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最新非科学入門
誘拐。

母の実家周辺にはそもそも信号機というものが見当たらない。
時折あぜ道を走るのは、軽トラックやトラクターぐらいのものだ。

当然、たった今私がその脇の竹藪でこんな大変な事態に陥っていることなど、住民の誰一人として気付きはしない。


「今宵はやけに車が通るのう」
「……」


あれで?とツッコみたくとも叶わない。
基本的にお喋りな私の口は、ぞっとする程真っ白な手に塞がれている。

さよならヤンマーエコトラ。叔父さんの愛機とお揃いのトラクター。
こちらに視線を向けることすらせず、安全運転ご苦労様。
お陰で私はいまだに捕まったまま。


「これではゆっくりとそなたを可愛がってやることも出来ぬな」


ちう、と音を立ててこめかみに吸いつかれる。
そんなところにキスなんかされたことないから、くぐもった声を漏らして身じろぎしてしまう。


「場所を変えるぞ」


その反応に気を良くしたのか同じところに今度は舌で触れて、彼女は私の身体を包んだ。
すらりとした両腕と、真っ白でふわふわで大きなその尻尾で。




「ほれ、着いたぞ」


突然視界を支配した眩しさと言い知れぬ恐怖に固く閉ざしていた瞼を、恐々と開いてみる。
足元に一面の赤。ちらほらと混じる黄と橙。

紅葉?おかしい。有り得ない。
今は8月、夏真っ盛りだ。


「秋は、そなたと出逢った季節であろう」


舞い落ちてきた葉を上手に捕まえて、彼女は優しい瞳を私に向ける。
燃えるような紅葉の赤とは対照的に、ひんやりと青く輝く瞳。
その光景に私は、あの日の出来事をごく鮮明に思い出す。


ずっと昔、祖母の葬儀の為に、東京から急いで駆けつけた時のことだ。
慌ただしさを避けて森に出た幼い私が、泥だらけになって助けた真っ白な狐。
罠を仕掛けた近所のおじさんには酷く叱られて大泣きした、少し苦い記憶だ。

あまりにも夢の様な出来事だったから、本当に夢なんじゃないかとも思っていたのだけれど。


「…本当にあの時の?」
「何度も言うたであろう」
「非科学的過ぎて信じられないの」


柔らかな白毛に包まれた両耳がぴくりと動く。


「今でもか?」


私を見下ろす宝石の様な青は、あの日罠に掛かったまま私を興味深そうに見上げていたものと全く同じ。

なんて非科学的。
助けた狐が人に化けて逢いに…いや、さらいに来るなんて!


「儂はずっとそなたを待っておった」


二人の唇の距離が近付く。
ゆっくり、ゆっくり。彼女はその距離すら楽しんでいるかの如く。
避けようと思えば避けられる速度だ。


あぁなんて、なんて非科学的なの。
私はあろうことか、素直に瞳を閉じてしまった。
私は彼女の口付けを受け入れるという選択肢を選んだ。迷いもなく。

この行動の説明がつかない。自分のことなのに何の証明も出来ない。


触れて、深く味わって、角度を変えて何度も何度も。
長い舌が、私の自慢の思考回路を甘く痺れさせていった。


「大人になったのう」


唇を離してそう呟く声は、僅かに寂しそうだった。
キスは経験済みだ。あの日限りの純粋で無邪気な私しか知らなかった彼女には、それが残念に思えたのかもしれない。


「じゃが、儂がより美しく、そなたを染め上げてやろうぞ」


物憂げな表情は一瞬にして妖しげな、むしろ凶悪な笑顔へと変化した。
ひ、と息をのんだ私を抱き寄せて、耳元で低く囁かれる。


「よいな?そなたは儂の伴侶となるのじゃ」


良いわけがないと激しく首を横に振るも、狐はケラケラと笑うだけ。
カッとなって開こうとした唇は、今度は抵抗すら叶わぬ速さで奪われてしまった。




嫁入り




(私…夢でも見てるのかしら)
(夢のようじゃと?愛い奴じゃの)
(違う…)








※科学的根拠のあるものしか信じない少女の常識を壊滅へと追い込んだ衝撃的再会。

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