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次の日、志摩子がリハビリを終えて病院を出たのは夕方になる少し前のことだった。
時間などは指定されなかったが、待っていればいいのだろう。
聖の指定通り、病院の門の前で待つ。
門の前に立って数秒もしないうちに1台の車が志摩子の前に止まった。
それはお世辞にも新しいとは言えない、むしろ古い黄色い車。
運転手の顔は見えないが、誰かの迎えの車だろうか。
もしそうならここに居ては邪魔だろう。
志摩子は車から少し離れるように歩いた。
と、後ろから車窓が開く音がする。

「しーまーこー♪」

「せ、先生?!」

まさか。
驚いて後ろを振り向くと、その黄色い車から聖の頭が飛び出ていた。
てっきり聖は白衣のまま病院から現れると思っていたのに。
今聖は私服で、加えて車に乗っている。
医者に偏見を持っているわけではないが、医者とはもっと高価な車に乗っているのだとばかり思っていた。
だからこの車に聖が乗っているなんてことは1ミリも考えなかったのだ。

「…あの……お仕事は?」

不安になって一応聞いてみる。
サボり、とうことはないだろうが、聖のことだ。
まさかが現実になるときもある。

「ん?大丈夫だよ。今日はお休み。んでもって明日は夜勤の日」

安堵の息を漏らすと聖は楽しそうに笑った。

「乗りなよ」

聖が隣の助手席を指差す。
志摩子は頷くと、ドアを開けて車に乗り込み、シートベルトを締めた。
車が発進した。

「先生、どこに行くのですか?」

志摩子の質問に、聖は見当ハズレな答えを返す。

「先生じゃないよ」

「……え?」

「ここは病院じゃない。だから私は先生じゃないよ」

「…でしたら何と呼べばいいでしょうか?」

「………」

聖は何か言おうと口を開いたが、すぐに表情を難しいものへと変えた。

「………」

「先生でいいや」

最初の、どこに行くのかという質問をうまく誤魔化された気がする。
だが、どうしても知りたいかと聞かれればそうではないので、誤魔化されたままでいることにした。
そこからは2人とも言葉を発することはなく。
車は走り続けた。

たっぷり30分は経っただろうか。
車が病院から離れ、随分走った。
自分の知らない道。
自分の知らない景色。
聖を信じていないわけではないが、流石の志摩子も心配になってきた。
そっと運転席の聖を見上げる。

「着いたよ」

言うや否や、車が止まった。

聖はドアを開け、志摩子の手を取り、何も言わぬまま進む。
そのまま駐車場を抜けてアパートの階段を上がると、ドアの前に立った。
混乱する志摩子を横に、ドアノブに鍵を差し込んでまわす。
それから芝居がかった動作でドアを開け、志摩子に恭しく一礼をした。

「どうぞお入りください」

「……」

「大丈夫、私の家だから」

そう言って志摩子の肩に手を添えて家に入れる。
家に入ると、聖がベッドに腰を下ろし、その隣に志摩子が腰掛けた。


「目を瞑って?」

混乱から抜けきっていない志摩子にはお構いなし。
相変わらずご機嫌顔でにこにこと笑いかけてくる。

「いいから」

こう言われると従わざるをえない。
言われる通り、おそるおそる目を瞑った。
真っ暗になる視界。
聖がごそごそと動く音が聞こえた。
鞄か何かを漁っているのだろうか。
何も見えないせいで、目以外の感覚が冴え渡ってくる。
ふと、聖の気配が近づいた。
聖の少し冷たい指先が志摩子に触れる。
目を閉じていても分かった。
顔が、近い。
聖の穏やかな息遣いが心地良い。
そのまま身を任せてしまいそうな―――

「はい、いいよ」

はっと目を開くと、聖の体はもう志摩子から離れていた。
そこで、志摩子は自分が何か握らされていることに気付く。
渡されたものを見るためにてのひらをそっと開いた。

「これ…は?」

「退院祝い、言ったでしょ?」

手渡されたのは白い小さな折鶴。
きっとあの袋の中には本来これが入っていたのだろうと納得した。

なんだ。
さっきのはこれを渡すために…。

「―――っ?!」

自分の考えていることを振り払うように頭を左右に振る。



「期待した?」

「な…何をですか?」

本当に分からないといったふうに微笑むが、火照った頬はどうるすこともできない。
完全に思考を読まれている。
その証拠に、聖はにやにやと笑ったままだった。

「ちゃんとしてあげるよ」

「ん…っ」

軽く唇にひとつ。
左頬にひとつ。
首筋にひとつ。
鎖骨にもひとつ。
最後に聖はもう一度、唇にキスを落とした。


「もうひとつ、あるんだ」

一旦体を離すと、聖はにっこりと微笑む。

「え?」

「退・院・祝・い」

嬉しそうだが、今度はどこか大人っぽい聖の笑顔。
普段は子どものように笑うのに、こんなときにこんな笑顔で笑うから。
不覚にも、格好いいなどど思ってしまう。

「喜んでもらえるかどうか分かんないけどね」

聖は机の上に置いてあった封筒を志摩子に渡した。
促されるまま志摩子がその封筒を開ける。
中から出てきたのは銀色の薄い金属だった。

「……鍵?」

聖の首が縦に動く。

「滅多に家には帰らなかったけど…これからはちゃんと帰ろうかなって」

コホンと咳払い。

「いつでも、遊びにおいで」

そう言って、照れくさそうに笑った。

「受け取ってくれるかな?」

「はい……ありがとう、ございます」

聖が、良かった、と息を吐く。


「あー…安心したらお腹すいてきた」

安心しきった聖の顔を見て、志摩子はいいことを思いついた。
こちらが驚かされっぱなしでいるのは不公平だ。
そして折角鍵をもらったのだのだから。
幸い、今日はこの後何の用事もない。

「でしたら、今から晩御飯の支度をしませんとね」

「……!」

驚くべき速さで聖が振り向く。

「いいの?」

「その代わり、買い物には付き合ってくださいね」

志摩子は悪戯っぽく笑って見せた。

「勿論……喜んで、お姫さま」







花が咲くにはまだ少し早いが、2人の季節はぽかぽか春色。


長い、長い、2人の物語の始まり。




―――――――――

お、終わった…。
こんな終わり方ですみません。。






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