闇の中から
第九話
―第九話・愛する妻のお弁当―
午前七時。天気は快晴。夏を目前に控えた爽やかな陽光が窓から射し込んでくる。
ジリリリリリッ!
暖かく柔らかな光とは対照に、無機質で暴力的な音が部屋いっぱいに鳴り響いた。
「ん…」
大志は布団の中から手を伸ばし、けたたましい音を奏で続ける目覚まし時計を止めた。
そして目もまだきちんと開いていないのに体を起こそうとした。もし二度寝してしまうと大変だからである。
家に起こしてくれる人のいない一人暮らしを始めてからの、これは大志の習慣である。
が、今日は体を起こすことが出来なかった。大志に体を起こす意志はあった。
むしろ習慣化しているので大体は自然とそう動く。なのに今日は体の自由が利かない。思ったように体が動かない。
(か、金縛り?!)
大志は一つの可能性に辿り着く。
(い、いや、でもさっき腕は動いた)
そう思い腕に神経をやってみる。右腕はいとも簡単に動いた。しかし左腕は動かない。というかなんだか痺れている。
(イテテッ…)
痺れを自覚するとなんだかそれが酷くなってきた気がする。その痛みに少しまともに脳が回転を始めた。
眠気が邪魔をするものの、何とか自分の意志の通りに瞼を開くことが出来た。
そして確認。そこにいたのは、やはりニリスだった。左腕はニリスの体の下敷きになっている。
そしてニリスの両腕は大志の体をしっかりと抱き締めていた。
「やっぱりか…」
ようやく回転し始めた脳が彼女の可能性を予想していた。というかほぼ確信していた。大志は溜め息混じりにそう呟いた。
すると、その声に反応するかの様にニリスは吐息を漏らしながら身じろぎをした。
その瞬間、それまでどれ程の時間止まっていたか分からない大志の左腕の血液が、今だとばかりに走り出した。
「イイィィッ…!」
血液が止まっている時より、流れ出した時の方が痺れは強い。そして痛みも強い。
大志は思わず苦悶の声を漏らした。しかし大志の不幸はそれでは終わらなかった。
痺れが最高潮に達しようかという瞬間に、体勢的に寝づらかったのだろうか、ニリスが一度体を浮かべた。
そこで血液を塞ぐものが完全になくなり、大志の腕の痺れはついに最高潮に達した。
そして、体勢を直されたニリスの体が、再び大志の腕の上へとボスンと落とされた。
「っっッ!」
それは言葉にならない程の、言い知れようのない痛さ。
大志は慌てて腕を引き抜き、その衝撃を落ち着かせ、通常の血液循環に戻す為、
また、単に僅かな振動でも強烈な痛みに繋がる為、大志は腕どころか全身の一切を動かすことなく朝の数分間を過ごした。
その間、ニリスに起きる気配はなかった。
大志は朝の貴重な数分間を無駄にしてしまったが、しかし慌てることなく朝食の準備とお弁当の用意をしていた。
制服を汚さないようにエプロンをつけている。
朝食はメインがパンなので特に時間は掛からないし、お弁当も、下準備は前日の内に済ませてあるので結構短時間で出来る。
それらを手際良く終わらせ、大志は朝食のパンを食べ始めた。
すると、騒がしく階段を駆け下りる音が聞こえてきた。そして、ニリスがリビングに現れ開口一番。
「大志〜っ!!何で起こしてくれなかったの〜っ?」
ニリスはまだパジャマのままだ。
「お前、起こしても起きないだろ?」
「ん〜、まぁ、確かに」
「納得すんなよ。でも今、よく起きてこれたな」
そう言われたニリスは大志から視線をズラした。
「それはその…、私の優秀な体内時計の賜物と言いますか…」
その瞬間、ニリスのお腹が真実を告げるようにグーとなった。
「なるほど。腹時計ね」
大志が半笑いで納得する。
「な、…」
お腹の音を大志に聞かれ、しかも笑われてしまいニリスは赤面した。
「わ、笑わないでよ…」
口を尖らせながらそう言ったかと思うと、恥ずかしさのあまりニリスはそれを大志のせいにし始めた。
「だ、だって、大志が悪いんだからねっ?一日に一回は大志の血を飲ませてって言ったのに、昨日結局飲ませて貰えなかったんだから…」
ニリスは昨日、寂しさを自覚してすぐ大志の部屋に行き、大志に頼み込んで一緒に寝ることになった。
大志の布団に潜り込んだニリスはホッとしたのかすぐに寝入ってしまった。
なので、昨日は最後まで大志の血を飲む機会を逃してしまっていたのだ。
「だから、仕方ないじゃん…」
「はいはい、分かったよ。ちょっとくらいなら飲ませてやるから、先に学校行く準備済ませて来い。朝ご飯食べる時間なくなるぞ?」
「ふあーい」
ニリスは着替える為にきびすを返し、階段を上がろうとした。
「あ、ニリス、ちょっと待て」
「んにゃ?」
背を向けたニリスの髪は、寝癖で四方八方に飛んでいた。
「先にそれ直したら?髪、ぼさぼさ」
「ふあ!ホントだ!」
そう言ってニリスは方向転換し、洗面所に向かって走って行った。
キーンコーンカーンコーン
一限目の終了を告げるチャイムが鳴った。
「はぁ〜、終わったぁ〜!一発目から英語ってのはツラいよなぁ」
授業が終わると共に颯士が大志の傍に寄って来た。
