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短編小説集
[1.]
   『夜のそら』


 私は、少しばかりこの世という物に疲れてしまった。

 毎朝同じ時間に起き、同じように家を出て同じように会社へ向かい、そして同じような仕事をただ淡々とこなしていくだけ。
それだけの生活にうんざりする。
 昔は、仕事にやりがいと生きがいを感じ、周囲に何とか認めてもらおうと必死にもなった。
家に帰れば妻が優しい労わりの言葉を掛けてくれたりもした。
 だからと言って、今は妻と上手くいっていないとかそういう訳ではない。
二十五で結婚してから十八年が経つが、離婚という言葉が行き交う世の中では、私達の関係は良好だと思う。
妻とはお見合い結婚だが、運命というものだろうか、今でも時々妻をいとおしいと思う程私達は深く愛し合った。
 しかし、男というのは欲張りな生き物だ。それに、日々に対するストレスもあった。
一昨年から十四も年下の会社の女の子と、所謂不倫の関係にある。
彼女の名前はいけじま池島あい愛。
こんなことを感じる時は、ああ、私も歳をとったのだなと思うのだが、最近の若い者たちは、男女関わらずどうも好きになれない。
もし愛と出会っていなければ恐らく私は不倫などしていないだろう。
会社でも、私と同年代の者や上司の中に若い子が好きでキャバクラや、少数だが風俗なんかにも通っている奴がいる。
私も何度か誘われたことがあるが、殆どの場合は適当に理由をつけて断っている。
私には彼らのことが理解出来ない。若い子達がそれ程いいのかといつも疑問に思う。
彼らと来たら言葉遣いすらままならない奴が信じられないほど山のようにいる。
礼儀もなっていない。もちろん全ての者がそうだとは言わない。
ただ、私達が彼らくらいの歳だった頃はこれ程酷くはなかった。
学生時代に部活やサークルで先輩から言葉遣いや最低限の礼儀を学び、就職試験で皆が一回りも二回りも成長し、
至らない所は会社の上司や先輩達から学び、一人前になろうと、お世話になった人たちに恩返しの気持ちも含めて、必死に仕事をしたものだった。
その為にどんなに腹の立つ事があっても、我慢して先輩達の言う事を聞いていた。
しかし最近の若者達は真剣な気持ちや、周囲の者達に対する感謝の気持ちなども全然足りない気がするのだ。
何を言っても口ばかり偉そうなことを言って、その癖仕事はというとろくに出来ない。
いや、ウチの連中は就職しているだけまだマシかも知れない。
街に出てみるともっと酷い奴らが溢れ返っている。派手な格好で大騒ぎしながら遊んでばかり。 
私にだってもちろんそんな時期はあった。でも大学の二年間か三年間だけだ。
三年の後半にもなると就職の為にそれどころではなくなっていた。
未来の自分を見つける為に真っ暗な中を手探りで必死に歩いていた。周りも皆そうだった。
それなのに最近はモラトリアム期間なんて言葉やピーターパンシンドロームなんて言葉をよく耳にするようになった。
格好よくカタカナで言っちゃいるが、ただいつまでたっても子供のまま大人になれないだけの甘えん坊のことじゃないか。
そんな奴らに熱を上げている同僚や上司達もどうかと思う。恐らく私にはそんなもの一生縁のないことだろうと思っていた。
しかし、世の中とは不思議なものだ。その私が十以上も年下の女の子と不倫なんてしているのだから。
一昨年、彼女はパートとしてウチの社にやって来た。
彼女もそこそこの歳だが、世間では彼女くらいの年代でもどうしようもない奴はたくさんいる。
いい年してまだ若い気でいる。愛のことも初めは他の子達と同じだろうと思っていた。
だが、彼女は違っていた。パートだから大した仕事が与えられている訳でもないのに、それでも一生懸命働いていた。
それによく気が利く。
見た目は若々しく、可愛い容姿をしていて性格も明るいのだが、言葉遣いもきちんとしていて気遣いを常に忘れず、何よりとても落ち着いていた。
私は愛と同じ部屋で仕事をしていたが、私達がこういう関係になるまでの数ヶ月間愛が落ち着きを失っている姿など見た事がなかった。
私は愛にどんどん惹かれていく自分を感じた。初めはただ、そんな、常に落ち着き払っている愛に興味を持ったというだけだった。
自慢ではないが、私は若い頃それなりにモテていた方だと思う。
しかし、歳も歳なのでどうかと思ったが、愛に声を掛けると以外にもあっさり乗ってきた。
それもあって一度は、愛も他の子達と同じように軽い子なのかと疑ったこともあったが二人きりで話をしている内にそんな気持ちもすぐに消えていった。
愛とは普段、落ち着いた雰囲気のバーで飲みながら他愛のない会話をして過ごすことが多かった。
愛とはどんな話をしていても楽しい。大人の話なんかをしていても、愛は同じように大人としての対応をしてくれるので楽しかった。
 他の彼女くらいの歳の子達ではそうはいかなかった。相手がすぐに飽きたり、妙な期待をされたり、逆に嫌な顔をする子もいた。
 その点、愛といるときは安心出来た。変に気を遣うこともなく本音で話すことの出来る貴重な存在だった。
 たまには帰りに二人でホテルへ行くこともあった。二人とも大人なのでそういう流れも当然だろう。
だがそんなに頻繁という訳ではない。二人とももう異性に盛るような歳でもないし、何故か二人の関係はその方が自然な気がしたのだ。
 ある日お互いの身の上話のようなものをしている時、愛がバツ一だということを知った。
愛は黙っていたことを何度も謝ったが、そんなことを気にする歳でも関係でもないので気にするなと言ったら、愛はそうだねと言って笑っていた。
実際愛はそのことを黙っていることを負担に思っていたのかも知れない。
その笑顔がホッとしているように見えた。しかしそのことで、愛の妙な落ち着き振りはその経験があったからだろうと思った。
 愛と出会ってすぐはいつも楽しかったが、少しずつ会社の仕事にうんざりし始めた。
そしてそれは一度そう思い始めると加速度的に仕事に対するやる気が削がれていった。
愛にその話をすると、愛は私の話をそうですよねと同意しながら聞いてくれた。そのことが堪らなく嬉しかった。
そんな愚痴を漏らしつつも、仕事を辞める訳にもいかないのでどうしようもないということくらい分かっているので、
そこで怒られたり、変に説得されたり励まされたりしても腹が立つだけだと愛は分かってくれていた。
私が一番求めている言葉を返してくれるのが嬉しかった。



