[携帯モード] [URL送信]





   第六章 計画

 まだ夜が明け切らない時刻に、父の慎一が帰ってきた。
 たぶん、どこかで酔い潰れていたのだろう。父は徹に脅迫状を書くように命じた、具体的な人質と金銭の受け渡し方法である。
 長い文章だったが、父のしゃべる言葉をそのまま聴いてノートに書き写していく。

 ……計画はこうだ。
 今夜九時に駅構内のコインロッカーに三千万円の入った鞄を預けること。
 その後、公園の電話ボックスの電話帳の間にコインロッカーの鍵をはさんで、その場から立ち去ること。
 その鍵でコインロッカーを開け、鞄の現金を確認したらコインロッカーの中に人質の居場所を書いた紙を入れて置く。
 もし警察に連絡したり怪しい行動を取ったら、娘の命はないと思え!

「娘の命はないと思えって……?」
 最後の言葉に驚いて徹は訊き返した。
「まさか、父ちゃん! その子をやっちゃうんじゃないだろうな?」
 真剣な顔で父に問う。
「人殺しなんかしねぇーよ、金さえ貰えればいいんだ、娘は殺さない……」
 殺すという言葉に徹は背中に冷たいものを感じた。
 嫌だ! 可奈子は死なせない! 絶対に俺が守ってやる! 心の中で叫んだ。
「そんな度胸は俺にはないさ……」
 今日は珍しく素面の慎一だった、酒さえ飲まなければ父はいたって小心者なのだ。

 今夜の計画実行まで姿を消すので、逃げないように娘をちゃんと見張っておけと徹に言い残して父は姿をくらました。早朝、徹は命じられたように佐伯家に二通目の脅迫状を届けに行った。
 ポストに手紙を投げ込み、塀の隙間から中をうかがった。きっと、この家の中では誘拐された娘を心配して、一睡もしないで朝を迎えた両親がいるんだろうなあ?
 父のやったこととはいえ、徹は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。犬小屋に入れられているのか? 二匹の番犬に、今朝は吠えられなかった。
 この静けさが、みょうには不気味なんだと……徹には思えてきた。

 その足でコンビニへ寄った。
 珍しいことに、わずかだが父がお金を置いていってくれたのだ。食料品とお菓子を買う、可奈子が喜びそうだとチョコレートも買った。
 急いで廃屋に帰り、押入れに隠していた可奈子を出してやる。人質の可奈子は手と足をヒモで縛って、口にガムテープをして押入れに隠して置くようにと、父から厳しく言われていたのだ。
「ごめん……痛くなかったか?」
 ヒモをほどきながら徹は謝った、本当はこんな手荒なことはしたくない。
「ううん……」
 自分で口のガムテープをピリピリ剥がしながら、可奈子が返事する。
「腹減っただろう? 飯作るから……」
 昨日、誘拐されてから可奈子は食事を与えられていない。
「それまで、これ食べてなよ」
 買ってきたチョコレートを可奈子に手渡した。
「ありがとう! 可奈子チョコレート大好きなの!」
 美味しそうにチョコレートをほおばった。
 そんな可奈子を見て、絶対に無事に家に帰してやるからと、徹は心の中で強く誓った。



   第七章 願い

 カセットボンベでお湯を沸かし、カップ麺を作って可奈子とふたりで食べた。
 カップ麺を食べるのは、生まれて初めてだという可奈子は、「美味しい、美味しい」と喜んで食べていた。誘拐されて人質になっているくせに、のん気な可奈子が徹には不思議でならない。
 たぶん、この子は苦しんだり悲しんだり絶望することなく育ってきたのだろう。
 だから、本当に怖いということをまだ知らない。俺らとはまったく違う世界の人間なんだ、可奈子は温室育ちの花だから――。

「ねぇ、トオルくんは神様を信じる?」
 ふいに可奈子が そんなことを訊いてきた。
「信じない!」
 即座に徹はそう答えた。
「どうして?」
 悲しそうな瞳で可奈子が問う。
「だって……神様なんか見たことないし、俺は助けて貰ったことない」
「そうなの? でもね、気づいていないだけで神様はちゃんとトオルくんのことを見てるのよ」
「んなことあるか! だったら、どうして母ちゃんと妹に会わせてくれないんだ。神様は俺にだけイジワルだ!」
「……たぶん、それは神様が与えた試練なのよ」
「しれん? 試練ってなんだよ。やっぱりイジメじゃんか」
 やり場のない怒りを徹は可奈子にぶつけた。
 今こうして、誘拐されている可奈子の方がよっぽど厳しい試練だと気づきもしないで……。

