「ねぇねぇ、あの噂聞いた?」 駅のホームで一人電車待ちをしていたオレの耳は、少し離れた場所にいる女子の声を拾う。 電車が二両程しか停まれない小さな駅のホームの中、大声で話をすれば聴く気が無くても耳に入る。 「この駅って、出るんだってー!」 「出るって、もしかして…」 「聞いた!聞いた!駅員もいない夜のホームに、真っ白な制服着た、女子生徒の幽霊でしょ?」 「そうそ!!黒い怪しい箱を片手に持って、話し掛けて来るらしいよ!」 女子達はそんな怪談話を、実に楽しそうに賑やかに話す。 似た様な話しは他にも聞いた。 どこかの駅への行き方を聞いてくるとか、行き着けなくてあの世に道連れにするとか…くだらない。幽霊なんてそんなモノを本気で信じてる奴が、あの中にどれだけいるんだか。 オレは黒縁眼鏡のブリッチを上げて眉を寄せる。皆騒げる事があるなら、一を十にしてでも騒ぎたいだけだ。 こんな田舎で暮らしていたら、非日常的な事を見付けでもしなければ楽しみなどないのだろうが。 オレにはその方法すら馬鹿らしく思えて、耳を塞ぐ様にイヤホンを着けて音を遮断した。 程無くして来た電車に乗り込むと、扉の横の二人掛けシートに座って背もたれに体を預ける。 目の前のボックス席に、先程の女子達が座って未だに話をする様を見るのも嫌で、携帯を開くと視界すら外界から遮断した。 ―――カタン…カタン… 規則正しい緩かな電車の揺れは、まるで揺り篭にでも乗っている様で、いつの間にか眠りに落ちていたらしい。 ふと目を覚ますと、先程の女子の座るボックス席が目に入った。いつの間にか数人が降りた様で、女子は一人でそこに座っている。 耳にはイヤホンを着け、携帯に視線を落とす姿は、あんなにお喋りな人間と同じとは思えない。ぼんやりと車内を見渡せば、人がまばらに座っていた。 どの席の人も周りを気にする様子も無く、誰一人話す様子も無く、目の前の女子と同じ自分の世界に浸っている。 眼鏡のレンズ越しの風景は人がいるというのに、何とも無機質な光景。 オレもまた、その中の一部でしかない…。世界は灰色掛かって見えて、皆が代わり映えのない同じ毎日を、何も思わずにただただ生きている。 人間なんてそんなものだ…と、オレはまた目蓋を閉じた。 夏休みも終わる八月も後半の頃。 「レンー学校行くんでしょー?」 階段の下から母さんの大声が、家の中に響いた。 「そんなに叫ばなくても起きてるよ…」 オレは眉を寄せて、階段に足を掛けながら溜め息混じりで答える。 夏休みだというのに、休み明けの文化祭の準備の為に登校しなくてはならない寝起きは、いつも以上に憂鬱だった。 「もう!いつもそんな顔で降りてきて!シャキッとしなさい!」 朝から無駄に元気な母さんは、オレの顔を見るなり腰に手を当ててふんぞり返る。 「覇気が足りないわよ、覇気が!そんなんじゃ幸せも逃げてくわよ!」 母さんの口煩い上等文句は、耳がたこになる程聞いた。だけど幸せなんて物がよく分からないのに、覇気を出す意味をオレは見出だせなくて毎回適当に相槌を打つ。 それでも言い足りない様子の母さんの説教を聞くのは、面倒臭くてオレは早々に朝食を取ると家を出た。 歩き出すと照り付ける太陽の陽射しが、コンクリートに映るオレの影を濃くする。鬱陶しい暑さに眉を寄せながら、いつもの様に駅へ向かい、変わらぬ時間に来る電車に乗る。 冷房の効いた車内は気持ちが良くて、暫しの間だけ快適だった。 しかし所定の時刻になれば、学校の最寄り駅を知らせるアナウンスが響き渡る。オレは鞄を肩に掛ける。 すると同じ制服を来た生徒が、ドアの前に集まり出し、開かれた扉から駅へと降りた。オレは最後に駅のホームに、ゆっくりとした足取りで降りる。 同一の目的を持つ白と黒の集団の波が、決められた場所へと歩き出して行く。その背中を訝しげに睨み付けて、思わず立ち止まっていた。 まるでモノクロの世界の背景の様な光景だ。 自分もその背景のごく一部なのだと思うと、嫌気が差して大きく息を吐いた。 