「寒いね、」
彼女はそう言った。俺はそうは思わなかった。だから言った。そんなことないと思うさ。
彼女は首をゆっくり横に振る。そしてそうっと目を伏せる。びっくりするくらいに長い睫毛。化粧などでつくりあげた贋物なんかじゃない、本物の彼女の美しさ。

「ここは、寒いわ」





どうしてこんなことを思い出したのだろうか。記憶の中の少女はどこまでも美しい。記憶とはそういうものだ。
過去はすでに終わったもの。自分を裏切ることはない。だから美化する。美化して、時間とともに劣化した部分を想像や願望や、そういったもので補完する。だから記憶なんてものはあてにならないのだ。誰かの記憶、それは真実なんかじゃない。それはその記憶の持主の夢や願望の塊だ。




だとすれば、俺のこの記憶はなんだろう。少女が美しいのは俺の望みか。いやたしかに少女は美しかった。


これは何年前だろうか?彼女が少女で、俺が少年だった頃。そうだ、ふたりきりでの任務のときだ。俺達がついた時には、守るべき村落は壊滅していた。焼け落ちて荒廃したそこは、ただの荒野だった。人間はいなかった。
AKUMA達ももうそこにはいなくて、完全にすべてが終わった後で、ただAKUMAの攻撃によるものであろう炎だけが、あちこちでぶすぶすと燻っていた。火の粉がそこら中に舞っていて、暑かった。それ以上の感想を俺は抱けなかった。よくあることだ。ありがちで、いちいち気にしていたらきりのないような、瑣末なことだ。


しかし彼女にとっては違ったのだろう。少女はつぶやいた。寒いわ。
どうしてとは訊かなかった。何故なんて、わかりきっていた。なのに俺は知らぬふりをした。
彼女は重ねて言った。ここは、寒い。




多分あの時俺は、何を言うべきでもなく、ただ無言で少女を抱きしめるべきであった。乾ききった大地にちいさくうずくまる少女を、そっと抱き寄せるべきであった。でもしなかった。わかっていたのに、だ。
馬鹿みたいだ。そして思う。俺では、彼女を幸せになんて――



「ラビ?」


瞼を持ち上げると、艶やかな長い黒髪が揺れていた。あの頃と同じように、ツインテールにしてある美しいそれ。
さらさらと揺れる髪の持主は、しかしもう少女ではなかった。俺がもう少年ではないのと同じように。その、かつて少女だった彼女は困ったように笑う。


「もうお昼よ? そろそろ起きた方がいいわ」


ご飯だってもう冷めちゃったんだから。少し拗ねたように言う女がとても愛おしい。ごめんなさい、かみさま。俺は彼女を幸せになんてできないのに、なのにまだ。


「ああ、それとね、ラビ」
「ん? どうかしたさ?」
「マリッジブルーっっていうのはね、女の人の特権なのよ? 旦那さま?」


悪戯っぽく笑う彼女はなんだかとても強くて、でもやっぱり今度はちゃんと抱き寄せてあげなきゃ駄目なんだと思う。


「了解さ、お姫様」


ごめんなさい、かみさま。俺は彼女を幸せになんてできないかもしれないけど、それでも彼女を手放せずにいるのです。

ふふふ、と笑った彼女の左手の薬指に嵌められたそれが、窓から差し込むひかりを反射して、きらりとひかった。
そして、きっと俺の同じ指も、同じひかりを放っているのだろう。





あいをしるけもの



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久しぶりすぎて途中まで悲恋方向で暴走しました。ぎりでハッピーエンドに修正できた。よかった。


2009.2.17


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