「なんだか楽しそうだね」
ふいに彼の後ろから飛んできた声に、千鶴は釣られるように視線を上げる。
その通過線上にあった彼の顔が、その声を聞いたとたん怯えたように引きつったのを視線の端に留め、千鶴はそれに対し少し不思議そうに首を傾げた。
「お」
「沖田組長っ、斉藤組長っ、お疲れ様ですっ!!」
現れた人物に千鶴が声を掛けるより先に目の前の彼がそう大声で彼等の名を口にすると、言い終わる前に深々と一礼をする。
「なにサボってるの?」
総司は頭を上げた彼に対して鋭い声でそう言うと、まるで蛇に睨まれたなんとやら、彼の顔からさあっと血の気が引き、反論の言葉が上る様子も無く石のように固まってしまった。
そのあまりの変わり身の早さに、カチン、と凍るような音が聞こえてきそうなくらいだ。
「いえ、あの別に私達はサボってるわけじゃなくて……」
休憩時間なんです、と告げようとする千鶴を無視して、総司は、腕組みをしながら彼の頭の先からつま先まで視線を走らせる。
「ふーん。見たところ僕の組の子じゃないね。まあ、僕の組にサボる度胸がある子なんていないと思うけどね」
総司はいつもの喰えない笑顔を貼り付けたままにっこりと彼に向かって微笑んで見せると、彼は瞬きも忘れてしまったかのように目を大きく見開いたまま完全に固まってしまった。
(沖田さんの笑顔って、たまに凄く怖いもんね)
「あのっ、ですからっ」
千鶴は隣の彼に酷く同情の念を抱き、どうにか助け舟を出そうと試みるが、なぜだか千鶴の言葉には耳を貸そうとしない総司の言葉によって試みは失敗に終わり、またもや遮られてしまう。
「ねえ、この子一君のとこの子じゃないの?」
総司は目の前の彼を指差しながら、隣に位置する一の方を向いて意地悪そうな笑みを浮かべる。
一は会話に加わるのが少し面倒くさそうにも見えたが、総司の暴走を止めるべきだと思ったのか、小さく息を吐いた後その重い口を開いた。
(斉藤さんなら!!)
どうも自分では彼を助けられそうにないなと千鶴は悟ると、縋る思いで一へと視線を向ける。いつもこういった場面で助け舟を出してくれるのは一であり、きっと今も助けてくれるだろうと安直に結びつけ、期待が胸に押し寄せる。
ただ一点、なぜだか一とも視線が合わないのが気にはなったが。
「……三番組は規律に厳しい。俺の組には規律を乱すものなどいない」
(!!)
助けるどころかばっさりと斬り捨てた一に、千鶴は思わず驚きで目を丸くする。
いつもならここで丸く収めるよう話を持っていくのが一の役割であると勝手に思っていたのだが、今の発言はただ彼に追い討ちをかけるのみだ。
案の定、二人の組長に囲まれ、彼はもう完全に虫の息だ。
(ああ、なんとかしなくちゃっ)
だが、自分に目もくれない二人に何と言ったら耳を傾けてくれるのだろう、と千鶴があたふたしながら考えていると、
「確かに、一君に逆らったら怖そうだもんね」
と総司がけらけらと笑いながら、自分より小柄な彼を背を屈めながらジロジロと見やると、
「きっと平助のとこの子だね」
と勝手に結論付け、彼に視線を合わせてにこっと笑って見せた。
(な、なんでだろう。怖すぎるっ……)
なぜだか自分の背筋までぞくりとしたような気がして、千鶴はごくりと唾を飲み込んだ。
どうして総司の機嫌がよくなさそうなのかはわからなかったが、今総司の顔に張り付いている笑顔が本物の笑顔でない事は、目の前で竦みあがっている彼の表情から嫌と言うほど伝わってくる。
おまけに、いつもなら助け役である一すらも知らぬ顔で、
「ああ、きっとそうだろうな」
と、総司に同意すらする始末である。
(どうして二人共機嫌が悪そうなんだろう)
土方さんとまた揉めたりしたのだろうか?と千鶴が考えを巡らせていると、
「じゃあ僕等は行こうか、雪村君」
「え?」
と、総司がぽんと千鶴の肩を叩いたかと思うと、
「おまえは早く持ち場に戻れ」
と一が彼に静かにそう告げ、千鶴は両脇を二人の幹部に抱えられて、言葉を挟む間もなく
あっさりとその場から連れ去られた。
「あ、あのっ、沖田さんっ?斉藤さんっ??」
状況が全く掴めぬまま連れ去られる際、彼が気になり振り向いた千鶴の視界には、二人の幹部に睨まれてすっかりと怯えた様子でまだ呆然と立ち尽くす彼の姿が映し出されていた。
(……もう喋ってくれないかな)
はあ、と千鶴が落胆して溜息を吐くと、
「仲良くなる事はいいことだけど、女の子だってバレるとここにいられなくなるよ、雪村君」
(え?)
総司が千鶴の事をわざと“雪村君”と呼び気遣わしげな視線を千鶴に送ると、
「バレないに越した事はない」
と、一も総司に同意を示したように隣で頷く。
(あ!)
二人の言葉に、千鶴はなぜ未だに自分が男装をしてここで過ごしているのかという理由を思い出すと、
「あ、ありがとうございます!!」
と、自分の身を守ってくれた二人に素直に礼を述べた。
(そうか。二人とも私の事を心配してくれてたんだ)
ああそれなのに自分はどうして二人は不機嫌なんだろうと的外れな事ばかり考えていたなあ、と反省している千鶴の両脇の人物が実は今口にした事とは別の感情を胸に抱えていた事など、今の千鶴が気付く芳も無かった。
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