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夢のまりあ

ごく初期の作品ですが、多少加筆して掲載しました。

この頃はまだ一段落としなどという文章を書く上でのセオリーを
まったく知らず、短い改行ばかりの書き方でした。

最近の携帯小説などでは、こういうのが読みやすくて良いみたいです。


(表紙の絵の著作権は藤田ミラノ氏に帰属します)


     初稿 ハンゲーム 2008年頃 文字数 8,290字

     カクヨム投稿(ふしぎ脳) 2017年1月11日 文字数 8,872字









   ★ 萌夢 ★

「なんてリアルな夢なんだ!」
目が覚めた時、勇介はまだ彼女の手の温もりと柔らかな感触を覚えていた。
あれが夢なんだろうか?
まるで現実のことのように、くっきりと記憶に残っている。

――それは、まるで夢のような夢だった。

ベッドの側に置いた、携帯のアラームさえ鳴らなければ、
もっと夢の続きをみていられたのに……
なんだか残念で悔しかった。

いつも大学に通うバスに揺られながら、田沼勇介(たぬま ゆうすけ)は、
あの夢のことを思い出していた。
それは、こんな夢だった。

夢の中で、俺は大学のサークルのコンパに参加していた。
お酒も飲めないし、女の子とも気軽にしゃべれないシャイな俺が……
高い会費まで払って、なんでコンパに参加したちゃったんだろう?
かと、心の中で後悔していた。
お目当てのサークルのアイドル優香(ゆうか)ちゃんは、
取り巻きの男たちにチヤホヤされて、俺なんか側にも寄れない。
あぁ〜こんなんだったら、家でネトゲでもやってりゃよかったなぁー、
やけっぱちで、手当たり次第にテーブルの料理をほおばっていると――。

「隣いいですか?」
ふいに声がして、爽やかな花の香りがした。
気づくと俺の隣の席に若い女性が座っている。
白っぽいワンピースを着た、色白でストレートのロングヘアー、
まつ毛の長い、涼やかな顔立ちの美人だった。
やけに親し気に俺に微笑んで、
「わたし連れがいなくてひとりなの。お話相手になってください」
向こうから声をかけてきた。
「……お、俺もひとりだから、いいっス」
こんな美人を真近に見たことのない俺は、どうしていいか分からず
ドギマギしながら答えた。

「わたし、お酒飲めないの……」
「えっ? 俺も酒は無理っス!」
「じゃあ、ウーロン茶でカンパーイ!」
乾杯をして、意気投合した。
ふたりの共通点が見つかって、そこから急に会話がはずみだした。
偶然、好きなミュージシャンが一緒で、ますます話が盛り上がったが、
しかし、その話題も最近の曲の話になった途端に、
「最近は聴いてないから……」
と、彼女は口をつぐんでしまった。

さっきから、俺のためにオードブルを取り分けてくれている。
自分は食べないで、ただ俺が食べるのをニコニコしながら見ていた。
彼女はスレンダーな体型だし、たぶんダイエットでもしてるんだろうなぁー?
女性から、こんなサービス受けたことない俺は、嬉しいけど落ち着かない。
不思議なことに彼女の取り分けてくれた料理は、
夢のはずなのに、なぜか味覚さえ感じていた。

しかも俺の隣に、こんな美人がいるのに、誰もこっちを見ようともしない。
可愛い女の子にはすぐ反応する奴らが、どうしたんだ? 
おっかしいなぁ〜? そっか、これは俺の夢なんだ。
だから、ぜんぶ俺に都合のいいストーリーになっているんだな。納得!
夢の中で、なぜかしごく冷静な俺がだった。

目が覚める直前に……
「わたし、まりあ」
と、彼女は自分の名を告げた。
「俺は……」
言いかけると、まりあが答えた。
「勇介でしょう。知ってるわよ」
「えぇー!」
一瞬、驚いた俺だったが、そっか、これは俺の夢だったなぁー。
別れ際に、まりあが俺に握手を求めてきた。
ドキドキしている俺の手を優しく握りしめて、
「勇介、また会おうね!」
そういってから、フッと姿が消えてしまった。

