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掴めど、掴めど
「取れへんねん」
ごろんと床に寝転んで、真上に腕を伸ばした。
視界の手の平は確かに、この光を捕らえているのに。
「何がですか?」
ふわんと甘い香りがして、彼が僕を覗き込んだ。
ふわりと包まれた手の温もり。冷え切った指先には暖かかった。
「イヅル」
「はい」
名前を呼べば、すぐにはいと返ってくる。この間がすきだ。
「掴んでも掴んでも、掴めへんのってなんやと思う?」
ボクの問いに、イヅルはきょとんとして、それから、ううんと少し考えるように目を伏せた。
長い睫が、きれい。
「なぞなぞ、ですか?」
「ううん」
ほんとう、とボクは言う。
欲しくて欲しくて、掴んで掴んで、捕らえたつもりでいるのに、引き寄せて手の平を緩めたら、それはふわりといなくなる。
なあに?なあに?
ボクが欲しくて仕方のないものイヅルが欲しくて仕方のないもの
それでもずっと、掴めないもの
「………そうですね、」
イヅルはすこし考えた。
こうやって、なにかを‘考える’いう作業がイヅルは好きらしい。
すこし楽しそうに、イヅルの口許が緩む。
「……ギン……」
「え、」
「色に、輝く……月、ですかね」
ふふ、とイヅルは笑う。
そして、「たいちょう、しっていますか?」と、お月さんの話をしてくれた。
「水面に輝く月を掴もうとして、一生懸命、池に腕を伸ばすんです。月は遥か上の空にある。でも、彼はそれに気付かない。
一生懸命、池に映る月を掴もうとするんです」
「ふうん……」
阿呆やんな、そいつ、と言って笑えば、イヅルはふふ、て笑った。
そうですね、と、
「でもね、隊長。彼は、両手で水を掬うんです。そしたらね、そこにも月は、映るんですよ…
彼は、月を、『手に入れる』ことができたんです」
イヅルの笑みは崩れない。
ずるい、と、ボクは思った。
「そんなん、」
嘘や。
手を離したら、零れてしまう。
それでは意味がない。
欲しいのだ。ずっとずっと、手に入れておきたいのに。
「そんなん……掴んだうちに入らへん」
「彼は…満足なんですよ。『手に入れた』だけで。
…満足、なんです」
利用するでもなく、身につけるわけでもなく、飾っておくわけでもない。
両手で水を掬えば、いつでも月は「手に入る」。
イヅルは、そう言うた。
「………そんなん、手に入る言ううちに、はいらへんやん」
「そうですか…?」
「せやろ」
なんだか胸がざわざわして、息苦しかった。
手を伸ばせば触れられる距離。
ゆるゆると揺れる、水面みたいな瞳がたまらなく愛おしくなって、
引き寄せる。
まるで赤子のよう。
「ボクは欲しいよ、」
「……?」
「空のお月さんも、水のお月さんも…誰にも渡したくないんよ」
覗き込むイヅルの瞳が蒼い。
ゆら、と光が佇んで
ボクが映る。満足気、に、
笑う。
「ボクはね。たくさんたくさん触りたい。ずっとずっと、ボクの傍に置いときたいの」
「…市丸隊長は、」
「ん」
欲張りですね、と、
すこし哀しそうに下がった眉が、ボクには何だか嬉しく思えた。
掴めど掴めど、この距離は縮まらない。
一生、交わることもない。
(090625)
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