その時…―――オレの耳は、何かを捉えた。 まるで風鈴が鳴る様な、か細くて高い音。いや…声なのだろうか? 反射的に声の聴こえた反対側のホームへ、首を動かす。そのオレの眼鏡の端の視界に入って来た、眩い程の白に目を見開く。 そこには少女が立っていた。 真っ白な制服を着て、手には黒い箱の様な物を持つ、見た事の無い少女。 彼女が何かを言おうと口を開いた、瞬間…――パァーーー! 電車の汽笛が鳴り響き、オレと少女の間を勢い良く特急列車が通り抜ける。オレはその通過する長い特急列車の向こうが気になって、苛立ちさえ覚えた。 そして列車が通り抜けた反対側のホームには… 「いない…」 少女の姿は無かった。 思わず眼鏡を取って、何度か瞬きをしてみるが姿はない。脳内でいつだか聞いた女子達の怪談話が蘇る。 『真っ白な制服着た、女子生徒の幽霊…』『…黒い箱を片手に持って、話し掛けてくる…』 先程の少女は、正にその話の女子生徒そのもの。 まさか…と思ったのは一瞬の事。 すぐに頭は冷静さを取り戻す。そんな非日常な事が、有り得る訳がない。怪談なんて作り話だ。大方、陽射しの強さに目が眩んで、何かと見間違えたんだ。 自分の馬鹿らしさを皮肉に笑うと、眼鏡を掛け直して踵を返しホームに背を向ける。 そして歩き出そうと踏み出した瞬間、オレはより目を見開いて、思わず息を飲み足を止めた。 何故ならば、先程の少女が目の前にいたのだ。 ホームとホームを繋ぐ歩道橋の階段の前、オレのすぐ近くに少女は立っていた。 突然の事態に、声を上げるのも忘れてオレはその子を凝視する。 色素の薄い肩までの髪、消え入りそうな白い肌に真っ白な制服。そこにいる筈なのに何とも不確かに、オレの目に映った。 まさか…本当に幽霊なんじゃ…そんな事が頭に過る。 「…あの…」 少女が口を開くと、あの風鈴の様な声が溢れる。心臓が大きく波打って、体が強張った。 少女が一歩オレに近付くと、頬に一筋の汗が流れ落ちる。 次の瞬間―――視界から突如、少女の姿が消えた。 一瞬、目の前で何が起こったのか分からず困惑しながら、オレはそのまま視線を下に落とす。 正確に言えば消えた訳じゃない、視界外に落ちたのだ。そう、つまり転んだと言うのが正解。しかも音も無くとかそんな怪しい雰囲気では無く、割りと盛大に転んで立ち上がれずにいる。 …幽霊って転ぶのか…? 「いたーい…」 少し泣きそうになりながら声を上げる少女の声に、我に返る。 目の前で転ぶ少女を見下げてるだけとか、相手が幽霊だとしても後味が悪い。そんな事を内心で思いながらオレは、少女の横にしゃがみこむ。 「だ、大丈夫か?」 動揺が隠しきれずに、声が勝手に上擦る。 「は、はい!大丈夫です!」 真っ白な制服を着た少女はオレの声に反応して、勢い良く顔を上げる。 少しつりがちの大きな目を丸くさせた少女と、すぐ間近で目が合う。さっきは顔まで見る余裕が無かったが、幽霊から想像出来る気味の悪さとは相反して、可愛いらしい顔をしていた。 心臓が小さく高鳴る。 「わわわ、驚かせてすみません!」 転んでしまった事になのか、オレの顔が思いの外近かった事か、恥ずかしそうに口に手を当てて体の状態を起こす。すると何かに気付いた様に、キョロキョロと辺りを見渡すと何かを探している。 「もしかして…それ探してる?」 オレが彼女の後ろに転がる、黒い箱の様な物を指差すと少女は振り返る。 どうやら盛大に転んだ時に、手を離してしまった様で、あっと小さく呟きながら素早く立ち上がりそれを拾った。 「あ、ありがとうございます!」 少女は箱を両手で抱き抱えると、オレに深々と頭を下げる。 「い、いや、何もしてないけど…」 彼女の挙動不審な行動に呆気に取られながら、オレも立ち上がって少しずり落ちた眼鏡を直す。 よく見ればその両手に抱えられているのは、箱では無くバイオリンのケースだった。バイオリンなんて洒落た物は、生では見た事が無いのであくまでたぶんだけど。 「あんた、さっきまであっちのホームにいなかった?」 