WISH
「ふぅ、やっと静かな場所に来られた…」
夕日の射し込む裏庭。
制服の汚れるのも気にせず、芝生の上に寝転ぶとひんやりとした風が頬を撫で、思わず首をすくめた。
眩しい夕日を遮るように腕を高く挙げる。
お気に入りの腕時計は、もうすぐ下校時間になることを僕に教えている。
(日野さん、さすがにもう帰っちゃったかな)
11月も半ばに差し掛かり、一気に日が落ちるのが早くなった。
きっとあと30分もすれば、あたりは暗くなりはじめるだろう。
肌寒い、どこか寂しい季節。
17年前の今日、僕は生まれた。
遠くから、運動部の笛が聞こえる。
サッカー部に所属する、この騒ぎの元凶であるクラスメイトの顔が頭に浮かんだ。
(佐々木も悪気があったわけじゃないんだろうけど)
誕生日当日にこんな人目につかないところに、僕が隠れているのにはわけがある。
「加地お前今日誕生日なんだって!?」
どこからききつけたのか、誰にも教えていなかった誕生日を、クラスメイトの佐々木がそう大々的に公表してくれたのは、お昼休みに入ってすぐのこと。
そのときは特に何も思わなかったのだけど。
有り難いことに、放課後に入ってからずっと、男子女子問わずお祝いのお誘いがやってきて。
カラオケ、喫茶店、買い物、ボーリング。
いろんなお誘いから逃げてきて、やっと見つけた安息の地が、練習室の並ぶ音楽科校舎の裏庭だった。
(お祝いしてくれるのはありがたいんだけど)
お誕生日おめでとう。
ハッピーバースデー。
たくさんもらったお祝いの言葉と、お菓子や飲み物のプレゼント。
けれどその中で一番、いちばん心に響いたのは。
『お、おめでとう?』
「…ふふっ、日野さん。ちょっと困ってたな」
憧れて、焦がれて、やまない、たった一人の女の子。
プレゼントもなにもいらない。
けれど、おめでとう、その一言がほしくてほしくてたまらなくて。
朝、登校したばかりの彼女に、理由はわからなくていいから、おめでとうって言ってくれる?と、お願いをした。
もちろん、突然そんなことを言われてわけがわからない日野さんがくれたのは、ぎこちない、疑問系のおめでとうだったのだけど。
ちょっとだけ特別な日に、特別な彼女から、特別な言葉をもらえて。
それだけで、自分でもびっくりするくらいに、心があったかくなって。
他のどんな言葉よりも、心に響いた。
(これで、日野さんの練習してる音が少しでも聴けたら最高だったんだけど)
「…そんなに欲張っちゃ、ダメだよね」
自嘲的に笑いながら、そうつぶやいて。
そろそろ帰ろう、と腰をあげようとしたその時。
「あぁーダメだぁ!」
(え!)
頭の上でがらっと窓が開く音がして。
同時に大きなため息が、聞こえてきた。
(わ、わわわ!)
別にやましいことなどないのだけれど、なんとなく起こしかけた身体を慌てて縮ませて。
何も聞こえてこないところをみると、窓を開けた人は僕には気付いてないようだった。
ふぅ、と心のなかで小さくため息をついて、それでもなお、心臓がどくどくと暴れるのは。
「うー、電話かけるだけなのになんでこんな緊張しるかなぁー」
(やっぱり、これって)
その声が、今さっきまで頭の中を独占していた、彼女のものだったから。
(日野さん、練習室とってたんだ。どおりで音が聞こえないと思った)
星奏学院の練習室はとても防音性能が高く、音楽科の生徒で予約が埋まるのも早い。
だから、彼女は外で練習していることが多くて、放課後は校内を一周して彼女の音を見つけるのが僕の日課だった。
けれど、今日は静かな場所を探して校内をうろうろしていても彼女の音が聞こえなかったから、もう下校しちゃったかな、と思っていたのに。
「よ、よし今度こそ!」
顔を見なくても、分かる。
間違いない、彼女だ。
自分の才能の限界を思い知らせたこの良すぎる耳が、僕は嫌いだったけれど。
今日ばかりは、このちょっとだけ特別な日に彼女を見つけてくれたこの耳が嬉しかった。
「すぅー、はぁー」
思いがけず日野さんの練習現場に出会えたことはとても嬉しくて。
けれどやましいことは何もないのに咄嗟に隠れてしまった僕は、完全に声をかけるタイミングを見失ってしまった。
しかも練習室の中の彼女は何かを悩んでいるようで。ひとまず彼女に気付かれないように、息を潜めた。
「よし、今度こそ!いざ、電話!」
日野さんの姿は見えないけれど、少々大きすぎる独り言と、ときどき聞こえる、携帯ストラップのチリン、という鈴の音から察するに、どうやら電話をかけようとしているらしい。
けれどその数秒後。
「…や、やっぱり最後にもっかい練習してからにしよう」
よっぽど大切な電話なのか、日野さんはとても緊張しているようで。
(大事な電話なのかな。…誰に、電話するのかな)
そんな風に電話をかけてもらえるどこかの誰かが、羨ましくて。
ちくりと痛む胸の奥。
けれどそれを誤魔化すように顔を左右に振って。
(今日、こんなに近くで彼女の音色に触れられるなんて、十分すぎるくらいに幸せだ)
そう言い聞かせて、大好きな音が生まれる瞬間をじっと待った。
今日は何を練習してるのかな。
アンサンブル用のあの曲?
