あまりにも日差しはやわらかくて泣きたくなる程に空はあおかった。なんて、忌々しいのだろう。それともあのひとは喜んでいるだろうか。さいごの日がこんなにも美しい日で。
小さく息を吸うと、鼻孔を、潮のかおりと線香のにおいが混ざった空気がくすぐった。ああ。生きている。
ざあ、ざあ、と。海が鳴った。

「こんなところで何してるアルか」

背後に立つ女が云う。振り返らずに、ちぇ、見つかっちまった、と。呟いたそれはあまりにもいつも通りの口調で愕然とした。目を伏せた、視界の端で暗いあおが手まねくようにうねる。この、コンクリートで固められた地面から、もう一歩でも前に進めばきっといけるなんて、そんなことはわかっている。多分それだから、目が、はなせない。
あおの更に奥を見ようと目をこらす。水面が揺れる。ひきずりこまれそうな感覚に、くらくらした。

「オマエは、どうなってほしい?」

唐突な問いかけ。俺は振り返ることができない。海をみつめたまま、誰にきいたんですかィ、と訊けば、あのゴリラヨ、と吐き捨てるようないつもの口調。
しおからい風が水面を揺らす。ゆらゆら。ざあざあ。

「全部、きいたんですかィ」
「全部かどうかなんて知らないネ。私はただオマエをなぐさめに来てやっただけアル」
「なぐさめに?アンタが?どうやって」
「なんでも」

女はそこで言葉を切ってくすくすと笑った。女の纏う気配がかわる。海鳴りは止まない。
ぞくり。背筋を何かが走った。

「なんでも願いを、叶えてやるヨ」

なんでもヨ。何してほしい?いたずらっぽく笑う気配がする。俺はまだ振り返れない。けれど、女が笑っているのはわかる。それは。決意を、覚悟を決めた者の笑みだ。

「オマエは、どうなってほしい?」

さっきと同じ問いかけ。すぅ、と体の芯が冷える。本気なのだ。

「アンタ、」
「私は大抵のことはできるネ。あのマヨを殺すことも、オマエの姉さんを騙した奴らを皆殺しにすることも、今ここで、オマエの背中を押すことも」
「全部、殺しじゃねェか」
「私は夜兎だから」

思いつくのはそれくらいヨ。
台詞にはまるでそぐわない、舌足らずな声が背後でひびく。決めるのはオマエ。でも私にも、忠告くらいはできるネ。

「オマエは、死んでも絶対にその人には会えないヨ」
「…アンタにわかりますか?」
「わかるヨ。オマエの手は、人殺しの手ネ」

私と、同じ。ざあざあとうなる潮騷のなかにありながら、その声はとてもよく通った。なんて、痛い。

「会いたいだなんて、ムシが良すぎると思いますか?」
「私は別にそうは思わないアル。でも、きっと無理ネ」


諦めたように、命は重すぎるヨ、と。その声にその気配に、思わず振り向いて華奢な腕をつかむ。視線がまじわる。つよくて、しずかで、つめたくて、かなしい。そんな目を、していた。
ざあ、と後ろで海が呼ぶ。ざあ、ざあ。手まねいているのだろうか。

「叶えてくれるのかィ?」

女は笑う。とても無邪気に。何をしてほしい?と、空気がふるえた。俺は息を吸う。しおからいそれは、涙のようだ。

「みっともねェのを、ゆるして」

自分よりもひとまわりは小さい体はとても熱かった。すがりつく俺を抱きよせて、そんなことでいいの、と女はつぶやく。返事のかわりに肩に顔をうずめて、俺は大声で泣いた。大丈夫ヨ、と云ったかすれた声が、背中をさする温度が何故か、全然似ていないのに、昔のあのひとと、重なった。




 fin.



2006.10


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