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短編小説集
[6.]  [EP]
   6.


それは、大和と小夜が既に高校三年生となっていたある春の日の事だった。
受験生となり、大和と同じ大学へ行く為に今までよりちょっと真面目に授業を受け、
その一歩も大和と共に幸せになる為と思うと、自然と浮かび上がってきた笑みをたたえたまま、小夜は家に帰った。
持っていた鍵で玄関の扉を開けた所で、突然家の電話が鳴り出した。
早く出なくてはと、急いで靴を脱いで足を踏み出した途端、身体が全く動かなくなった。
小夜は突然言う事を聞かなくなった身体に戸惑った。まるでこの電話を拒否するかのようだった。
それは次第に小夜を不安にさせていった。やっとの思いで電話機の前に行くと、小夜は意を決して受話器を持ち上げた。

「もしもし、大山です」

小夜が電話に出ると応えたのは女性だった。

「あ、小夜ちゃん?」

「はい」と返事を返す。声の主はすぐに分かった。大和の母親だ。
小夜はなんとも言えぬ不安感、とてつもない嫌な予感に襲われ何も聞きたくないと思ったが、
小夜の口は「どうか…したんですか?」と相手を促していた。
大和の母も、流暢とは言えぬ口調ではあったが、小夜の言葉に意を決したのかゆっくりと、しかし最も重要な所だけを話し始めた。

「落ち着い聞いてね?大和が…今朝早くに、病院で…息を引き取りました」

「………」

小夜は言葉を無くした。鈍器か何かで後頭部を強打されたようだった。
小夜は受話器を握り締めたまま、その場に崩れるように座り込んだ。

「昨日、多量飲酒していた人に押されて、地下鉄の駅の、階段の上から落ちて頭を強く打って…。
他の所には大きな傷はなくて、ただ、打ち所が悪かったの…。すぐに病院に運ばれたんだけど、今朝…」

大和の母は、初めこそしっかりと話していたが、途中からは嗚咽が混じり言葉にならないところもあった。
小夜は話を聞きながらもただただ呆然とするばかりだった。
こんな電話で大和が死んだと言われても信じられる筈がなかった。
今さっきまでいつものように学校に行って、大和と過ごす未来を夢見て、今までよりちょっと勉強を頑張ってきたところじゃないか。
なのに、この電話は少し現実離れし過ぎている。
ただ、いつも元気で変わらず優しい笑顔をたたえているあの大和の母が、
初めて泣きじゃくっているその声が、その悲しみがあまりにリアルで妙に気持ちが悪かった。


小夜は、自分の両親に無理を言って大和の葬式に出席する為の交通費を出して貰った。
初めて訪れたそこは、懐かしさなどの微塵もない全く見知らぬ町だった。
ただそれは大和の生まれ育った町だった。そう思うだけで感慨を覚えそうになるのが不思議だ。
大和の両親に教えられていた場所で、葬式は厳かに進められていった。
その頃になって初めて、大和はもう死んでしまったのだと、もう大和と会うことは出来ないのだと理解し始めた。
その途端に頬を涙が伝った。それからどんどんと今までどこかになりを潜めていた感情が溢れ出してきた。
小夜は、なんとか声を押し殺しながら泣いた。
最後に、棺に横たわる真っ白な大和を見た。
その大和の様子は文字通り生気がなく、あの大和と同じとは思えない風貌だった。
最後の日に触れた、大和の唇を思い出した。ほんの一瞬だけの、最初で最後のたった一回のキス。
それで終わりたくなかった。
周りの人たちは異常だと思うかもしれなかったけれど、小夜にはもう周りなんてどうでもよくなっていた。
ただ大和だけを見つめて近付く。
大和のカメラや、そのカメラで初めて撮ったあの風景をバックにした小夜の写真などを入れた棺に手を掛け、小夜は大和に唇を重ねていった。
その瞬間辺りはシンと静まり返ったが、不思議と小夜を止める物はいなかった。
小夜は長い長いキスをした。
重ねた唇は冷たかったけれど、あの時のように温かくはなかったけれど、それは紛れもなく大和の唇だった。
大和の入った棺の蓋が閉められた時、小夜は大和の母に抱きついて声を上げてまた泣いた。
大和の入った棺を火葬場まで運ぶ為に一同が外に出た時、一人の貧相な男が立っていた。
その男は、大和の両親の姿を認めると、こちらに走り寄ってきた。そして目の前に来ると、突然その場に土下座をしながら叫んだ。

「申し訳ありませんでしたっ!」

小夜はそれを聞いてすぐに分かった。これが大和を殺した男だと。
大和の両親の話では、この男は大和を階段から突き落とした時、大量に飲酒しており、
また突き落とした行為も、故意ではなくよろめいた拍子に起きた事故であるとの理由で、
この男は刑事責任はないとされ無罪になったそうである。
大和の両親はその判決が下りた時、やり場のない激しい怒りに襲われたが、
今の日本の法律は、事件や事故を起こす可能性の比較的高い精神病患者や泥酔者には刑事責任を与えず、
見て見ぬ振りをし、事件の加害者には保護と未来を約束し、
被害者や被害者家族には殆ど干渉しないようになっているという事に気付くと、認めなければならないのかと半ば諦めかけていた。
民事裁判を起こせば、いくらかの慰謝料を請求することも出来るのかもしれないが、今の二人にそれをやる気力は残っていなかった。
しかし、怒りが消えている訳ではなかった。
大和の父が、怒りに任せて一歩前に出ると、それより先に男に飛びかかった者があった。小夜だ。
普段の性格からは考えられない行動だったが、その男が大和を殺した男と認識した瞬間に、全ての感情が怒りとして爆発したのだった。

