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温く体を包む液体。
体温と限りなく一致する温度のそれは、ぐずぐずと体を芯から蕩かしていくような。
魔晄に落ちた人間が助からないというのは、こうして魔晄と一体になってしまうからだろうか、なんて悠長な考えばかりが頭に浮かぶ。
夢の中のはずなのに、思考はやけにクリアで。
たくさんの声が聞こえる。
何百、何千――何万の。

ちがう、俺じゃない。
俺はそんなの、知らない。
責めないで。
知らなかったんだ。

嫌でも頭に入ってくる『心』に、苦しくて、耳を塞いだ。
ソルジャーになったあの日に聞こえた声の、何十倍も激しい奔流。
あぁ、そうか。
この声に耐え切れずに壊れてしまったのが、魔晄中毒なんだ。

呼ばないで。
俺を、壊さないで。

ふいに、抱き締められる感覚に包まれる。
優しい腕。
この温もり。
俺は、知ってる。



「…セフィロス」



いつのまにか、責め立てる声は聞こえなくなっていて。
懐かしいとすら感じてしまう、その体温に身を委ねていた。






















02時07分























「ごめんね」



嗚咽の中、絞り出すような声。
泣いているのは、ジェネシスだ。



「っく…ぼくのため、だったのに、セフィロス…、は、ぼくの…」



泣きながら謝るジェネシスの体に巻き付けられた包帯は、滲む血で赤く染まって。
ベッドの上ということは、おそらく、ここは最寄りの基地の医務室だろう。
ずっと肩に乗っている手は、アンジールのもの。
あれから、ずっと傍に居てくれたんだ。



「ひっく…セフィ、ロ…」



涙で濡れた頬をタオルで拭ってやるウェルノは、やっぱり面倒見がいいらしい。
ジェネシスだって、まだ子供だったんだ。
駄々をこねて、アンジールと一緒に村を出たくらいに、甘ったれの坊っちゃんだったんだ。
強がって、兄貴風を吹かせたくて、セフィロスの前では幼さを隠していただけで。



「『おれ』は泣き虫セフィロスよりも大人だから、弱い『ぼく』は隠さなきゃいけないんだ」



ふいに聞こえた声は、目の前のジェネシスからのものじゃあない。
今、流れ込んできたのは、誰の記憶だろうか。
否、決まっている。
アンジールか、ケビンか、ウェルノだ。
ジェネシス自身は今、違う場所で魔晄に浸されているから。



「ふぇ……」



セフィロスの口から漏れた、幼い泣き声。
おずおずと腕を差し出せば、引き寄せられて、抱き締められた。
あとはお互いに泣いているだけで、会話になんてならなかったけれど。
ジェネシスの幼い指に、髪を撫でられる感覚。
嫌われてなくて、よかった。
こわかった。
様々な感情が、ないまぜになったような。



「おいウェルノ、ホージョーが呼んでる」



両手いっぱいに菓子を抱えて、ケビンが足で扉を開く。
その様子がおかしくて、顔を見合わせて、笑った。



「おいっ、何笑ってんだよ!」

「うん、わかったから、今行くから」



くすくすと笑うウェルノに、ケビンは不満そうに菓子をテーブルに置いて、また扉を開いた。



「二人とも、行くのか?」

「仕方ないよ、呼ばれたんだもん」

「ほらセフィロス、ふたりにバイバイしなさい」



泣き止んだと思ったら、もう兄貴面をするジェネシス。
子供らしいその一面に、笑みが零れる。



「…ばいばい」



幼い笑顔を浮かべると同時に、またぐるりと回る世界。
流れていく景色のなかに、幾つかの情景を見る。



「うわっ!なぁ、アンジール!前に書いた俺のサイン、消されてる!」

「当たり前だ!まったく、俺たちは遊びにここに居るわけじゃないんだぞ!もっと大きな夢を持ってだな…」

「…年寄りくさいぞ、アンジール」

「そうだセフィロス、もっと言ってやれ!十歳になる前じゃないと許されないこと、今のうちにやっておかないとな!」



今見えたのは、旧ジュノン支社の、魔晄照射用ポッド。
以前目にした、あの落書きの跡だろうか。



「なぁ!どうして俺だけ、大きくなれないんだよ!?嫌だっ、こんなの嫌だ!」



科学者の上着の裾を掴み、喚くように言うケビン。
隣に居るウェルノは、もう十歳になる頃だろう。
先刻の記憶では随分とあった身長差も、今ではほとんど見受けられない。
次に視界に映ったのは。



