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タイガー三沢の日記
(虎裸夢) 不定期日記なり!
2008-12-09(火)
12月8日


1942年12月8日
ハワイの真珠湾に穏やかに晴れた日曜日が訪れるはずが…
太平洋戦争勃発

こんばんは。
セールストークに乗せられて地雷を踏み、二本の足を…いや二枚のお足(諭吉)を無駄死にさせた三沢です

「今日は忙しいの?」
「ワカンナい!だって何時と比べて?先週の火曜日と?それとも先週の一週間の平均と比べて?」
「……

でしょう
まさしく地雷
理屈っぽいったらありゃしない!
サービス業には不向きな性格
まるで私と同じです

さておき

1943年の3月
フィリピンに近いスラバヤ沖で海戦があり帝国海軍と英国海軍が激突!
いわゆるスラバヤ沖海戦です。
沈没した英語海軍の乗組員400名以上は漂流、翌日に日本の巡洋艦・雷(いかづち)が通りかかり、全員救助
艦長の工藤俊作中佐は英語で、「あなた方は勇敢に戦った。戦いが終わった今、あなた方は栄光ある帝国海軍のゲストです」と言い温かい食事を提供したそうです。
英語海軍の上官であるフォール艦長は感動したそうです。
昨日のテレビニュースで工藤艦長の墓参りをするフォール氏の涙を流す姿が放送されてました。

戦争美談とは言え、実際にはかなり危うい事なんですよ!
ジュネーブ条約にのっとった万国共通の救助を表す旗を掲揚しているとは言え、停船するのは危険です!潜水艦の餌食!
中佐と言う階級からしてジュネーブ条約も知ってたんでしょうね!しかもまだ日本有利の戦局でしたから余裕もあったんでしょうね!
でも400名以上も救助したら自分の船がかなりヤバい!
雷の乗員の倍近いですよ!
しかも捕虜を連れて帰った時に軍から何て言われたか…
「なんで捕虜なんか連れて来るんだ?殺せば良かったのに!」
想像がつきますよね
程なく工藤艦長は退艦します。
もしかしたら捕虜を連れて帰った事による降格?

巡洋艦いかづちは後に海戦で沈没。乗組員たちもほとんど死亡。
当時の日本兵はアメリカ海軍などの救助に対し、救助拒否を通し海に消えて行ったそうです。
アメリカの水兵達は救助拒否する日本兵が理解出来ず、特攻と相まって、腹きり、サムライ、神風…として恐怖心を持ったそうです。

今、自衛隊には駆逐艦いかづちがあります。1995年の艦観式にはフォール氏が招かれ、その時にも工藤艦長の行方を聞いて回ったそうです。
工藤艦長はこの出来事を家族にも話してなかったそうです。
そして、昨日の墓参り。


なんか右翼が喜びそうな話題ですが、そんなチンケな話題にしてはいけません。

で…

地雷を踏んだ私は…撃沈なんか物ともしない勇者です

( ̄□ ̄;)!!
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