 ほんの数日前、私は上司に呼ばれ、部長に昇進させて貰えることが決まったと伝えられた。
正式な発表はまだなので他の人に言うことは出来なかったが、誰かにその気持ちを聞いて貰いたかったので、愛を社の屋上に呼び出した。
 私は一足先に屋上に着いた。真冬の屋上に来るものはなく、そこには狙い通り私しかいなかった。やがてそこに愛がやってきた。

「どうしたんですか?こんなとこに呼び出すなんて珍しいですね」

 いつもは用があれば携帯のメールで済ますし、何かどうしても自分の口で話したいことがあれば、
会社の帰りにいつものバーに来て貰うので、社内でこうして二人きりで会うのは珍しかった。

「ああ。どうしても早く愛に伝えたいことがあって…」

「いいニュースですね?だってじゅんや淳哉さんの顔、すごく嬉しそう」

「そうなんだ。実はさっき部長に呼ばれて私が第二事業部の部長に昇進することが決まったって」

「すごいじゃないですか!よかったですね、私も嬉しいです!」

「ああ、ありがとう」

 愛はまるで自分のことのように喜んでくれた。そして私は、愛が来るまでにそこで考えていたことを愛に話した。

「今週末、一緒に旅行でも行かないか?」

 この昇進をきっかけに落ち込んでいた仕事に対するやる気を取り戻そうと思ったが、
それだけでは踏ん切りを付けるのに弱い気がして旅行に行こうと思ったのだが、一人で行くのも寂しいので誰かを誘おうと思った。

妻を連れて行くとしたら二人の子供たちも行くことになってゆっくり出来ないだろうと思う。
同僚や大学時代の友人と行くのも良いかも知れないが、男同士で時を共にするとどうしても話が仕事に行ってしまう。
俗世間から離れたくて旅行へ行くのに仕事の話はしたくない。となると一緒に行くのはやはり愛しかいかった。
愛と旅行というのは初めてなので、愛と行こうと決めてからは最近感じたことがない程にワクワクしていた。

