[通常モード] [URL送信]

 花橘(はなたちばな)

「創作工房 群青」の20013年7月の課題の漢字一文字【 風 】を
時空モノガタリのフリースペースに投稿した作品です。

この作品は、平安貴族の生活や結婚形式を調べて書きました。当時の女性の生き方について考えさせられました。


橘(たちばな)― 学名はCitrus tachibanaで、ミカン科ミカン属の常緑低木である。静岡県以西の太平洋岸と沖縄に分布する。

式子内親王(しきし(のりこ)ないしんのう )― 平安時代末期の皇女、賀茂斎院である。新三十 六歌仙、女房三十六歌仙の一人。



 【 平安用語 】

野分(のわき)― 台風の古称。
塗籠(ぬりごめ)― 寝殿造りで、周囲を厚い壁で塗りこめ、明かり取りの窓を付け 、妻戸から出入りする部屋。納戸や寝室に用いた。
右近衛少将(さこんえのしょうしょう)― 右近衛府の次官。正五位下相当。
方違(かたたが)え ― 陰陽道に基づいて平安時代以降に行われていた風習のひとつ。方忌み(かたいみ)とも言う。外出や造作、宮中の政、戦の開始などの際、その方角の吉凶を占い、その方角が悪いといったん別の方向に出かけ、目的地の方角が悪い方角にならないようにした。
内裏(ないり)― 大内裏の中の天皇の居所を中心とする御殿。
小袿(こうちき)― 公家(くげ)の女性や女官は、袿姿で日常を過ごしていた。
紫宸殿(ししんでん)― 内裏において天皇元服や立太子、節会などの儀式 が行われた正殿。
大宰大弐(だざいのだいに)― 大宰府の次官。
殿上人(てんじょうびと)― 清涼殿の殿上の間に昇ることを許された人。 三位以上と四位・五位のうち特に許された人、および六位の蔵人(くろうど)。
家刀自(いえとうじ)― 刀自(とじ)とは、日本古語では戸主(とぬし)の事をいう。日本古代において、家(戸口)は女性が主で、男性はその女性のもとを訪れる妻問婚が一般的であった。
指貫(さしぬき)― 古代から中世にかけて着用されていた男性用の袴。
裳着の儀式(もぎのぎしき)― 平安時代から安土桃山時代にかけて成人を示すものとして行われた通過儀礼である。成人した女子にはじめて裳を着せるもの。
家人(けにん)― 貴族や武士の家に代々仕える家臣。家来。
 


 (表紙はフリー素材 [ 四季の素材 十五夜 ] 様よりお借りしました。
http://ju-goya.com/)
 

     初稿 時空モノガタリ 2013年7月16日 文字数 5,860字
     カクヨム投稿(れきし脳)2017年3月16日 文字数 5,955字




    



     いにしへを花橘にまかすれば軒のしのぶに風かよふなり

                   ― 式子内親王 ―



 夜半に吹き荒れた野分(のわき)のせいで、花橘(はなたちばな)の君の屋敷では庭の草木も倒れ、屋根や塀なども吹き飛ばされてしまった。昨夜は塗籠(ぬりごめ)中で、風の音が怖ろしく震えながら一睡もできなかった花橘であったが、一夜明ければこの惨状に成す術(すべ)もない。
 こんな夜に通って来ない夫のことを恨めしく思っていた。

 右近衛少将(うこんのえしょうしょう)藤原宗憲(ふじわらのむねのり)は、父君は右大臣、母君は大納言の娘で、由緒正しき血統の嫡男(ちゃくなん)である。今は正五位下、右近衛少将とあまり官位は高くないが、いずれは右大臣の任に就くと目される、将来有望な公達(きんだち)なのである。
 花橘の君の元に通われてから、八年の歳月が経つ。
 やっと、裳着(もぎ)の儀式を済ませて、裳の腰紐を結わせ、髪上げをしたばかりの頃であった。狩りの帰り陰陽道の方違(かたたが)えで、藤原宗憲が一夜の宿を借り、この屋敷に逗留したのが縁(えにし)となり、その後、幼い女主(おんなあるじ)のことを心配して、度々訪れる内に妻のひとりに迎えたのである。
 その花橘の君も今はもう若くもないし、子もいない……この頃では、夫も宮仕えが忙しく、通われても塗籠の中で寝てばかりで袖を引いてもくれない。鼾をかいて寝ている宗憲の鼻を憎らしくて摘まんだりしたものだ。
 それなのに……侍女が出入りの商人から、内裏(ないり)近くの屋敷に若い女人を住まわせて足繁く通っているという噂を聞いた。
 花橘の君のことはもう飽きてしまったのだろうか。男は浮気な生き物ゆえ、次々と新しい獲物を追い求める習性なのだから――。
 この屋敷も花橘の君も、いずれ打ち捨てられる運命なのかも知れぬ。