――携帯のアラームが鳴り響いて、そこで俺は夢から覚めた。




   ★ 美夢 ★

アラームの音に叩き起こされた俺は、いつものように通学の準備をして、
大学へ向かうバスに乗っていた。
あの夢のことを思い出しながら、バスの座席の深くもたれて、
目を瞑っていると、
「勇介」
ふいに誰かに呼ばれた。
目を開けると隣の座席に、まりあがちょこんと座っていた。
あれぇー? 
そこはたしか、サラリーマン風のオッサンが座っていたはずなのに……
けど、まあ俺としては、まりあに会えて嬉しかった。

「勇介と同じバスに乗れて嬉しいわ」
はしゃいだ声でまりあがいう。
「俺も……うれしい……なぁー」
朝の光の中、透明感のある肌をした、まりあがすごくきれいだった。
しかも狭い座席はバスが揺れる度に、お互いの体が触れ合って、
ドギマギしてしまった。
夢だから、俺みたいなサエない奴でもモテるんだろうなぁ〜
それでもいいや! モテたことのない俺にはまさに夢みたいだった。

――うん。俺にとっては夢みたいな夢だな。

「あのね……」
「前のカレシもゆうすけって名前だったの……」
悲しげに瞳をふせて、まりあがぽつりとつぶやいた。
「えーっ、そう? 偶然だね……」
いきなり元カレの話をされてムッとした。
夢なのになんでマジになってんだ、この俺は?
「前のゆうすけは、会えない所へいってしまった。もう、二度と会えない……」
会えないって? それって、もしかして死んだってことか……?

「勇介! お願いだから、まりあをひとりにしないで!」
うわっ! まりあが急に俺に抱きついてきた!
ちょっ、ちょと、みんなが見てるよ。
ここはバスの中だし……あれれ? 乗客は俺らふたりだけ?
そっか、これは俺の夢だからなぁ〜
俺はまりあの肩に手を回しギュッと抱きしめた。
「大丈夫だから、俺がついている」
思わずキザなセリフを吐いた。
俺の胸に押し当てられた、まりあの柔らかな胸のふくらみ、
なんて幸せなんだ、ドキドキが止まらない。
このまま時間よ、止まってくれい!

「お客さん!」
バスの運転手の声に、ハッとして目が覚めた。
どうやら、俺はバスの中で居眠りしていたようだ。
終点のバス停まで乗り越してしまった、俺はそこからUターンして、
大学のあるバス停まで戻ったが……
当然、講義には遅刻してしまった。

それでもいいや、あんな幸せな夢を見られたんだから。
まりあの胸のふくらみの感触を思い出して、ひとりニヤニヤしてたら……
「おまえさぁ、遅刻してきて、なにニヤニヤしてんだよ!」
「はあ?」
「さては、昨夜いいことでもあったのか?」
大学の悪友が、俺の脇腹をシャーペンの芯で突きながら訊く。
「べつにぃー」
わざと、超不機嫌そうな顔で俺は答えたが、内心はニンマリだった。

夢の中で、女の子といいことあったなんて……
恥かしくて、とても言えるわけないじゃん。




   ★ 望夢 ★

大学から帰るとバイトが待っている。
俺は親元から離れて、学生向きのワンルームマンションでひとり暮らし。
生活費は毎月の仕送りと、自分で稼いだバイト代でやりくりしていた。
彼女のいない俺は、遊びといったら、せいぜいネットゲームくらいで……
デートなんかにお金を使ったこともない。
サエえない、ボッチ生活だけどさ。

近所のコンビニで、週に3〜4日バイトをやっている。
おもに深夜のバイトで、夜の10時から翌朝6時迄である。
時間は長いが、時給が良いのと、深夜なのでお客が少なくて、
人見知りの俺には、接客が少ない時間帯の方が気が楽だったから。
途中に2時間の仮眠休憩がある、たいてい携帯ゲームをいじったりしながら、
椅子にもたれて軽くうとうとしているだけだ――。
今日は仮眠休憩に入った途端、強烈な睡魔に襲われて……
いつのまにか、寝込んでしまった。

