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終わつちまつた悲しみに

中1時代

現バンドリーダーである岩出拓十郎氏が1年4組にてキーボードのNロと接触。
その理由は、休み時間に誰とも話さず虚ろな目で窓を見ていたNロを、岩出氏が発見、「(音楽的に)洗脳できそうだ」と思ったかららしい。

このとき既に岩出氏はバトミントン部にて、とあるお方と接触しバンドを組もうとしていたという。
そのお方はカリスマ性に満ち溢れていた為、ほぼ組むという方向で話が決まっていたというのだが、
そのバンドの他のメンバーが「キーボードいらなくね?」と発言したことにより別のバンドを組むことを決めた。ミステラレナクテ、ヨカッタ。

自らのバンド計画を語り、1代目ドラマーであるyour mountainも引きつれて
サタニックの前身であるバンドを立ち上げた。(名称はこのとき決まっていなかった)
1,2回程スタジオで練習するがギター以外特に上手くいく訳がなく、多少gdgdに。

ここら辺で4組の担任であるヤナケン氏に中学軽音部を設立したいと相談するが、顧問にはなってもらえなかった。
しかしある時に、他にも部を立ち上げたいという人たちとこぞってある先生の下に赴く機会があった、が断られる。
理由は場所、金、設備が足りない為だと言われるが、それらが最初からある方がおかしいし、普通なら部を作ってから考えることではないのだろうか。
要は厄介払いされてしまったのである。

その頃岩出氏は現ボーカルであるDarlin' Brait死を誘う。その理由はジョージハリスン(ビートルズ)の息子の顔に似ていたから、というが・・・
参考資料:http://lucy-diary.cocolog-nifty.com/blog/images/2008/02/25/dsc0011512_2.jpg

その後理由は失念したがyour(略)氏は一度バンドを脱退、代わりに2代目ドラマー、ハチマン氏が入ってくる。
何故誘ったかはリーダーのみぞ知る。
この時バンド内での平均体重がグンと上がったという。

1年目は流石に文化祭で発表出来る訳もなくボウッと月日が過ぎるのを待つ。
この時get backやsmork on the waterなどのカヴァー曲を練習していた気がする。

時期は忘れたが、1年も終わる頃にベースの小野谷将行3世氏が入団。その理由はリーダーのみぞ知る。
この時彼は、リーダーのことを岩出君、岩出君と呼んでいたらしい。今では考えられない。
この時に、バンド内での平均体重はさらに上がり、超重量級バンドの称号を欲しい侭にする様になった。

中2時代

バンドの掲示板がハチマン氏によって立ち上げられたが、バンドの事とは関係ない話題ばかりが挙がる。
ハチマン氏がバンドの練習をサボってゲーセンで奮闘していたことを、どこから仕入れたのかリーダーが知る。
掲示板にて岩出氏が「バンド辞めろ。もし嫌なら金曜までに俺のところへ来い」という内容の書き込みをする。
ハチマン氏はこれを無視。2代目ドラマー時代の終焉である。

代わりにyour(ry 氏が復帰し3代目ドラマーの座に着く。
しかし彼はバンド内でやっていくには自己中心的過ぎた・・・!
ボーカルのDarlin' Braitがあまりにも練習してこなさすぎた為、バンド内で一時期問題となったことがあるが
you(ry 氏はこれに対し暴力をもって解決を計るが、Darlin' Brait氏はこれに反抗する。
その後yo(ry氏は家へと帰っていったのだが
バンド内ではあいつやりすぎだよな、という共通見解が出来た上に
彼自身そう技術的にも上手くは無いし、何より音楽的な面の向上が望め無かった為
この辺りから厄介者扱いされるようになっていった。

文化祭まで何とかかんとかやっていく。この時の持ち曲はストーンズ、クラプトン、ビートルズなどの王道からのカヴァーである。
しかしy(ry 氏はあまりにも横暴で勝手な態度をとる。
彼はバスケ部にも属していたのだが、文化祭でのバスケ大会を見る為に
ライブを放棄する。この時の言い分がやたら自己中心的なものだった、が失念。
今考えれば彼の言うこともわからないでもなかったような気もする…
しかしライブでドラムが抜けることによる影響の一つでも考えてもらいたかった。

ドラムがいないという危機を偶然ライブに来ていたハチマン氏をもって補おうとするが
1曲を演奏したところで顔面蒼白になったハチマン氏は帰っていった。
今思えば練習もしていない彼にやらせたのはかなり横暴なことであったと思う。

結局、この時来ていた岩出氏の兄がギター、岩出氏がドラムをすることによってこの危機を乗り越える。
このギリギリの状態で行ったセッションはある一つの名曲
アイアムボールイートマン、ではなくピンクジョーカーを生み出すこととなった。

