無限に死に続ける液体の少しだけ乾いた心を。




夢をみる。
というのはまともな眠りには遠ざかってしまっているということなのだが。
悪夢を。

黒と赤は同一で白とも灰色ともつかないゆがんだマーブルに立ち竦む自身を平常心で観察するが自分自身の冷静さに耐えられなくなる。

歪んだマーブルの室内に佇む自分の冷静さに。


(俺は何も(言えないで))


やがて
黒と赤が剥離し
個別の色と成りゆく時に
漸く現実というものを認識する。

理解する。

解かれたマーブル
歪みよりも鮮烈を。


ダイニングから出ていって夢から醒める。




春の生温さを含んだひどく強い風に吹かれると思い出す事が在った。
入学祝いの季節だ。

本当はまだまだ厳しい寒さの筈なのに
何の周期か次の季節の空気を孕む年がある。

冬の,強い風に春。

夏を想うものは幸いである。

そんな言葉がふと浮かぶ。




「真冬に真夏を想える者は幸いである。」


クリアピンクの爪に粒子の輝き,弾けるように,そっと言葉。


私は夏に冬を思うのも素敵だなぁって考えてみるんですけれども。
季節ってあんま関係ないかなって…あ,そういう意味じゃなくってどんなものも全然すてき。
だから。


そう言って
手入れされた手を翻すから
またきらりと光る。


「誰の」


「お父さんの」


金髪は揺れて。

メメント・モリ
少女の背後にて照明を受けたポスターが表面の加工に光を反射させていた。
映画だっただろうか。
男はそこで薄色の虹彩を一寸だけ狭めた。

死を 想え。


だれの (言葉?)


おとうさんの (言葉)


単語に単語を返すだけで通じ合えるものも
直球に伝えたって理解し合えないものも
全て事実であるのだから
途切れた会話とも言えないギリギリの接点上に
復元された沈黙を是とする。

少なくとも自分は。少なくとも今此処での彼女なら。と。

正しいか否かはまた後での判断で良い。

きれいに色付いたネイルの透明感のあるピンクを所在無さげに翻してはやがてドリンクに指を伸ばす。

唇はストローに触れると軽く一度だけ噛んで離れる。

先刻から繰り返している仕草だった。

明るい色の紙のカップを振っては氷の音
それすらもはやささやかな。

指先が光る。
女の子らしい,健気さはともすれば無意識なのかも知れない。
つい,気が緩みそうになるのを耐える。

微笑ましい。

一寸先の続きを,それでも期待しないように耐える。

それでも。


「良いよ,新しいの頼んで,奢る」


「ぇ?あ,はいっ」


はっと容貌を上げ,拍子に金色,サイドの髪の揺れる。
反射的に肯定を口にしてしまう律義さ。
意味を嚥下せず頷いてしまってから円い虹彩を瞬かせ,一寸経って困り出す。

どの様な場合に於いても
否定や拒絶の台詞には
少女は大変に気を遣う類だった。

席を立った時に,漸く戸惑いは言語となる。


「ゃ,そんなっいいですよっ,自分で行きます!!てゆか自分で買います!!」


「いーから…こっちも何か頼む序でだし」


奢られるのは微妙ながらに肯定したのに,こちらが注文を言付ける事には生真面目に異議を口にする。

今更ながらだろうに,と思いながら彼は揺れる金髪の小さな頭部を撫ぜる様に軽く押さえた。

喉に呼吸を潜めるささやかさとクリアピンクに煌めくラメがあまりに自然に馴染んでいたので僅かに容貌を傾ける。

雑音。

立ち上がれば聴覚の広さは増す。

声,物音,やってくる誰か,席を立つ誰か達
4番のカードでお待ちのお客様ー?
あーはい,こっちですー!!
低い音
高い音
賑やかな声
甲高い声
静かな会話……

彼女を見る。瞳と合う。掌に髪を撫でながら尋ねた。


で,ご注文は?


