雨の日のお話/甘い



「また、雨だあ」


 屋上の扉をすこしだけあけて、隙間を覗きながらどうしようもなく降り続く雨を横目に、ぼやいた。片手にはいつもの弁当。昼休みは曇天の空だ。

 今年の梅雨入りは、すこしだけ早い。


 なんといっても三日連続の雨である。雨はきらい。御影と出会ってから、とくにきらいになった。どうしてかと言えば――。


(今日もめでたく屋上の扉を背中に預けてぼっち飯、かあ)


 雨の日、御影は屋上に現れない。

 そりゃあそうだ。屋根のない屋上に、わざわざ雨に当たりに来るはずがない。とくに朝からこんな土砂降りの雨では、いうまでもないことで。

 それでも(もしかしたら、ほんとうにもしかしたら、ぼくと同じように雨でも会いたいなんて思ってふらっと屋上に来るかもしれない)なんてあほらしい思いから、結局雨の日にも皆勤賞で屋上にかようぼく。


 弁当をつまみながら、すこしだけ前のことを思い出して、平和を噛みしめる。これが、ひとりのときのぼくの基本のスタンスである。すこし前は、こんな風にしっぽりと弁当を食べる余裕なんてなかった。

 長島くんが退学という名の転校を余儀なくされてからというもの、学校は嵐が去ったあとのような静まりを見せた。しかしすぐに生徒会は元通り始動し、風紀も相変わらずそれなりに忙しくしているようだ。そもそも風紀って、ぼくは知らなかったけれど、元々の仕事の量が多いらしい。


 ――おまえなら、この学校をまとめられると思って、すべてを一任したんだ。……俺の目は節穴だったみたいだがな。


 これはひそひそと影で囁かれているらしい噂なのだが。どうやらあのとき食堂で会長に向けて御影が言い放った言葉が、ぐさっと会長の胸を貫いたらしい。

 なんでも御影ってほんとうにすごいひとらしい。ほんとうは会長に推されていたのは御影だったのだから。しかし本人が、


「目立つのやだし、めんどい」


 といってあっさり会長にその席を譲り渡してしまったらしい。

 それから御影は平和な生活に戻ろうとまた空気になりかけたらしいのだけど、そんな類いまれなる才能を逃がしてたまるかという有志の粋なはからいで、めでたく今度は風紀の席につかせたらしい。

 本人は嫌がりこそしたが、あまり目立たない仕事しかしないという条件のもと、最後はしぶしぶ折れたとかなんだとか。


 これが御影の伝説らしい。これは全部真柴先輩が語ってくれた。御影が目立ちたくないと風紀室に閉じこもるせいでほかの風紀の動員が大変だしなにより自分が動くのが増えて迷惑極まりないと不機嫌そうな様子で、語ってくれた。

 それを見てぼくが感じたのは、


(御影、かっこいいなあ)


 だった。それを言ったら真柴先輩に呆れた顔をされたんだっけ。


(今日も、雨。昨日よりはこぶりだけど)


 四時間目の終わる頃。心なしか、お昼を待つ学生たちはそわそわし始めている。ぼんやりと頬杖をついて、窓から空を見上げた。曇天。

 恨めしげに睨んでいる間に、チャイムがなった。


「斉田―おまえ今日も飯一緒に食わないの?」


 あの事件の終幕からおずおずと友達になってくれたひとのひとりが真っ先にぼくのところに来てくれる。いつも誘ってくれるのに申し訳ないと思いながらも、ぼくの答えはやっぱりうん、だった。


「ちえーそっか。おまえいつもどっか行くよなあ」


 どこ行くのと訊かれて、曖昧に笑った。そこがぼくと御影だけの秘密の場所なのは、ぼくたちのことが周りに知れ渡った今でも変わらない。


「ごめんね、いつも誘ってくれるのに」

「いいってことよ!」


 鞄の中をさぐって、せっかく朝作った弁当を忘れてきたことに気づく。う……帰ってからぽつんとテーブルに置かれている弁当を捨てなきゃいけないことを思って、沈む。


(購買、行こう)