――そして、また夢を見た。

いつものように、コンビニでバイトをしていると、まりあがお客で入ってきた。
レジカゴを持って、向こうから俺に軽く手を振っている。
なんか嬉しくて、俺はまりあの方ばかり見ていて仕事が手につかない。
買い物カゴをいっぱいにして、まりあがカウンターにやってきた。
レジカゴいっぱいに、いろんな食材が入っている。
こんなたくさんの食材を、だれと一緒に食べるんだろう? 
そんなことが頭をよぎって、俺はチョイ焼もちを妬いてしまった。

「ねぇ、勇介はどんなお料理が好き?」
にっこり微笑んで、まりあがまっすぐに俺をみて訊いた。
「えっ? 俺は好き嫌いとかないよ」
その視線に照れた俺は、みるみる顔が赤くなった。
「俺、まりあが作った料理なら、なんだって喜んで食べるさ」
「今度、勇介にまりあの作った料理を食べさせてあげるね」
「ホント? 嬉しいなぁー」
俺はわくわくしてしまった。
「楽しみにしていてね」
そういうと、カウンター越しにまりあは俺のほっぺに軽くキスをした。
「あっ!」
びっくりして硬直してしまった。
「じゃあ、またね」
いたずらっぽく笑って、まりあはドアの向こうへ消えていった。

「おいっ! 起きろよ!」
だれかに身体を揺さぶられて、ハッとして目が覚めた。
「交代の時間なんだ!」
深夜バイトの相方に起こされた。
「おまえさ、すんげぇー寝言いってたぞぉ……
それも大声で、だれかと話してるみたいで、マジ気味悪かったぜぇー」
まじまじと勇介の顔を見て、相方が怪訝な顔でそういった。

あれはやっぱし夢だったのか!?
まりあがキスしたほっぺに触れてみる。
そこには、たしかに彼女の唇の感触が残っていた――。




   ★ 恋夢 ★

長いバイトから解放されて、やっと家に帰ってきた。
シャワーを浴びて、後はもう寝るだけだ……寝るだけ? 
今の俺にとっては、最高の楽しみだ!
もしかしたら、また、まりあに会えるかもしれない。

ベッドで横になると、すぐに夢の世界へと落ちていく――。

俺は、ワンルームの自分の部屋の前に立っていた。
鍵を開けて中へ入ると、なんと、まりあが俺の部屋にいる。

「勇介、おかえりなさい」
白いエプロン姿で俺を出迎えてくれた。
「まりあ! なんで?」
びっくりしてキョトンとしている俺に……
「ねぇ、ご飯できてるわよ……」
まるで奥さんみたいなことをいう。
見れば、テーブルの上には花が飾られ、ふたり分の料理が用意されてある。
その上、部屋の中まできれいに掃除されていた。
玄関から見渡せる、ワンルームの部屋を茫然と眺めていると、
「いつまで突っ立てるつもり?」
ちょっと怒ったような顔で、
「さあ、お腹すいたでしょう? 一緒に食べよう」
焦れたように俺の手を取り、まりあが引っ張った。

まりあの作った料理は、今まで食べたことないくらい美味しかった。
味覚も、香りも、温度まで感じて、まるで現実世界(リアル)で食べているようだ。
俺は夢中になってガツガツ食べた。
そんな俺を、まりあはニコニコしながら見ている。
そして、自分の料理もぜんぶくれた。彼女は何も食べようとしない。

食事を終えて、まりあが片付けをして、その後、ふたりでテレビを観ていた。
まるで新婚夫婦みたいだなぁーなんて思っていた。
その後の展開どうしようか? 男の俺はあれこれ考えてしまう。
すると……まりあの方から俺の側にきて、肩にしなだれてきた。
ドキッとしながらも、これはチャンスか! ?

