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 夢回廊 

この物語は『夢』をテーマに書く「創作工房 群青」の課題作の小説です。

話の書きだし「こんな夢をみました」は、夏目漱石の『夢十夜』の
冒頭の文「こんな夢を見た」からのオマージュです。

なにぶん、これは『夢』の世界の話なのでシュールだったり、メルヘンだったり
ちょっぴり不思議な『夢』の世界をお楽しみください。


(表紙はフリー画像素材 Free Images 1.0 Reinante aka Benquerencia 様よりお借りしました。http://www.gatag.net/)


       初稿 趣味人倶楽部・創作広場 2010年頃 文字数20,000字
       カクヨム 2016年8月19日に推敲、投稿する。 文字数 14,288字





おや? あなたは……
眠っている間に『夢回廊』に迷い込みましたね。

この夢は、永遠に醒めない無限の夢なんです。
だから、もうここから抜けられませんよ。






   一ノ回廊 砂漠の女


 ――こんな夢をみました。

 気がつくと、そこは見渡す限りの砂の海であった。
 地平線の向こう、遥か彼方まで砂に覆い尽くされた世界。天上にはナイフのような新月とスワロフスキーみたいに星々が煌めいている。
 ――ここは何処だろう? 
 自分は駱駝の背に揺られていた。アラビンナイト風の衣装を身に着けて、まるで東郷青児の描く女のように、深い憂いの睫毛を瞬かせて砂の大地を眺めて……。
 ――もしかして、ここは砂漠なのかしら?
 駱駝の手綱を見知らぬ男をひいている。それはシンドバットのようなターバンを巻いた異国の若い男だった。

「眼を覚ましたのか」と気配に気づいて、声を掛けてきた。
 知らない国の言葉だったが、何故か意味は理解できる。ここはどこですかと自分が訊ねようとしたら、男はくぐもった声で、
「おまえと今日で百日、砂漠を旅している」と云った。

 まさか、こんな灼熱の砂漠を百日も旅ができる筈がない。
「昼間のおまえは小さな木彫りの人形で、日が暮れて月が出ると人の姿に変わる。きっと、これはシバ神の呪いなのだ」
 そう云うと男は足元の砂に目を落とし、哀しげに溜息をついた。

 どうして、この男と砂漠を旅しているのか、シバ神の呪いとは何なのか、疑問ばかりでいくら夢とはいえ、不思議な話だと自分は思っていた。
「シバ神の踊り子に恋をして、おまえを神殿から連れ去った。だが昼間の太陽がおまえを人形に変えてしまう。日が暮れて人の姿に戻っても、わたしが触れようとすれば、忽ち人形の姿に変る。どんなに愛していてもおまえと契ることもできない」
 異国の男は肩を震わせ泣いている。
 ――ああ、なんて酷い呪いなのだろう。
 これはシェーラザードが、夜伽に王に聞かせたアラビアンナイトの一話なのかも知れない。

「砂漠の蜃気楼が見せるオアシスに、呪いを解く泉があると訊いた。その泉で沐浴すれば、ずっと人の姿のままでいられる。今日で百日も探しているが何処にも見つからない」
 疲れ果てた男は、駱駝の手綱を放しガクリと膝を折って、そのまま砂にうつ伏して砂を掴んで地面に叩きつけている。
 この男の絶望感がひしひしと伝わるが、自分は何もできず。
 ――ただ茫然と眺めていた。

 やがて、東の空が白んできた、ああ、もう夜が明けてしまう。
 木彫りの人形に変る前に、この男に何か云って置かなければ……だけど、いったい何を云えばいい? 焦れるばかりで言葉が出てこない。
 男はあれから砂漠の砂にうつ伏したままで微動だにしない。ひとりで駱駝の背からスルリと降りると、男の肩に自分は手を掛けた。
 瞬間、男の姿はスッと消えて、砂の上に木彫りの人形がコトリと落ちた。

 人形に変ったのは自分ではなく、男の方だったのだ。
 もしかして男の方から見たら、自分が木彫りの人形に変ったように見えるのかも知れない。
 砂の上に落ちていた男の人形を拾って、そっと胸に抱く。
 そして駱駝の手綱を取るとゆっくりと歩き始める。永遠に見つかりそうもない泉を探して――。

 今日で百と一日、自分は人形の男と砂漠を旅している。
 東の空には、血のように真っ赤な太陽が昇ってきた。灼熱の太陽がジリジリとこの身を焼き尽くすようだ。




 