 昼開始のチャイムから五分はたっている。狭い購買はきっともうぎゅうぎゅうに違いない。……急ごう。


(もしも、御影が生徒会長だったら、購買を大きくする権利とかあるのかな……)


 それはただの便利屋さんだなあ、なんて思って、それから、毎日御影のことを考える自分に気づく。なんとなく、ぽ、と体が熱くなった。

 廊下に出て走り出す。雨は小ぶりだ。すこしだけ雨に当たってしまうけれど、渡り廊下を使わずに近道しよう、なんてこの間水無瀬先輩が極秘に教えてくれたルートを思い浮かべた。

 実は事件が収束してから毎日のようには合わなくなった水無瀬先輩と真柴先輩について、すこしだけ寂しかったりする。会うとかまってくれるのだけど。

 一回に下りて、昇降口から渡り廊下を渡らずに、雨の中走り出した。

 ……む。意外と降っている。

 購買は早くいかなければ体育会系男子の大所帯となり、ぼくみたいなのは端に追いやられてしまうのだろう。


 それに――。

 今日は雨が小ぶりだ。雨の日は決まってこないと分かっているのに、


(小ぶりだから、今日は、くるかも)


 もしきてぼくがいなかったら、今度こそ御影が帰ってしまい、きっとすれ違いになるのだろう。だから急いで先に屋上のドアの前にいなきゃ。

 なんて期待するのは、御影がすきすぎるぼくの悪いくせだ。


 すきって不思議な気持ちだ。

 爆発した瞬間、それまでぼくの中にひそかに、でもしっかりと芽生えていた感情が、その反動で逆流するように、流れてくる。もうとっくに飽和している。

 これ以上すきになったら困るのに、御影を見るたびに、どんどんすきになっていくんだ。


(御影には、そんなこと言えないけれど)


 雨の日も会いたいなんて我が儘言ったら、御影を困らせるかな。


 もみくちゃになりながらなんでもいいから!と掴んだ戦利品を片手に、昇降口まで戻ってくる頃には、昼休みの半分くらいが経過していた。あんなに意気込んだのに、やっぱり購買は熾烈な競争社会だった。ぼくにはちょっと向いていない。

 疲れてしまい、ため息を吐く。

 ていうか。


(ぼく、なんでこんなに濡れてるんだ)


 ぼくが渡り廊下を通りすぎて雨に当たった辺りから、ポツポツなんて可愛いものだったのがザーザーに変わってきたなあとはうすうす勘付いていたけれど。

 ……そっか、逆に濡れてたからみんなすこしだけぼくと距離を置いてたんだ。結果オーライだ。


 屋上に走りだそうとしたときだった。ぐいっと体を引かれて、後ろを振り向かされる。

 そこにいたのは、すこしだけきょとんとしていた、


「……みなせ、せんぱい?」

「紘ちゃん」


 なんで……そんなに困惑したような顔をしているのだろう。

 いつもの数倍ぼーっとした様子で、こちらを見ている先輩。「紘ちゃん」というかどちらかというと「紘ちゃん?」みたいな。はい、紘です。


 にせものじゃないんだけどなあ。

 そんなことを思いながら水無瀬先輩を眺めていると、先輩は思い直したようにぼくの手を引いて歩き出した。


 え、え!?


「水無瀬先輩?」

「つかまえちゃった、紘ちゃん」


 ……どういうことだろう。


「どこいくんですか」

「風紀室」

「え……御影のところ?」

「うん」


 ……御影、いつも風紀室いるんだあ。風紀のお仕事、忙しいのかな。

 髪の毛の先っちょに掛かった水が、ぴたりと頬に吸いつくのを感じる。


(ぼく、迷惑じゃないのかな)