「っ…か、ぁ……あ゛…!」



喉を押さえて涙を零しながら、実験台の上で苦しげに身を捩る、血塗れのウェルノ。
喉には、掻き切られたような傷。



「ウェルノ!いやだ、ウェルノ!」

「セフィロス!」



アンジールに押さえられ、そのまま部屋を出る。
戦地からの帰りなのだろう、皆、腕や体に沢山の返り血を浴びていた。



「ウェルノ、大丈夫なのか!?」

「大丈夫、宝条博士ならきっと」

「宝条!?宝条が治療するのか!?だめだ!そんなの、絶対に実験体にされる!!」



アンジールの腕を掴み、必死に部屋の中へ戻ろうとするセフィロス。



「ぁ゙ああ゙ぁあ゙!!が……!…!」



聞こえた絶叫。
途切れた声。

『まさかまさかまさか』

死。
その一文字が、頭の中を駆け巡る。
けれど、しばらくの後に開いた扉。
がらがらと、音を立てて運ばれていくベッド。
上に乗った少年は、血まみれのガーゼを貼られた喉元を押さえて、肩で息をしていた。
駆け寄って、表情を覗きこむ。
泣きそうな顔で、くしゃりと髪を撫でて。
セフィロス。
音を持たない唇が、その名を紡いだ。



「調査?」

「そう、ゴンガガ村の近くに、晄脈があるらしいんだ」

「ゴンガガって…確か、すごい田舎じゃないか?」

「俺たちの村だって、ジュノンに比べれば田舎だろう」



三人で、テーブルを囲んで。
見覚えのあるそれは、ジュノンの『思い出の屋敷』。
ゴンガガを田舎と言ったことに、少しだけむっとした。



「一人で行くのか?」

「作業員と一緒に」

「へぇ」



大して興味もなさそうに、カップに入った茶を仰ぐジェネシス。
それよりも、傍らに置いた読みかけの本の続きが気になるんだろう。



「でも、何でセフィロスが?」

「ウータイの軍が近くにいるらしいぞ」

「だからか」

「さすが、神羅の英雄様は違いますねぇ」

「…それ、やめてくれないか」



ほんの三、四年の間に、随分と大人びた口調になった。
早く大人になりたくて。
背伸びして、大人の振りをして。
そうしていることが子供のすることだと、気付かないでいるのだ。
ぐるりと世界は廻り巡る。
見慣れた森。
飛び交う飛行機。
振られた刀。
あぁ、これは。



「大丈夫か?」



涙を零すのは、幼い日の俺自身。



「泣くな…」



困ったように笑った顔。
初めてセフィロスと会った日。
綺麗な女の子だと、勘違いしてしまったけれど。



「つよいんだね」

「あぁ、強いよ」



ずきり。
伝わるセフィロスの心に、痛みが走ったのがわかる。
英雄の名を背負う痛みを、たった九歳の少年は、知っていたんだ。



「なぁ!名前っ…聞いてないよ」



セフィロスの服の裾を引いて、尋ねる幼い自分自身。
当時、既に神羅社内で『セフィロス』の名を知らない者はいなかった。
その姿こそ、『公表』はされていなかったけれど。
たった五歳で、国ひとつを滅ぼした。
その噂は、口から口へと伝わって。
やがて、英雄セフィロスの名を確固たるものにしていったのだ。



