのノートをかざすように手にして、子どものような笑顔を浮かべた。
「虚心坦懐、相対的に物事を見れば、ある仮説が自然と導き出される」
そうしてノートの表にマジックで書かれた『巨人の研究』という文字をゆっくりと指さす。
「小人を見る人が増えているということは、巨人が増えているということだ」
バカだ。
とっさにそう思った。それから少し考えても、やはりバカだと思った。師匠はたまに突拍子もないことを言い出すが、これは酷い。
「デカイ小さいってのは常に相対的なものだ。コロポックルから見れば人間は巨人かも知れないが、大入道から見れば小人だ。そしてその大入道もダイダラボッチから見れば小人に過ぎない」
だからって、いくらなんでも巨人が増えてるなんて話にはならないだろう。巨人の研究って、そんな短絡的な理由で始めたのか。
「まあ聞け」
「いや、でも待って下さいよ。おかしいでしょう。話の出どころが巨人たち自身の噂話だとでも言うんですか。それ自体が立派な怪談、ていうかオカルトですよ」
「フレンド・オブ・フレンドだ。この手の話の出どころに正体はない」
「僕は体験した本人から聞きました。もちろん普通の学生です」
「わたしからすれば『友だちから聞いた話』だ」
「だったら連れて来ますよ。直接訊いたらどうですか」
憤慨してそう言うと、師匠は熱くなるな、というジェスチャーをする。「悪かった。今のは冗談だ」
どこまでが冗談なのだか……
目を細めて眉毛を下げながら右手をお辞儀させる師匠を前にして、僕はなんだか疲れてしまった。
「せっかく調べたんだから、巨人の話も聞いてくれよ」
好きにして下さい、という気分だった。師匠はノートを広げてパラパラとめくる。
「ようし。巨人と聞いてまず何を思い浮かべる?」
「ダイダラボッチ」
「それさっきわたしが言ったからだろう」
「じゃあギガンテス。タイタン。アトラス。あとサイクロプス」
「日本でもRPGゲームとかでお馴染みになった名前だな。どれもギリシャ神話に出てくる巨人だ。ギガース、ティターン、アトラース、そしてキュクロープス。いずれも大地の神ガイアを母、もしくは祖母に持ち、神としての巨人、つまり巨神といっていい存在だ。ただ、後世になるつれ怪物としての側面が伝承上に現れ、卑俗化、矮小化していった傾向があるな。北欧神話では何か知っているか」
北欧神話か。確か主神のオーディンの従者だか子分だかに有名なヤツがいたはずだ。
「ロキでしたっけ」
「お、いいぞ。ロキはオーディンに率いられたアース神族と対立した巨人族の血を引いているとされている。その巨人族の祖がユーミルと呼ばれる巨人だ。もっともアース神族も一般的な感覚からすると巨人的な存在であることに違いはないがな。ちなみにこのユーミルや中国の盤古(ばんこ)、それから古代バビロニアのティアマットなどは始原の巨人としての性質を持っている。つまり、その身体、もしくは死体から大地や海、その他の自然や自然現象が生まれたとされているんだ。多くの神話の中でそれぞれ世界の起源が語られているけど、巨人からすべてが生まれたとするパターンは『世界巨人型』と呼ばれる」
「日本だとダイダラボッチなんかがそうですか」
「いや、ダイダラボッチは山や沼を作ったという伝承が各地に残ってるけど、あれは土を盛ったのが山になったり、足跡が沼になったりしただけで、自分自身が大地なんかになったわけじゃない。デカイってことを強調するための逸話だな。日本にはこの手の世界巨人型の神話は分布していないみたいだ」
ノートには色々と調べたことを書き付けてあるらしい。ページをめくるスピードが上がってきた。
「他に、巨人と言えば?」
テストみたいだ。巨人、巨人、と頭の中で声に出していると、『世界の巨人』というフレーズが浮かんだ。
「ジャイアント馬場」
真面目に答えろと怒られるかと思ったが、師匠は嬉しそうに「それだ」と言った。
「さっきまでの巨人たちとはベクトルがまったく違うけど、これも立派な巨人だ」
僕は見えていた地雷を踏んでしまったかと、少し後悔した。師匠はかなりのプロレスマニアで、地元に興行が来た時に無理やり連れて行かれたことが何度もあった。
そういう人なので、プロレスの話をしばらく聞かされることを覚悟したが、意外にも話は逸れなかった。
