今までこーいう事態が訪れなかったのが不思議なくらいだ。真冬の川に落ちたのが原因なのか、そのあとちゃんと髪を乾かさなかったのが原因なのかどっちだかわからないが…とりあえず健康だけが取り柄の野球少年は風邪を引きました。
たったそれだけで眞魔国が大騒ぎになることなど、おれはまだ気づかずにいた。
最初に気付いたのはコンラッドだった。起きたときは何ともなかったんだ。そりゃあちょっと熱かったけど、たまにはそーいうこともあるだろうって気にもとめなかった。
「おはようございます。気分はどうですか」
「おはよ〜コンラッド。そろそろトレーニング行こうぜ!」
いつもならすぐに返ってくるはずの返事が返ってこない。爽やかポーカーフェイスのコンラッドの顔が心なしか強ばった。
「コンラッド…?」
無言でコンラッドがおれの顔に近づいてきた。
「ななななにっ」
おれは思わずいつもの習慣で目をつぶった。
コツン……。
予想していた感触とは違う…というかこれは定番のおでことおでこを合わせて熱を測るという奴では!
ついつい目を開けると、コンラッドのドアップがおれの視界いっぱいに飛び込んできた。キスするときは目をつぶていたから、気付かなかったけど…。
ここまで顔を近づけても格好いい男も珍しい。目が合うとコンラッドはふっと笑った。
「ユーリ、顔が赤いですよ?やはり熱がありますね」
いや、熱っぽいのは確かだろうが、顔が赤いのはあんたのせいだ。体温は普通に体温計で測ってくれ。
そこで剣と魔術のファンタジー要素バッチリな国に来ていることに気付く。まあ文明の利器あまりが発展していない眞魔国ではこれが普通なのかもしれない。
おれが幼い頃おふくろがこの方法で熱を測ってたっけ。至近距離で少し呆れ顔のコンラッドが溜息をついた。
「全く貴方って人は。昨日ちゃんと体を乾かさずに寝ましたね」
「よく熱だってわかったね。自分でもあまり気付かなかったのに」
「ユーリのことなら見ればすぐにわかるよ」
熱があるって自覚した瞬間フワフワしてきた。倒れると思ったときにおれの体を支えたのはやっぱりコンラッドだった。
「とりあえず今日の執務はお休みしましょう」
コンラッドはおれを抱えて…お姫様抱っこ!?
しかも涼しい顔をして軽々と……はっハズカシー。おれだってトレーニングや筋トレを毎日頑張っているのに。どうやったらこんな均等の取れた締まったスタイルや女の子がうっとりするような行動がとれるのだろうか?
「ほら、陛下。大人しく寝ていてくださいね?」
コンラッドはおれをベッドに寝かせ、丁寧に毛布を掛けてくれた。
「大丈夫。ちゃんと寝ておくから。グウェンにごめんって言っておいて?」
おれが倒れると一番迷惑のかかるグウェンに言付けを頼んでおく。これから大変なんだろうな。グウェンまで倒れないといいけど…。
「わかりました。そう伝えておくよ。それではギーゼラを呼んできますね」
ふわっとおれの頭に手を置くと、ギーゼラを呼びにおれから離れた。遠ざかるコンラッドの背中を見ながら最後に風邪を引いた日のことを思い出していた。
あれは小3の頃、突然意識を失い、倒れたことでおれの家では大騒ぎになった。確かそのときは風邪を引いていることに気付かずに、無理をしたことが原因だった。
おふくろは泣きわめくし、親父は救急車を呼ぼうとしていたらしい。結局おふくろをはじめ親父やショーリまでもが、その日の会社や学校を休み、家族総出で看病してくれた。
だから気付かなかったけど、風邪ってこんなに心細いものだったんだ。おれの広すぎる部屋が孤独感を増す。
おれの息遣いだけが、この部屋に響く。
今日に限ってヴォルフラムはビーレフェルト城に出かけていて留守だ。いや、風邪が移っちゃうかもしれないから、一緒に居れないけどさ。
大丈夫、大丈夫。
心の中で自分に言い聞かせる。
今、口を開いたら弱音しか出なそうだから。
久しぶりに地球に帰りたいと心から思った。
「陛下、御加減はいかがです?」
癒し系魔族のギーゼラが優しく微笑む。おれが風邪を引いたと聞いてすぐ駆けつけてくれたらしい。
それに横でおれの手を握り泣き崩れるギュンター…。
困ったことに手を離してくれない。
「陛下〜ああ、陛下。出来ることなら替わって差し上げたい。眞王は何故このような試練を陛下に与えるのですか」
「えっとギュンターおれは大丈夫だから、しっかりしてくれよ」
「うっぐ…陛下。今日はずっと陛下のお側についてますからね〜」
正直ちょっと静かにして欲しい。なんか近くだとギュンターの鼻息が荒くて怖い。
ギュン汁まみれの恐怖が…。
「ギュンター、それじゃあ陛下がゆっくり休めないだろう」
そんなおれの気持ちを察したのか、コンラッドが助け船を出してくれた。
「嫌です。私はここから離れません」
「ギュンターおれの側にいると風邪が移っちゃうよ。そんなことになると、おれ的にも心苦しいし。あっそうだグウェンの仕事を手伝ってくれよ。今、おれの分まで仕事して大変なんだよ〜」