「俺、ザックス!
 ほんとは、ザッカライアっていうんだけど、みんなザックスって呼ぶ…
 …あんたは?」

「…ひみつ、だ。」



苦笑混じりに答えたセフィロスの表情。
今でもはっきりと覚えてる。

『ふつうの友達で居たいんだ…だから、聞かないで』

くしゃくしゃと頭を撫でながら、心に浮かぶ声。
あの日以来、セフィロスの『傷』は、膿み続けているんだ。
ジェネシスに拒絶された、あの日から。



「ゴンガガ駐在部隊より、ウータイ軍の侵攻による救援要請が来ています!」

「何!?ウータイ軍が!?」



慌てふためく大人達。
セフィロスの脳裏にふっと浮かんだのは、笑顔の幼いザックス自身。
刀を掴んで、立ち上がり。



「俺が行く!スキッフを出せ!ツォン、お前は急ぎ救護チームへの連絡を!」



的確な指示をする『英雄』に、従う大人。
傍から見れば、奇妙な構図だろうけれど。



「セフィロス、急いては仕損じる」

「…わかってる」



スキッフに乗り込み、発進と同時にツォンは無線で救護チームにゴンガガへの部隊派遣を要請した。
早く、早く。
祈るような気持ちで居るセフィロス。
蘇る、あの日の記憶。
硝煙のにおい。
肌を焼くような痛み。
浴びた血のあたたかさ。
明々と照らされた、赤々と滑る血。

忘れたい。
忘れてはだめだ。
受け入れて。
乗り越えないと。

息の詰まるような感覚を覚えながらも、辿る記憶。
ゴンガガの村は、上空から見てもわかるくらいに、明るい炎に纏われていた。
刀を片手に、スキッフから跳び降りる。
そこには、何の躊躇もなく。

在るのは、あの日と同じ、憎悪の念だけ。

跳び降りたその勢いに任せ、一人の敵を頭から真二つに斬り伏せる。
慌てふためく敵兵。
その首を刎ねながら、たった一人の少年を探す。

たった一人の、少年を。



「ザックス!!」



焼けた扉を開き、そこに転がる敵兵の死体を跳び越える。
横たわる父親の亡骸に、庇うようにして抱かれていた少年。

それこそが、ザックスだった。

力なく弛緩した腕、けれどひゅうひゅうと、小さな呼吸を繰り返していた。
生きている、と安堵の溜息を漏らしたけれど、辺りの凄惨な状況に息を飲んだ。

『こんなにも酷い現実を、受け入れられるだろうか』

母の死を、父の死を。
傷を負ったザックスを抱え、セフィロスは家を出る。
その心は、ひどく冷め切っていて。

英雄の生まれた日。
あの日と同じ、冷め切った心。

敵兵を斬り伏せ、ゆっくりと歩みを進める。
救護チームのスキッフが着陸するだろう場所へ。
助けた一人の村人にザックスを預けると、セフィロスはぎゅっと刀を握り直した。
散り散りに逃げるウータイ兵を、追い斬る。
空っぽになっていく心。
駐在部隊が追いつく頃には、ほとんどの兵を斬り伏せた後で。
やがて一帯の兵を壊滅させたセフィロスに、駆け寄ってきたツォン。



「セフィロス!」



セフィロスの前に膝を落とし、視線を合わせてぐっとその肩を掴んだ。
この子供は、刀を握った瞬間、ふと別人のように冷酷な『英雄』になる時がある。
それは間違いなく、神羅にとって好ましいものではあるけれど。
同時に、セフィロス自身の心を蝕む両刃の剣でもあるのだ。



「……ザックスは、平気…?」



ふと漏れた、幼い口調。
取り戻したように、溢れる感情の渦。



「あぁ、あの子は伯父の家で手当てを受けている…大丈夫、命に関わるような傷は無い」



その声にほっとして、肩に頭を預けた。
連日の調査隊の護衛に加えて、今回の襲撃には心労も嵩んだ事だろう。
疲れた様子のセフィロスの髪を撫でながら、ツォンはその刀を指から離してやった。



「疲れただろう?救護チームが来るまで、休みなさい」

「……わかった」



素直にツォンに体を預けた子供は、何かに怯えていた。
得体の知れない、何かに。
それは、セフィロス自身にもわからないものだったから。



「……ザックス」



やがて、日は昇り。
焼け跡となった村の一角に残る、小さな家。
道端で摘んだ、小さな花。
ゴンガガではありふれた花なのかもしれないと思いながら、それを握って扉を叩いた。
家主は少し驚いたような顔をして、それから優しい微笑を浮かべた。