 ――そうなる前に潔(いさぎよ)く身を引いて、仏門に帰依(きえ)して尼になろうと密かに心に誓っていた。
 昨夜の野分で倒壊した屋敷をみて、それはより現実味を帯びてきた。宗憲のことは恨むまいと思っても、この惨状に見舞いにも来ないことが、やはり恨めしく思える花橘の君なのだ。
 屋敷の者たちに怪我はなかったと聞いたが、この状態ではとても暮らしが立ちゆかない。建屋と庭を見渡す廊下に立って、惨憺たる想いに溜息を吐くしかない女主であった。
「姫君」
 乳母の宇木島(うきじま)がいつの間にか傍らにいた。
「昨夜の野分でこの有様じゃ……」
「まことに悲しゅうございます」
 長年住み慣れた屋敷が荒れ果てて、かなり手を入れないと住めなくなったことを宇木島は嘆いていた。はて、この屋敷を修繕する費用はどうするか? 心が冷めてきた宗憲が出してくれる筈もなかろう。
「もう、この屋敷には住めませぬ」
「さようでございましょうか」
「母君が残してくれた、屋敷があばら家同然になってしまった」
「奉公に上がってから、このお屋敷で姫君のお世話をいたして参りましたのに……」
「屋根や塀が吹き飛ばされた屋敷など、狐狸(こり)やもののけの棲み処同然じゃ……」
 花橘の言葉に乳母は小袿(こうちき)の袖で涙を拭う、あばら家になった屋敷に未練があるのだろう。――年を取って乳母も気が弱くなったと花橘の君は思った。
 



 
 花橘の君は早くに母君を亡くし、乳母の宇木島を母のように慕ってきた。
 父君は宮家の血を引く高貴な身分だと聞いていたが、誰なのか分からない。ただ、屋敷の調度品の中には宮家の紋章が入った品物が数々有り、帝(みかど)の五の宮か、六の宮ではないかと思われる。
 六の宮は母君が亡くなる前の年に没されたというので、もしやその御方ではないかと思われるが詳細は分からず仕舞いである。
 その父君が建てられたのがこの屋敷で、あまり広くはないが贅を尽くした造りであった。特に庭の草木は美しく、母君が愛でていた橘の木が此度(こたび)の野分で折れてしまった。
 平安神宮の社殿では『右近の橘、左近の桜』が祀られており、橘は高貴な木なのである。
 御所の紫宸殿(ししんでん)の右手にも橘の木が植えられている。そこの橘の苗を移植したのが、この屋敷の橘の木だと聞いている。
 五月(さつき)待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする、と古(いにしえ)より多く歌人にも詠まれた。そして、橘の木のある屋敷の女主こそが『花橘の君』の名前の由来にもなった。その橘が折れてしまったのだから、こんな荒れ果てた屋敷には未練もなくなった。

「乳母や、この荒れた屋敷は打ち捨てて、ふたりで仏門に入り先祖の御霊を弔い、念仏三昧の日々を過ごしましょう」
「姫君が出家なさるなら、この乳母もお供いたします」
「宇木島さえ、側に居てくれれば心強い」
「わたくしのお育てした姫君と一生供にする所存でございます」
 どんな事が合っても離れないのが姫君と乳母の関係である。それは主従の関係だが、赤子の頃にその乳を飲んで育ったせいか、血を分けた肉親のように――その絆は深い。
 七歳で母君を亡くし、その後は伯父君の大宰大弐(だざいのだいに)が後見人として姫君をみてくれていたが、西海道(九州)に赴任となり遠く都を離れて、いつまで経っても戻って来られない。
 花橘の君は不運な姫君だと乳母の宇木島はいつも嘆く。
 決して家柄が悪い訳ではないのに、後ろ盾がいないせいで北の方に成れなかった。今通っている近衛少将にも北の方が居られた。ところが、去年、流行り病で突然亡くなられてしまわれた。――まだ、その後釜は決まっていない様子なのだ。
 この時代は、一夫多妻制で夫が妻たちの屋敷に通ってくるのが通常だったが、『北の方』と呼ばれる妻だけは北の対屋(たいのや)に住まい、夫と共に家族と同じ屋敷で一生暮らしていくのだ。北の方は妻たちの中で最も地位が高く、家柄の良い家の娘、嫡男を産んだ妻、寵愛の深い女人などが、殿上人(てんじょうびと)の正妻『北の方』に選ばれる。――子どもを生んでいない花橘の君は不利だった。
 ……きっと、若い女君が懐妊すればその方を北の方にお選びに成られることと密かにそう思っていた。すでに諦めているので悔しいとは思わない。《いっそ、わたくしなど居らぬ方が宗憲さまはせいせいするであろう》今度、宗憲が来られたら授戒を受けて出家しますと伝えるつもりなのだ。
 わずかだが母君から受け継いだ家財がある。家刀自(いえとうじ)ゆえ、それらを処分して、侍女たちにお金を与えて暇を出し、乳母とふたりで尼になったら、残った金品はすべて寺に寄進して、そこの庵に住まわせて貰うしか仕方あるまい。
「侍女たちに使えそうな家財や調度品を集めさせましょう。明日にでも商人を呼んで値踏みして貰います」
「おや、明日に……で、ございますか?」
 急な話に乳母は狼狽していた。
「乳母や、わたくしたちはもう誰も頼りにできません。これから先は、ふたりきりで生きて行かねばならない」
「わたくしは花橘の君と供にどこまでも参ります」
 乳母はそう言いながら泣いていた。
 野分が去った庭で、ふたりの女人は尼になることを誓い合った。黒髪を落とし尼になれば、華やかな祭事や道行とも無縁になってしまう。夫に捨てられた我が身ゆえ、ひっそりと身を隠すようにして生きていくより道がない。――とはいえ、尼になれば全ての煩悩を断ち切らなければならない。夫への未練がまだ胸の奥で燻っている花橘の君は、我が身の憐れを嘆いていた。
 気丈そうに振舞ってはいたが、その言葉とうらはらに小袿の袖に涙が零れた。――無慈悲な運命を嘆き、姫君と乳母は手を取り合って泣いていた。





