[携帯モード] [URL送信]

短編小説集
第一話
お父さんが死んだ。心臓発作だった。
原因は分からない。
身体が弱かった訳ではないし、生活習慣もけして悪くはなかった筈だ。
少なくとも命に関わる程は。
お父さんはとても優しかった。
だから、あたしはお父さんっ子だった。
だけど、お母さんのことだって大好きだった。
一人っ子だったあたしは、お父さんとお母さんと3人でいるのが一番好きだった。
お父さんもそんな時が大好きだと、よく言っていた。
交番勤務で、近所の人達からも人気があったお父さん。
真面目な性格ではあったけど、固い人ではなく一緒にいるだけでとても楽しかった。
だけどお父さんは死んでしまった。
中学生になりたてだったあたしと、豊かとは言えない暮らしを少しでも向上させようと、
結婚前から勤めていた会社をずっと辞めずに働いているお母さんを置いて。



お父さんが死んでからちょうど三年が経った。
今のあたしは、都内でもトップレベルとして有名な公立高校の制服に身を包んでいた。
穏やかで優しいお母さんは、お父さんが死んでから、生活を支える為に仕事の時間を増やした。
長年勤めていた会社だし、パート等と違ってお給料も少なくはなかったから、
女二人が普通に暮らせるだけの十分な稼ぎを得ていた。
あたしはお母さんに感謝していた。
だから、少しでも早く楽になって欲しくて必死に勉強した。
私立高校だとお金が掛かるので公立高校にした。
大学は都内の国立大学に行って、出来れば奨学金を貰いながら通いたいと思っている。
そうすればきっと、大学卒業後すぐに母を助けられるだけの稼ぎが得られるだろうと考えているのだ。



お父さんの三回忌は昨日終わった。
お父さんが死んですぐ、あたしはただひたすら泣き続けた。
お母さんは泣かなかった。
目を真っ赤に腫らしているあたしの前で泣く訳にいかないと思ったのか、
既にお父さんのいない生活という厳しい現実に目を向けていたのか。
もしかすると他に何か理由があったのかもしれない。
だけどお父さんの死に感情を支配されていたあたしには、お母さんの胸の内を伺う余裕などなかった。
私がそれ程までにショックを受けていたのは、父の死が突然だったことや、死に目に会えなかったこと等もあるのかもしれない。



お父さんが死んだと知らされたのは学校にいる時だった。
何も考えず当然のように、多くの、小学生時代からの友人と同じ区立の中学にそのまま上がった。
まだ新しい友達が出来る程の時間は経っておらず、一緒に上がって来た友人達でグループを作って固まっていた。
その友人達とコソコソと話をしたりして、面白くもない数学の授業をあたし達なりの方法で楽しんでいた。
そんな時、突然担任の教師が青い顔を上気させて紫っぽい色にしながら教室に駆け込んで来た。
周りのみんなは期待に満ちた目で、その、ジャージを着たちょっと頼りない印象の若い先生に注目した。
何か面白いトラブルでもあったのだろうか。あわよくば授業を中断する、なんてことにはならないだろうか。そう考えているのだ。
普段ならあたしもそんな反応を示していただろう。だけどその日は違った。
背筋が寒くなった。
そして次の瞬間、担任の男性教師と目が合った。
あたしは何故か突然泣きそうになった。

(助けてっ!)