俺はまりあを抱きしめて、夢中でキスをした。
ふたりは何度もキスをして、抱き合ったままベッドへ崩れていく。
女性との経験がない、この俺だけど……。
まりあとはごく自然に愛しあえた。
朝がくるまで、俺たちは何度も愛し合っていた。
すっかり、身も心もまりあに夢中になってしまった。

――夢の中、俺とまりあとの関係は、
ただの夢の出来事だとは思えなくなってきた。





   ★ 幻夢 ★

『欠席日数が多いと単位落として卒業できなくなるぞぉー! コラッ!』
ずっと大学を休んでいる俺を心配して、携帯に悪友からメール届いていた。
大学かぁ〜もう、どうでもいいや……
そんな俺は毎日ベッドの中でまりあと愛し合っていた。
起きている時間より寝ている時間の方がはるかに長い。
寝ても、寝ても、寝ても……激しい睡魔が俺を襲ってくる。
夢の世界では、いつもまりあが俺を待っている。

その後、悪友からしつこく何度もメールや電話があったので、
俺は仕方なくに大学に登校した。
だが、久しぶりに登校した大学はまるで異世界へきたような
不思議な違和感に包まれた。
ここが現実世界(リアル)なのに……とても居心地が悪くて、落ち着かない。

「勇介くーん!」
振り向くと、サークルのアイドル優香が珍しいことに俺に声をかけてきた。
「勇介くん、ひさしぶりね。元気だったぁー?」
久しぶりに見た彼女の顔、なんて化粧が濃いんだ! 
まるで男を誘うような、ド派手なファッションに俺は嫌悪感を覚えた。
――まりあの美しさに比べたら、こんな女は大したことないや。
つい最近まで、優香に憧れてサークルまで入っていた俺なのに……
今じゃあ、信じられないほど興味を失っていた。

「ねぇ、今夜サークルのコンパあるんだけど勇介くんも来ない? 
人数が集まらなくて困ってるの、お願い……」
冗談にせよ、あの優香が手を合わせて拝んで頼んでいるではないか?
「悪いけど……俺、バイトが忙しくて休めないから無理!」
適当な嘘で優香の頼みを断った。
「あらっ、そうなの? 残念だわ!」
即座に断られてムカッときたのか、キツイ顔で優香が俺を睨んだ!
男にチヤホヤされて当然と思っている、自分の頼みを断るわけないと……
思い上がった優香の自尊心を傷つけたようだ。
そして俺の顔をまじまじと見て、いきなり、
「あんた顔色悪いわよ! どっか病気じゃないの? 気持ち悪いわるぅー」
そういうと踵を返して、さっさっといってしまった。

ふざけんなっ! おまえなんか、まりあに比べたらブスだ。
俺はそう呟いて、優香の後ろ姿に冷笑をくれた。

深夜バイト中、何度も居眠りをしてヘマをやった俺は、コンビニの店長に、
「体調が良くなるまで、しばらく休んでいいから……」
と、言われた。
そして新しいシフト表には、俺の名前が載っていない、事実上クビである。
最後のバイトを終えて、ロッカーの中を片付けて帰ろうとすると、
深夜バイトの相方が俺を呼び止めた。
「おまえ、ナルコレプシーって知ってるか?」
「はぁ?」
「脳の病気かも知れないから、病院で診てもらえよ」
真剣な顔でそう言われた。
ナルコレプシー? なんか聴いたことはあるぞ。
いわゆる眠り病ってやつらしい。――相方は、医大の浪人生で、
俺なんかより、ずっと病気への知識がある。
「おまえの眠り方は異常なんだ、深いレム睡眠の状態が長く続いている」
相方は心配そうに俺にいう。
「ありがとう」
「絶対に診察してもらうんだぞっ!」
「ああ、じゃあな……」
コンビニのバイトに俺は別れを告げた。

もう何もかもどうでもよくなっていた……
俺にとって、現実世界(リアル)も夢の世界(ドリーム)も変わらない。
てか、まりあのいる世界が俺にとっての現実なんだ。

――絶対にまりあとは離れられない!




