天に召しませ
[2]
ビルの中は、しんと静まりかえっていた。
むき出しのコンクリートの壁、ずっと置きっぱなしのような機材や鉄骨類、そして闇。
どんな光も通さぬような、濃い闇がそこら中に漂っている。
「・・・・・」
二人は無言で闇を掻き分けながら進む。靴の音がそこら中に反響して何倍もの音量で返ってくる。
廃ビルだな、と恍大は思った。
建設途中に工事が打ちきりになったのだろう。
所々雨風にさらされたような汚れが目立つし、何よりここには生きている物の空気が微塵にも残ってはいなかった。
あるのは立っているだけで吐き気を催すような、
その場にいるだけで闇に吸い込まれていきそうになる、そんな重い空気だけだった。
そんな空気をものともせず、二人は奥へと進んでいく。
そのとき、愛利の触覚のように跳ねた髪の毛がピクッと反応する。
「っ!お兄ちゃん、前!」
「ああ、わかってる」
恍大は目の前の一際濃い闇に目をこらす。その闇の向こうに何かがいる。
すると、その闇の中から影が現れた。それは男だった。しかしそれは人ではない。人の皮を被ったなにかだ。
そのモノは腕をだらりとさせながら、こちらの方に来た。服装は普通のサラリーマンが着るようなスーツ姿。
しかし、そのスーツはよれよれで、中のシャツのボタンも幾つかはずれ、髪の毛も乱れ、まるで暴れ回ったように全身ボロボロだった。
しかし、目だけは獲物を見つけた肉食獣のようにぎらぎらと光っている。喉を唸らせ今にも恍大に飛びかかりそうだ。
恍大はその人だったものを観察し、首に荒縄が巻き付いているのを見つけた。
その男の肩越しに前を見ると少し向こうに人が乗れるくらいの箱と上から垂れ下がったロープが見える。
「自殺したのか」
恍大の呟きに答えるようにそのモノは唸った。
「まあ、おおかたこの建設途中で中止になったビルのオーナーで、
残った借金やら責任問題やらで耐えきれなくなって自殺したところに乗り移ったってとこか」
恍大がモノとの間合いを一歩ずつ詰める。
恍大達の目の前にいるモノ、それは死んだ人間に乗り移った下級悪魔だった。
ある程度力を持った悪魔や天使ならば自分たちの力で顕現することも可能なのだが、力のない下級天使や悪魔、
また現世に顕現することで人間界のバランスを大きく揺るがすほどの力をもったものたちは、人間界に来るにはその器が必要になる。
そして、その器には今回のように人が生け贄として選ばれることが多い。
「ギシャアアアァアアアアァ!」
アクマが恍大にむかって威嚇の咆吼をあげる。
しかし、恍大はそんなことにはお構いなしに近づいていく。
その口元をニヤッと歪ませながら。
「しかしま、見つかった相手が悪かったな。
俺じゃなかったら、もぉちょっとこの世を楽しめたのかもしれないが────」
こちらに近づいてくる恍大に、アクマは低く唸りながらその身を構える。目を細め、狙いを定める。
そして、恍大が右足を出そうとした瞬間!恍大の右肩を狙い、自分の舌を発射した。
舌は触手のように伸び、その先端は割れ、中には牙がギッシリ生えていた。
アクマの目には恍大が肩を食い千切られ、悶え苦しむ姿が映ったのかもしれない。
「不幸にも見つかっちまったんだ。即刻退場願おうか?」
恍大はその舌を、左手で掴んでいた。普通の人には目にとめることすらできない速度だったが、恍大には通じなかった。
とっさに体をねじり左手で掴むことなど造作もない。
恍大はそのまま舌を思いっきり引っ張った。アクマは踏み留まる暇もなく恍大の方へ引っ張られ、飛んでいった。
「ぅおらっ!」
そして、恍大は飛んできたアクマの顔面に思いっきりガントレットを打ち込んだ。
右足はコンクリートの床を踏み抜き、アクマは向こうの壁に、
飛んできた時の倍以上の速度で壁に打ち付けられ、アクマの周りは丸く陥没している。
舌は、恍大が握ったままなので、殴られた瞬間に千切れ飛び、まだ恍大の手の中でのたうっていた。
恍大は持っていた舌を後ろに放り投げた。
床に落ちた舌は握られていた部分から徐々に崩れていき、やがて全て灰になった。
「さ〜てと、それではそろそろフィニッシュに移りましょうか」
時間かけてもめんどくせ〜だけだし、と恍大は横に刺していた鉄パイプのようなモノを引っこ抜き、
自分の目の前に水平にして構えた。
その上を指でなぞっていくと、パイプから、天使文字が浮き出てくる。
文字がパイプの周りをまわり、包み込んでゆく。
「なあ、おめえ。ロンギヌスの槍って知ってっか?」
文字が完全に包み終わると、鉄パイプのようなモノは、光の槍へと変貌した。
アクマはその光を見て壁から抜けだそうと必死にもがいた。
「あんたらの天敵神様の代行者、イエス=キリストを刺した槍のことだ。そしてこいつは」
恍大は槍を構える。アクマは、まだ貼り付けになったままもがいている。
「そいつの模造品ってところか。名前はそのままロンギヌス・レプリカ。でも、威力の方は保証するぜ」
「グ、グルアアアアアア!」
「さ〜て、お帰りの時間だ。さっさと自分の世界へ還りな!」
恍大はもがくアクマの胸にロンギヌス・レプリカを突き立てた。
「ガ、アアアアアアアアァアアァアアアアァァァアアアアア!」
アクマの断末魔が、廃ビルの中に響き渡り、光に包まれる。
そして、光が収まった後にはただの死体しか、残っていなかった。