蠢く温かさ
頷く様に
困惑と気遣いから選択して子供らしい必死さでもって淡い唇の開かれる。


「ピンク!ピンクレモネード!!」


「…やっぱりな」


「…はい?」


メメント・モリ


いつかの季節の影が著しく眩ゆい。




クリアピンクの 液体が溢れている。

零れる。

夏を想うものは幸いである。

金色。

夏に冬を想うのも素敵だなぁって。

微笑む。

ラメの様に光るものの正体が分からない。

透明な桃色の 液体が描くマーブル。

金色。

光るもの。

撫ぜていたいものが在った。

筈だった。

血の臭いがする。どうにも駄目だ。あの日から。

夢を見ればそれらは全て悪夢であって。

夢を見ない日はそれは悪い夢を覚えていないだけなのだ。

血の臭いがする。これだけは未だに苦手なままだった。
ダイニングには向かわない方がいい,と何故だかあの時そう直感した。
単純に臭いだったのかも知れない。
血液だけは誤魔化せないから。

結局は全てを眼にしたのだが。

結局は。

死が 三つ。

そう,既にそれを見ている,あれが「死」だ。

死のかたちなのだ。

初めてそれに触れたあの日。

クリアピンクの 液体が溢れている。

零れる。

金色。

ラメの様に光るものの正体が分からない。

透明な桃色の 液体が描くマーブル。

金色。

光るもの。

撫ぜていたいものが在った。

あの日から。


メメント・モリ



(触れると死にたくなくなるし死んでも良いかとも思う)


想うだけで


(あと,死にたくなる…)


全てが叶うなら
誰よりもそうしている。

華奢な背を撫でていたいのに
掌の真下に血潮を心臓を鼓動を感じると
「あれ」へと向かうべき憎悪が今此所で抑え切れなくなりそうだった。


(殺したい………?)

この娘を?


想うだけで全てが叶うなら,と。
叶えるまで死ねない。
決して。
願いが原動力となり今日まで生きる。
果たせたなら死んでも良い。
しかしそれだけでは嘘だ。
果たせないのが怖い。


「いきなり倒れるから…びっくりしました。」


不思議な浸透性を宿して少女の声が響き降りる。

彼の胸の上に軽やかな重み。


「心配してるなら…なんで乗っかってんのかな」


温度
柔らかさ。


「は,離してくれないのはそっちじゃないですかっ」


胸元に顔を埋めて
くぐもった音声はそれでも充分に高かった。

この年頃の少女らしい音質。


「悪い,気付かなかった。」


何処かで恐怖がある。

四六時中付いて回る。

もしかしたら不可能であるかも知れないと叶わないかも知れないと殺せないかもしれないと。

復讐の果たせない恐怖は憎悪と対で耐え切れず
しかし憎しみは内側の更に奥底の奥底まで身を沈め
期を伺うしたたかさも備えている。

対して,怖さ,がどうしても安らがない。

表面へと向かい渦巻いて逃げ道を必死に探している。

鼓動を感じるのが好きだった。
肩胛骨を良く撫ぜた。
中心に心音。
華奢な骨格も良い。
触れ心地の純粋に心地よい。

不思議な身体だと彼は常々に思う。

相性とでも言うべきか
とても自分自身に合う。

笹塚さん
この声帯がどんなに浸透してくれるか。


(…君は,知らない)