   二ノ回廊 一葉さん


 ――こんな夢をみました。

「薄情者!」

 そう叫んで、立ち去る男の背中に向けてテッシュの箱を投げつけた。
 だが間一髪、玄関のドアに阻まれて、男には当たらなかった。ドアの向こうから、笑いながら立ち去る男の靴音が聴こえてくる。
 あんな男とは絶対に別れてやる。
 二度と来るな! 男への怒りが収まらない。

 自分は風邪を引いてアパートで臥せっていたのだ。たぶん熱があるのだろう、寝汗をかいて寝苦しい。その男はどうやら自分の恋人のようで、看病か見舞いに来てくれたようなのだが……。
 これは夢なので男との経緯が掴めず、シチュエーションだけで成り立っているようだ。

 ふたりで取り留めのない話をしていたら、いきなり男の携帯電話が鳴った。
 二言三言相手と会話して、すっと立ち上がると、病気で臥せっている自分のハンドバックから財布を出して、
「ちょっと金欠やねん、これ一枚貸してや」
 樋口一葉をヒラヒラさせながら、如才なく大阪弁で云う。
 てっきり看病に来てくれたものと思い込んでいた自分は、なぜお金がいるのかと男に訊ね返すと、
「スマン! これから俺デートやねん」
 と云って、へらへら笑った。
 自分の財布から抜いたお金で、今から女とデートだと!? なんて不実な男なんだ。
「これ、お見舞いや」
 コンビニの袋に入ったプリンを得意そうに自分に見せたが、こんな安い物で誤魔化されるもんかっ!
「じゃあ、また来るわ」
 そわそわと男が帰る支度を始めた。
「アホ! ボケ! カス!」
 自分は大阪弁三点セットの悪態を吐いたが、あははっ……と、男は動じる風もなく笑っていた。
 だから玄関に向かう男の背中にテッシュの箱を投げつけたのだが……命中せず……だった。

 チクショー! まじムカつく。
 ふと見ると、男が座っていたベッドの脇に何か落ちている。
 それは男の携帯電話だった。そういえば、さっき携帯が鳴っていたが、あれはデートの相手からだったのかも……。ベッドから手を伸ばして携帯を拾うと着信履歴を調べた。「ももこ」女の名前があった。
 ――この女が相手だな。証拠はないが確信を持ってそう決めた。
 何しろ夢の世界は思い込みだけで、成立する世界だから……。
 自分は男の携帯からリダイヤルを掛けた。ツルツツツゥーと呼び出し音の後で、やや甲高い女の声がした。

「あ、もしもし○○くん?」
 女は○○と親しげに男の名を呼んだ。
「…………」
「どうしたの?」
「○○くんのお友だち○○子よ。あのさぁー、あたしのベッドに携帯忘れていったって○○くんに伝言しといてねぇ。よ・ろ・し・くー」

 わざとタメ口で云うと一方的に切ってやった。
 今頃、相手の女がどんな顔をしているか、想像しただけで笑える。自分は結構、底意地の悪い女のようだ――。

 夢の中だから、時間は突然経つ。
 さっき出て行った男が夜明けと共に帰ってきた。
 ドアを細めに開けて、中の様子を窺ってからこっそり入ってきたようだ。男は自分のベッドの脇に座って、財布からお札を一枚取り出すと、

「これ、使わへんかったから返すわ」と云う。

 寝ている自分の目の前で樋口一葉をヒラヒラさせた。どうやら、デートはお流れになったようで……フフン、ざまぁみろ!
 なぜか男は横を向いたまま、右の顔しかこちらに見せない。
 なんだか不自然だ! 
 自分は起き上がり男の顔をグイッと両手でこっちに回したら……なんとっ! 男の左の頬には爪で引っ掻かれた傷がきっちり三本(人差し指・中指・薬指の爪跡)ついていた。
 ブッと噴きだした。
 あっはっはっはっ……自分はお腹を抱えて大笑いをした。

「薄情なやっちゃ……」

 溜息交じりの男の情けない声が聴こえた。
 まあ自業自得だが、ちょっぴり気の毒にも思えてきた。

 ――枕もとに置かれた、樋口一葉も笑っていた。






   三ノ回廊 幻の蝶々


 ――こんな夢をみました。

 長い髪をツインテールに結んだ自分は女子高生だった。
 校庭をスケッチブックと絵の道具を持って美術部の部室へ向かって歩いていた。部室は美術室で一年の新入部員は、そこで石膏デッサンばかりやらされる。
 美術部に入ってはみたが、あまり絵が上手くない自分は、劣等感で退部したいと何度も考えていたが、言い出す勇気がなくて……それと、ある理由で続けていた。

