「弾いてください」

私の斜め前に立って困ったような顔をしている鳴海さんは、やはり困ったように目の前の豪奢な黒塗りのグランドピアノを見つめている。いくつもある音楽室のうちの一室。そこのフローリングの床の上に私たちは立っていた。
普段ならば、今頃はこの部屋で合唱部が歌声を響かせているのだろうけど、今日のようなテスト前の放課後の音楽室には、誰も居ない。それを良いことに私たち二人は(まあ鳴海さんは私が無理矢理連れて来たのだけど)こっそりこの音楽室に忍び込んでいる訳である。

後ろ手にドアの鍵をかけながらそっと彼の顔を盗み見て、「高かったんですよコレ。何でピアノってこんなに高いんでしょうか」と、そう言って私はピアノの方へと鳴海さんの手を引いた。そして私は最前列の机に腰かける。鳴海さんはやはり困ったような顔で髪をかきあげて、溜め息をひとつ漏らした。それを見て、少し髪を切った方がいいんじゃないでしょうか、と私が提案すると彼は頭をがしがしと掻いて、また溜め息をひとつ。


「ひとつ訊いてもいいか」
「ええ、何でしょうか?」
「一体どうしたんだ、このピアノ」


そう問いながら鳴海さんは、じぃっと、それこそ穴が開くほどに眼前のピアノを注視して、時おり右の人差し指で鍵盤を叩く。少しくもった窓の外では、細かい雨粒が次から次へと地面に墜ちてゆく。春雨ですかねぇ、と呟くと「まだ早いだろ」と、ピアノをしげしげと眺めていた鳴海さんが言った。


「ピアノが一台壊れたってのは聞いてたけど」
「新しくコレに買いかえたんですよ」
「普通、学校ではこんなに高級なピアノなんて買わないぞ」


彼は私を横目で睨みつける。その視線は「どうせアンタが何か仕組んだんだろう」と言っているようで、思わず笑ってしまった。彼はそれを不機嫌そうな顔で一瞥し、鍵盤を何度か叩いた。
仕方がないです、自白しましょう。私が微笑むと彼は更に眉間に皺を寄せた。


「ちょっと校長先生にお願いしただけです」
「……やっぱり脅したのか」
「やっぱりとは何ですか。人聞きが悪いですね」


鳴海さんの最高の演奏を聴いてみたかったので。そう笑うと彼は本日三度めの溜め息をついてピアノに備えつけてある椅子に腰をおろし、そしてぶっきらぼうに「何の曲がいいんだ」と。
私はほほを弛める。何だかんだと言っても、結局最後には彼は私の願いをきいてくれるのだ。


「何でもいいです。鳴海さんのピアノが聴けるなら」


いつの間にか雨はあがって、柔らかい陽射しがこの部屋に射しこんでいた。鳴海さんの指先が鍵盤に触れるのを見て、私はそっと目を閉じる。まるでぬるま湯のように心地よい酸素を吸いこんで、私は題名も知らないその曲に耳を澄ました。


fin




ひよのさんは色々と最強です。

2007.1.4 thanks20000hit!




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