FOG!様寄稿
「ムゲン・ザ……ッうあああっ!!」
「っおい!大丈夫か?立向居」
ゴールネットに背を預け、もはや聞き慣れたほどの優しい台詞を浴びながら、俺は虚しく天を仰いだ。
(大丈夫か、か…)
あれから毎日、幾度となく綱海さんと練習を重ねてきた。それなのに究極奥義はなかなか完成の兆しを見せなくて、得られたものは欲しくもない、俺のうちの焦燥感と劣等感。
それだけならまだ、我慢できる。
特訓に付き合ってくれるこの人の疲労も、時の経過とともに蓄積されているはずなんだ。それでも俺には、嫌な顔一つ見せずに。
どうしようもならない自分が、ひどくもどかしくてやるせない。迷惑ばかり掛けて、その実なにも、成功して喜ばせるという恩返しさえもできなくて。
すごく、悔しい。
だから、俺は。
「…大丈夫ですよ、綱海さん!」
立ち上がって、作り笑いで微笑んだ。
―君が笑ってくれるから―
「…そっか」
綱海さんは俺のほうを見つめて、なぜだか困ったように眉を寄せる。そうしてどこか釈然としないふうに苦笑して、俺が投げ返したボールを右足で受けた。
(あ、いま…)
足、少し浮かせた。
痛むのかもしれない。
そりゃあ、ツナミブーストなんて大技を日に何回も打っていれば、おまけにそれが連日続けば、こんなふうになるのは目に見えている。元MFだ。俺にだってそのくらい、分かる。
それでも、自分の都合では絶対にやめようとしないのが綱海さんだ。ずっと一緒にやっているから、綱海さんというひとがどんな人間なのか、それも結構理解している。
だから、俺はせめてもと笑顔でいることにしたんだ。
辛い顔を見せて、心配させないように。悲しませないように。
「綱海さん、もう一度お願いします!」
「…おうよ!」
お互い額の汗をぬぐって、日差しよろしくじりり、と見つめあう。先ほどまでの雨とは打って変わって輝きはじめた太陽が、俺の背中の後ろから、綱海さんの全身をまばゆく照らしていた。
「…いくぜ!ツナミブースト…ッ!」
来る。
力強い波のようにうねりながら、俺に向かって。綱海さんはいつでも、本気で向かってきてくれる。
だから俺も、本気で向かい合わないといけないんだ。
「ムゲン・ザ・ハン…ッ!!」
向かい合わないと、いけないのに。
「…っああ!」
「立向居!」
またしても俺の身体は宙を軽く舞って、ネットに沈んでいってしまう。何度も味わった、背中に網目の食い込む感覚。
俺は表情が見えないように俯いたまま、ぎり、と唇を噛んだ。
どうして、こんなに。くやしい。
「立向居、立てるか?」
綱海さんは俺のほうを心配そうに見やって、それでも駆け寄ろうとはしなかった。身体はもう、走り出しそうなくらいに前傾しているのだけれど。
それが彼なりの気遣いで、俺はそれがとても嬉しい。余程のことじゃないと動かないのは、俺のちっぽけなプライドを尊重するためだと知っているから。
(ありがとうございます。でも…)
そんな顔、しないでください。
俺のせいで、綱海さんに悲しい顔させて、ごめんなさい。
無理にでも俺が笑うから、貴方も笑っていてください。
「はい!…なかなかうまくいきませんね、やっぱり」
きちんと口角は上げられているだろうか。普段どおりの顔になっているだろうか。
そんなことを考えながら、俺はボールを拾って投げ返した。
ゆるやかなアーチを描いて地面へと落ちた球体は、ワンバウンドして綱海さんの足下に吸い込まれていく。
(また、右足…)
一瞬浮いた。足首、かな。
先ほどよりも痛そうに反応しているところを見ると、うまく納得させて、もう今日は終わりにしたほうが賢明そうだ。
綱海さんの身体になにかあったら、それこそつらくて申し訳なくて、合わせる顔がない。
「綱海さーん!」
俺は右手をぶんぶんと振って、左足でリフティングする彼の注意を引いた。
綱海さんの動きには思わず、サマになっているなあ、と見惚れてしまう。サッカー歴なんてほとんどないに等しいのに、逆足の左足でももう綺麗にコントロールが出来ていて。サッカーボールが既に馴染んでいるだなんて、すごいひとだ。
「んー?どしたー?」
そんな綱海さんが、俺の呼び掛けに応えるようにリフティングをやめる。ボールは高くあげられて、彼の手にすぽんと納まった。
一連の動作は、まるでコマに描かれたかのように滑らかだ。
けれど。
目線が上げられ、そのまま顔がこちらに向きなおった、その瞬間。
「……っ!!」
綱海さんの切れ長の双眸が、みるみるうちに丸く見開かれた。
息を飲むように、上体を後ろに僅か逸らせて。
何が、起こった?
(…まさか)
足……!