それとも個人練習に弾いている方かな。
そこまで考えた瞬間、聞えてきたメロディ。
それはアンサンブル用でも、個人練習曲でもなくて。
「え…」
意外すぎるその曲に、思わず小さく声が漏れて、慌てて口を押さえた。
僕の耳がおかしくなければ、その曲は。
「ハッピ、バースデー、トゥ、ユー」
大好きな音色で紡がれる、小さな頃から耳慣れたメロディに、小さく歌を口ずさむ彼女の声が重なる。
どくんどくん、と心臓が跳ねる音がうるさいくらいに響く。
誕生日に歌われるその曲を、今日弾いてくれるなんて。
(…まいったなぁ)
おめでとう、のその言葉がきけるだけで。
その音がきけるだけで、充分だったのに。
「ハッピ、バースデー、トゥ、ユー」
ヴァイオリンを弾きながらだからだろう、ぎこちないとぎれとぎれの歌声は、どこか楽しそうで。
大好きな音色が、いつもよりもっと甘く優しく聴こえるのはきっと僕の願望だけじゃない。
「ハッピ、バースデー、ディーア、かーじ、くん」
その歌声は、間違いなく僕の名前を呼んで。
朝のおめでとうとは違う、ちゃんとした、『ハッピーバースデー』は、もっともっと僕の心を震わせて。
僕の心臓の音は、今までで一番なんじゃないかっていうくらい早い。
「ハッピーバースデー、トゥ、ユー」
ねぇ、日野さん。
今日は誕生日だから。
ちょっとだけ自惚れてもいいのかな?
君のその優しい音色とかわいい歌は、僕のためだけのものだって。
最後の一音が夕焼け空に溶けて。
練習室からは、小さく、よし、という声が聞こえた。
チリン、という軽やかな音が響いて、十数秒。
その、十数秒が、まるで永遠のように感じられた。
そして、その永遠にも思えた時間から目を覚まさせるように、僕のポケットに入れたケータイが、ブーブーと着信を告げた。
画面に表示されたのは、焦がれてやまない彼女の名前。
(…日野さん、僕、ほんとに期待しちゃうよ?)
彼女は何をいってくれるんだろう。
今日は僕の誕生日で。
君はあんな風におめでとうの曲を練習してくれていて。
どんなかたちでもいいから、おめでとうという言葉だけ聞ければいいなんて、嘘。
ねぇ、日野さん。
今日は、僕の誕生日だから。
今日だけは、少しだけ、期待してもいい?
欲張っても、いい?
空を見上げると、もう大分日は傾いていて。
祈るような気持ちで、通話ボタンを押した。
「もしもし」
『あ、加地くん?!よかった、出てくれた!』
どこかほっとしたようなその声に、僕の心はまたときめいて。
欲張りすぎだってわかっているけど。
君が、僕と同じ気持ちでいてくれますように。
17歳の誕生日。
暗くなり始めた空にかすかに見えた一番星に、そう願った。
【end】
HAPPY BIRTHDAY to Aoi Kaji!!
2013.11.12
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