「ザックスなら、まだ寝てるぞ」

「いいんだ」



中に迎えられ、ベッドに横たわる少年を眺める。
痛々しい傷には、ガーゼやら包帯やらが宛がわれている。



「…ごめん」



幼い声。
泣いてしまいそうなくらいに、弱い。
握った花をそっと、ベッドの脇に置く。
さらりと髪を撫でながら、俯いた。

『もっと早くに助けられたら』

『もっと強かったなら』

『そうすれば、ザックスを守ることができた?』

初めて出来た、対等な友達。
実験もソルジャーも何も関係ない。
ひとりの『人間』として扱ってくれる、唯一の。



「あんた、神羅の兵士さんかい?それにしては、ずいぶんと強いみたいだが…」



帰り際、ザックスの養父に尋ねられて。
セフィロスは、小さく頷いた。



「…ただの、兵士だよ」



笑いながら、答えた。
また、小さな痛みを伴って。

『きっと彼は、俺の戦いをザックスに伝えるだろう』

『きっと彼は、俺をバケモノだと思っただろう』

『あの子も、俺をそう思うだろう』

『あの時のジェネシスと、同じように』

ずきん、ずきんと痛む心の傷。
閉じた扉を背に、ぎゅっと腕を抱く。
『仲直り』はしたけれど、未だに苛むトラウマに、心が握り潰されるような恐怖。
泣いてしまいそうなくらいに恐くて、けれど弱味を見せたくなくて。
迎えに現われたツォンの服の裾を、唇を噛んで握り締めた。



「お前、それは恋じゃないのか」

「ば、馬鹿言うな!あの子は友達だと…!」

「でも、普通夢にまで見るか?」



からかうような口調のジェネシス。
一度の瞬きの次に映った世界は、ジュノンの屋敷。
もう十三、四歳になったジェネシスやアンジールに囲まれて、談笑しているらしい。



「だから、違うと…!」

「ジェネシス、そう苛めてやるな」



くつくつと笑うアンジールも、充分楽しんでいるようにも見える。
これは自分の話題だろうかと、ザックスは少し気恥ずかしい気分になった。



「…初めて出来た、普通の友達なんだ」

「なんだ、俺たちは普通の友達じゃないのか」

「宝条繋がりじゃないか、そんな友達は嫌だ」

「この、生意気な」



拗ねたように顔を逸らしたセフィロスの首を掴み、ぐりぐりと拳を押し当てるジェネシス。
こういうことをするから、子供扱いするなと文句を言われるんだ。
でも、その様子は微笑ましい。
やっぱり、何だかんだで仲は良いんだ、とザックスは笑みを零した。



