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 アクアミュージアム 


時空モノガタリに書いた「最後のデート」を加筆した作品です。
スキップ現詩人の会、同人誌「Season 3」にも掲載しました。


(表紙は無料フリー素材からお借りしています)


     初稿 時空モノガタリ 2012年6月頃 文字数 2,615字
     カクヨム投稿(れんあい脳) 2016年12月22日 文字数 3,490字









 車の中に男を待たせて、私ひとりで水族館にきている。
 ここは港に近い水族館で休日ともなるとカップルが多いのだが、今日は平日なので館内はまばらにしか人がいない。
 初めてのデートはこの水族館だった――。ふたりで手を繋いで、薄暗い回廊のような巨大な水槽をグルグル回りながら降りていった。底の方になると不気味な魚たちが沈んでいた。光の届かない海底で気配を殺し、獲物が来るのをじっと待っているのだろうか。
 深海に潜む魚の暗い眼と合った時、自分の中で何かが共鳴し合った。

 突然、男に別れ話をされた。
 ふたりは同棲して半年になるが、男は最初から私のお金をアテにして働かなかった。男と暮らすまでは少しばかり貯蓄があったのだが、贅沢好きの男のせいで私の貯金は瞬く間に底を尽きた。方々で借金をしたが、まだまだ足りない……私は風俗で働くことにした。
 男とは絶対に別れたくなかった。そのためなら身体を売ることくらい、どうってことなかった。――愛という名の執着が私を縛る。
 最近、男に新しい女がいることを薄々感じていた。外出から帰った男の服には、私のものではない香水の匂いがしみ込んでいる。男の携帯には頻繁にメールがくるし、外泊することも度々あった。

 いつもより仕事から早く帰ったら、男が荷物をまとめている最中だった。
 何をしているの? 私の問いに「この部屋から出て行く。もうお別れだ」こともなげに男がそう告げた。
 そんなの嘘でしょう? 別れたくないので……私は必死で止めようとしたが、男は「おまえとは別れる」の、一点張りで、次々と自分の荷物をダンボールに詰めてガムテープを貼っていく。
 私の部屋にある男の荷物は洋服ばかりだった。お洒落な男はいつも最新ファッションでビシッと決めている。だから一緒に街を歩くと同性たちの羨望の視線を感じる。
「ねぇー、あたしのどこが嫌いになったの?」
 その言葉にフンと鼻を鳴らし、冷たい一瞥を男がくれた。
「あたしの悪いとこを教えて! きっとなおすから……」
 そういって、男に追い縋った。
「うるせえー! おまえのシツコイとこが大嫌いなんだ!」
「別れたくないよ! 出ていかないで……」
「離せよ! おまえには厭き厭きしてるんだ!」
 男は足で私の身体を容赦なく蹴った。それでも足にしがみ付いて離さなかったら、振り向いて拳骨で私の顔を殴った。口の中で血の味がした。
 殴られた衝撃で男の身体を離してしまったら、玄関の方へ足早に去っていく男の背中が見えた。お願いだから「ああ、いかないで!」心の中で叫んだ。
 元々、縛ることのできない男だと分かっていたのに……。だけど、この男のために何もかも犠牲にしてきた。絶対に別れたくない――。
 別れるくらいなら、いっそ……いっそ……その時、私の手がベッドの下のある物に触れた。
“ 鉄アレイ ”いつも男が筋トレに使っていたものだ。
 ドアノブを握って、今まさに出ていこうとする男の後ろ頭を鉄アレイで殴りつけた。ギャッと叫んで男は頭を抱えて倒れ込んだ。その上に馬乗りになって、なおも頭部を鉄アレイで執拗に打ちつづけた。

 男は二十三歳で大学生だといっていた。
 しかし学校にはいかず、働きもせず、女に食べさせて貰っているジゴロ気取りの男だった。私は二十八歳で離婚歴があり、昼間は小さな不動産会社で事務員をしているが、夜は暇だったのでカラオケ店で週に三日バイトをしていた。男はそこの常連客でいつも違う女を連れて来店していた。
 男の部屋の前を通るといつも上手い歌が聴こえた。高校からバンドをやっていたという彼はプロ並みの歌唱力だった。――その歌声に、最初に惚れたことは確かだ。
 ある深夜、男のカラオケルームから呼び出しの電話があった。連れの女がゲロを吐いたので片付けてくれという。チッと舌打ちをしながら、私はバケツと新聞紙と雑巾をもって部屋に向かった。

