閉ざされた部屋で、私はそうっと目を開ける。ラビと一緒に見た最後の景色。最後に交わした言葉たち。忘れない。忘れる筈が無い。
それは彼が居なくなって未だ日が浅いからだとか、そういう訳じゃない。これから日々を重ねる度に、きっと私はなくしてゆく。初めて会った日のこと、初めて笑い合ったこと、一緒に神田をからかったこと、ボロボロになりながら戦ったこと、初めてあなたに恋をしたこと。


時間と一緒に記憶はすり減って劣化して風化するだろう。それは止められない。だけど最後の日は忘れないだろう。願望ではなくて確信があった。
この先何を忘れたとしても、あの日の水分を沢山含んだ空気の匂いや、負った怪我、古びたあの列車とそしてあなたの別れの言葉を、私は絶対に忘れないだろう。神様にだって誓える。いつまでだって、覚えている。

もう一度だけ目を閉じる。瞼の裏にはやっぱり彼がいる。大丈夫だ。
あの日医療班の人から貰った絆創膏を摘まみ上げた。「額の傷に」と云っていた。
他の怪我の手当ては済んでいたけれど、額の怪我は未だだった。私が辞退したからだ。他人に手当てしてもらうのは違う気がした。これは自分でやらなければいけないと思った。

「さようなら、ラビ」

もう治りかけている傷に、絆創膏を押し当てた。蓋をするように。さようなら。剥がれないように強く押し当てた。




ラビ、と先日捨てた名前を口にする。同時に彼女を思い出す。可愛かったなぁ。強かったなぁ。本当に、好きだったなぁ。
もう会うことは無いしラビという名前ももう使うことはない。分かっている。分かっているのだ。だけど心の隅で期待している。
もしもまた何処かで会えたら、彼女はその時も俺をラビと呼んでくれるだろうか。彼女に笑って挨拶することは、許されるだろうか。ラビという名をもう一度使って生きることは、許されるだろうか。

「ちゃんと、好きだったさ」

家族ごっこではなかった。恋人ごっこでもなかった。確かに彼女を好きだった。それを伝えることは、許されるだろうか。


ちり、と目が痛んだ。砂が目に入ったのだ。涙が出てきた。そうだ砂が入ったから。だから仕方ない。砂のせいなのだから。
零れる涙を止めようとは思わなかった。唯、広すぎる荒野に立ち尽くしていた。




***

あと一話で終わると言ったのに引き延ばす自分は何なんだ。
多分、あと一話の、はず!


2007.8.20


あきゅろす。
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