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 不思議巫女 響子 


この作品は震災のあった年に書きました。
「がんばろう! 日本」と言うことで「創作工房 群青」では
被災者の皆さんを励ますような作品を集めました。
その時に書いたのがこの作品です。

こんな不思議な巫女さんがいれば、きっと多くの人命が救われたでしょうね。


表紙は[glitter-graphics.com]様よりお借りしています。

写真は伏見稲荷大社行ってきたから淡々と 画像うp - http://uhawwwsoku.net/archives/31480907.html


     初稿 novelist 2011年5月頃 文字数 5,210字
     カクヨム投稿(ふしぎ脳) 2017年1月3日 文字数 5,423字









 2011年3月11日14時46分18秒、日本に未曾有の地震が襲った。
 三陸沖を震源地とする深さ約24km、マグニチュード9.0、観測史上世界第4位の巨大地震となった。
それが『東北地方太平洋沖地震』である。

 地震に寄る被害は本震および余震による建造物の倒壊・地すべり・液状化現象・地盤沈下などの直接的な被害のほかに、津波や火災などに寄って多くの人命が失われた。
 その上、福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質漏れや大規模停電などが発生し、東北地方を中心とした甚大な一次被害のみならず、日本全国および世界中に経済的な二次被害が広がっている。

 地震の直後、三陸沖で起こった津波では市町村ごと建物も歴史も生活など、そこに暮らしていた何万人もの人々の命を、海は……いきなり牙を剥いて、すべてを呑み込んで奪い去ってしまった。
 これも地震国日本の宿命なのか? この惨状に日本中が悲しみの涙を流した。





 2011年4月11日の未明。
 地震被災地の避難所である体育館の中で、いきなり赤ん坊の泣き声が響き渡った。
 体育館の片隅に白い毛布に包まれて赤ん坊がぽつんと寝かされていたのだ。周りには母親らしき人物は居らず、産まれたばかりの赤ん坊だけが置き去りにされていた。
 周りの大人やボランティアの人たちが赤ん坊の母親を捜したが、結局、誰も名乗りでる者がいなかったので、その赤ん坊は避難所で産まれた孤児として児童養護施設で育てられることになった。

 赤ん坊の名前は、轟 響子(とどろき きょうこ)と名付けられた。
 その名前を付けた施設の職員は「どうしてもその名前が頭から離れなくて……気がついたら命名していた」と首を傾げながら答えた。
 響子は肌が雪のように白く、真っ黒な髪と黒眼が大きく利発そうな目をしていた。いつも長いおかっぱ頭をしていて、まるで市松人形のように愛らしい女の子である。
 だが、響子は三歳になってもしゃべらなかった。
 ちゃんと耳は聴こえているし、こちらのしゃべってる意味も分かるようで、難聴でも知的障害でもないのに、滅多に響子は口を利かない子どもだった。

 それでも不思議なことに「お腹が空いた」「眠い」「おしっこ」など、響子の要求は傍にいる者にはなぜか分かるのだ。――直接、頭の中にそれらの要求が聴こえてきて、事が足りてしまう。

 こんな変わった響子だけど、児童養護施設から小学校に通うようになっても、悪童たちに虐められることはなかった。
 どうしようもないような悪ガキでさえ、響子の前では子羊のように大人しく……むしろ響子に危害を加えようとする者がいたならば、悪鬼のようになって響子を守ろうとするほどであった。
 悪童たちは口を揃えていう、「響子ちゃんの傍に居たら、心がほんわかして、とても幸せな気分になれる」なぜか、特別なオーラを響子は放っているのかもしれない。

 ――そうそう、大事なことを言い忘れた。
 実は響子には、もっと変った不思議な能力があったのです。滅多に口を利かない響子だが、この時だけは、寝ていても、ご飯を食べていても、どんな時も大声で叫ぶ。

「きたー!」

 響子がひと言、そう叫んだら、その後10分以内に震度4以上の地震が起きるのだ。
 その命中率は百発百中で、知っている者たちは響子が「きたー!」と叫ぶと、すぐさま避難を始めるのです。
 これは響子にだけ与えられた不思議な能力でした。

 響子が七歳の時、児童養護施設にお金持ちの老夫婦がボランティアに訪れました。
 この老夫婦は、ひとり娘とその家族を『東北地方太平洋沖地震』で亡くしてしまい、毎日悲しみに暮れていましたが、震災で親を亡くした子どもたちを支援することで悲しみを紛らわせようと、震災孤児の居る施設をまわって、子どもたちひとりひとりにプレゼントを手渡しています。
 そして響子の順番がきて、お人形を渡そうとした老婦人が……突然、大声で泣き出したのです。愛おしそうに響子を抱きしめて、亡くなった娘の名前を叫んでいます。
 そんな妻を見てなだめていた老紳士も、いつの間にか妻と一緒に響子の前に平伏して泣いているではないか。
 周りの人たちは驚いて茫然と見ていましたが、響子だけが微笑んでいました。