「いだだだだ!?」

「……俺は、男だ。」



豪華なシャンデリア。
田舎者の少年には似合わない、高級なホテルの一室。



「…そうだ!『アンジュ』…は?」



再会の日。
あの酷い記憶すらも、彼の優しさの前では薄れてしまうような。



「ノウルのこと、よく知りもしないくせに、悪く言うな!」

「…ザックス、俺は」

「うるさい!もう…二度と話し掛けるな!お前なんか大嫌いだ!!」

「ザックス!俺はっ…!」



あぁ、そうだ。
傷付くことが恐くて、傷付けられることが恐くて。
初めて好き合った女を貶された、それが自分自身を躙られているような錯覚をして。



「…俺は、お前を守りたいだけなんだ……」



呟いた言葉。
襲い来る無力感。

違うんだ、セフィロス。
俺はただ、認めたくなかったんだ。
彼女が大好きだったから。
あまりに子供だったから。
本当は気付いてたんだ。
あんたの不器用な優しさに。



「…泣くなってば」

「泣いて…ない…」

「ぷっ…泣いてるじゃんか」



覚えてる。
覚えてるよ。
あんたが初めて、俺の前で泣いたその日。



「アンジュの泣き虫」



初めて、唇を重ねたその日も。



「…泣くな」



ベッドに散った、きれいなその髪。
理由もわからず、零れた涙も。



「…セフィロス。」



初めて名前を呼んだ日も。
全部、覚えているよ。
大切な、記憶の中の宝箱。
鍵を掛けると忘れてしまいそうになるから、いつも開けっ放しだけど。



「お前とザックスは、よく似ているな」

「…そうか?」



これは、任務中の記憶だ。
アンジールが、失踪した日。
ザックスが現われる前の。



「あぁ…思い込むと、止まらないだろう」

「…煩い」

「…だが、あいつは夢を追っている」



その言葉に、セフィロスはアンジールのほうを振り返る。



「俺は夢の無い奴だと?」

「お前だって、夢を見ることくらいは自由だろう?」



そう告げたアンジールの、少し寂しげな横顔。
セフィロスを通じて、幼馴染の姿を見ているのかもしれない。



「俺にだって、夢くらいは有る」

「それは初耳だな」

「…普通に、生きたい」



それは、切実な願望。
ふつうの人間として生きたい。
英雄という仮面も地位も、全てを捨てて。



『…その時は、お前の手で殺してくれ』



不明瞭な声。
電話越しのものだろうか。
アンジールの、どこか思い詰めたような。

『…また、泣かせてくれるだろうか』

複雑に入り乱れた思考。
頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えられなくて。
それでも、哀しむ時間も与えられない立場。
大人になったとはいえ、決定的に愛情に欠ける生活をさせられてきた彼に、必要なのは包み込むような優しさ。
知っているから。
だからこそ、何も言わずに抱き締めた。



「嫌だ嫌だ嫌だ!アンジール…ッ!!」



失った記憶。



「俺…は……
 …生き…たい…」


零れた涙。



「お前は、生きてる…アンジールの分も、生きないといけない…そうだろ?」



本当は、泣きたかった。
本当は、叫びたかった。
けれど、大切な人の残した『希望』を、大切な人の『願い』を叶える為に繋いでいかなければ。



「英雄!…また、会えるか…聞いてますよ、と」

「…また、すぐに会えるさ」



十年。
それが長いか短いかは、人の感覚によるものだ。
けれど、約束をした。
たとえ、十年後に彼が人の姿を保って居なくとも。
たとえ、生きてきた二十一年の記憶を全て失っていたとしても。

『その時は、俺がお前を守る番だ…そうだろう、ジェネシス』

何よりも深い優しさを持っていたのは、セフィロス自身で。
その背を抱いて泣いた俺は、ただ甘えていただけだったんだ。



「幸せだよ…お前が、こうして隣に居る」



初めて体を繋げた日。
痛みすらも幸せで、零れた涙が暖かかった。



「…俺たちは…ただ、戦っていれば良かった……そうすれば、生きるために必要なものを、すべて与えられたから」



戦う理由。
それに惑い始めたのは、いつのことだろうか。
純粋に、強くなりたかったのは。
世界中のすべてを守りたくて、がむしゃらに刀を振るっていたのは。



「…あいしてる」



それでも、二人抱き合っているとき。
それが限りなく幸せで、許す限り浸っていたい生温い箱庭で、寄り添いあっていた。



「お前がそんな顔をするところなんて、初めて見たよ」



安心したように微笑むツォン。
大概過保護な奴だ、なんて昔セフィロスがぼやいていたのを思い出す。



「久々の故郷だろう?どんな気分がするものなんだ?」



寂しげな声。
眺めるクラウドの故郷。



「この風景……俺は知ってるような気がする…」



駆られた既視感。
見覚えのある憧憬。
なのに、頭の片隅にも見当たらない記憶。



「…気のせい、だろうな」



故郷を持たないセフィロス。
故郷に帰ったクラウド。
故郷を捨てた、俺。
励ましたり慰めたりするよりも、俺自身が帰る場所になればいいと思っていた。
けど、それは押し付けがましい自己満足に過ぎなかった。
悲哀と漠寂を湛えた心に、大きな波を立てたんだ。



「ほら、行こっ」



だから、こうしていつもみたいに腕を引いたとき。
セフィロスは、嬉しそうに笑ったんだ。

『きっと、疲れているだけだ。このところ、任務続きだったから』

そう自分を納得させ、脳裏をちらつく赤い影から目を逸らす。
それが、間違っていたんだ。



「ティファです、よろしくお願いします!」



少女の笑顔。
傍らに立つクラウドは、マスクを深く被り直す。



「……わかったよ、宝条…
 でもな、こんなことをしたって、あんたはガスト博士にはかなわないのさ」



堅く閉じた目蓋。
思い浮かぶのは、あの。
大人になれないと嘆いたケビン。
潰れた声で泣いたウェルノ。
突然、流れ込んできた記憶。
体中を走る激痛。
やがて、それは背筋を伝い、強さを増していく。
目の前に拓けた戦場。
取り落とした剣。
激痛に、膝をついたジェネシス。
びちゃり。
響いた水音と、広がる翼。
血濡れた羽根は、赤黒く閃いて。