 今夜九時に駅の構内で待っているように父に言われている。首尾よく身代金を受け取ったら、その足で逃げる手筈だ。
「俺、もう行かないといけないから……」
 父に言われた通り、可奈子の手をヒモで縛りながら言う。
「もうすぐ、可奈子のお父さんとお母さんが迎えにくるから……」
「…………」
「もう少しだけ我慢してくれよ」
「うん……」
 悲しい顔で可奈子が頷く、徹にされるがままに大人しく従っている。
 足も縛ろうとヒモをかけたが……もしも、何かあったら可奈子が自力で逃げ出せるように足をホモで縛るのは止めておいた。
「可奈子、ごめんな……」
 最後に口をガムテープで塞いだ。
 今にも泣き出しそうに、何度も目を瞬いていた。そんな可奈子の顔を見るのが切なくて……。徹は目を逸らした。

 ふと、ダンボールに並べた四つ葉のクローバーに目をやった。それは放課後、徹が原っぱで見つけた四つ葉のクローバーである。
「これを……」
 そのひとつを摘んで可奈子に見せた。
「四つ葉のクローバーに願いをかけると叶うんだ。」
 徹はじっと目を閉じて、心の中で願い事を唱えた。
 神様は信じないと自分でいっておきながら、やはり何かに縋らないと不安でしかたなかった。
「可奈子が無事に家に帰れるように願いをかけたから、絶対に大丈夫!」
 紙に包んで可奈子の服のポケットに入れた。押入れを閉めるとき、濡れた瞳で徹をじっと見つめていた。

「さよなら、可奈子」
 今日で可奈子は家に帰れるんだ、良かったと思う反面、もう一生、可奈子と会うことは無いだろうという寂しさが、徹の胸を震えさせた。
 普通なら出会うこともない、徹と可奈子だが……誘拐された少女と犯人の子供いう、稀有の運命がふたりを引き合せた。
 そして、ふたりの心にはいつしか“強い絆”が生まれていた。



   第八章 火事

 駅の構内で徹は父を待っていた。
「父ちゃんどうしたんだ……」
 九時はとっくに過ぎているのに、慎一はいつまで経っても姿を現さない。
「計画失敗したんだろうか?」
 不安で徹は落ち着かない、それよりも心配なのが可奈子のことである。
 無事に両親の元に帰れたのだろうか? 心配で居ても立ってもいられなくて……。徹は可奈子の様子を見るために、こっそり廃屋に帰ることにした。

 廃屋の周りの有刺鉄線を抜けて敷地に入ると、なぜか人の気配がしていた。
「あれれ、父ちゃんが帰ってきてるんか?」
 割れた窓ガラスから中に入ると、つんと鼻を刺す臭いがする。
「なんだ、このニオイは……?」
 部屋に入ると父がペットボトルに入った液体を部屋中に撒いていた。つんと鼻を刺すようなその異臭は、まぎれもなくガソリンの臭いだった。
「父ちゃん、なにやってるんだ!」
 驚いて、徹は大声で叫んだ!

「徹、失敗だ! サツの手がまわった!」
「このままじゃあ、父ちゃん捕まっちまう!」
「ちくしょう、ちくしょう! なにやっても上手くいかねぇー!」
 血迷った父は大声で叫びながら、部屋中にガソリンを撒いている。しかも酔って泥酔状態である。心の弱い父は事が上手くいかないと、すぐにお酒に走る人間なのだ。

 電話ボックスにコインロッカーの鍵を取りに行った父は、遠くから電話ボックスの様子を覗う男たちの姿を見てしまい勘で警察だと思った、それで怖くなって鍵も取らずに逃げ帰ったらしい。
 そして証拠を消すために廃屋を燃やそうとしている。
「徹、全部燃やして俺らは逃げるんだ!」
 そういうとダンボールの上に灯したロウソクを取ろうとした。
「父ちゃん! あの子はどうするだ?」
 押入れを開けると、そこには恐怖で引きつった可奈子がいた。

「その娘は俺らの顔を見てる! もう殺すしかねぇー」
 その言葉に驚愕し、愕然となり、徹は言葉を失った……。まさか父が可奈子を殺そうと考えてるなんて……信じられない。
 あのとき、娘は殺さないって言ったくせに、父ちゃんの嘘つき!
「その娘ごと全部焼いちまうんだ!」
「可奈子は殺さないって言ったじゃないかっ!」
 ろうそくを持った父を止めようと徹は必死だった。
「父ちゃんの嘘つき! ダメだ! 絶対にダメだぁー!」
 しばらく、父と揉みあったが殴られて弾き飛ばされた。父は押入れから可奈子を引きずり出すと、ガソリンを掛けようした。片手には火のついたロウソクを握っている。
 その光景を見た瞬間、徹の頭は真っ白になった!
「可奈子が殺される!」
 徹は満身の力を込めて、父に体当たりをした。
「やめろー!!」
 その勢いにもんどり打って父は壁に激突して倒れた。その時、手に持っていたガソリンが着衣にかかり、ロウソクの火が引火して、あっという間に、父は炎に包まれた!
「父ちゃん!」
 徹は絶叫した! しかし炎が激しくどうすることも出来ない。
 やがて、火は部屋中に燃え広がった。早く逃げないと火に巻かれて焼け死んでしまう、とっさにやかんの水を可奈子にぶっかけ、腕を掴んで必死で徹は逃げた!
《あの時、足を縛らなくて良かった……》
 振り返った時、炎の中で火ダルマになった父が、断末魔の叫び声をあげながら、徹たちを追いかけてくるように見えた。
 ――その光景はずっとずっと後まで、悪夢となって追いかけてきた。
 火の中を掻い潜り、可奈子とふたり外へ逃げ出した……。