大志の隣の席は堅思がいるので、大体いつも一人席が離れてしまった颯士が寄って来て三人固まることになる。
席はくじで決めるので、どの席になるか全ては運次第。こればかりはどうしようもない。
中にはニリスのように運に左右されることなく、さもそうすることが当然であるかのように大志の隣の席(堅思と反対側)に座っている者もいるが。
「お?大志今日は元気なさげ?」
机に伏せっている大志を見て颯士が誰にともなく問い掛けた。大志が返事をしそうになかったので変わりに堅思が応える。
「そうなんだ。さっきの授業中もずっとこんな様子で…」
堅思がそう言うと、体勢はそのままで大志が口を開いた。
「ちょっと血が足りないだけだ。時間が経てば多分治る」
それを聞いて堅思は一人、そう言うことかと納得する。が、声に出すとまた颯士がうるさくなりそうなので思うに留める。
「ごめん〜。二回目だから加減がまだ良くわかんないんだよぉ〜」
「ん?どしてニリスちゃんが謝んの?」
颯士のその問いに、大志は無反応。ニリスは大志しか見ていないので聞いてない。
仕方がないので堅思の方に目をやると視線を逸らされた。
「堅思、お前何か知ってるだろ…」
嘘をつくのが上手くないというのが堅思の数少ない欠点の一つだった。
「おい言えよ堅思ぃ〜。何隠してんだよ〜っ」
「え、いや、別に…」
と、その時、大志が突然ガバッと体を起こした。
「何?どしたの?」
颯士は大志が怒ったのかと一瞬不安になった。
「颯士、悪い」
しかし、颯士の不安とは裏腹に大志は突然謝ってきた。
「え、何が?」
「今日、こいつの身の回りの物買いに買い物行かなきゃなんねぇんだ。だから今日は悪ぃ」
大志はニリスを指差しながらそう言った。ニリスはコクコクと頭を上下に振っている。
「今日何か約束してたっけ…?あ、ああ!そうじゃん!約束してたじゃん!友達との約束破るなんてヒドいぞ?大志」
「お前は人のこと言えんのか」
「跡形もなく忘れてたろ」
大志と堅思が二人して颯士につっこむ。
「そう言う訳で、大志は罰として俺の同行を認めること!」
「却下」
「何でだよぉ!」
午前の授業が全て終わり、昼休みに入った。クラスの者は各々昼食を取り出している。購買組は購買部目指して走って行った。
大志は自分で作った弁当を取り出した。堅思も弁当を取り出した。颯士はコンビニの袋を提げて寄って来た。
そしてニリスは、三人が揃ったことを確認してから「ジャジャーン」と擬態語を口で発しつつ、自分の弁当をカバンから取り出した。
コンビニの袋を大志の机に置きながら颯士はニリスの方をみる。
「それ、どしたの?」
「えへへ。大志に作って貰ったの。愛妻弁当!」
「愛妻じゃない」
大志がそう否定すると、ニリスが間違っていないと反論する。
「愛妻弁当だよ!だって、愛する妻に作るお弁当のことでしょ?」
それを聞いて、微笑しながら堅思が訂正に入る。
「ニリスちゃん、愛妻弁当は愛する妻が作ってくれるお弁当だよ?」
「え?そなの?」
「しかもお前は妻じゃない」
すかさず大志も訂正する。
「いいもんいいもん!」
拗ねたニリスを見て大志がニリスのおでこを指で突いた。
「いいからさっさと食え」
「はぅあ!」
おでこを突かれたニリスは手でそこをさすってから早速いただきますをした。
「そう言えば颯士はお弁当じゃないの?」
ニリスが、コンビニの袋から取り出したおにぎりを食べている颯士を見て言った。
「俺も男の一人暮らしだからねぇ。大志みたいに器用に料理作ったり出来ないし。
だから家でも朝飯以外は大体いつもこんなもんだな」
「へぇ〜。颯士一人暮らしなんだ。じゃあ堅思は?」
「ウチは親がいるから、お弁当は母さんが作ってくれてるよ」
「ほぁ〜。お母さんか…」
「そういや、昔はよくおばさんにお裾分け貰ったりしたよな。俺に料理教えてくれたのもおばさんだし」
「そなの?」
ニリスと颯士が口を揃えて言った。
「ああ。俺のとこは親父が全く料理出来ない人だったし、仕事でなかなか帰らない日も多かったからな。
母さんが死んでからはずっと俺の当番。でも始めはキッチンに背が届かなくて苦労したよ」
大志は昔を懐かしむように目を細めた。
「それより颯士、そんな食生活送ってると体潰すぞ?世話してやるつもりはないけど」
「大志、俺の分も弁当を…」
「却下」
話をしている内に四人共昼食を全て食べ終えた。
あとは特にすることもないので、昼休みが終わるまでテキトーに喋ったりして時間を潰すだけだ。
「大志、一緒にトイレ行こ?」
「は?トイレくらい一人で行け。ってか曲がり形にも女の子だろ?トイレに男を誘うなよ」
ニリスから大志へトイレのお誘い。しかし当然大志は断った。
「大志、曲がり形にもはちょっと失礼」
「ならもうちょっと女としての自覚を持てよなぁ…」
ニリスの非難を受理することなく、大志は溜め息を吐いた。
「ケチんぼ!」
ニリスは捨て台詞を残して教室をあとにした。
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