「○○ちゃん」

 呼び声がして振り向くと、Y子とM美が学生食堂へ続く渡り廊下に立っていた。
 このふたりとは小・中・高と同じで仲良しなのだ。自分たち三人は入学式のあくる日、美術部の先輩たちの勧誘に捕まって、まんまと入部させられてしまったのである。
 どうやら、ふたりは部活の前に食堂で腹拵えするつもりのようだ。運動部ではないが、じっと絵を描いているのも案外お腹が空いてくる、運動して身体でも動かしていれば、空腹も紛れるかも知れないが、絵を描く作業は集中力がいるので、お腹が空くとそればかり気になって集中できない。

「なあ、食堂でパン食べよう?」
「うん、いいけど……」
 お小遣い前で、たぶん自分の財布には百円くらいしか入っていない。
 一番安いパンなら買えるかな? こんな時にお金がないと云うのはとても恥ずかしい。
 ここは私学の女子高なので裕福な家庭の子女が多い。
自分の家は豊かでないのに親友たちと同じ高校へ入りたいために、無理をして通わせて貰っている。夏休み以外はアルバイト禁止なので、いつも自分はお小遣いが足りない。

 ――そんなことも劣等感だった。

 食堂で軽く食べて、三人で部室に行ったら、部長が独りで油絵を描いていた。
 キャンバスには、初夏の庭に咲く、薔薇、バーベナ、ダリアなどの花々が描かれていた。きれいな絵なのだが、どこか物足りなさがあった。
 部長は美術部で一番絵が上手いのに、とても控え目な性格の人だ。だけど部活には一番熱心な先輩だった。
 新入部員の我々三人は、美術準備室からデッサン用の石膏を持ってきた。昨日まで手のデッサンだった。今日はY子が足の石膏を持ってきた。
「石膏の足なんて珍しい」
「うわっ、水虫があるよ」
「ゲッ、汚いなぁー」
 こちょこちょ……擽ったりして、石膏の足を玩具に三人は遊んでいた。

 どんなに騒いでも、部長は怒ったり注意したりしない、我関せず、自分の作品に集中しているのだ。
 長い黒髪をおさげに結って、色白で聡明な眼差しの部長は憧れの人だった。
 彼女が校庭を歩いているだけで、自分の眼は自然と釘付けになってしまった。心の片隅にいつも先輩の存在を意識していた。

 ――だから女子高生活は楽しかった。

 大好きな部長だったが、ほとんど会話をしたことがない。
 誰かと話している声や会話の内容をこっそり聴いているだけで幸せだった。きっと面と向かって喋ったりしたら、自分は恥ずかしくて林檎みたいに真っ赤になってしまうだろう。
「あ……」
 かすかに空気を揺らすような部長の声がした。自分だけ気づいて振り向くと、部長は筆を止めて何かを凝視していた。
 開け放した教室の窓から二羽の紋白蝶が入ってきて、まるで追いかけっこをするように、ふわふわと教室の中を飛んでいた。やがて部長の描きかけのキャンバスの上に、二羽の蝶々は同時にとまった。

 その瞬間、スッと自分の視界から紋白蝶が消えた。

「あれ?」

 あの蝶々はどこへ行ったの? 自分は教室の中をぐるりと見回した。

「あっ!」

 不思議なことに、二羽の紋白蝶は部長の絵の中に居た。
 キャンバスに描かれた、初夏の庭、花々の上を蝶々たちは飛んでいたのだ。
 まるで、絵の中に吸い込まれてしまったかのように。――そして、その絵は二羽の紋白蝶を描き込むことで完璧になった!
「部長、白い蝶々が……」
 キャンバスを指差し、キョトンとしている自分を見て、
「うふふ」部長が悪戯っぽく笑った。

 ――これは魔法なのかしら?