「……ジェネシス…?その…翼…」



何が起きたのかわからず、混乱する頭。
ジェネシス本人にすら、理解できていない様子で。
また苦しみ始めたジェネシスに、腕を伸ばす。



「おい、ジェネ…」



声を掛けた瞬間に、心臓が飛び跳ねる感覚。
肩から、何かが吹き出した。
それが何かを確認する前に、口元を押さえる。
ごぼりと、音を立てて溢れたのは、大量の黒い膿。
ぷつりと、途切れた意識。

(…ジェネシスが、ウータイで行方不明になった日の記憶だ)

消えた兵士達。
皆、ジェネシスの中のジェノバ細胞の暴走の巻き添えとなって死んだのだ。
これはきっと、ケビンの記憶だ。
星に還った、ケビンの。



「お前だって知っているだろ?俺達、プロトタイプ・ソルジャーは……」



ふいに戻った景色。
赤い赤い、部屋。

『……まさか』

一本に繋がった糸。
ポッドの中で、魔晄に浸された、ジェネシス・コピー。
込み上げる吐き気。

俺はこうして、幼い時分に『バケモノ』になったのか?

空っぽの胃から、それでも胃液を吐き出した。
ジェネシス・コピーがこうして『作られて』いるのだとしたら。
例えば、それは一人の人間の細胞核。
その『人間の欠片』から、産み出された命。
天才と呼ばれたガスト博士の手にかかれば、雑作もないことだろう。

なら、俺は。



「俺は、こうして生み出されたのか?俺はモンスターと同じだというのか!?」

「セフィロス!?何して…!」

「……俺は……人間なのか…?」



溢れた涙の意味は、わからない。
ただ、感情がひたすらに溢れて、暴れて。



「……知らない…何も、聞いてないよ」



咄嗟に吐いた嘘は、彼を裏切ることに繋がって。



「一人に…してくれ……」



払われた指。
あのまま、無理にでも繋ぎとめておけば、今も隣で笑っていられた?



「……この手で壊すくらいなら、俺は…」



『俺は、お前を手放そう』

握り締めた拳。
唇を噛んで誓った想い。

『傷付けたくないんだ』

深く吐いた息。
手に取った本を、ぱたりと閉じる。

『…守りたかった』



「ザックス、一緒にこの星を取り戻そう」



壊れた心。



「母の力の恩恵を受けたお前達は、言わば同胞」



壊れた瞳。



「違うんだよ、セフィロス!あんたは、古代種の末裔なんかじゃない!ジェノバは、アンジールやジェネシスを殺した、あの翼だ!あんたの母親は、ジェネシスを救った科学者だ!あんたは『女神』の子なんだよ!」



壊したのは、誰でもない、俺自身。



「…裏切り者め」



『違う』



「お前は、俺を裏切らないと言ったな?…俺の出自について何も知らないと、そう言ったな?」



『ザックスは、俺のためを思ってそう言ったんだ』



「お前もアイツラと同じ…!
 母から!俺から!星を奪った奴等に加担するのか!?」



『違う、俺はこんな事が言いたいんじゃない…!』



「…試験管の中で生まれて、何も知らないままに神羅の人形として『英雄』を演じてきた……お前に…わかるのか?今までのすべての人生が虚構でしかなかった者の痛みが…
 …いや、痛みなんて…ないのかもしれないな……」




『信じたいんだ、お前を…』



「俺が……俺で、居られる間に…」



『ザッカライア…俺は、お前を』



「…何が『聖者』だ……笑わせる」



『何よりも、お前を』



「ザックス」

「…アンジュ」



涙を零す自分は、どれだけ愚かなことをしたんだろう。
真実を、告げればよかった?
知らないふりを、貫き通せばよかった?
嘘とて、墓場にまで持って行けば真実になるんだから。



「……さよなら」



『愛してる』



鳩尾を突かれ、意識を失った体。
空いた椅子に座らせ、毛布を被せる。



「…さよなら」



最後に落とした口付けは、初めてキスをした場所と同じ。
眠るザックスの、鼻先に。

『…どうか、このまま眠っていて』




「俺と一緒に行こう」



差し出した腕。
硝子の向こうに眠る『母』。
懐かしさを感じ、胸いっぱいに『母の愛』を感じている。

(…セフィロスが、壊れる……)



「…やっと会えたね、母さん」



『それは何よりも幸福で』



「セフィロスっ!お前、どうしちまったんだよ…っ」



『何よりも、甘美な誘惑』



「…裏切り者め」



刀を振るうその心は。
初めて戦場に立った日と、二度目に俺を助けてくれた日と同じ。
深い深い、憎悪。



「お前が、初めてだったんだ……俺を、普通に扱ってくれた…
 …嬉しかった……お前だけは、俺の仲間だと思っていたんだ……」



もう、『セフィロス』の声は、聞こえない。
壊れてしまった。
壊してしまった。

(セフィロスっ…!)