 やっと、落ち着いた老夫婦は是非とも、響子を養子にしたいと施設長に申し出た。当然、経済的にも社会的にも立派な、この夫婦に響子は引き取られることになった。
 後ほど、あの時、老夫婦に何が起きたのかと訊いたところ……いきなり、頭の中に亡くなった娘の映像が流れ込んできて、娘が「わたしの魂は響子ちゃんの中に居ます。だから、お父さんやお母さんの元に連れて帰ってください」と話しかけてきたというのです。
 その頭の中の映像では娘が震災にあって亡くなる瞬間までをずーっと写していたという、しかも夫婦揃って同じシーンを観たというから、なんとも不思議な話ではありませんか。

 そして響子は金持ちの老夫婦に連れられて、京都で暮らすことになりました。
 なぜ京都かというと『京の都』は古(いにしえ)より、東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武、四方向の守り神である四神に守られています。
 平安の昔に陰陽師たちに依って、強い結界が張られているという言い伝えがあります。そのため戦争の爆撃や自然災害にも強いのです。
 嵯峨野(さがの)にある屋敷では、留守が多い老夫婦の代わりに響子は使用人たちと暮らしていました。相変わらず、口は利きませんが、何も不自由はありません。
 すべて頭の中に話かけてくるので、周りの者たちは響子に仕えて、下僕(しもべ)のように働きます。

 義務教育を中学で終えた響子は上の学校にはいかないで、嵯峨野の屋敷で家庭教師たちに勉強を教えて貰っていました。とても聡明な響子は教えたことは一回で完璧に覚えてしまいます。
 家で勉強していたら響子のペースで進むので、わずか一年で大学院修了課程の学力を身に付けたのです。英語やフランス語やラテン語、中国語だってスラスラ読み書きできます。
 その知能の高さに「もう、何も教えることがなくなった……」と家庭教師たちは舌を巻いて、次々と辞めていきました。

 その内、響子は京都中の古いお寺や神社などへ足繁くまわるようになります。
 書庫に保存されている古文書や古い巻物などを見せて貰っているのです。普通なら絶対に断わられそうな厳格な寺社仏閣でも響子が頼むと、《何もしゃべらないのに……》門外不出の古文書を簡単に見せてくれます。
 そのまま寺に籠もって、何日も響子は古文書を紐解いているようでした。

 響子は金持ちの老夫婦に頼んで、鞍間山(くらまやま)の奥で今は使われていない古い神社を買い取ました。
 そこに移り住んで自ら霊能力者として修業に入ったのです。
 滝にうたれ、禊をして、白い着物に緋色の袴をはいた巫女姿の響子。長いおかっぱ頭には日に日に霊力が高まってきて……不思議なオーラで輝いて見えます。
 神社の名前は『轟神社(とどろきじんじゃ)』御神体はもちろん響子自身である。
 やがて、この神社に全国から十五歳から十七歳くらいの少女たちが次々と訪ねて来ます。どの子もとても美しく凛とした佇まいの少女たちです。
 彼女たちは夢の中に響子が現れて「是非、あなたの力を貸して欲しいの、わたしの元に来てください」と誘われたというのです。そして旅費が送られてきて、行ったこともない所なのに、まるで響子に導かれるように鞍間の山奥までひとりでやってきました。





 ――全国から集まってきた少女たちは七人でした。
 彼女たちは、生まれつき強い霊力の持ち主たちで、『轟神社』の少女巫女になりました。

 しかし未成年の子どもたちがある日突然家出したのだから、その親もマスコミも世間だって黙っていません。
連日、子どもの親たちが『轟神社』へ押しかけてきます。
 警察を伴ってくる親もいて周囲は騒然となりました。どの親たちも「娘を返せー!」「この人さらいー!」と、もの凄い剣幕で怒鳴り込みますが、響子と会って、ひと言ふた言しゃべると……急に大人しくなって、終いには「どうか、娘をよろしくお願いします」と深々と礼をして、響子に感謝しながら帰って行きました。
 その豹変ぶりに、響子と直接会えないマスコミ関係者たちは驚いて、いろいろな憶測が飛び交っていたのです。連日、木の上から『轟神社』の中を盗撮するカメラマンもいて、中から出てきた少女巫女を捕まえて、しつこくインタビューをする記者もいます。テレビ局の車に無理やり押し込まれて、根掘り葉掘り様子を聴きたがるレポーターまでいて、とても修業どころではありません。
 もちろん、少女巫女たちは黙して何も語りませんが……。