《これは、ナ・イ・ショ……》部長の声が、優しく耳の中を擽った。

 この不思議な出来事は、部長と自分だけの秘密だから、永遠の指きりゲンマンなのだ――。






  四ノ回廊 三白眼の女
 

 ――こんな夢をみました。

 まだ夜が明けきれない真っ暗な街を、自転車のペダルを漕いで自分は朝刊を配っていた。
 後、三十分もすれば朝日が昇るだろうか? なんだか小雨も降ってきて、早く朝刊を配り終えて家へ帰りたい。
 真っ暗な街はいいようもなく不気味で、いつも路街灯だけが頼りなのだ。

 前方から透明のビニール傘を差した若い男が歩いてくる。こんな時間に……朝帰りか? 電車は終電も始発もまだ動いてない筈なのに……。
 どうでもいいことなのに自分はやけに気になった。たぶん、こんな時間帯に遭遇した人間だからだろう。
 よく見ると、男の後ろから女がひとり、二、三歩離れて付いてきているではないか。雨が降っているのに、なぜ男は女を傘に入れてやらないのだろう。
 全く素知らぬ風で歩いている。ははん、さては喧嘩でもしているのだろうか。そんなことを考えている内に、このカップルとすれ違った。
 その時、後ろの女が、ギロリと三白眼で自分を睨んだ。一瞬、背筋に寒いものが走った。
 なにか……途轍もなく嫌なものを見てしまった気がした。いいようのない不気味な恐怖が、五感を駆け廻り震えが止まらない。

 自分は急に暗闇が怖くなってきて、早く夜が明けて欲しいと願った。
 それでも朝刊を配っていると、路地の奥、道の真ん中に黒猫が座りこんでいて、自転車が近づいて行っても、いっこうに逃げる様子がない。
 ミャアーとひと鳴きして、
「おまえ、あの女を見たんだね」黒猫が話かけてきた。
「……あ、あ、」自分は恐怖で竦んで声も出ない。
「あの女は三日前に、十一階建てのマンションの階段から飛び降りて死んだのさ。まるで腐ったトマトみたいに、真っ赤な血を地面にぶちまけて死んだ女なんだ」
「……ひ、ひぇー」
「――そりゃあ、もう、辺り一面血の海でさ。男に捨てられて自棄になって自殺したんだけど、成仏できなくて……ああして暗闇を彷徨っているんだよ」
 突然、ひらりと黒猫は塀に登った。
「おまえ、気をつけな、憑かれそうだ!」そう告げて、闇へ消え去った。

 まさか猫がしゃべるなんて……今の猫の話を聞いて余計に怖くなってきた。
 この近くのマンジョンで飛び降り自殺があったことは自分も知っている。もう新聞なんか配っていられない。
 早く帰りたい! 明るい所へ逃げたい! 闇雲に自分は自転車を走らせる――。
 とにかくこの暗闇から逃げ出したい。
 自転車の前を誰かが横切った。あっ、あの女だ! また三白眼で睨んだ。駐車している車の中にも、あの女が居る。生垣の暗がりからも、あの女が見ている。いたる所に、あの女が潜んでいるのだ!
 ああ、もう嫌だ! 恐怖でパニックになった。心臓もドックンドックン脈打つ。
 街路灯が点いたり消えたりと……急にチカチカ点滅し始めて、恐怖は頂点に達した。
 そして、誰かが後ろから自分の腕をギュッと掴んだ。振り向いたら――恨めしそうに三白眼で、あの女が睨んでいた。

「ギャアァァァ―――!!」

 恐怖で、自分はベッドから転がり落ちていた。






   五ノ回廊 不思議な鍵


 ――こんな夢をみました。

 青い空と青い海、ふたつのコラボレーションに彩られた浜辺の風景。
 白い砂浜には人影もなく、自分はひとりで早朝の海辺を散歩していた。サマードレスにビーチサンダル、たぶんこの近くの住人なのかも知れない。
 朝の海辺の空気は、たっぷりとオゾンを含んで肺の中まで爽やかだった。自分は潮風に吹かれながら、桜貝などを拾ったりしながら歩いていた。
 砂浜をずっと行くと、波打ち際に『砂の城』みたいなものが作られていた。
 誰が作ったのか知らないが『砂の城』は、波が来る度に少しずつ削られて小さくなっていく――。
 思わず座りこんで崩れゆく『砂の城』を手で守っていたら、砂の中、指の先に何かが触れた。
 なんだろう? 摘まんで引っ張り出したら、それは鍵だった。

 それはビーズや硝子の宝石で飾られた、玩具みたいな銀色の鍵だった。
 どうして、こんなものが埋められていたのか分からないが、こんなチャチな鍵が何かを開けるためのものとも思えない。
 何気なく鍵を持って、クルリと回し、開ける振りをしてみたら……。