「ああ、私のことまで心配してくれるとはっ。なんて陛下はお心優しいのでしょう。わかりました。陛下のお望みとあれば、このギュンター身を粉にしてでも働きましょう」
そう言い残すとギュンターは上機嫌でおれの部屋を後にした。
一斉に漏れたのは溜め息。ギュンターの悪夢は去った。
「義父がご迷惑をおかけしました。邪魔者もいなくなりましたし、やっとゆっくり治療ができます」
いっ今、邪魔者って……。
「陛下の場合、軽い風邪と過労の症状が出てますね。お薬を飲んでゆっくり休養を取ってください」
にっこり微笑む姿はまさしく白衣の天使だ。きっと聞き間違えだったのだろう。
「ありがとう、ギーゼラ。おれのためにわざわざ…」
「いえ、陛下のお力になれるのなら、いつでも伺います。それでは失礼します」
パタンと扉が静かに閉められた。コンラッドと二人きり、ひょっとしてギーゼラは気を使ってくれたのかもしれない。
「陛下、大丈夫ですか」
「…へいかって呼ぶなぁ名付け親のくせに」
お決まりの台詞を吐きながらも、熱が上がっていく身体に気付いた。ギュンターとのやり取りで気力を使い果たしたんだ。
絶対に。
「ユーリ、薬飲めますか?」
「粉剤?それとも錠剤?」
「ギーゼラに貰ったのは錠剤ですが」
「うっ……」
実はおれは錠剤が飲み込めない。昔、錠剤を喉に詰まらせてからは、すっかり苦手になってしまったのだ。
「もしかして薬が嫌いなんですか?」
「薬というか錠剤が…」
飲めない。
という言葉はコンラッドによって塞がれた。素早く薬を口に含み俺の口に注ぎ込んできたのだった。
およそ100歳のテクニックは伊達じゃない。おれの喉に水を送るのと同時に舌で違和感無く流し込んできた。
「なっ何してんだよ!あんたは」
「ユーリが錠剤が飲めなさそうだったので、手伝おうかと…」
「そうじゃなくて、おれの風邪が移ったらどうするんだよ!」
「そうしたら、ヴォルフに見せつけられますね」
「はっ!?」
「俺とユーリがそういうことしたって」
「なななっあんたはっ」
そうなんだ。コンラッドは普段は限りなく優しく爽やかなのに、ふとした瞬間に黒い部分が表れるのだ。
「そういえば風邪って人に移すと治ると言いますよね」
「そう…だな」
なんか背筋がゾクっとした。
嫌な予感がする。
「俺と移るようなことしてみます?」
やっぱりぃー!
「いいいいいーです!!」
「そんなことは言わずに」
おれの頬に手を添えて顔がグッと近づいてくる。もの凄く狼狽えていると、すっとコンラッドが離れた。
「…コンラッド?」
「冗談ですよ。病人に無理はさせられませんから」
「あんたの冗談は笑えないよ…」
いろんな意味で。
内心ちょっと期待してしまった自分が憎い。
「ユーリはそろそろ眠ってください。寝ないと風邪は治りませんから」
気付くとコンラッドはおれの髪を撫でていてくれた。
「うん…グウェンやギュンターに悪いし」
薬が効いてきたのかだんだん眠くなってきた。
「今はそんなこと気にしなくていいから」
「なぁ治ったら、また野球一緒にしてくれる…?」
「ああ、ボールパークでみんなを集めてやりましょう」
「ねぇ…コンラッド」
「何ですか?」
「そばに…いてくれる?」
「ええ、ずっと貴方のそばいますから」
心地いい波に包まれたような懐かしいリズム。いつか聞いたあの歌が聞こえた気がした。
そこでおれの意識は途切れた。
騒々しい足音と共に、おれはふと目覚めた。あれっ…おれって今までどうしてたんだっけ。
「ユーリぃいぃぃぃ、こんの浮気者!!」
寝起きのおれにヴォルフラムが凄い形相で詰め寄ってきた。
「ヴォヴォルフ〜おかえり」
「お前って奴は〜!」
一応場を和ませようと挨拶してみたが、逆効果だったみたいだ。
「よせー揺さぶるな!病み上がりの人間にっ。それより何だよ。帰っていきなり浮気者だなんて」
「お前付きのメイドから聞いた話だが、お前は僕のいない間に風邪を引いたそうだな」
「それと浮気と何の関係があるんだよ」
「お前の具合を聞いたら、『陛下ならコンラート様が一晩付きっきりで看病していたので大丈夫です』と…」
「落ち着けヴォルフ!おれは無実だ〜」
おれとコンラッドは薬を飲ませてもらった以外はやましいことはしてない筈。
昨日は。
「ほうっ〜コンラートは風邪で今日は休みだそうだが」
……。
ということは、やはり昨日の薬の口移しが原因で!?しかもヴォルフに見せつけるという思惑通り?
「おいっユーリ何故目を剃らす」
「いんや、別に〜」
「こっこの尻軽ーーーー!!」
この自称婚約者の尋問から逃げ、コンラッドのお見舞いに行けたのは、これから約4時間後の話になる。
End
夏目様からのリクエストでした。
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