廃ビルから出てきながら、愛利は恍大に話しかけた。
「今回、わたしの出番は無かったね、お兄ちゃん」
「ま〜な、今回はゴーストも居なかったし、下級悪魔一匹だけだったからな。
ま、無いに越したことはないだろ?お前の出番」
「むー。でもでも、わたしはお兄ちゃんのサポートなんだから、ただ見てるだけじゃやなのー」
そう言って、愛利はほっぺをふくらませる。恍大はヤレヤレと、愛利の頭に手を乗せながら言った。
「まー、そうむくれるな。また今度頑張ってくれ。それより俺たちの新しい家ってどんなんだろうだろうな?」
「あ、そうだよね〜。ちゃんとした家だったらいいな〜」
「で、なんでこうなってんだ?」
「・・・・・・・・・・・・」
恍大と愛利が一緒に見たモノ、それは焼け落ちた家の上に立つ一つのテントだった。しかもご丁寧にてっぺんには旗までついている。
「サ〜テ、何カ弁解ハアルカナ?ガブリエル君?」
「しょ〜がないだろ〜?今の時間じゃ、どこの不動産屋も閉まってるし。
このテントを用意するのだって、結構苦労したんだよ。しかし、近頃のニンゲンはなってないね。
ご近所が困ってるってのにだ〜れも手を貸そうとはしないなんて。
隣人愛が足りないね。これ借りるのにも大変だったよ」
彼らの後ろに立って、一仕事終えたという感じに額の汗を拭うふりをしながらガブリエルは愚痴をもらした。
「しかも借りもんかよ?!ってゆうかお前天使だろ?!家の一つや二つ、ぱあっと出せないのかよ!?」
「やだな〜恍くん。僕がそんなことをしちゃったら、少なからず影響がでちゃうじゃないか〜?」
うっ、と恍大は言葉を詰まらせる。
世界のバランスを保とうとしている恍大達の上司がそのバランスに影響を及ぼしたら本末転倒である。
「だいじょ〜ぶ。ちゃんと明日には新しい家探してあげるから〜。今晩だけだよ〜」
「し、しかしだなガブリエル。このテント、二人入るには小さすぎると思うんだが?」
恍大がまじまじとテントを観察しながら訪ねた。確かに、二人が並んで寝るには少し狭いサイズだ。
「そ〜だね〜。これは一人用らしいからね〜」
「・・・・本当にこれしか借りられなかったのか?」
「僕がそんなことで嘘ついてどうするのさ〜?」
二人の間に沈黙が流れた・・・・。
「は〜、仕方がない。愛利は中で寝ろ。俺は外で見張りでもしてるから」
じゃあ、僕が暖めてあげよ〜、と言い寄ってくるガブリエルを払いのけながら、
恍大が覚悟を決めようとしていると、愛利が服の裾を引っ張った。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。・・・・ちゃんと二人して中で寝られる方法があるから」
顔を真っ赤にさせながら愛利は呟いた。
「ん?一体どうするんだよ?」
「あのね、横がだめなら、縦にすればいいの。
だから、その・・・・お兄ちゃんとわたしが・・・・重なり合えば・・・」
「・・・・・・・・へ?」
愛利がその言葉を発した瞬間、恍大の頭は全力で解読・理解をしようとしたが、数秒後あえなくフリーズした。
「へ〜、愛利も大胆になったもんだね〜。ついに自分から誘うなんて〜。自分、立場をわきまえたら?」
ガブリエルはからかい半分、怒り半分といった表情で愛利に言い寄る。
「で、でも、お兄ちゃんをずっと外になんか出しておけません!風邪でも引いたら大変ですし、何より危険です!」
「だから〜、そこは僕がちゃ〜んと警護兼暖房役をしてあげるから〜」
「あなた様が、危険の一番の原因です!!」
そんな言い争いを続ける二人と未だに固まっている男一人を地平線から顔を出した太陽は白けた光で照らし始めた。
そこは、一見すれば子供部屋のような場所だった。
周りには積み木や木馬などの遊具が散らばり、その真ん中に手をついて下を向いている子供が一人。
しかし、その場所には床や天上が無かった。
周りは全て黄色い優しい光に包まれて、そんな境界など存在しなかった。
そこはどこまでもどこまでも、そして果てしなく白だった。
「ふふふ、や〜っぱり恍大達はおもしろいな〜」
そんな幻想的な空間の中で子供は一人はしゃいでいる。
その後ろには一人の青年が佇んでいる。
その風貌はこの地上のすべての美しさを表す言葉を使っても表しきれないほどだ。
しかし女性とは決して間違えない、男性としての存在感を発しながら。そんな青年がその口元に笑みを浮かべながら見守っていた。
「ねえ、ミカエルもそう思うよね〜?」
子供が後ろの青年を振り返る。青年は苦笑で答えた。
子供はそれに満足したのか。今度は積み木を自分の元へ引き寄せて積み始めた。
「ふふふ、こんどはどうしようかなー?」
ある程度まで形作り、気に入らなかったのか崩して、また作り始める。
その行為を何回も繰り返す。
子供の周りにはそのように積み上げられた積み木が幾つもあった。
そして気に入った形にできたのか、その積み木からは離れて別の積み木をいじり始める。
ミカエルはそんな光景を微笑みながら、ただ見ていることしかできない。
そこは誰も犯すことのできない、汚すことができない、立ち入ることさえできない、極光の領域だった。
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