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午後からの仕事も順調にこなし、一日の仕事が終わる。
聖は簡易ベッドに身を投げた。
医者と言えど人間だ。
睡眠不足は医療ミスにも繋がる。
そこで仮眠をとろうとした。
何度も寝返りをうち、寝ようと試みるがどうにも眠れない。
どうしても今朝のことが頭から離れなかった。
何故彼女にあんな感情を抱いたのか。
それだけがぐるぐる渦を巻いていた。

そうしているうちに、志摩子を訪ねる時間がくる。
聖は重い腰をあげた。



「やあ、元気?」

努めて明るい声を出したつもりだったがやはり志摩子には気付かれてしまう。
何も言われなかったが、雰囲気からそれを察した。
体を起こすのを手伝おうとする聖に、志摩子はちょっと待ってください、と言う。
すると、骨折した腕を庇いながら何とか自力で起き上がった。
思った通り回復の経過は良いようだ。


「傷、痛む?」

「いえ、ときどきチクっとする程度です」

「そっか」

それ以上会話は続かず、静かな時間だけが過ぎていく。
ベッドに腰掛けて天井をじっと見ていた。
志摩子は志摩子で、静寂を味わうようにそっと目を閉じている。
触れそうで触れない手と手があった。

「歩けるようになったら、お待ちかねの退院だね…」

沈黙を破り、聖が呟く。
何気なく吐いたその言葉にはいろいろな想いが込められていた。

志摩子の傷が癒えていくのは嬉しい。
まるで自分のことのように思われた。
だがその反面、少し寂しくもある。

志摩子は患者だ。
いずれはこの病院から去っていく。
退院したら、リハビリにはたまに来るかもしれないが、そこに自分は居ないのだろう。
もう会えなくなる。

最初は栞と重ねて志摩子を見ていた。
だが、夜会うようになって、話すようになって。
志摩子と栞は違うのだと感じ始めた。
それから“志摩子”として彼女を知りたくなって――。


ああ、私はこの空間が好きなのか。

聖は思った。

自分はこの空間が、志摩子の居る空間が好きなのだ。
隣から伝わるこの感じ。
言葉などなくてもいい。
一緒に居るだけで温かいものに包まれる。
志摩子と過ごす時間が好きだ。
志摩子が好きだ。
気付いてしまった。
一番恐れていた自分の気持ちに触れてしまった。


「今日はもう帰るよ…おやすみ」

「…おやすみなさい」


それに気付いてからは志摩子の顔をまともに見れなかった。
医者と患者。
ましてや同性にこんな感情を持ってしまうなんて。
志摩子が知れば私を軽蔑するに違いない。
そんな目で見られるのだけは絶対に嫌だった。


そしてこの日を境に、志摩子の部屋に行く回数が減った。
いや、意図的に減らした。
行くのは朝と夕方の回診のみ。
夜2人で会おうとするのをやめた。


もう一度2人で会えば、何かが変わりそうで怖かった。




―・―・―・―・―・―・―




最近あの人は私の部屋を訪れなくなった。
私は何かしてしまっただろうか。
何か怒らせるようなことを言っただろうか。

「先生……」

いつも見回りと見回りの間にやって来ては、ここで他愛のない話を繰り返した。
その時間がどれだけ好きだったのか。
いつから意識していたのか分からないが、私はあの人が来るのを楽しみにして待つようになっていた。

手に入れてしまえば失うのが怖い。
もう一度あの人に近づけば、どうなるのだろう。
私は再び幸せな時間を得ることができるのだろうか。
それとももう二度とそんな時間は訪れないのか。
何かをこんなに欲しいと願ったのは、これが初めてだった。
だからと言ってどうすることもできず、会えない日々は積み重なっていく。

「藤堂さん、最近元気がないのは気のせいかしら?」

リハビリの途中、看護婦さんに声をかけられた。
確か名前は――

「水野、先生?」

「水野“さん”でいいわ」

そう言って蓉子はにっこり笑った。

「単刀直入に言うわ。貴方にそんな顔をさせているのは、佐藤先生?」

言葉に詰まった。
それが本当のことだったのも原因のひとつ。

もしかするとこの人は聖と志摩子が夜会っていたことを知っているのではないか。
志摩子だってそれがいけないことだとは分かっていた。
しかし分かっていながらそれを続けた。
そう望んだのは自分だ。
そしてそれによって聖に迷惑をかけることだけはしたくなかった。

「何故そう思われるのですか?」

志摩子の答えに蓉子は意外そうな顔をする。
笑顔のまま溜息をついた。

「貴方は本当に似ているわ。…栞さんじゃなくて、佐藤先生にそっくり」

「え?」

「聞きたい?」

この人が何を言っているのか分かりかねた。
しかし、聞いておく必要があるような気もする。
そして志摩子は首を縦に振った。

「はい」

先生のことが、知りたい。

蓉子は満足気に笑うと、話し始めた。


「昔、こんなことがあったの」



久保栞という女性がいた。
彼女は志摩子と同じように、夜中、事故にあってこの病院に運ばれてきた。
運び込まれたときは本当に酷い状態で。
内臓のほとんどが潰されていた。
誰もが助からないと思った。
でも聖はああ見えて割と優秀な医者だったから。
何とかドナーからの臓器や、機械類を使って栞を助けることに成功した。
栞はしばらく意識不明の状態が続いたが、手術後3日目に目を覚ました。
目が覚めて一番最初に言った言葉は『私は神の元に行けなかったのね』だったそうだ。
そのまま2、3日は普通に過ごしていた栞。
異変が起こったのは、手術5日後。
突然、栞は意識を失った。
手術は完璧に終わったはずだったのに。

その日から栞の容態は日に日に悪化していった。
原因は分からなかった。

栞はただ静かに死の瞬間を待つ。
栞は何ひとつ欲望を吐き出すことなく逝った。
今まで生かされていたことに感謝し。
魂が神のもとに行くことを嬉しそうに語り。
今までありがとうという言葉を遺して。
聖が受け持って、初めて死んだ患者だった。




「聖は、きっと栞さんを自分が殺したと思っているのだと思うの」

「そんな…」

「でも、だからこそ聖の命に対する執着が出来たのかもね。
もう死人は出さない、もう誰も殺さない。聖はそういう感情を常に背負っているのよ」

蓉子は続ける。

「初めて会ったとき、私は貴方が栞さんに似ていると思ったわ。そして聖も多分――」

「私が、栞さんに…」

「ええ、でも今は聖も貴方が栞さんではないと分かっているはずよ。
ただ貴方に踏み込めないのはそういった理由があるのだと思う。
きっとまた失うのが怖いのよ。大切なものを」

――だから嫌いになんてならないであげてね。

そう言い残して、その話は終わった。
きっとこれ以上聞いてはいけないのだろう。
蓉子もう語らなかったし、志摩子も何も聞かなかった。



リハビリを終えて、志摩子はある決断をする。


どうしても、伝えなくてはならないことがあった。

佐藤先生に、会いたい。
いや、会うのだ。




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