オレが反対側のホームに指を差すと、少女は思い出したかの様に口を開く。 「あっ、そう、そうです!私あなたに聞きたい事があって、急いでこっちのホームまで来たんでした!」 急いで…?と言われてよく見れば、右側に分けた前髪の下の額にうっすら汗をかいてる。彼女が言う事を要約するとこうだ。 オレに声を掛けたはいいが、特急列車に阻まれて、このまま行ったらいなくなってしまう。そう思い階段を駆け上がって、こちらのホームまで来たはいいが足が縺れて転んだ…という事らしい。 先程までの不確かさはどこへやら、ほんの一瞬でも恐怖心を持った自分を、馬鹿らしく思えた。 「…で、聞きたい事って?」 一通りの経緯を慌てふためきながら話す少女の話を聞き終えて、脱線した話を元に戻す為に聞き返す。 「あっ!はい!」 少女はまたもハッとした声を上げ、やっと主旨を思い出して口にしだす。 「あの!緑山駅って、後なん駅したら着きますか?」 オレはその駅の名を聞いて、面食らった。 「…えっ?あんた緑山駅に行きたいのか?」 「はい!」 訝しげに問う言葉に、少女は迷う様子も無く元気に返事をした。期待に満ち溢れた眼差しを向けられ、それに裏切るのを申し訳なく思いながら答える。 「緑山駅は、この先には無いよ。」 「えっ?」 少女はオレの答えに、キョトンとした声を出す。 「ここから五個駅を戻って、古田駅で路線乗り換えないと緑山駅には行けないんだよ。」 「え、えー?そうなんですか? じゃあ私、通り過ぎちゃったって事ですか?」 少女が目を真ん丸くして驚きの声を上げたので、何故かオレは申し訳無さ気に返事をする。 「まあ…そうなるな。」 「じゃ、じゃあ戻らないと行けない訳ですね?」 焦る様子の彼女は、不安そうにバイオリンケースをより強く抱き締める。 「まあ、こっち側にこれから来る電車に乗れば戻れるから大丈夫だよ。」 少しでも安心させようと落ち着いた口調で伝えれば、少女は成る程と胸を撫で下ろす。 「古田駅で降りたら歩道橋渡って一度駅出れば、違う路線がすぐあるからさ。」 それに乗れば行けるよと続ければ、少女の表情に再び光が戻り大きく頷いて見せた。 「分かりました!ありがとうございます!」 満面の笑みを浮かべた少女を見て、オレは片眉を上げると小さく頷く。 「今度こそ緑山駅に辿り着けそうです!」 意気揚々とそう言って、少女は嬉しそうにもう一度礼の言葉を口にすると頭を下げる。 ふと、駅に掛かる時計に目をやれば、間もなく集合の時間。 「ヤバい…じゃあオレ学校行くから。」 オレは少し焦りながら、彼女に背を向けると出口へと走り出す為に足を踏み出す。 「あっ、はい!またいつか!」 少女はごく自然にその言葉をオレに投げたが、『いつか』なんて無いだろうと心の中で思った。こんな不思議な出会いなんて、早々ある訳がないのだから。 そう思いながら何気無しに振り返ったオレは、またも目を見開く。何故ならば、白い制服の少女が先程の階段を上ろうと足を掛けているのだ。 「ちょっと待ったー!!」 驚愕の行動に反射的にオレが声を上げると、少女は振り返りながら首を傾げた。 「こ・こ・の・ホームから来る電車だって、言っただろ!」 オレが足元を指差して言葉を強調させて言えば、少女は目をパチクリと瞬きする。 「えっ?階段を上がるって…」 「それは古田駅でだよ!あっちのホームは、さっきあんたが来た方だろ!?」 えっ?と再度間の抜けた声を上げながら、階段と向こうのホームを交互に見て、やっと気付いた様にあっと口にする。 「わー勘違いしちゃいました!すみません!」 口では慌てる様子を見せたが、その顔は眉を下げながらも笑顔だ。 な、何なんだコイツ…大丈夫かよ?割りとあの駅、複雑に出来てるけど…無事に緑山まで行けるのか?行動とは裏腹に自信に溢れた少女に、オレはいささか不安を覚える。 そうこうしてる内に、頭上のスピーカーは電車がホームに入る電子音を響き渡らせる。 >>>続く [グループ][ナビ] [HPリング] [管理] |