 ソファーに肥った中年女がダウンしていた。イビキをかいた豚みたいおばさんだった。床に吐瀉物が広がって、酒臭い、息を詰めながら掃除をした。
 終わったら男が、
「悪いなあー、これで清算してくれ……」
 そういいながら、中年女の財布から万札の束を抜いて、その一枚を渡した。迷惑かけたからチップだと、もう一枚私の手に万札を握らせた。残りの万札は自分のポケットに捻じ込んだ。ダウンした女を見捨て、男はひとりでさっさっと帰っていった。
 後ほど、男に聞いた話ではネットの出会い系サイトで知り合った中年女性を相手に小遣いを稼いでいるそうだ。旦那に相手にされなくなった妻たちのセフレになって、お金を貢がせるのが男の本業みたいなものだった。
 ネットで知り合いリアルで会ってみて、あんまりブスだと抱くのが嫌だから、アルコール度の高い酒を飲ませて、ダウンしたら逃げるのだといっていた。
 ――たぶん、あの時もそうだったのだろう。

 中年女の財布から現金を抜いて、チップを貰った私も共犯者なのか? 
 そんなことが切欠で男と喋るようになった。地味で目立たない私に目を付けたのは、離婚の慰謝料など小金を貯めていることを知ったからだろう。たぶん他の店員から、私の噂をいろいろ訊いていたのかもしれない。

 二十五歳の時に、働いていた和菓子店の経営者の息子と結婚した。
 デパートや結婚式場などに和菓子を卸し、スイーツカフェなども手広くやっている老舗だった。私がよく働くので社長の奥さんに気に入られて、後継ぎのひとり息子と結婚してくれないかと勧められた。大人しそうなお坊ちゃんタイプに見えたし、将来は店の経営も任せて貰えそうだったので結婚を承諾した。
 だが一緒に暮らしてみたら、とんでもないマザコンで女癖も悪かった。
 結婚して半年ほどで、夫は外泊ばかりして家に帰ってこなくなった、その内、女がいることはわかったが、その相手はスイーツカフェのアルバイトの女子大生で、なんと妊娠までしていた。
 別れる、別れないと……散々もめたが、結局、初孫の顔を見たがった社長の奥さんに、息子と離婚してくれと懇願された。周囲から玉の輿だといわれたが、たった一年で私の結婚生活は終ってしまった。
「結婚して一年やそこらで、夫に浮気をされるなんて……女として、あなたに魅力がなかったってことよ」
 慰謝料の小切手を渡しながら、姑である社長の奥さんにそう言われた。
 夫が浮気したのは私のせいだというのか? 女としての魅力がない……その言葉が心に突き刺さった。
 離婚の慰謝料は一年そこらの結婚生活の割にはかなり高額だった。たぶん二、三年は働かなくてもやっていけそうだ。その金額の中には謝罪の気持ちというか、私に対する憐れみが込められているかもしれない。夫に捨てられた私は惨めな女だった――。

 離婚で男はもう懲り懲りだったが、この男の誘惑だけは断れなかった。二、三度デートをしてラブホにいったら、ほどなく私のマンションに転がり込んできた。
 男は生まれながらのジゴロだった。
 イケメンで甘え上手、男にねだられると断れない……。笑うと少年みたいだが、ベッドでは雄だった。もうメロメロになってしまった。
 男に入れ上げて散財をした私は貯金をすべて使い果たし、カードローンなど借金まみれになった。それで男が風俗を紹介してきた。別れたくないので男の言い成りにした――ジゴロは金のない女には興味がないから。
 
「あんたが悪いんや……。別れるなんて言うから……」
 血まみれになって絶命している男を抱きしめて私は泣いた――涙が枯れるまで泣いた。
 泣き終えると、男を引きずって風呂場に連れていき、血だらけの顔をきれいに洗って、陥没した頭蓋骨が見えないように彼のお気に入りの帽子を被せた。パリッとした服に着替えさせると(うん。素敵だよ。あんたはあたしだけのイケメンなんだから……)冷たい唇にキスをした。
 きれいに化粧をして、最高にオシャレをして、私も出かける準備をすると――。
「さあ、いこうか。最後のデートに……」
 マンションの一階の私の部屋の前に車をピタッと横付けして、男を玄関から引き摺るようにして、車の助手席に座らせた。シートベルトを付け、深く帽子を被らせて顔が見えないようにしたら、ただの居眠り中の男にしか見えないだろう。
「あんたと初めてデートした水族館へいくよ」
 助手席の死体に声をかけて、車を静かに発進させた。
 もう誰にも盗られたくない! 命を奪ったのだから、死んだ男は“ 私だけの男 ”になったのだ。
 ああ、愛しい男よ。
 別れるくらいなら、私の中のアクアミュージアムに永遠に閉じ込めてあげる。そう、私の愛は深海のように深い――。
 
 これが最後のデートだよ。水族館を出たら車で海にダイブしよう。

                  
               
― 終わり ―









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