 カチャリ! 何か開いた音がした。――自分はクラッと眩暈がした。


 目を開いたら、そこは想像も出来ないような場所だった!
 どこか外国の街角みたいで、たくさんの人々が道を行き交っていた。人々はクラッシックな衣装で、女性は長いドレスにお洒落な日傘を差して、男性はシルクハットに黒いタキシードのような服を身に着けていた。
 そんな中、自分はサマードレスにビーチサンダルだったが、誰ひとり気にも留める風もない。――なんとも不自然なことだ。

 遥か向こうに凱旋門のような建物が見えた。
もしかして、ここは十九世紀頃のパリの街角だろうか? 以前から、自分は世紀末のフランスの文化には興味があった。
『アール・ヌーヴォー』それはフランス語で、新しい芸術という意味である。
 植物模様や流れるような曲線が特徴で、ガラス工芸家のエミール・ガレやロートレック、ミュシャ、ビアズリーなど、日本でもよく知られるアーティストたちが活躍したのも、この時代である。

 もしかしたら、あの鍵を回したせいで、自分はこんな場所にきてしまったのかも知れない。――この鍵は、果して魔法の鍵なんだろうか? 
 街角にボーと立っていると、花売り娘がやってきて、小さなブーケを差し出し、自分に買ってくれと云っているようだった。――夢の中とはいえ、フランス語は皆目分からない。お金を持っていないので「ノンノン!」と断った。
 そうすると、次に知らない男がやってきた。彼は花瓶みたいな大きなグラスに赤ワインを注いで、呑め! と云うように自分の顔の前にグラスを突きつけた。「ノンノン!」そんな量をいっぺんに飲めないわ。

 急に賑やかな音楽が聴こえてきたと思ったら……自分はいつの間にか、フレンチカンカンの踊り子になっていた。
 派手な化粧と香水の匂いをプンプンさせた踊り子たちが、自分を捕まえて無理やり踊らせようとしているのだ。あまりに早いリズムについていけず、足がもつれて、息があがって、自分はフラフラになった……。
 もう、許して! 「ノンノンノン!!」大声で叫んで、持っていた鍵を、空中でクルリと回した。

 カチャリ! 扉が開く音がした。フッと意識が遠のく……。



 ――気がつくと、自分は氷の上に倒れていた。

 一面、雪と氷に覆われた白銀の世界。ここは何処だ、シベリアか? 南極か? 北極か? 
 氷の世界なのに、サマードレスの自分はちっとも寒いと感じていない。これも夢のせいだろうか? 起き上がって、グルリと180度見回した。
 おっ、ペンギンがいるぞ! あれは皇帝ペンギン、たしか南極に住んでいるペンギンたちだ。

 氷の上をペンギンたちが群れをつくって、こっちに向かったヨチヨチと歩いてくるではないか。
 これはたまらん! ピングーみたいで可愛すぎる。自分はほっこりしていた。
 すると、モソモソと……白い氷の岩が動いた。
 なんだろうと見ていたら、それは大きな白クマに変化した。
 ええー! 嘘? ちょっと待ってよ。白クマは、たしか北極に住んでいるはずなのに……。ここは南極だったよなあ? だって皇帝ペンギンがいるのだから……やっぱり南極だよ。
 だけど、そんな学術的問題は夢の世界では通用しなかった。

 氷だと思っていた白い岩がどんどん白クマに変身していく、そしてペンギンたちの群れを白クマたちが襲い始めた。
 こ、これは酷い! ペンギンたちが次々と捕食されていく。真っ白な氷の世界が、赤い血に染まって、弱肉強食の惨劇が繰り広げられた――。
 自分は震えながら見ていたが、その内、一匹の白クマが自分を目がけて突進してきた。

「ひえぇぇぇ―――!!」

 カチャリ! 鍵を回して、自分は逃げ出した。



「ハァー、危なかった……」

 安堵の溜息に呟く、また別の場所に自分は移動していた。
 今度はどこにでもあるような児童公園のベンチに座っている。やっと、マトモな場所へ帰って来られたと、ホッする。
 さて、これからどうしたものかと思案していると、男がひとり現れて、
「おまえ、どこへ行ってたんだ。早く帰ろう!」
 と、自分の腕を引っ張る。
 誰だろう、この男は? 能面の蝉丸(せみまる)のような、のっぺりした顔をしている。目はあるのだか、まるで糸みたいに細い。
「子どもたちが待っているから、早く!」
 温和そうな顔と裏腹に、ひどくせっかちな男である。自分はわけが分からないまま、男の家に連れて行かれた。