 だって御影、仕事あるからぼくに会いに屋上にこないんだし。それなのに、ぼくがわざわざ行ったら、どんな気持ちになるかな。


「先輩、あの、離してください」

「やだよお。志野ちゃんが困ってるんだ」

「ええ!?」

「連日雨につき、委員長の人相が極悪人みたいになってるって」

「それは――」


 どういうことですか、と言う前に、既に走っているような速度を出していた先輩がそのスピードのまま勢いよく風紀室のドアを開ける。


「こおおおら水無瀬! ドアはもっと静かに――」

「委員長」

「……って、おまえ」


 手前の机に座って書類のようなものと向き合っていた真柴先輩が、ぼくを見て目を丸くする。……さっきの水無瀬先輩と反応がそっくりだ。


「委員長。捕まえたよ」

「ああ!?」


 水無瀬先輩の視線を辿って見た先には、文字通りの般若がいた。……なんだか犯罪起こしそうなお方。

 えっと……ダレデスカ。


 なんて冗談は置いといて、委員長――もとい御影がこちらを向いて、それからぼくを見る。たっぷり三秒くらい、時間が停止していた。なんだか、不機嫌。


(仕事、溜まってるのかな……やっぱりこないほうが……)


「おい会計」

「ねぎらい?」

「とりあえず紘の手放せ」

「……」


 すごく一瞬だけど、水無瀬先輩が死んだ魚の目になった気がする。


「言っときますが、紘ちゃんはおれと志野ちゃんの子なんだからね」


 ……そうだっけ。

 水無瀬先輩がぼくの手をおもむろに放したと同時に、書類から手を離して席を立った御影が、こちらへくる。


「紘」


 声のトーンは、すごく、低い。


「どうしてここにいる」


(やっぱり……)


 だめだと思っても、じわりと、目じりが熱くなりかけるのが分かる。無意識に後ろに下がって、大きな水無瀬先輩の背に隠れる。


「ごめん、なさい」

「……こい」

「……」

「……ちっ、真柴休憩室使うぞ」

「おいてめー紘泣かすなよ」


 ぐいっと有無を言わさず御影に腕を引かれて、奥の狭い休憩室へ向かわれる。御影が怖くて、ぼくはただ震えて従うしかなかった。

 直前に安心させるように水無瀬先輩が背中を二回トントンと叩いてくれたけれど、御影怒ってる。やっぱり、くるべきじゃなかった。……こなきゃよかった。


 水無瀬先輩に手を引かれてここにやってくるとき、困惑したけれど同時にやっぱり嬉しかったんだ。数日ぶりに御影に会えるって。


(なのに、御影怒ってる)