 力尽きて気を失う瞬間、徹は誰かの声を聞いたように思った。薄れいく意識の中で誰かが必死で自分の名前を呼んでいた。
 あれは可奈子の声だったのかもしれない……。
「可奈子……」
 徹は気を失った……。



   第九章 家族

 永い眠りから覚めるように、ゆっくりと徹は意識を取り戻した。
 気がつくと病院のベッドに寝かされていた、足と手の甲に火傷を負っていた。あの火の勢いで命が助かっただけでも奇跡だった。
 ベッドの側には母と妹がいた、あれほど会いたかった徹の家族だ。

 母の郁恵は徹の無事を喜び、家に置いて出たことを泣きながら何度も何度も謝っていた。家出をしていた母は、お店のお客さんだった会社の社長の紹介で、運送会社の社員寮で住み込みの賄いの仕事をしていた。
 ひと部屋もらって住まわせて貰っていたが、とても子供二人も連れていけなくて、幼い妹の亜矢だけ連れていったのである。
 時々、母は徹の様子を見に来ていたらしい、遠くから下校する徹を見て泣いていたとハンカチで目頭を拭いながらいう。原っぱで、ひとり四つ葉のクローバー探す徹の姿を見て知っていた。

 母ちゃんから完全に捨てられたわけじゃないんだ、徹の目から涙が溢れた。
 もうちょっとしたら生活も落ち着くし、そしたら徹を迎えに行こうと思っていた、矢先のこの事件だった。
 母は夫慎一の暴力に怯えていたので、亡くなって少し安堵しているように思えた。
「母ちゃん……あの女の子はどうなった?」
 恐る恐る徹は母に訊いた……。
 女の子はケガもなく無事に助けられたよと母が答えた。それを聞いて徹は安心して、ふたたび深い眠りへ落ちていった――。

 徹の手足の火傷も癒えて、やっと退院することになった。
 手の甲には醜い火傷の跡が残ったが、それよりも心にもっと深い傷跡を残した。実の父を不可抗力とはいえ焼死させてしまった罪悪感は重く、とても拭いきれない。
 あの時、必死で廃屋から逃げ出し意識を失ったが……すでに警察の手が回っていて、すぐにふたりは発見保護された。
 可奈子の誘拐に使った軽のミニバンに工務店の社名が入っていて、誘拐されたと思われる場所(可奈子の靴が片方だけ落ちていた)から、急発進する不審なミニバンを目撃した人が多くいた。元々白昼の拉致は人目につきやすいものだ。
 結局、工務店の社名から簡単に足がつき、父の慎一はすでに警察にマークされていたのだ。廃屋の周辺は機動隊が包囲し、いつ突入するか様子を覗っている状態だった。
 その矢先の出火に警察も顔面蒼白になったという。

 徹の入院費用とお見舞金を佐伯病院の院長が出してくれた。
 その額は見舞金にしてはあまりに多すぎる金額だった。娘の可奈子を命がけで助けてくれた、徹に対する感謝の気持ちもあるだろう。
 しかし、その金額には口止め料もたしかに含まれているように思えた。
 父の起こした事件は闇に葬られた、新聞に片隅に小さく……。
〔廃屋から不審火、焼け跡から住所不明の男性の遺体発見〕とだけ載った。
 たぶん、佐伯院長が誘拐事件を表沙汰にすることを怖れて、いろんなところに手を回して揉み消したのだろうか? 娘の可奈子が無事に戻ってきて、犯人が死んだ今となっては……この事件が世間にしれて、大事なひとり娘が人々から好奇の目で見られることに耐えられなかったのだろう。

 金持ちは守るものがいっぱいあって大変だなぁー、プライド、名誉、世間体……。
 それに比べて、貧乏人には何も守るものがないから、いつだって捨て身でいられる。金持ちがホントに怖いのは、俺ら貧乏人なのかもしれないと徹は思った。