「え、旅行…ですか?」

「ああ。嫌…か?それとも何か予定でも…?」

「ううん。そうじゃないの。まさか淳哉さんと旅行に行けるとは思ってなかったから…。嬉しいです」

「そうか。良かった。じゃあ細かいことを決めたいから今夜いつものバーで。どこか行きたい所とか希望があれば考えておいてくれ」

「はい、分かりました。じゃあいつも通り先に行って待ってますね」

「悪いな」

「いえ。じゃあ、私行きますね」

 私よりも愛の方が早く仕事が終わるので、愛にはいつも先に行って待って貰っている。
たまに急な残業なんかで突然なる時もあるが、そんな時は愛の携帯にメールしてその旨を伝える。
全く便利になったものだ。私が学生の頃は携帯なんてなくて、待ち合わせするだけでも気が気じゃなかったのに。
それが原因で女の子と喧嘩したこともあった。が、今はこいつのお陰でそんな喧嘩をすることもない。
そんなことを思いながら去って行く愛の後姿を見送っていると、屋上の入口の前で愛が突然こちらへ振り返った。

「純也さん、旅行、楽しみですね」



そういういきさつがあって、私と愛は今、この有名な温泉地の温泉旅館に来ている。
昼は街中を観光し、日が暮れてからは二人で旅館に帰ってゆっくりしている。
食事の前に一度温泉に入った。男女別々の大浴場だ。やはり温泉に来たら一度は大きなお風呂で羽を伸ばしたい。
それから部屋で食事をとった。海は近くないが山の中にある旅館なので山菜なんかが美味しかった。 
それから今度は部屋に備え付けの小さな温泉に愛と二人で入った。
外は既に真っ暗だったが、照明の為に愛の白くて若々しい肌が私の目の前にはっきりと晒された。
今まで幾度となく愛の裸は見ていたが、こんなに明るい場所で見たのは初めてだった。
けして明るい照明ではなかったが、愛の姿を映し出すのには十分だった。
いつも触れている筈の愛の身体がまるで芸術作品のようだった。
愛も改めて裸体を晒すのは恥ずかしかったらしく、極端にいる。
温泉に足が浸かり血行が良くなっているからか、恥ずかしさからかはわからないが、愛の白い肌に紅みが増してきた。
お湯に身体を沈めてから私が手招きすると、少し距離を取っていた愛が素直に近付いて来た。
髪や身体は食事の前に入った時、既に洗っていたので今回はただゆっくりと流れる時間を楽しんだ。
ここは上手いこと出来ていて、中から外の景色は見えるが外から中は見えないようになっている。
私がぼうっと外を眺めていると、隣で同じように外の景色を楽しんでいた愛が、私の肩に寄り添うように頭を預けてきた。
私が愛の方を見下ろすと、愛も私の方を見上げていた。目が合い、なんとなく気恥ずかしくなって二人して笑った。
なんだか青春時代の恋愛をしているような気分だった。
今までも愛といると、何度かそのように若くなったような気分を味わえた。それも愛の不思議な魅力の一つだ。
愛の若さに引っ張られているのだろうか。しかし決してそれは一人よがりの若さではなく、いつも私を一緒に連れて行ってくれた。
風呂から上がると私達は浴衣を着て、窓際の椅子に座って夜風に涼んだ。火照った身体に冷たい風が気持ち良かった。
室内には既に布団が敷かれている。関係を持つ男と女が旅行に来れば、夜は当然共に過ごすことになる。愛もそれは承知の上だった。

「純也さん、そろそろ…寝ますか?」

 私は少し考えた。日常を忘れにここに来たのに、日常のように習慣的な交わりをしたくなかったからだ。
しかし今のは、当然二人は今夜身体を交わすことになるから時間的にもそろそろ、という誘いなのだろう。
愛も覚悟はしているかもしれないが、今気分が高揚していてすぐにでも事に至りたいからという誘いではないだろう。
私はそう判断し愛を散歩に誘うことにした。

「愛、その前に少し近くを散歩しないか?」

 すると、やはり私の判断は間違っていなかったようで、

「はい。いいですよ」

 愛は間を置くこともなく私の提案をのんだ。


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