「どうして馬場がデカイか知っているか。あれは下垂体線腫と言われる脳下垂体のホルモン分泌異常が原因だ。下垂体線腫の中でも成長ホルモン産生下垂体線腫と呼ばれる病変は、先端巨大症や巨人症とも呼ばれる。病気で身体が大きくなってしまうんだ。相撲取りの中でも江戸時代なんかには際立って大きな伝説的な力士がいるけど、あながち誇張とばかりも言い切れない。戦中戦後からこっちでも二メートル十センチ級の力士が何人かいるしな。あと、最近見ないから引退したのかも知れないけど、バスケの日本代表に二メートル三十センチくらいある人がいたよな。あの人もたぶんこの病気だと思う。海外だともっと凄いヤツがいるぞ。ロバート・ワドロウってアメリカ人は二十世紀前半の人だけど、二メートル七十二センチだってさ。父親と一緒に立ってる写真を見たけど、父親の頭がちょうどロバート君の股のところだったよ。二十二歳で死んでしまったけど、ずっと身長が伸び続けていたらしいから、もし生きてたらどこまでデカくなったのか想像もつかないな」
実在する巨人か。
巨人が増えていると言ったさっきの師匠の妄言が、微かに輪郭を持ち始めた。しかしそういう人が急に増えるなんてことがあるものだろうか。
「さて、巨人も色々出たようだけど、大きく括れば現時点で二パターンに分類できるな。まず第一の巨人が、ダイダラボッチやギガンテスなどが属する『伝説上の巨人』という分類だ。そして第二の巨人が馬場やロバート・ワドロウが属する『巨人症による巨人』という分類」
師匠は右手を立てて、親指と人差し指を折ってみせる。
「そして」と言いながら中指を重ねるように折る。「まだ出ていないけど、第三の巨人が、ビッグフットや雪男などが属する『UMAとしての巨人』という分類だ」
あっ、と思った。
UMAか。アンアイデンティファイド・ミステリアス・アニマル。未確認生物のことだ。そのことを失念していた。
「伝説上の巨人ほどには荒唐無稽ではないもの、巨人症患者のように確実に存在しているとも言えない。常にその実在が議論の的になる巨人たち。UMAは和製英語だから、正しくはクリプティッドと言うらしいが、ヒマラヤのイエティや日本のヒバゴン、中国の野人なんかもこれに入るな」
俄然、話が胡散臭くなってきた。師匠はやけに嬉しそうに続ける。
「UMAにも巨人は多いけど、物理的にはなくもないかも、という程度の大きさのものがほとんどだな。せいぜいが二、三メートル台というところか。ネッシーみたいな怪獣型のUMAだと相当でかいのもいるけど。UMAの巨人はほぼ現生人類の亜種という正体がほのめかされているから、十メートルとか百メートルみたいな無茶も言えないんだろう。ゴリラとかオランウータンみたいな大型の類人猿の見間違いというのが実際の話じゃないかな。でもこんな面白い話があったぞ。中国のUMAで毛人と書いてマオレンと読むヤツがいるんだが、字の如く毛むくじゃらの亜人間だ。こいつが捕獲されたあと、研究所の一室に閉じ込めらて毎日実験動物として扱われていたんだけど、ある日研究員が部屋に入るとすでに死んでしまっていた。どんな風に死んでたと思う?」
「死ぬような実験はしてなかったんですよね。病気とかじゃないですか。ヒトに近いせいでインフルエンザに感染したとか」
「おしいな。ヒトに近いからというのはいい線だ。実は首を吊って死んでいた、が正解。絶望が死因になるのは人間くらいじゃないかね。いったい彼らは何を捕獲したんだろうな」
どこで仕入れた与太話か知らないが、いかにも師匠が好きそうな話だ。
「この第三の巨人が、現代に生きているとされているものの、その実在がしかるべき研究機関等で確認されていないというものなら、第四の巨人は現代に生きていないけれど過去に確実に実在した巨人、『人類の縁戚としての巨人』だ。ギガントピテクスというのを聞いたことがないかな。百万年前から三十万年前にかけて中国やインドに生息していた大型の類人猿だ。身長でおおよそ三メートルくらい。年代的に北京原人やジャワ原人と生息期間がかぶっている。人類の直接の先祖だという説もあったみたいだけど、早々に否定されているな。他にも推定身長で十メートルを超えるような超特大の人骨が発見されたり、普通の人間の数倍の大きさの足跡の化石なんかが出土したりという眉唾モノの噂がオカルト界ではまことしやかに流れてるけど、そういうのはどちらかというと第三の、『UMAとしての巨人』の分類に入れるべきだと思う。そして……」
いい加減しゃべり疲れたのか、師匠はまた冷蔵庫に麦茶を取りに行った。そして戻ってくるや、コップを傾けながらあぐらをかいて「で、だ」と言った。