 佐伯院長に貰ったお金で、徹たち親子はこの町を離れた。
 他所でアパートを借り家族三人で慎ましく暮らし始めた、あの酒乱の父のいない平和な生活だった。
 時々、可奈子のことを思い出しては、甘酸っぱい想いに胸がキュンとするが、幸せに暮らしていればいいなぁー、それだけを徹は願っていた。
 おそらく一生会うこともない、可奈子だと思っていたのに……。



   終章 感謝

 ふたりは長い間、見つめ合ったまま黙っていた。お互いにあの事件のことを思い出していたのだろう。
「可奈子……どうして?」
 長い沈黙の後、やっとそれだけ徹は言えた。
「トオルくん に言って置きたいことがあるの」
「…………」
「大人になったら会いに来ようと、ずっと思っていた」
 そういって強い瞳で徹を見つめた。
「……あれから可奈子はどうしていたんだ?」
 可奈子の視線に照れて、徹は話をそらしてしまった。

 あの事件の後、誘拐で受けた心の傷(トラウマ)を心配して両親は、可奈子をアメリカに留学させた。カレッジ卒業まであっちで過ごしたらしい。
 だけど、本当は日本に帰りたかったの……肩を竦めてそう可奈子が言う。
「だって日本には会いたい人がいるから……」
 黒く大きな瞳の視線は徹を捕えた。
「可奈子、トオルくん にずっと感謝して生きてきたんだよ!」
「えっ?」
 なんで可奈子が俺なんかに……。
「可奈子が今、こうして生きていられるのはトオルくんのお陰だから……」
「…………」
「あの時、命懸けで助けてくれたトオルくん に感謝している!」
 可奈子の瞳から大粒の涙がポロポロ零れた。

 徹は自分のことを父親殺しの咎人だと思って、ずっと自分を責めて生きてきた。
 あの事件のことを刑事に訊かれたとき、徹は父が自分でガソリンをかぶって火を付けたと咄嗟に嘘をついた。
 これ以上、母を悲しませたくなかったからだ。
 廃屋の火事は、父の慎一が事件の発覚を怖れて自分で火を付け焼身自殺を図る、警察で結論に至った。なぜか、可奈子も警察に同じことを答えたようだった……。
 そして、あの誘拐事件は闇に葬られた。

 徹くん に感謝している。
 可奈子のその言葉に、心臓に刺さった氷の棘が溶けていくようだった。
 まるで神に赦されたように、その言葉は心に響いた。今まで苦しんで苦しんで……生きてきた徹にとって、その言葉は魂の救済だった。
 可奈子は俺に感謝してくれていたんだ! 父親殺しのこの俺に?
 ――気づけば、徹も泣いていた。
 どんなに苦しいときでも、絶対に泣かなかった徹が子供のように泣いていた……。

「トオルくん、苦しんで生きてきたのね?」
「…………」
「いろいろ調べたから知ってるのよ」
「う……うん。」
 泣いてる自分に気づいて徹は慌てて手の甲で涙を拭った、すると可奈子が、その手をそっと掴んだ。
「その傷は、あの時の傷なのね……トオルくん、ありがとう!」
 可奈子は火傷の傷跡に優しくキスをした。
「トオルくん に貰った四つ葉のクローバーに、わたし、トオルくん に会いたいってお願いしたの」
 恥ずかしそうに微笑んだ可奈子は、無邪気で可愛いかった。

 可奈子がこんなに自分を想っていてくれたことが、徹には不思議だった。
 だが、自分もまた可奈子をずっと想っていた。いつも、徹の心の中には可奈子が住んでいた。あの時、芽生えたふたりの絆は十年たった今も変わることなく、ふたりの心に固く結ばれていたのだ。
「あの時、トオルくん に助けて貰った命で、今度は可奈子がトオルくんを助けるから!」
「……可奈子」
「もうひとりで苦しまないで……」
 徹の掌を握っていた可奈子の手を、強く握り返した。

 涙で濡れた頬を早春の風が撫でていく、やがてそれは喜びの涙に変わる。
 初めて生きていることを感謝した、何があっても可奈子とはもう離れない! ふたりは見つめ合ったまま、時の立つのを忘れていた。

「俺も、ずっと可奈子に会いたかった!」

 あのとき、可奈子が無事に両親の元に帰れるようにと、四つ葉のクローバーに願った徹だったが、実はもうひとつ、いつかまた可奈子に会いたいという願いをかけていた。
 希有の運命で巡り合った少年と少女は、十年という長い時を経て、再び、お互いの姿を瞳で捕えた。
 もう、切れることのない“絆”でふたりは結ばれている。

 ――四つ葉のクローバーの願いが叶ったんだね。



― 完 ―



前へ






あきゅろす。
[管理]

無料HPエムペ!