きっとこれが現実なら、俺は泣いていただろう。
声を張り上げて、彼を呼んでいただろう。



「そいつも…アンジールだって同じだ!母さんのことを知りながら、人間たちに与した!愚かな人間共のために、母さんを殺そうとしたんだ!」



『女神の贈り物は、深淵に』

『誰も足を踏み入れない……死の山の、奥の奥さ』

『アンジール、俺にはもうその力はない…近付けば、取り込まれてしまう』

『ジェノバは、己の細胞片を持つ人間が弱ったところを、確実に侵してくる』

『意識を、乗っ取られてしまうんだ』

『俺が手に入れたなら、俺の劣化は止まり、生きる事ができるだろう』

『けど、その時…俺はもう、「俺」じゃない』

『俺の代わりに、手に入れてくれ』

『女神の贈り物を』

『…頼むよ、相棒』



頭に響く、ジェネシスの声。
これは、失踪後の言葉だろうか。
会話の相手は、アンジール。



『悪いな、相棒』

『俺も、同化が始まったみたいだ』

『なに…あいつらがきっと、終わらせてくれる』

『もう、俺たちのような思いをする子供は、産まれてはいけないんだ』

『早まるな、ジェネシス』

『必ず…助けてみせる』



「……偽善者が、笑わせるな!」



振り上げた刀。
閃くそれと対峙した恐怖を、未だにはっきりと覚えている。



「お前は俺の手で葬ってやろう……偽りの愛を教えてくれた、その礼に」

「違うっ、俺は…!」

「感謝をしているんだよ、ザッカライア」



『…ザッカライア』

耳に届いた声。
セフィロスの、声。



「……ざけんな!セフィロスを…返せよぉッ!!」



振った剣は、容易く跳ね除けられて。
肩に走る痛み。
振り下ろされた刀。



『やめろ!!』



響いた声。
引き攣るような腕の感覚。
袈裟に斬り落とされるはずだった体には、深いけれど致命傷には至らない裂傷を残して。



「母さんを…ティファを…村を返せ!あんたを…尊敬してたのに……憧れてたのに…っ!」



貫かれた痛み。
肉体的な痛覚をほとんど知らないセフィロスには、かなりの苦痛を強いるもの。



「俺と一緒に…約束の地へ……」



抱き締めた、『母』の首。
真逆に落ちる魔晄の海。
途切れた記憶と、優しい感覚。
包み込む死の静寂、包み込む死の喧騒。
懐かしい声。
導かれていきたかった。
けれど、絡めて決して離さない、『母』の呪縛。