   ★ 艶夢 ★

部屋に帰って、荷物を置いて、そのまんまベッドに倒れこんだ。
現実世界(リアル)は、俺をひどく疲れさせる。

瞬く間に夢の世界へ落ちていく……。
まりあは、今日も俺のために美味しい料理を作って待ってくれている。
俺はもう、まりあの作った料理しか口に合わない。
起きていても、ほとんど食べ物を口にしなくなっていた――。
俺のまりあは時々ふざけて、
「勇介、あーんして!」
赤ちゃんみたいに食べさせてくれる。
こんな美人をひとり占めできるのは、夢の世界(ドリーム)だからなんだ。
彼女は素直で逆らったりしないし、俺だけを愛してくれる。
――ここにいる限り、俺は世界一の幸せ者だった!

いつも、まりあは俺の愛を受け入れて……
優しく返してくれる、最高の女なんだ。
ふたりは快楽の後の脱力感で、全裸のままで抱き合っていた。
まりあは甘美な余韻に浸っているように、深く呼吸をした。

「勇介……」
「うん」
「わたし、赤ちゃんができた」
はにかんだように、まりあが俺の耳元で囁いた。
「えぇー!」
まさか、本当か? 夢の世界(ドリーム)なのに……そんなことがあるのか!?
「触って……」
俺の手を自分の腹の上に持っていった。
「どう感じるでしょう? 赤ちゃんの心臓の鼓動を……」
まりあの下腹部に押し当てた俺の手には何ともしれない……
かすかな心音と胎児のイメージが浮かんできた。
「ふたりの赤ちゃんよ」
「…………」
「勇介、あなたの子供だからね!」
キリッとした声でまりあが念を押した。

「まりあ……俺、俺は……」
言葉が出ない――愛する女性に自分の子供を産ませる。
そんなこと想像したこともない、どうしたらいいんだ? 
なんと答えればいいんだろう、俺は……?
「産んでもいいでしょう? 一緒に育てましょう。ふたりの赤ちゃんをここで!」
俺の手には、ハッキリと胎児の心音が伝わってくる。
「だから、ずっと、まりあのそばにいてね」
まりあは縋るように俺に抱きついてきた。
こんな可愛いまりあを放って、ひとりで現実世界(リアル)になんか戻れない!
「まりあ……俺は……俺は、まりあと赤ん坊とここで暮らすよ」
「勇介、愛してる」
俺の体に、まりあが裸体を絡めてくる。
ああ、なんて甘美な世界なんだ。

口下手でブサメンの俺は、今まで女の子にモテたことなんかない。
たとえ、夢の世界(ドリーム)であっても俺のことを愛してくれる人がいる。
それって、現実世界(リアル)では一生望めない幸せかもしれない。
もうどうなってもいい、このまま目覚めなくてもいい……
まりあとは絶対に別れられない。

「ずっと、ずっと、ここで愛し合っていこう!」

――俺は、まりあの虜だった。
この世界から出られなくなっていく……夢の世界(ドリーム)から……永遠に……。




   ★ 念夢 ★

「勇介、勇介、勇介!」
男は大声で何度も呼び続けた。
「おいっ! 勇介、目を覚ませ!」
耳元でさらに叫んだ。
「――なんで、こんなことに信じられねぇ」
変わり果てた友人の姿に彼は絶句した。
病室のベッドの上には、痩せ細った若い男が昏睡状態で横たわっている。
「危なかったです!」
白衣の医師は患者の脈を取りながら言った。
「後2〜3日発見が遅れていたら……たぶん命はなかったでしょう」

「患者は田沼勇介、22歳大学生ですね」
警察官が手帳にメモを書き込みながら事件を説明する。
「目立った外傷はなし、胃の中に内容物はなく、3週間程度の絶食状態による
衰弱かと思われます」
「俺が発見した時、こいつベッドの中で餓死しかけてた……」
発見者の友人は、そのときのことを思い出して声を震わせた。
「部屋は内側から施錠され、外部からの侵入形跡はなく、争った様子もない。
事件性がないので、自殺未遂もしくは、なにか事故の可能性があります」
冷静な声で警察官が説明した。