「綱海さんっ!!」
俺はそう直感して、思わず片足を踏み出し走りはじめた。
そうだ。さっきからあんなに痛そうにしていたじゃないか。びくりと動いていたから、きっともう腫れてるはずだ。どうしてもっと早く止めなかったんだ。ひどくなる前に、どうして。
はやく、はやく行かない、と……
「って、え………?」
ずるっ。
間抜けな音が足下から耳に響いて、俺の身体はずしんと地面に打ち付けられた。背中とお尻がずきずき痛んで、脳がじーんと震盪する。
そのスローモーションのうちに、俺はようやく理解した。
雨上がりのぬかるみに、自分が足を取られたことを。
「立向居っ!」
こけて尻餅をついたまま呆然とする俺目がけて、綱海さんの声と体躯がほぼ同時に駆け寄ってくる。その姿を俺は、まるで映画か何かのワンシーンを見ているように、客観的に眺めていた。
「立向居っ!!おいお前っ、平気か?ケガないか?」
『どこも痛くしてないよな?』なんて、綱海さんは泣きそうな顔をしたまま屈んで、俺の身体のあちこちをぺたぺたと触る。足に背中、腕、胸、腰。
しばらく唖然としていた俺だったけれど、頬に触れられ瞳をのぞきこまれたときに、慌てて状況を飲み込んだ。
「な、なな…っ!!だ、だいじょ、ぶ、です……!」
顔の前であわあわと手を振って、綱海さんとの距離を広げていく。
びっくり、した。あんなに至近距離でひとと話したのなんて初めてで。不覚にも、どきどきしてしまった。顔がすごく熱い。
「あー、よかった!ったく、急に走りだしたかと思ったらいきなりずっこけっからよ、焦っちまったぜ」
「だ、だってそれは綱海さんが…っ!」
かっこわるい自分を正当化しようとそこまで反論して、俺は気付いた。
「綱海さんっ、足っ!」
「へ?」
しゃがんでいる綱海さんの右足首を掴んで、確かめる程度に軽く押す。
「いっ…てえええっ!!おまっ、ふ、不意討ちだぞ、立向居っ!」
「ほら、やっぱり少し腫れてるじゃないですか!なんで走ってくるんですか!どうして練習やめないんですか!」
「やー、あの、な……?」
矢継ぎ早に出てくる俺の言葉に圧倒されたのか、ついに綱海さんはぺたりと座り込み、『バレてたのかよ』と唇を尖らせた。
居心地悪そうにふてくされたままぶーぶー言って、質問に答えようとはしない。そんな彼に痺れを切らし、俺はずいっと身体を乗り出した。
「綱海さんは、もっと、もっと身体を大事にしなくちゃだめです!さっきだって、足が痛かったんですよね!?突然息を飲むみたいになって、俺、それで心配して、それで…!」
そう言いながら、綱海さんの肩を掴む手が震える。
俺は、俺が思っていたよりもひどく、怖かったらしい。この人の身に、何かあることが。
「立向居…」
綱海さんは少しだけ驚いた表情を見せたあと、俺の手を優しく掴んで下におろした。宥めるように俺の頭を撫でて、ニカリといつもの笑みを見せる。
「違ぇよ、足は大丈夫だ。俺が驚いたのはそうじゃなくて……ちょっと目つぶっててみ。ぎゅーっと」
「目?ぎゅーっと……?」
何だか分からないけれど言われるがまま瞳を力いっぱい閉じて、期待と不安でちかちかする瞼の裏だけを見つめる。どうしてか一秒がものすごく長く感じられて、意味もなく胸が高鳴った。
「…じっとしてろ、な?」
耳元のその言葉にこくりと頷けば、身体がひょいと抱き上げられ、軽々くるりと逆向きにされる。背中が温かいものに凭れかかって、ふわりと何かに包まれた。
「つ、綱海さんっ!これ…っ」
「ん、だっこだっこ。…おら、いま目開け」
「だっこ、って、もう…!」
ばたばた暴れる手足を後ろから綱海さんに制されて、おっかなびっくり瞳をあける。
あまりに強く瞑りすぎたために、白い靄のかかる世界。
視界が開けたそこに差し込んだのは。
「わあ……っ!!」
「なっ?キレーだろ?」
俺がいた、ゴールポストの真上。
空には雨上がりの虹が架かって、雲の切れ目からはエンジェルラダーが降りている。
教科書に出てくる、ヨーロッパの絵画みたいだ。幻想的で、今にも天使が舞い降りてきそうな雰囲気の。不思議な力をもって悩みや辛さを忘れさせるような、そんな光景。
本当に、きれい。
「…やーっと笑ったな、お前」
「え…?」
きょとんと後ろを振り向けば、ほっとした表情の綱海さんと目があった。
「ずっと作り笑いしてただろ?」
「……っ!」
『気付いてないとでも思ったのかよ』なんてデコピンをされて、俺は心苦しい気持ちでいっぱいになる。気に、させてしまった。
「…ごめん、なさい」
綱海さんは俺の謝罪を何も言わず、ため息まじりの笑顔で受け取って。くしゃりと俺の頭をかき混ぜると、すうっと息を吸った。
「だから奥義成功させて喜ばせたくて、今日は特に、特訓やめたくなかったんだよ。…そしたらたまたま、アレが見えてさ」
そう言って綱海さんは、空の方を眩しそうに見つめる。俺もそれに倣って、同じように視線を上げてみた。
光の競演は、何度見ても美しい。