「第一の『伝説上の巨人』と第三の『UMAとしての巨人』の中間に位置するのが、第五の巨人、『妖怪としての巨人』だ。日本なら大入道や見越入道、野寺坊のような入道、坊主の類から、酒呑童子、瘤取りじいさんの話に出てくる赤鬼、青鬼などの鬼たちも巨人としての要素を持っている。海外にも一つ目鬼などの怪物譚が多々ある。肉体を持たない幽霊的な現れ方をする巨人もいるけど、それもここへ分類していいだろう。そして最後が、完全に架空の存在としてデザインされた第六の巨人、『フィクションとしての巨人』だ。まあ、あらためて説明するまでもないかな。漫画や小説に出てくるようなやつだ。レトリックとして使う音楽界の巨人、みたいな表現は無視しても構わないだろう。これでおおむねこの第一から第六までの分類にどの巨人も収まるはずだ。実際には境界があいまいなケースも多いと思うけど」
なんだかややこしくなってきた。紙に書いて整理してみる。
第一の分類が『伝説上の巨人』
第二の分類が『巨人症による巨人』
第三の分類が『UMAとしての巨人』
第四の分類が『人類の縁戚としての巨人』
第五の分類が『妖怪としての巨人』
第六の分類が『フィクションとしての巨人』……
この六つの分類を眺めながら、なんて無駄な労力を使うのだ、と溜息をついた。
「どれが今回増えた巨人なんです」
もちろん厭味だ。
師匠はそれには答えず、ふふふと意味深に笑うだけだった。これだけ巨人のことを調べ上げて、本当に何がしたいのだろう。
「小人の話をいっぱい集めたそうですけど、そっちはどうなんですか」
「小人か。小人のことはまだ調べ切れてないが、とりあえず集めた目撃例では様々なパターンがあるな。小さいおっさんってのが一番多いけど、女や子どもの姿のものもあった。出るシチュエーションも色々で、家の中とか学校、病院なんかの屋内もあればそのへんの道端でってのも多かった。心霊スポットで見た、なんてのもあったな。家族や友だち数人で同時に見たというケースもあったけど、基本的には一人で、しかも夜に見るというパターンがほとんどだった」
僕は聞きながら、まるで幽霊と同じだな、と思った。
「さっきガキどもから聞いた話の中に、小人を捕まえたってのがあった」
「ガキどもって、あの野球少年たちですか」
それでノートを持って行っていたのか。
「家の近所の溝の中にぶるぶる震えてる小さいおっさんがいたから、捕まえてカラの水筒に押し込んで蓋を閉めたんだと。凄いことしやがるな。でも、重さがカラの時と同じくなんか軽い気がして、家に帰ってから開けてみたら、中には何も入っていなかったらしい」
「最初は手で触れたのにですか」
師匠はニヤリと笑う。
「現代における小人との遭遇譚というのは、ほとんどがただ『見た』というだけのもので、それを触ってどうにかしたという話は少ない。だからそれが手で触ることができない霊的なものなのかどうか、という部分が曖昧なままだ。今回のケースは、一度は触れたのにいつの間にか不可能状態から消失している。深夜、タクシーに乗って来て、気がつくといなくなっているという幽霊の話に近い気もするけど、どうだろうか」
小人が、実体を持った存在なのかどうか、か。このあいだアスファルトへ吸い込まれていった小人を見てしまった時に、足を掴んで引っ張り出そうとしてみればよかった。
「わたしが怖いと思うのは、だ」
師匠はいやに慎重な口ぶりで顔をこちらに突き出した。
「どの話にも共通点があまり見られないということだ」
「それのどこが怖いんです」
「なにか共通の原因があれば、最近の目撃談の多さにも説明がつきそうなものだけど、例えば子どもに影響力の強いバラエティ番組で小さいおっさんの話が取り上げられた、とかな」
「それって、友だちの間の話題について行きたい子どもが作り話をする、ってことですか」
「作り話とは限らないよ。思い込みが原因でも、結果的に『見てしまう』ということはある」
なるほど。そういうこともあるのかも知れない。
「それなら、そのテレビ番組と同じシチュエーションで小さいおっさんを見た、という話ばかり増えてもいいようなものだ。しかし、さっき言ったように最近の目撃例は分類化できないほど様々で、どうも気持ちが悪い。それぞれの個人的な体験の分布が、総体で見ると、ある密度を持ってしまっている。こういうまるで意味があるかのような偶然の集積体は、わたしの経験上……」
師匠は言葉を切ってから、ゆっくりと口を開いた。
「怖い」
真剣な表情だった。こちらまで居住まいを正さなくてはならないような。
「もう少し情報が欲しい。今日はこれから用事があるけど、明日、いや明日もまずいな。じゃあ明後日だ。ちょっと手伝ってもらいたいことがあるんだ」
「いいですよ」
そう言いながら、僕は得体の知れない寒気とともに、なぜか心地よい気分の高揚を覚えていた。何をしでかすか分からないこの人が、 僕はどうしようもなく好きだった。




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