 その家は町外れの荒れ地にぽつんと建っていた。かなり古い平屋で、近所には一軒も家がなく寂しい場所だった。
 玄関を開けるとすぐに居間で、丸い昔風の座卓に男の子が三人座っていた。たぶん四、五歳だと思うのだが、気味が悪いくらい男とそっくりな顔した、三つ子である。

「母ちゃん、ご飯、ご飯、ご飯!」

 三つ子たちは自分を見ると、丸い座卓を叩いて大合唱を始めた。
 ああ、五月蠅(うるさ)い! なんて食い意地の張った子どもたちだろう。
 仕方なく……自分は台所に立って、食べ物を探したら、特大のシリアルの箱があった。冷蔵庫には牛乳もあるし、やかましい三つ子たちには、これを食べさせ黙らせようと思った。
 大きな丼鉢に、シリアルをてんこ盛りに入れて、上から牛乳をぶっかけて、丸い座卓の上に三つ並べた。
 すると、三つ子たちはすごい勢いで食べだした。あっという間に、空っぽになった!

「母ちゃん、ご飯、ご飯、ご飯!」

 また座卓を叩いて大騒ぎだ。
 チッと舌打ちしながら、また同じものを作って並べた。ガツガツと食べる三つ子たち、こいつら犬か?

「母ちゃん、もっと、ご飯、ご飯、ご飯!」

 食べるスピードが早すぎて間に合わない。
 牛乳なしシリアルを与えたら、またしても凄い食べっぷりである。とても、小さな子どもとは思えない食欲だ!

「母ちゃん、もっと、もっと、ご飯、ご飯、ご飯!」

 どうしよう? シリアルの箱が空っぽだ! 
 三つ子たちの底なしの食欲が怖ろしくなった。今から作っても間に合わない。蝉丸(せみまる)の能面みたいな、三つ子たちが丼鉢を持って自分に迫ってきた。

「ひいぃぃぃ―――!!」
 
 まるでゾンビみたいで怖いよう。自分は逃げよう必死になった。
「母ちゃんが、ご飯だ、ご飯だ、ご飯だぁー!」
 ガブリ! 三つ子のひとりが自分の足に齧りついた、もうひとりが腕を噛んだ! 肩に牙みたいな歯を立てる。
「うわーっ! やめてぇ―――!!」絶叫した。
「おまえらが母ちゃんを喰っちまうから、父ちゃんがまた探しに行かにゃあ、いかんじゃろが……なあ」
 蝉丸(せみまる)の能面の男が、のんびりした口調で云う。
 母ちゃんを食べるって……!?
 自分に齧りついてくる三つ子たちを足で払い、いざりながら部屋の中を逃げ回っていたら、ガタンと、押し入れの襖に背中が当たった、その拍子に戸が外れた。
 すると、中から大量の髑髏(どくろ)が転がり出た。――こ、これは、もしかしたら食べられた母ちゃんたちの骨なのか?

 なおも、三つ子たちはピラニアのように喰らいついて離れない。
 このままでは自分は食べられてしまう! 気がつけば、三つ子たちの頭に一本、小さな角が生えていた。
ひょっとして、こいつらは「餓鬼(がき)」なのか? 
 そして、男の頭には立派な角が二本生えているではないか。間違いない! ここは鬼の棲み処だったのだぁー!
 
「ぎょえぇぇぇ―――!!」

 あ、三つ子のひとりが、自分の持っていた鍵を食べようとしている。
 
 ダメ! 慌てて引っ手繰ると、自分は必死で鍵を回した。 カチャリ!



 青い空と青い海、ふたつのコラボレーションに彩られた浜辺の風景。
 ここは元いた世界だ。やっと自分は帰って来られたみたい。ああ、こんな怖い夢ばっかり、もう懲り懲りだ。
 手に持った不思議な鍵を苦々しい思いで見つめていた。
 こんな鍵なんか……こんな鍵なんか、海に放り投げようと自分は決めた。

「こんな鍵なんか、銀河の果てまで飛んで行け―――!!」

 大声で叫ぶと、全力投球で海に向かって鍵を投げた。カチャリ!


 ――銀河の果てに放り投げられたのは、なんと自分だった!


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