お互いが主張して、引き立てあって。
「アレ見せたら立向居を笑わせられるんじゃねぇかと思って、すっげーピンときたんだよ。うっかり心配かけちまったけど…」
『ごめんな、怖かっただろ』と、すまなそうに綱海さんが笑う気配を後ろに感じて、俺はふるふると首をふった。
「お、俺の、勘違い、ですから…っ」
うれしかった。俺のことを考えて慮ってくれる、その気持ちが。
気を抜いたら泣いてしまいそうで、そんな姿を見せたらまた心配をかけそうだから。
俺は涙を必死に堪えて、身体に回された綱海さんの腕を少しだけ、きゅっと掴む。
「…ん」
綱海さんは気付いているのかいないのか、俺の顔を覗き込むことはなかった。
代わりに頭の上に顎を置いて、手のひらで俺のお腹をぽんぽんと叩いてくれる。
なんだか俺はこんなにされて、まるであやされている子どもみたいだ。
普段だったら恥ずかしくて振り払うところだけれど、今日は、このまま。
「…なぁ、立向居」
「はい?」
しばらく経って落ち着くと、綱海さんが改まったように切り出した。俺は邪魔にならないように、大人しく次の言葉を待つ。
ふと、この人の声色は、こんなにも落ち着くものだったっけと考える。普段話すときとは全く違う、真面目で、低くて、鼓膜を震わせるような。安心する音。
「…お前が思ってる以上に、お前との特訓はオレにとっても特訓なんだぜ?いいか?だから細けぇことなんか気にせず、思いっきりやればいい」
「……はい!」
驚いた。気にしていたことも何もかも、お見通しで。
「それから無理すんな。からだも、こころも。辛くなったら受け止めてやるから」
「…っ…はい…!」
俺の状態も、すっかり見抜いているなんて。ああ、俺はこの人にはこれから、嘘なんかつけないんだなと思う。
優しい人だとは分かっていたけれど、ここまで、それこそ海みたいな心を持っている人だとは。『受け止めてやる』だなんて、簡単に言えることじゃない。俺が考えていたよりも綱海さんはずっと、ずっと大きなひとだった。
「…綱海さんて」
「…?なんだ?」
もったいつけて話さない俺の言葉を待ちながら、綱海さんは俺の頭の上でぐりぐりと遊んでいる。
なんていうか、兄弟みたいだ。…俺にだからこうしてくれるのかは、分からないけれど。
「…優しすぎますね」
俺がそう言って振り向くと、綱海さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。そんなに驚くことでもないと思うけれど、この人は無自覚だったのだろう。自分がそうあるということに。
でも綱海さんは徐々に破顔して、軽く額をこつんと合わせ、俺に向かってこう言い放ったんだ。
「お前が笑ってくれたら頑張れるからだぜ、立向居!」
満面の笑みで、目と鼻のすぐ先で。
俺はあまりのことに、顔を赤くする以外何の反応もできなかった。
加えて、臆面もなくそう言われたものだから、俺の動悸ばかりこんなに上がっていて恥ずかしくなる。なにか沸騰して出てきそうで、頭がこんがらがった。
「そ、そういうの、応援してくれる女の子に言うセリフじゃないんですか!?お、おおお男同士って、ちょっと変じゃないですか!?」
「へー、そういうもんなのか?オレよく分かんねぇんだよなぁ。…ま、とりあえずこれは本当のことだ!」
『当たりめーだが、また作り笑いなんかしたらオシオキだからな』と耳元で付け足すように囁き、満足気にふふんと鼻を鳴らして。いったいこの人は何が楽しいのだろうと思う。こっちはもう、顔から火が出そうなくらい熱いっていうのに。それから、こんな時に腕の力を強めないでほしい。まったく、なんなんですか!綱海さん!
…そう口にするのもあれだから、俺は対抗して言ってみた。
「そのセリフ、そっくりそのままお返ししますっ!」
俺のように狼狽したらいい、とほんのり淡い期待を持って発したけれど、もちろんそんなことはなく。
綱海さんは、ぽかんとしていた。
「…立向居、そのセリフってどのセリフだ?なぁ?『その』だから…」
首をひねって国語の問題に取り組む彼を笑いながら、俺は少しだけ身を寄せる。
くっついているところが熱かったのは、笑いすぎて体温が上がったからにちがいない。そう思った。
【君が笑ってくれるから】
(うわ…濡れてるとこ座ってたから、お尻びちょびちょです)
(あーあー、風呂入りに行くか?)
(行きますっ!)
(今日は洗いっこしようぜ)
(!!)
***
FOG!様に寄稿させていただきました。
読んで下さりありがとうございます。長文すみません、お疲れさまでした。
普段別ジャンルのため、綱立、そもそもイレ文に初チャレンジでした。綱海も立向居も大好きすぎて勢いで書きましたので、色々スルーして下さると幸いです。もうなんか本当に…お恥ずかしい。
企画参加させて頂き、ありがとうございました!
ぶたこ(HP)
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