「お前が大和君を殺したのかーっ!」

頭を地面に擦りつけている男の胸ぐらを掴むと、小夜は真っ赤な目に、更に涙を浮かべて修羅の如き様相で怒鳴りつけた。

「お前が…、お前さえいなければ…。お前が死ねば良かったんだ。大和君が死ぬ必要なんてなかったんだ!」

小夜が完全に我を失っている様子を見て、大和の両親は逆に冷静さを取り戻した。
二人は、小夜を左右両側から挟むように立つと、小夜の肩に手を当ててゆっくりと男から引き離した。
母は小夜に、落ち着くように、口では言わないものの肩に置いた手に力を込めて示した。
父は小夜と男の間に割って入るように立ち、男に向かって口を開いた。

「今日は来て戴いて有難うごさいました。しかし私達はあなたを許す事なんて出来ない。
だから、もう二度と私達の前に姿を見せないで下さい。
そしてあなたは、一生私達の息子を、この娘の大切な恋人を殺した事を後悔しながら生きていって下さい」

父は静かな怒りだけを表情に宿してそう言った。

「申し訳ありませんでした」

男はもう一度だけ頭を下げると、恐る恐るといった様子で来た道を引き返して行った。
落ち着きを取り戻した小夜はその後ろ姿を眺めていた。眺めながら、先程胸ぐらを掴んだ時の男の様子を思い出した。
自我を失う程怒ってはいたものの、たかが小娘一人に男は「ひぃっ…」と小さな悲鳴を洩らしていた。
そして今の、余りに貧相で生気の感じられないような弱々しい背中を見ていると、小夜の怒りはいつの間にかどこかへ消えてしまっていた。
それが何故なのかは分からなかったが、二度と会うことはないのだからと思うと、どうでも良くなった。
そして、ただ深い悲しみが再び小夜を襲った。
男のあんな様子を見ると、あんな奴に大和が殺されたのかと思うと、怒りよりも悲しみの方が強いようだった。



 エピローグ


大和の遺骨は、小夜の住んでいる山の頂上近くにある小さな墓地に納めることになった。
大和の祖父母の家からも、小夜の家からも近いのと、
大和が大好きだった景色をいつまでも見せていてやりたいとの、大和の両親による判断だった。
今日もいつものように小夜は大和の墓を訪れていた。まだ朝も早いというのに、周りからは無駄に張り切った蝉達の声がしていた。

「大和君、私…どうしたらいいのかな?」

そしていつものように小夜は大和にそっと語りかけるのだった。

「この先、大和君がいない世界を生きていかなきゃならないなんて…」

小夜は、大和に語りかけている内に、妙に落ち着きを取り戻していった。不意に大和を近くに感じたからだった。

「大和君…?」

小夜は辺りを見回した。

「大和君っ、近くにいるの?」

しかし何も応えてはくれない。でも大和を近くに感じたのは確かだ。
ただ、果たしてそれは大和が小夜の近くにいたのか、それとも小夜が大和に近付いているのか…。今はまだ分からなかった。

「なんか、やっぱり辛いな。私、もうすぐ君に会えるかもしれないって思えてきた。
あ、でもそう思うと少し気が楽かもしれない。さっき大和君が近くにいるような気がしたし、私もう近い所にいるのかもしれないね」

小夜はそう言って大和の墓に微笑んだ。それは久し振りの笑顔だった。

「きっと、もうすぐ会えるよ」

小夜がそう呟いた時、背後に人の気配を感じた。振り返ると、そこには大和の祖父母が立っていた。
この二人も度々大和の墓を訪れていたが、葬式の場で会って以来なんとなく顔を合わせることは一度もなかった。
なので今日はこの三人にとって久し振りの対面だった。

「小夜ちゃんも、来てたのかい」

祖母が小夜に声をかけた。

「はい。でも今日はもうこれで失礼しますね」

小夜は、つい今さっき取り戻した、開き直ったかのような清々しい程の笑顔を見せて答えた。
その時、大和の祖父と目があった。祖父はいつになく不安そうな感じでこっちを見ていた。
小夜はその視線から逃れる様に、祖父母の横を通り過ぎ、自分の家へと向かおうとした。
が、自分達の横を歩み去っていった小夜の様子にたまりかねて、大和の祖母は小夜を呼び止めた。

「小夜ちゃん!」

小夜は振り返らないまま足を止めた。

「小夜ちゃん、死んじゃダメよ!小夜ちゃんまでいなくなったりしないで!私達に、もう一人の…、もう一人の孫まで失わせないで頂戴…」

小夜は目を見開いた。それから一度目を閉じると、再び顔に笑みをたたえ二人の方へ振り向いた。

「おばあちゃん。おじいちゃんも。何バカなこと言ってるの?私が死ぬ訳ないじゃない。変なの。
二人こそ、これからもずっと元気でいてよぉ?」

小夜は子どものようにクスクスっと笑った。

「それじゃあ、またね」

小夜は前へ向き直り再び歩き出した。


家に着いた小夜は窓の外をボーっと眺めていた。
もうすぐ大和のいない初めての夏休み。

「この夏次第だなぁ…」

もし、いつも大和と過ごしたこの季節を生きて過ごすことが出来れば、そのまま先もずっと生きていける。
だけど、堪えきれなくなって死ぬとすれば間違いなくこの夏だ。小夜は直感的にそう確信していた。

「初めての君のいない夏…。私、生きていられるかな…。
大和君のご両親とか、おじいちゃんとかおばあちゃんのこと、あんまり悲しませたくないし…」

小夜はおもむろに立ち上がり、ベッドの上に横たわった。

「でもやっぱり、君のいてる夏の方がいいなぁ…」

そう呟いて、小夜は深い眠りについた。


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