『知らなかったんだ、セフィロスは』

『女神の贈り物…それは、ジェノバ本体との「リユニオン」』

『この星を奪い取る、堕ちた女神』








引き戻される。
記憶の渦から。








「…セフィロス」



優しく抱かれた腕に、そっと指を添える。
懐かしい温もり。
温かい、その腕。



「俺は…結局、お前を傷つけることしかできなかったな」

「そんなことない…今だって、俺を守ってくれてるんだろ?」



嫌でも叩き付けられる、幾許もの『心』。
その勢いに押し潰されないように、そっと抱き締めてくれている。



「…もう、離れたくない」



約束を破ったのは、セフィロス。
どこにも行かないと言ったのに。



「ザックス」



あの、低く甘い声で呼びかけられる。
愛しい声。
涙が零れそうになった。



「…セフィロス」



振り返ろうとして、制止される。
肩に埋められた額、掛かる髪がさらさらと擽ったい。
どれもこれも、大切な思い出と同じ。



「行きな」



とん、と背中を押されて。
振り返った先は、真っ暗な闇。
抱いていた腕の行方すら、掴めずに。



「いやだ!セフィロス!」



頬を涙が伝う。
離れたくないんだ。
離したくないんだ。
もう、二度と。



「セフィロス…!」



喉が潰れてしまうほど、叫んだ。
あんたの居ない世界なんて。
俺にはきっと、耐え切れないから。






















「っは……!!」



瞼を開くと、薄暗いライトに照らされる硝子が目に入る。
硝子越しに立った科学者は、髭を撫で付けながら点滴のチューブを入れ替えている。
今は丁度、エサの時間らしい。
前の時は動かなかった指を、ぐ、と動かしてみる。
まだ違和感は残るものの、ほとんど自由に動かせる体。
これなら、確実に逃げられる。



「…んん、起きたのか?安心しろ、すぐにエサの準備を……」



言葉の途中で、立ち上がり。
ぐっと指に力を込めて、厚い硝子を叩き割った。



「っ!?な…!?」

「このケースから出しな」



それは、要求と見せかけた脅迫。
ぐっと科学者の喉元を掴み、力を込める。
ソルジャーの力だ、人間の首をへし折る事位、容易く出来る。
それを最もよく知っているのは、科学者たち。
科学者はすぐにロックを解除し、ザックスを照射ポッドから出した。
外に出ると同時に、科学者の首を叩き。
意識を飛ばした彼を、床に横たえた。
完全に気を失った事を確認すると、ザックスは喉に指を突っ込んで、肺に残る魔晄の液体を掻き出す。
ごぼり、溢れた魔晄が床に零れ、鈍くライトを弾く。
ふっと顔を向ければ、あの日と同じままの表情で、魔晄に浸されているクラウド。



「クラウド…ごめんな、遅くなった」



解除スイッチを押し、クラウドをポッドの中から引き摺り出す。
魔晄を肺から出してやれば、すぐに息をし始めた。



「…ちょっと待っててくれよ。すぐ、準備するからさ」



逃亡に際して、必要なもの。
武器や体力、食料だけでなく、施された実験の知識や、世界の情勢を知らないといけない。
今が何年の何月何日なのかも、何時何分なのかもわからない状態では、逃げる事すらままならないから。
壁に立て掛けられた、アンジールの形見の剣を背に負って。
転がる点滴用の栄養剤を、掴み飲み干す。
生物が活動をするには、栄養が必要だ。
不味い液体を何とか飲み下し、科学者の持っていた鞄に、辺りに散らばっていたレポートや資料をかき集め、詰め込んだ。
ばさり、と机の上から落ちた、一冊のアルバム。
開けたページには、あの日に見た。
幼い子供たちの、写真。



「……セフィロス…」



『行きな』

耳元で囁いた声。
はっきりと、覚えている。
人は、ライフストリームから生まれ、ライフストリームへと還る。
シスネが言っていた、星命学の教え。
なら、魔晄の中に飛び降りたセフィロスは、星に還ったのだろう。
あの声は、紛れも無いセフィロスのもの。
ぽろりと、涙が零れた。



「……セフィ…っ…」



もう愛されない。
相老えない。
もう、二度と。



「…大好き……」



それでも、無理矢理笑って見せた。
クラウドを背に負い、掛けられたカレンダーに目を遣る。

『[υ]-εγλ 0006.12.19』

あの忌々しい事件から、丸四年もの時間が過ぎていた。
そんなにも長い間、こんな地下室に閉じ込められていたのだろうか。
その割には、体が軽い。
憎むべき実験の対価ではあるものの、ほんの少しだけ、場違いな感謝をした。
時計の指し示す時間は、午前二時七分。
気付かれる前に、なるべく遠くまで逃げないと。



「…大丈夫、俺が守ってやるからな」



魔晄の蒸発した、乾いた金の髪を撫でながら。
ザックスは、暗い地下室の扉を開いた。






















貴方の望んだものは、何?

私の望んだものは、彼。

彼の幸福が、私の幸福。

決して振り返ってはいけない。

後悔をすれば、日の当たる場所へ戻れなくなる。

この腕には、もう何の力も無いけれど。

情けなく溢れる涙。

それで貴方を救えるのなら、枯れてしまうほど泣き叫ぶのに。






















自由を求めて走る足。
たとえ、朽ち果てようとも。

掴むまで、決して歩みを止めはしない。






















【60:Je l'aime】



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