 ――何やら、門の辺りで人の声が騒がしい。
 屋敷の塀などが壊れて、屋敷の中が丸見えになったので、花橘の君は慌てて御簾(すみ)の奥に身を隠した。
 この時代は、高貴な身分の姫君は父親と夫以外の男性に顔を見られては拙(まず)い。
 夫となる男性とは何首か歌の遣り取りがあってから、お互いに気に入れば、男性が家に通って来る習慣だった。それでも御簾のかなたか、几帳で遮って会話をするだけで、初夜まで妻の顔を直接見ることは許されなかった。姫の容姿については、乳母や側近の女房(侍女)に取り入って、訊くしかなかったのである。
 俄かにざわめき立つ気配に、花橘の君は不安が募る。
《もしや、壊れた屋敷に物取りの夜盗が入り込んだのではあるまいか?》
 女主のこの屋敷では男手が少ない。夜盗だったとしたら、翌々不運だと嗤うしかない。――何もかも諦めて、もう自棄(やけ)になっていた。

 その時、牛の鳴き声が聴こえた。
「乳母や、牛車(ぎっしゃ)が訪れたようじゃ」
「姫君、そのようでございます」
 先駆けの知らせもなく、この混乱の中で訪問者とは……花橘の君は戸惑った。乳母が外の様子を見ようと立ち上がって、御簾を出ようとした処で男の声がした。
「なんとも酷い有様じゃ! 花橘! 花橘の君はいずこに居られる?」
 あ! あのお声は、花橘の君の顔が輝いた。
「もっと早く来たかったが、橋が壊れていて渡れないので遠回りになってしまった。遅くなって、すまぬ!」
 まさか、見舞いにも来てくれぬ薄情な夫と恨んでいたのに、野分の後の危険な道も顧みず逢いに来てくださった。
「宗憲さま!」
 御簾から指貫(さしぬき)の裾が見えた。堪らず、花橘の君は脇息を倒して立ち上がった。

「おおっ! 無事であったか」
 勢いよく御簾の奥へ入ってきた宗憲は花橘の姿を見つけると肩を抱いた。夫に力強く抱きしめられて、花橘は安堵の溜息を吐いた。
「昨夜の野分は激しく吹き荒れた。花橘のことが心配でわたしは一睡もできなかった。野分が静まったら、すぐに屋敷を出発したのだが途中まで道のりが悪く、殊のほか時間が掛かってしまった」
 ああ、宗憲さまの広い胸、こんな時の夫の存在はなんと心強いことか。
「見舞いにも来てくれないのかと……お恨み申し上げておりました」
「何を申すか、花橘の君はわたしの一番大事な妻じゃあ」
「嘘……内裏近くに若い女君を住まわせて通っておられると噂に聞きました」
「知っておったのか? あれは、そう遊び心で通ってるだけじゃ……あははっ」
 浮気がばれて、誤魔化そうとする宗憲に、
「わたしく、野分で屋敷も壊れ、夫にも捨てられてしまいそうなので……いっそ、髪を切って尼に成る所存でございました」
「なんとっ! 尼などとんでもない。そんなことをしたら、あなたと逢えなくなるではないかっ。ならば、このわたしも出家して僧になろう」
「まあ、そんなお戯れを……」
 夫の言葉に花橘の君はくすくす笑った。
「こんな壊れた屋敷は物騒じゃ、いつ夜盗に狙われんとも限らん。花橘の君を、ここに置いてはおけね。わたしの屋敷に連れて帰るぞ!」
「えっ!?」
 その言葉に乳母とふたりで驚きの声を上げた。
「宗憲さまのお屋敷でございますか?」
 乳母の宇木島が確かめるように聞き返した。
「そうじゃ! 北の対屋が空いておる」
「そ、それって……」
 俄かに、信じがたい言葉に茫然としてしまうほどだった。
 夫の屋敷の北の対屋に住むことは『北の方』に迎えられるということなのである。





