私は流魂街がきらいだった。仲間のなかにはあそこを「故郷」とか「はじまりの場所」とか言うやつがいたけれど、彼らはきっと、私たちとは全く違う生活をしていたんだろう。少なくとも、私たちよりはましな生活だったに違いない。

「きらいやった、て過去形なん?」
「もう、戻ることもありませんから」
「なんで、きらいやったん?」

そう言って、目の前の男の、もとから細い目が一層細くなった。なんで、なんていう問いの答えはあまりにたくさんありすぎて、答えきれないのを、彼は知っているのだろうか。

「理由なんて必要ないと思いますが」

そう、要らないのだ。理由とか訳とかそんなものは。
ただ、あそこは私が欲しいとは思っていないものばかりよこして、本当に欲しかったものをくれたことなんてほとんどない。霊力なんて、どこのだれがほしがったの?私たちはきっと、そんなものは必要なかった。そんなもののせいで飢えて死にそうになるなんて、どんなに滑稽な話だろうか。

「なあ、乱菊」
「なんでしょうか」
「ボクと会ってからも、きらいやった?」

「隊長と出会ってからは、少しはましになりました」

それは確かにまぎれもない事実だった。いろんな何かを共有できるひとができたから、少しだけ救われた気持ちになった。ロマンチックな運命の出会いには程遠い出会い方だったけど。
(それでも、アンタに会えたのは、嬉しかったわ)

「それにしても、なんで敬語使うん?」
「隊長ですから」

条件反射でことばが口からとび出した。言われなくてもわかっているだろうに。昔と今は、決定的に違うのだ。
目の前の男は、ふーん、とどこか遠いことのように聞いていた。少しの沈黙のあと、彼は突然口を開いた。

「なあ、乱菊」
「なんでしょうか、市丸隊長」
「戻りたい?」

まるでのぞきこむように、彼は私を見た。主語のない、まるで抽象的なその問いを無視できなかったのは、かすかに見えた瞳があまりに真っ直ぐだったからだ。昔のように。昔と今は、違うはずなのに。
そして私はくちびるを動かした。まるで、自分自身を無理矢理納得させるかのように。

「もう、無理よ」
「……そか」
「そろそろ、失礼します」

耐えられなくなって、私は席を立った。どうして、彼はあんなことを訊いてきたのだろう。「戻りたい」と、そう答えたら戻れたのだろうか。毎日が精いっぱいで、苦しくて、でもいつもふたりだったあのときに。
まさか。戻れるわけない。だって私たちは、もうひきかえせないところに来てしまった。そして私たちは、もう道が別たれてしまっているように感じるくらいに遠いところにいる。
そうだ、戻れるわけはない。なのに、あのときの彼の瞳には、それを信じてしまいそうな何かがあった。

「乱菊」

背後からの声に、振り向かずに、足だけ止めた。

「気ィつけて帰るんやで?」

乱菊は綺麗やからさらわれてしまう、と。衝動にかられて、私は走り出した。振り向くな、振り向いては駄目だ。だって振り向いてしまえば、私たちの距離をつきつけられてしまう。多分これからも埋まることのない、哀しいほどに長い距離。
(だって、さらって頂戴と言っても、あなたははぐらかすだけなのでしょう)

 出会ったあの日と同じように、雲が流れてゆく。
きっと、彼は私の後ろで手を振っているのだろう。私は彼に背を向けながら、ごめんなさい、と小さくつぶやいた。全てをあきらめきれない自分を、憎みながら。


fin


(サイト開設一周年記念)

2006.3
2006.10再録(修正)


あきゅろす。
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