 ぱたん、と閉められた狭い休憩室には、静寂が広がっている。


「紘」


 数日ぶりの、御影の声なのに――……。


「こっち向け」

「ごめ……」

「ったく……」


 腕を引っ張られて、次の瞬間、温かい体温に包み込まれる。数日ぶりの体温だ。御影の匂い。だめだって分かっていても、安心して体が弛緩する。


「あー……言い方悪いな。怒ってない」

「でもさっき……おこってた」

「三日も会えないんだ、不機嫌にもなる」

「うそ……っ」

「なんだうそって、可愛いなほんとに」


 ぎゅう、と御影の背中に腕を回して、胸に頬をくっつける。背中を撫でる手はやさしくて、もう怒っていないことが分かって、今度こそ遠慮なしに抱きついた。

 御影、じゅうでんちゅう。


「みかげ……」

「教室にもいない、俺の教室にもいない、風紀室にもこない、……挙句の果て、俺は諦めきれなくてトイレでぼっち飯まで当たったぞ」

「へ……?」

「雨の日は……、会いたくないか?」

「……え、ええ!?」


 すこしだけ不安がるような御影の表情が、真っ直ぐにぼくを見下ろす。


「御影、ぼく、屋上にいるよ。毎日」

「あ?」

「かいきんしょう、だよ」

「おまえまさかそれで服濡れて……」

「あ!」


 気づいて御影が濡れると腕を突っぱねたけれど、御影が許してくれなかったから、諦めてそのまま御影にくっついた。

 それにしても……随分とアホな展開である予感に、御影もぼくもすこしだけ驚く。


「今日はたまたま購買に行こうとして濡れたの。いつもは屋上の扉の前のスペースで雨の日御影こないかなって待ってた」

「俺は教室とかに当たってたんだ。だれもおまえの行方知らなくて」


 それはぼく、屋上は御影との秘密基地だと思ってるし。言おうと思ったけれど、さすがにはずかしくて止めた。


「紘が……」


 いつもみたいにふわりと表情を緩めた御影が、ぼくの体を抱きしめ直す。


「雨の日会いたくないのかと思った」


 よかった。耳元で小さく囁かれた安堵の言葉に、心臓が高鳴る。


 御影はぼくがどれだけ御影をすきか知らないんだ。こうしてさわっているだけで、眩暈がしてきそうなくらい体から力が抜けるのに。全身の熱が、御影を感じているのに。


「ぼくも、おなじこと考えてた」

「そうか」


 御影の声が、いつものやさしいものに変わっていく。


「……タオルでも持ってくる。寒いだろう」

「あ、う」


 しばらくして、不意にぱっとぼくの体を離した御影が、ぼくの頭をひと撫でしてドアのほうへ向かっていく。

 そっか。ぼく濡れているんだった。


(だけど――)


 なんだろう。この気持ち。離れていってひとりきりになった体をぎゅっと、片手で抱きしめる。目の前でドアを開けようとする御影に、抱きしめていないもう一方の手が無意識に伸びる。

 数日間会っていなかったからかな。御影の体温が恋しい。


(ごめん、御影)


 ぼく今日すごく、わがままだ。


「みかげ」

「……紘」


 ドアを開けようとした御影に体当たりするように、後ろからぎゅう、と抱きつく。御影の体が一瞬強張った気がした。

 おなかに回した手に力を込める。


「タオルいらない」

「……」

「みかげ、あの、寒い。そばに……」


 もうすこし、こうしていたいんだ。なんでだか今は、離れていたくない。

 不意に、回した手に大きな両手が重なる。そのまま引っ張られて、今度はさっと振り返った御影に正面から精一杯抱きしめられる。


「紘」

「……いま、ぼくの顔みないで」


 きっと、ゆでダコみたいになっているから。

 御影がぼくの頬を両手で挟み込むようにしてぐっと上を向かせてくる。かちりと目が合って、御影が意地悪く「真っ赤」と呟いた。


「う……だって」

「今日は、どうした」

「……っみかげと、会えなかったから」

「やっぱり、なにも言うな」


 御影の漆黒の双眸が、すこしだけ動揺するように揺れた気がした。一瞬だけ。だけど降ってきた唇にすべての思考を奪われて、なにもかも吹っ飛んで行く。


「……っ」


 キスも、ずっとしていなかったみたい。

 ちゅ、と小さな音を立てながら、御影の長い指がぼくの湿った髪の毛をかきあげるように撫でる。


「み、かげ」

「俺も、紘不足」

「う……」

「と、いいたいところだが。昼休みも終わるから戻るぞ。あとタオルも持ってく」



「………………へ?」



 突然腕を引かれてまた、視界がありえない揺れ方をする。気づけばぼくの体は宙に浮かんでいて。


「うええ!?」


 なんかぼく、御影に米俵よろしく担がれてる!? 足をばたつかせてみるけれど、やっぱり地面に当たる感じは一向に訪れない。というか、空気を蹴っている!


「お! 遅いぞ……っておまえ紘をどこに連れてく気だ!」

「吠えるな。制服濡れてるから保健室」


 ぼくを心配しているのか「変なことしたらぶっ殺す!」とか「このむっつり! ど変態!」とかあらぬ言葉が聞こえてくるけれど、御影はフルシカトだ。

 吠える真柴先輩を水無瀬先輩が宥めているようだ。


「あの……えと、御影?」

「おまえ、五時間目出たいだろう」

「え? うん、まあ」


 背中にぶらさがっているため、御影の表情が全然見えない。なにが言いたいのかも分からない。首を捻っていると、消えかかりそうに小さな御影の声が、不意に耳を掠めた。

 顔中が、また、赤く染まるのが分かった。


(御影に、見られなくてよかった)


 両手で顔を覆いながら、聞こえなかったふりをしてしまった。


under the rain


( あのままあそこに閉じこもってたら、止まんなくなってた )

( なんて、熱っぽい声で言う御影は、ずるい )

――End――

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