「宗憲さま、わたくしには子どもがおりませぬ。それでも北の方にしてくださるのでございますか?」
「わたしにはすでに七人の若君、姫君が居る。もうこれ以上、子どもは要らぬ。それよりも花橘の君が側にいてくれた方が心が安らぎ、仕事にも身が入るのだ。裳着の儀式を済ませたばかりの少女だった、あなたにひと目惚れして妻にしたくらいだ。ずっと愛でていたが、北の方にすることができず心苦しく思っておったが……。先の北の方が亡くなった時に、花橘の君を北の方にすることを、すでにわたしの心の中で決めていたのだ。ただ、喪が明けるのを待っていたが、此度の野分で時期が早まっただけのことじゃ」
 いつも塗籠の中で寝てばかりいたのは、心を許している証拠であったのか。それだけ夫婦の深い縁(えにし)を結ばれているからこそ――。
 夫の不義理を恨み、尼になろうと思っていた、己(おのれ)の浅はかさを花橘の君は心底恥じた。

「牛車は三輌(さんりょう)連れて参った。わたしと花橘は夫婦ゆえ同じ牛車に乗ればよい。乳母と側近の女房たちは残りの牛車に乗って、後の者は徒歩でついて参れ。身の回りの物だけ持ってゆけば良い、また後で家人(けにん)に取りに来させるゆえ、夜盗どもに押し込まれる前に、ここを非難するのじゃ」
 頼もしきかな、近衛少将の宗憲がてきぱきと采配を振るう。そんな夫の姿に花橘の君は思わず見惚れる。
 先ほどまで一緒に泣いていた乳母も嬉々として、侍女たちに荷物を纏めるように指図をしている――倒壊した屋敷の中に活気が戻ってきた。
 右大臣家の嫡男宗憲の住む屋敷は立派な神殿造りだと聞いている。明日から、そのような処に住むことに成るとは夢のようである。

「皆の者、支度は良いか? 参るぞっ!」
 乳房たちの支度も整ったようなので、いよいよ出発することになった。
「花橘や、我が屋敷に参ろうぞ」
 宗憲が優しく花橘の君の袖を引いた。野分で板が抜けた廊下を渡る時には、夫が手を差し伸べてくれた。その手の温かさに思わず涙ぐむ……。ふいに袴の裾を踏まれたような気がして振り返ると、その視線の先に橘の木が入った。《ああ! この木は……》大事な忘れ物をするところだった。
「宗憲さま、橘を! 橘の木を持って参りたく存じます」
「折れているが……」
「母君の形見の橘の木でございます。どうか……」
 訴えるような花橘の目に、優しく微笑むと、
「根が残っていれば、いずれ芽吹くであろう!」
 すぐに家人に命じて、橘の木を掘り起こして、荷車に乗せて宗憲の屋敷へと運ばれた。そして、北の対屋の庭に植えられた。

 数年後、右大臣になった藤原宗憲の屋敷で橘の木が立派に育っていた。
 北の対屋に住まう花橘の君は小さな姫君を連れている。北の方になった、翌年に念願の赤子を産んだのだ。乳母の宇木島も年老いたが、幼い姫君の成長を楽しみにして暮らしている。
 ――思えば、あの野分のせいで屋敷は壊れ、乳母とふたりで尼になることを誓ったが、運命は逆転して、《災い転じて福と為す》花橘の君に運が向いてきたのだ。
 青々と繁った橘の木に可憐な白い花が咲いている。その爽やかな香りに、いっそう幸せな想いが満ちてくる。この木には亡き母君の御霊が宿っているのだと、そう花橘の君は思うようになった。――きっと、わたくしたちを幸せに導いてくれているのだ。
《有難いことだ》と、橘の木に向ってそっと掌を合わせた。
 幼い姫君が橘の花を手折って、短い御髪に差して朗らかに笑う。若橘姫の、その愛らしい姿に右大臣とその北の方が目を細めて見ている。晴れやかな、皐月(さつき)の風に庭の橘の枝がたおやかになびく。
 今では、花橘の君は幸運な姫君だと宇木島は自慢げにいうようになった――。


― 完 ―





                         


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[管理]

無料HPエムペ!