あやす様に背中を辿って
擦って
少しずつその吐息の落ち着くのを見計って
背骨を支えて,体勢を変えた。

反転させる。

男の影の下で,見知った古びたソファの上で,散る髪色に網膜の休まりを。

少女らしいほんの僅かの悲鳴で恐れが波の引く様に静まる事を。


「笹っ…」


知らないだろう。

手首を押さえる。

こちらを向く容貌の,琥珀色の光彩の僅かに見開かれ睫の影,舌先のちらりと覗いた唇を何かで塞ぎたくなった。



「此所まで運ぶの,大変だっただろ」


「ぇ…っと,部屋に入ってからだったから,そんな,」


舌で,唇で,発語を閉ざす。
くぐもった声が響く。
相変わらず柔らかい。
だからきっと塞ぎ切れないで甘く零れる。

柔らかさが羨ましくて舌の奥を探った。


「んっ,ぅ!!!」


合間を金髪が擦れる。
あのマーブルを思い出す。




潤むだけじゃなく乾燥する様な欲情もあると誰かは言った。積もる雲の中の氷晶と静電気が雷を発生させるのが心地よいのだと。

積乱雲は 真夏。



「本気ですか竹田さん」


「本当の事じゃないか,今に君はあの娘に欲情するようになる」


「有り得ねーよ…彼女に,そんな」


「しかし気を付けないと あの娘に欲情したらきっと 憎悪を保てない。」


「何言って……」


笹塚,君のその復讐心が果たされる事なく費えるのは,ずっと君を見守ってきた私としても心許無いんだよ。


硝子越しに醜悪な穏やかさと言葉は反響した。硝子越しにならもう何も触れず汚される事もなくなると。しかし届き切らない意味ならば自らが追うしかないのだ。

あの時触れたくないものを置き去ってしまった。

空気だけは隔てられない。声音の伝わりがそれを証明している。

硬質の透明の向こうの醜悪な親愛。ずっと,父親代わりとして支えてくれた人間。全てを知っていたかもしれない。


「あの娘からは死の匂いがするだろう? 君の中の原動力を根こそぎ奪っていくよ…まるで受胎でもするようにね。」


出来る事なら
硝子を叩き割り
ぶん殴ってしまいたいのをどうにか堪えて
帰宅後,すぐに吐き出した記憶のある。

あの夜も酷い夢を見た。




「夏は良いね」

「そうですか」

「さっきは悪かった」

「良いんですよ!!ちょっとびっくりしちゃっただけ!!」

両膝の上に頭部を乗せて
プリーツの真下の体温を感じる。

腿は肉付きの薄いが
充分に柔らかい。

そのまま下腹部へと額を押し付ける。眠くはない。

「体調悪いの,耐えてたんですか? えらいですけど,苦しかったでしょう?」

視野を
ふとクリアピンクの爪が過ぎった。

軌跡。

「もう,大丈夫ですよ」

生きたいと脈絡も無しに思った。
眠くないのに眠りたいとも。

腹部に感触の在ると収まりの悪いのか
所在無さげに爪先はひらめいて
たどたどしく髪に触れられる。

梳くまでは至らないのか
細やかに摘んでは離す。

その爪先からピンクのラメが髪へと落ちる様を思い浮かべてみるのがなんだか面白い。

無限に死に続ける液体の少しだけ乾いた心を。

「そこ」であると解っていて子宮へと額を寄せて。

瞼を閉ざせば
うっすらと死が見える。


「あ,」


「なに」


「爪から剥がれちゃって…ラメ…付いちゃいました。」


「ん」


髪に。

そのまま梳く指。

今あのマーブルの夢を見れたなら。

瞼に下腹部の温度は心地好い。




金色,透明な爪のピンクに。

赤黒くあの臭いの混じり始めて噎せ返る。

菊と百合と血腥さと。

笹塚衛士はそこを見遣る。

足元を浸す,感触の無いマーブル。

キッチンは変に歪んでいて
空間は空間としての役割を果たしてはいなかった。

いつもの夢だ。

今回はほんの少し彼自身の見たい色味を加える。

青年が立っている。
自分自身だ。
かつての,あの日の。

変わらず人形の様な表情の無い生きている匂いのしない。

殴ってやりたい。
と笹塚は思った。

箱が在る。
三人分の。

青年である笹塚がそれを見詰めている。

実際は…そこに在る死を。

だから生きていない,既に。


(真冬に真夏を思うものは幸いである。)


夏は良い。でも冬も良い。春も秋も。

無表情な筈のかつての笹塚自身の眼差しに
また
あの不可思議な煌めきがよぎった。

何の光なのかは解らない。
無機質に反射させては遠く。
近く。
それとも死だったのだろうか。
青年の見る全てのものは。

ちらりとまた。

マーブルが濃くなる。

歪む。

澱む。

薄まり 晴れる。

また歪む。

色素の薄い自身の髪をふと触れた。

ちらちらとラメが降りた。

春夏秋冬。

想う事。

だから
またストローを噛むなんてさせる前に与えてやりたい。

死を見詰める青年を眺めながら
ひとつの出来る事を脳裏に浮かべる。

死を想え。




「あれって…そんな美味いの?」


「はい?」



その時が来たら,あのマーブルから,きっとえる。






MARBLE FLOW




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