「それにしても絶食自殺というのは信じられません」
現在の日本で、餓死状態の患者など滅多に診ることはない。
医師は信じられないという表情だった。
「金がなくて食べ物が買えなかったんですか?」
「いや、財布や部屋の中には現金で5万円近くあり……
冷蔵庫には冷凍食品やインスタント食品が入っていました」
「――不思議な話ですね。急な病気で動けなくなったとか……」
医師が首を捻る。
「それがベッドのそばには携帯電話が置かれていました。
充電もまだ残っていたし、何かあれば助けを呼べたはずなんだが……」
警察官もまた首を捻る。
「それじゃあ、勇介は自分の意思で餓死しようとしたんスか?」
とても府に落ちないというと、友人はふたりに訊ねた。

「夢みたっス。――こいつが、俺の夢の中に出てきて……
そっちの世界には戻らない。今までありがとうっていって、フッと消えたっス」
友人は昨夜の夢の話をした。
「それがすんごくリアルな夢で……俺、めっちゃ胸騒ぎがしたっス!」
大学を無断で休んでいて、電話してもメールして連絡が取れない。
そんな勇介のことを彼は心配していた。
聴けばバイトも辞めてるし、少し前から勇介の様子が変だった。
「それにもしても絶食自殺なんて、長く苦しむ死に方だよなぁー?」
患者の様子をみながら、不思議そうにいった。
「その割りに安らかな顔して眠ってるっス、こいつは……」
友人が勇介の顔を覗きこんで呟いた。




   ★ 永夢 ★

病室のドアが開いて、ワンルームマンションの管理会社の社員が入ってきた。
「田沼さんの家族に連絡取れました、今から病院に向かわれます」
「こいつの家族は驚いたでしょう?」
発見者の友人は家族には連絡せずに、管理会社に友人の部屋を、
開けてくれるよう、強く頼んだのである。
「しかし、またあの部屋だ……」
管理会社の社員がポツリと呟く。
「ああっ! そういえば、前にもたしか自殺未遂があったな?」
思い出したように警察官が応えた。

「半年ちょっとなるかなぁ? 女子大生でしたよ」
「そうそう、ベランダで首吊り自殺しかけて、紐が切れて……
命は助かったけど、可哀相に脳死状態になった」
現場を思い出しながら警察官がいうと、
「私がね、部屋案内して賃貸契約したんですよ。可愛らしいお嬢さんで、
年は21だっけ? ホント気立ての良い子でしたよ」
初老の社員はため息まじりで話した。
警察官は手帳を閉じながら、
「今もどこかの病院に入院していると聞いたけど……」
さらに続けて、
「婚約者が交通事故で亡くなって、後追い自殺を図ったらしいですが……
じつは、あの娘は妊娠してました」
その話題に彼らは、しばしベッドの上の患者のことを忘れた。

「先生、こいつ、勇介はいつ目を覚ますんですか?」
いきなり訊かれた医師は、しばらく考えてから、ゆっくりと説明した。
「3週間近く絶食で脳に栄養がいき渡らず、かなりダメージを受けています。
命が助かったとしても、脳が元通りに機能するのは難しいでしょう、
――このまま寝たきりになってしまう可能性もあります」
気の毒そうに、医師が説明する。
「寝たきりって……まだ22だぜぇー。こいつは……勇介……」
「お気の毒ですが……」
「チクショウ! 勇介――――!!」
医師の言葉にショックを受け、堪えきれず、友人は声を上げて泣いた。





「まりあちゃん、生まれたわよ!」
病院の分娩室に乳児の泣き声が鳴り響いた。
「こんな状態で、よく頑張ったわねぇー!」
妊婦は21歳の若い女性で、脳死状態のまま帝王切開で、
2500gの男児を産み落とした。

「あら? 今笑った?」
点滴を付け替えながら、看護師がポツリといった。
「ほんとだ、口元が笑ってる、まりあちゃん……」
「どんな夢みてるんだろう?」
産婦人科の女医が、まりあの顔を覗きこんでいった。
「きっと夢の中で婚約者と赤ちゃんと幸せに暮らしているかもしれない」
「……いつか目覚めるのかしら? それにしても綺麗な人だわ」
「ホント、まるで聖母マリア様みたい」
そんな話をしながら、ふたりは病室から出ていった。


――点滴の針を刺されて、ベッドに横たわる聖母は微笑んでいた。
                         


― 完 ―








あきゅろす。
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