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――どうして・・・?ハルくん…

久々に、"彼"の夢を見た。

淡い夕焼けの中、声を掻き消すように風が吹いた。

「必ず…」

――戻ってくるよ、と。

優しく微笑む彼

寂しそうで、儚げで…

彼の手は私の髪を優しく撫で、そしてそっと離れる。

「待ってる…から…っ」

ぼやけた視界を振り払おうと、瞬きをした。


――その一瞬で、彼の姿は消えていた。





『僕はそれでも歩いていく。【温もり】』





―春君―

はじめて彼と出会った時、私は彼の名前をこう読んだ。

「ハル…くん?」

彼の落としたノートを拾い呟く私に、彼は一瞬目を丸くして、それから噴出すように苦笑した。

「そう読まれたのは、はじめてだよ(苦笑)これは、「ハルキミ」って読むんだ」

「ハルキミ…?」

後にも先にも、私が彼のことを「ハルキミ」と呼んだのは、その一度だけだった。

「春の…君…」

その言葉の意を想像する

――鴇色(ときいろ)の欠片が舞い落ちる世界で、少女が微笑んでいる

そんな景色が浮かんだ。

「素敵ね…」

思わずノートを抱きしめて、彼を見上げた。

その言葉に、また彼は驚いたような表情をして、それから頬を桜色に染めた。

***

その出会いから、私は彼と一緒にいることが多くなった。

最初は、彼が何か必死に私を食事に誘うもので、話をしている内にだんだんと親しくなっていった。

大学の講義の時間は隣に座り、講義に飽きてしまうと、ノートの端に小さく言葉を書いて内緒話をした。

時間があれば、大学内を一緒に歩いたり、ベンチに座って他愛もないことを話した。

あそこの公園が綺麗だとか、最近話題の映画が見たいだとか、将来はどうするのかなんてことも、たくさん、たくさん話した。


「直はやっぱり、学院までいくのか?薦められてるんだろ?」

「ううん。そこまではいかないわ…弟のこともあるから、いい加減働かないといけないし(苦笑)」

「そっか…俺も弟がいるからなー。長男らしく稼がないといけないな(苦笑)」

「えっ、てっきりハルくんは学院に行くんだと思ってたわ!」

「あはは、本音は行きたいけど行けないって感じ。弟の方が優秀なんだよ、だから親もそっちに学費を当てたいだろうし。俺は知り合いから誘われてるから、そっちで働こうと思ってる」

「そうなの…。さすがハルくんねー」

彼はけして優秀ではなかったけれど、とても努力家で、そのおかげであちこちから誘いが来るのだそうだ。

こんな話をする度、だんだんと彼と一緒にいられなくなることを実感するようになった。

「…直」

遠くを見つめたまま、彼は私の名前を呼んだ。

「何?」

「俺と一緒に、働かないか…」

「えっ…」

突然の彼の言葉に、私は目を瞬かせる。

どういう…意味なんだろう…

「直と、ずっと一緒にいたいんだ…」

「ハルくっ…」

そう言葉を紡ごうとした刹那、私は彼の腕の中へと引き寄せられた。

今までにないくらい近くで感じる体温。

そして、服越しの彼の匂い。

「好きなんだ…直」

耳元で囁くように言われた言葉の意味を理解するのに、時間がかかった。

――好き?