と心の中で叫んだ。
これらは全て反射的なものだった。
何が起こっているのかは分からなかったが、私は何かを確信しそれを否定していた。

「佐々木、ちょっと……」

担任教師は私を手招きしながら呼んだ。
私がその手に導かれるように教室のドアを出ると、中の教師に軽く会釈しながら担任はドアを閉めた。

「いいか佐々木、落ち着いて聞くんだ。いいか?」

彼は何度も確認するようにそう言った。
あたしが何も言わずコクリと頷くと、彼は真剣な目であたしの目を見つめた。

「佐々木の、お父さんが、亡くなったそうだ……」

そして、ゆっくりとそう言った。
あたしの祈りは届かなかった。神様を恨んだ。



あたしは担任の横で虚空を見つめたまま、身動き一つ取らずに座っていた。
隣から心配そうな視線を投げかけられていることにも気が付かなかった。
それに、視線は向けても声はかけて来なかった。
掛けるにしても、なんと言ったらいいのかが分からなかったのだと思う。
その時、あたし達二人はタクシーに揺られていた。
担任があたしを呼びに来ている間に、他の先生が呼んでおいてくれたらしい。
あたしがお父さんの死を聞いて呆然としていると、教頭先生がタクシーの到着を伝えに来てくれた。
あたしは担任に優しく肩を包みようにして押されてやっと歩いた。
タクシーに乗り込むと、担任はお父さんのいる警察病院の名を告げた。どれくらい時間が経ったのだろう。
恐ろしく長いようにも、思いの外短かったようにも感じられた。
警察病院に着いた。担任に腕を掴まれ、引っ張られるようにしながらエントランスをくぐった。
担任が受付の看護士に手早く何かを告げた。
するとその看護士は病室の部屋番号を告げた。どうやら、一度どこかの部屋へ移されたようだ。
きっと集中治療室に運び込まれて、それから息を引き取ったのだろうと思った。
お父さんのいる部屋は薄暗かった。
どうやら普通の病室ではなく、遺体の身元確認等をする専用の部屋のようだ。
顔には白い布が被せられていた。
だけどそんな布、めくらなくてもお父さんだってすぐに分かった。
分からない筈がない。大好きなお父さんを間違える筈がない。
あたしはその場で泣き崩れた。大声を上げて泣いた。
ずっと放心状態だったから、周りから見ると止まっていたカラクリ人形のネジを巻いたようだったかもしれない。
或いは、逆に音を立てて崩れた人形のようにも見えたかもしれない。
あたしから一瞬遅れてお母さんが到着した。
会社から抜けるのは、学校から抜けるよりも大変だったろうに、お母さんの到着は早かった。
お母さんは一瞬だけお父さんの顔を覆う布をめくり、すぐに戻した。
悲しいような寂しいような、そんな表情だった気がする。
それからすぐにお母さんは、床に崩れ落ちているあたしを抱きしめた。
力強く抱きしめた。それはあたしに、刹那の安心を与えた。
だけど、その時のあたしは、そんなものじゃ払拭出来ない程の不安を覚えていた。
担任が教室にやってきた瞬間からだ。いいようのない大きな不安。それはあたしの心を激しく揺らしていた。



 朱の光が射し込んでくる。なんとなく物寂しい雰囲気が漂う。

「あのね美奈子、お母さん、ちょっと話があるの。いいかな……」

昨日行われた三回忌の後片付けが全て終わってからお母さんがそう切り出した。
その瞬間、あたしは三年前と同じ予感がした。当時の担任が父の死を知らせに来た時と。

「お母さん、実はね、少し前から付き合ってる人がいるの。
美奈子ももう高校生になって大学受験の準備とか始まるでしょ?
 お金も掛かるし、家事も殆ど任せっきりになってるせいで美奈子、自分の時間が削られてるじゃない?
 それで、そういう金銭的なこととか時間的なこととかを考えて、あたしその人と籍を入れようかと思ってるんだけど……。
どう、かな?」

 あたしは確かに、お母さんが外で必死に働いてる分、家では少しでもゆっくりして貰おうと思って、
お父さんが死んでからは家事等を殆どこなしている。
それでもあたしは今までちゃんと勉強もしてきたしこれからもそのつもりだ。
その上、予備校とかには頼らずに学校と参考書だけで勉強するつもりだし、
大学も国公立に絞って学費なんかを出来るだけ安く抑えようとか、そんなおおまかな計画くらいなら立てていた。
 それに何より、あたしが家事をしてお母さんが喜んでくれるのが嬉しかったし、
そんな二人だけの生活を楽しく感じ始めていた。
だからあたしは正直再婚なんてしないで欲しいと思った。
 だけど、もしかしたらお母さんも辛かったのかもしれない。
こんな生活は嫌だと思い始めていたのかもしれない。
あたしだけではお母さんの心を、精神を助けることが出来ていなかったのかもしれない。
そう思うとあたしにはその提案を拒否出来なかった。
それにあたしのことを考えてくれた結果でもあるのだ。
お母さんのその心遣いを無下にすることも出来なかった。

「うん、いいよ。お母さんが選んだ人とだったら安心だしね。あたしは……、賛成だよ」

 あたしは少し考えてからそう答えた。あたしの心の中は不安や、よく分からないモヤモヤした気持ちが渦巻いていた。
だけどそれをお母さんに気づかれないように努めて平静を装った。
 お母さんはあたしの返事を聞いてとても喜んだ。

「ありがとう、美奈子。お母さん、もし美奈子に反対されたらこの話はなかったことにしようと思ってたの。
だけど美奈子に賛成してもらえて本当に良かったわ」

 お母さんの喜ぶ顔を見て、あたしは何故だか不意に大きな後悔に襲われた。
とんでもないことをしてしまったような気がした。
 その理由が分かるのは、もう少し先のことになる。


[次へ]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!