 こういう事件が続いて、さすがに響子も怒りました。
 少女巫女たちを集め、全員で円陣を組むと、その中央で響子は両手をあわせて八指まで掌中に入れ、残る二指をつき合わせて、九字結印で呪文を唱えた。「臨兵闘者皆陳烈在前」と唱えながら、四縦五横に切る。すると俄かに暗雲が立ち込め、まるで墨を流したように、空が真っ暗になったのです。
 その瞬間『轟神社』には、強い結界が張られました。
 邪心を持った者には『轟神社』は見えないし、どんなに探しても見つかりません。急に視界から消えた『轟神社』を探すために、マスコミ関係者たちはGPS機能をつかったりして、上空からヘリコプターで探索しても『轟神社』は見つからなかったのです。
 しかしながら、邪心のない者や響子に用事で訪れる人々には、ちゃんと『轟神社』が見えて、その場所に行けるのだからとっても不思議、不思議!

 そして『轟神社』では、響子の元で少女巫女たちは修業を始めました。
 どんな修業をしているのかは、誰も入れないので謎のままですが、やがて五月蠅(うるさ)いマスコミの連中も取材が出来ないので、とうとう『轟神社』のことは諦めてしまったようです。
 やがて『轟神社』と響子たちのことは、世間から忘れ去られていきました。





 ――数年後のある日。
 地方都市のある地域で、いきなりテレビやラジオの電源が一斉につきました。電源をOFFにしていたテレビまで勝手に映ったのです。
 テレビの画面には美しい巫女が映っていました。彼女の背後には七人の巫女が傅いています。

「OOO地方の皆さん、今から三時間後に震度8の地震がきます。海岸部では大きな津波が発生します。貴重品やペットを連れて、高台や避難所に緊急避難してください!」

 テレビを見ていた者は驚いた。彼女たちは一時マスコミで騒がれていた『轟神社』の巫女たちではないか。
 地震がくるって……本当だろうか?

「これは『轟神社』からのお告げです。三時間後に必ずOOO地方に震度8の地震がきます。今すぐ避難の準備をして安全な場所へ逃げてください!」

 そう繰り返して言うとテレビは勝手にプツンと切れた。電源がONだったテレビも切れてしまった。――その地域の住民は悩んだ。
 嘘か、本当か? この放送を信じてもいいのだろうか? 各市町村に問い合わせの電話が殺到したが、担当者は対応しきれない。
 その内の何パーセントかの人々はテレビに映った、不思議な巫女の言葉を信じて「地震が来なくても、ダメ元でもいいから……」と避難を始めた。
 あの未曾有の大地震『東北地方太平洋沖地震』がまだ記憶に新しく、あの惨劇を皆は覚えていたからだ。

 果して、ピッタリ三時間後にOOO地方に震度8の大地震がきた。海岸部では大きな津波も起こった。
 本来なら甚大な被害をもたらすレベルの地震だったが、あの放送を見た、かなりの人々が事前に避難していたので、建造物の倒壊や津波の規模の割には、死亡者は非常に少なかったのである。
 家や建物が壊れても、命さえあればまたやり直せる。人々は助かったことを感謝して、復興に向けてまた頑張ろうと誓い合った。

 地震予知放送を流した『轟神社』が再び日本中の脚光を浴びた。
 響子たち『轟神社』の巫女たちは厳しい修業で、より霊力を高めて、地震を段々と早い段階で予知出来るようになっていたのである。
『響子の巫女人形』は地震のお守りとして大ヒット、巷では飛ぶように売れた。響子と七人の巫女たちは『巫女レンジャー』と子どもたちに呼ばれて、憧れのヒーローになった。
 これら巫女グッズの肖像権やパテント料はすべて被災地の復興支援金にまわされた。

 その後も震度6以上の地震が起きる度に『轟神社』のお告げ放送が、その地域で流されるようになった。
 人々は響子のお告げを信じて、速やかに避難するようになって、地震による死亡者の人数が激減したのだ。

「これも響子さまのお陰だ! ありがたや『轟神社』のお告げ!」

 ――遂に響子は地震国日本の守り神となった。





 果して、この響子という人物は何者なのでしょうか?
 考えるに「東北地方太平洋沖地震」では多くの家が倒壊したり、津波で流されましたが、あれらの家には人やペット以外、誰も住んでいないと……皆さんはお思いですか?

 東北地方の古い屋敷には、昔から棲みついていますよね。
 おかっぱ頭の可愛らしい子どもが、そう名前は『座敷わらし』という妖怪が――。
 皆さんは気付いていないでしょう?
 実は彼女たちも地震で家を失って、棲むところをなくしまった、立派な被災者なんですよ。

 その座敷わらしたちの霊力が結集して生まれ変ったのが、響子だったのです。

『轟神社』に棲みついた、最強の座敷わらし響子。
 彼女と少女巫女七人は、地震から日本を守るために、今日も厳しい修業をしています。

 がんばろう! 日本


― 完 ―



                


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