「俺じゃ…ダメか?」

きつく、きつく抱きしめられる腕の中で、私は頭を横に振った。

「ううん…嫌じゃないよ。私も、ずっとハルくんと一緒にいたい…」

私の、はじめての恋だった。

***

はじめてだった。

姉貴が、男を連れて家に帰ってくるなんて…

なんだ…このモヤモヤは…

まだ学生だった頃の俺は、姉貴を取られたくないという思いがあったのかもしれない。

「姉貴…その人、誰…?」

怪訝な顔になっているだろう俺の顔を見て、姉貴は慌てたように隣の男性を紹介し始めた。

「えっと、こちらはハルくん。私の…」

そこで姉貴の顔が、見たこともないくらい真っ赤になる。

――あぁ、そっか。そういう関係の奴なんだ。

半ば投げやりに、俺は心の中で呟いた。

今度は、隣の男性に目を向ける。

パサパサとした薄茶色の髪と、派手すぎない服装。

温厚そうな雰囲気のある、いかにもイイ男だ。

ハルくんと呼ばれたソイツは、真っ赤になっている姉貴の代わりに自己紹介をし始めた。

「えっと…野浪春君(ノナミ ハルキミ)です。直さんから話はよく聞いてるよ。いい弟さんだって」

「そりゃどーも…」

「つ、つっちゃん!」

俺の無愛想な返事に姉貴はまた慌てた。

んだよ…俺、悪くねーし

「えっと、ごめんなさいハルくん。この子ってばなんだか機嫌悪いみたいで…あ、今、お茶出すから上がって!」

家事なんて俺より出来ないくせに…姉貴はパタパタと台所の方へ走っていった。

玄関前の廊下には、俺と春君さんだけ。

姉貴の手伝いをしようと、一歩足を踏み出した時、ふいに後ろから声がかかった。

「怒ってる…?」

突拍子もない質問に、俺は「はぁ?」と間抜けな声を漏らした。

「お姉さんを取られるんじゃないかって…思ってる?」

穏やかな声音のまま図星を突かれ、俺は噛み付くように否定した。

「は?んなシスコンじゃねーよ!付き合うも何も、姉貴の勝手だし!俺が口出すことでもねーし!」

口に出せば出すほど、なんだか違う気がして、俺は必死に思考を廻らせた。

すると、そいつは一瞬ふっと微笑み、それから申し訳なさそうに言った。

「…ごめんね」

「はぁ!?」

また突拍子もない発言…なんなんだコイツは…

見上げると、彼は真面目な顔でこう言ったのだった。

「でも、直さんが必要なんです。直さんがほしいんです。…直を、俺にください」

がばりと、大きな背中が二つ折りになる。

俺はあまりのことに目をパチパチとさせるばかり。

大の大人が、俺みたいなガキに頭下げてる…

そんなに姉貴がほしいのかよ…そこまで出来るもんなのかよ。

「べっ…別に、好きにすりゃーいーだろ…」

精一杯の虚勢を張って言ったつもりだったのに、そいつは嬉しそうに顔を上げたのだった。

***

「ほら昔、直と一緒に行った美術館があるだろ。あそこから誘いがかかってるんだ。ここからだと、そう遠くはない。どうかな?」

「一緒に働こう」と言った場所。

そこは私とハルくんの思い出の場所だった。

嬉しくて、嬉しくて、夢見たいだと…その時の私は我を忘れたように、ハルくんがくれる幸せに浸った。

「直の作るロボットはいつも可愛いなー」

「そう?良かったわね、湖太郎1342号」

ポリバケツのボディを撫でると、湖太郎は嬉しそうにクルクルと回った。

「この顔、直にそっくりだな(笑)のほほんとしてて」

「もう、ハルくんってば…」

恥ずかしくて、嬉しくて、ハルくんのくれる言葉は魔法みたいに私の心を躍らせる。

ありがとう…こんなにも幸せな時間をくれて…ありがとう…

何度も、何度も、そう思った。

――そんな時だった



「あ、春くん!おかえりなさ……は、春くん…?」

今まで見たことのない春くんの表情に思わず言葉が止まる。

目の下にはくっきりとした隈が出来た、やつれた顔。

何か嫌なことが起きる…

その時、心の中で強く感じたことだった。

春くんの大きな手が、私の肩を力強く掴んだ。

「ど、どうしたの春くん。肩、痛いよ…」

春くんは私の肩を掴んだまま俯いていた。

そして、一つ大きく息をすると、震える声を抑えて言った。

「直、よく聞いて。弟が…健(タケル)が消えたんだ…」

「……え?」

――健くんは、よく会話の中に出てくる春くんの弟さんだ。

「健くんが消えたって…どういうこと…?」

ざわめきだした心を抑えながら、ゆっくりと意味を確かめるように問た。

「実家の方から連絡があって、一昨日の夕方から行方が分からないらしい…」

「そんな…」

こんな時、どうすれば…私の心は焦りと不安でいっぱいになる。

「警察には言ったの?ほら、健くんのお友達に訊いてみるとか、よく行きそうな場所を探してみるとか」

「全部やったよ!!…でも…いないんだ…。どこにも」

壁に押し付けられ、顔の横にゴン、と春くんの拳が刺さる。

今まで見たこともない剣幕が怖くて、私の身体が震えだした。

くそっ…と呟いて、そのままずるずると床にへたり込む春くん。

私はどうしようもなくなって、丸くなった彼の背中を優しくさすった。

どうか、少しでも彼の心が癒されますように…と。

しばらくそうした後、彼は急に立ち上がり、「もう一回探してくる」と玄関を出た。

いきなりのことで、私は慌てて後を追いかけた。

焦っているせいか、ミュールが上手く履けない。

もうっ、と若干の苛立ちを感じて、そのまま踵を潰して外へ出た。

彼の姿はもうなく、私は直感で走り出した。

「春くんっ!春くん!」

近所の犬を散歩している人は驚いたようにこちらを見ている。

でも今はそんなの気にしてられない。

春くん…どこなの…?

大通りへと出て、辺りを見回す。

すると幸いなことに、彼を見つけた。

並木道の向こうで、彼は焦った表情で、横断歩道を走っていた。

やっと見つけたことに安堵して、私は精一杯大きなことで彼の名を呼ぼうとした。

「ハルくっ…」

信号は赤。走る彼の横から出てくる大きな影。

「ぇっ…」

刹那、大型トラックのクラクションの音が大きく響いた。


ドンッ


心を裂くような、ひどい音だった。

遠くに見える、小さな彼が

「いや…春くん…?」

いや、嫌だ。嫌だよ。

黒いものに頭が支配されたように、血が引いていく。

「いやああああああぁぁぁぁ!」

***

――濃い霧の中、春くんの背中が見えた。

『春くん!』

そう叫ぶのに、彼はこちらに気付かない。

悲しくて、悲しくて、もう必死に叫ぶしかなくて…

涙が止まらない。

お願い、置いていかないで!

子どものように泣きじゃくる私をよそに、どんどん春くんは霧に飲み込まれていった。

私はいつまでも、いつまでも、彼を想って泣いていた…

***

「姉貴!姉貴!!」

病院のベッドで寝ている姉貴が涙を流した。

悪い夢を見ている。すごく苦しそうな顔だ。

なんで姉貴が…こんなに苦しまなくちゃ、いけないんだ…!

「…ぁ…」

「ッ姉貴!」

「ツ…ちゃん…?」

「あぁ…よかった…ほんとに、よかった…」

「ツっちゃん…春くん、は…?」

姉貴の問いに答えられず、俺は俯いた。

姉貴の顔がくしゃっと歪んで、

「もう…死にたいよ…」

壊れたように、呟いた。

***

――春くん、お元気ですか?

私は元気です。

春くん、会いたいよ。

また、私のこと抱きしめてよ。

春が来るたび、あなたを思い出して

涙が出ます。

終わることのない悲しみを背負っています。

どこにいても、何をしても、

あなたが大好きで、大切で、

ずっと、忘れられません。


fin.


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あとがき
鬱なお話になってしまいました。
直ねーちゃんの瞳が曇ってしまった理由です。
きっといつか、立ち直れる日が来ると思います。




あきゅろす。
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