結局この文化祭が終わった後は(ry氏をバンド練習に誘わず、そのまま、自然に脱退。3代目ドラマー時代の終焉であった。

Nロ、小谷野と同じクラスであった田中氏がバンドに入団。4代目ドラマーの誕生である。
最初、田中氏が自らの意思で入団希望したものかと思っていた。
が真相は、小谷野氏が勧誘したことによるものであったという。

ドラマーの実力が飛躍的、且つ絶対的に上昇した為バンド内での練習がはかどるようになった気がする。
この時期に、バンドとして全体的に技術が上がっていったと思う。
そして何事もないままに3年へと突入する。

中3時代

Darlin' Braitの友達でバンドに興味があったというハジメ氏が同じクラスのNロに接触する。
後日岩出氏の下へと連れて行き、その後スタジオ見学を経て正式に入団。リズムギターとコーラスを担当するようになった。
そして去年の文化祭においてのセッションで作られたピンクジョーカーを皮切りに
続々と岩出氏の手によってオリジナル曲が作られるようになった。
結果、曲目ではカヴァーよりオリジナルの方が割合を占めるようになる。
この年の文化祭はほぼオリ曲と去年、一昨年やった曲を流用。
演奏面以外でのことでひどいものとなったが演奏自体はそれなりに上手くいく。
Darlin' BraitがDQN先輩から脅しをかけられたり、理由も説明されないままに文化祭実行委員会の仕事を任されそうになる。仕舞いには、サタニックからライブの演奏時間を削り取った張本人の先輩から「来年は頑張れよ!」と言われ若干涙目になったものの何とかかんとか乗り切る。
まあ岩出氏がことの発端を作ったのだが、だからって罪罪と何でもかんでも仕事を押し付けるのはどうかと思うぜ…
最後には機材部長にみんなで謝って許してもらえた。今となってはいい思い出である。

文化祭以前から田中氏とサタの音楽性のずれが浮き出ていた為、この辺りで惜しまれつつも田中氏脱退。
非常に貴重な実力派4代目ドラマー、これにて終焉。

次の問題としてDarlin' Braitのボーカルとしての資質が再び問われるようになる。
曲を練習してこない、歌詞を覚えてこない、おまけに言い訳するなど散々だった為
強引に新しいボーカルを勧誘したところ、Darlin' Brait氏の耳に入り結構な騒ぎになる。
結局は歌詞を覚え、歌もマシになったことにより存続することになった。

そして内山氏が中3の終わり頃に入団。その理由はリーダーのみぞ知る。何はともあれ5代目ドラマー、ここに誕生。
このバンドには、1年以上在籍したドラマーはいなくて、文化祭が終わると辞めていくというジンクスがある・・・
彼は文化祭を乗り越える史上初のドラマーとなるであろうか。

高1時代

やっと軽音部はいれたよ。バンド多すぎ吹いた。
練習週1ぐらい出来るかなと思ったら出来ないでやんの。ファッキンファッキン。

が、しかし、文化祭が終わると、戦意喪失した屍バンドどもは次々と解散していくという・・・フヒヒ・・・
フヒヒヒヒ・・・フヒヒー!!・・・



あ、俺らですか、サーセン。


文化祭が終わり、演奏の出来も上々で高1時代の文化祭は上手くいったと思われる。
だが、突如リーダーによる解散宣告がなされた為
良くも悪くも、「屍バンド」とは、自分達自身であるサタニック(ryバンドだという予言は間違いではなかったということになってしまった。
ドラマーが文化祭山を乗り越えどうこうより
バンド自体が存続出来なかったというお粗末な茶番で終わった・・・


しかし、一夜明けてみると例の解散騒動の発端となったスレッドにはただ一言「次はないから」という発言を残して跡形もなくなった。

これは社長のお情けなのであろうか、それとも単にまだ玩具としての利用価値を見出したのか・・・それは誰にも分からない。
しかし、解散宣言自体なくなってしまった為、これ以降もサタバンドは存続してゆくものと思われる。





俺達の戦いはこれからだ!

製作・著作:NHK(ニッキーほんとに消えちゃった)

とまあゴタゴタが過ぎ去り、内山氏は在籍期間1年を越えた最初の正規ドラマーとなった。
ボーカルの植山侑我(旧名Darlin'Brait)がサポートメンバーに降格。
そしてより緊張感のある練習をするようになったサタバンドは、海城高等学校軽音学部部長主催のコンサートにて、殺気だったパフォーマンスを披露。
それまでで最も評価されたライブであった。


高2時代

サタニックマジェスティーズロンリーハーツクラブバンドがサタニックマジェスティーズロンリーハーツクラブバンドとして本格的に動き出した時期である。
4月に入り、サタニックは思った。「このままで良いのだろうか」「(文化祭の)花火が終わる頃僕らはいないのさ」「ならば最後に一花咲かせよう」と。
特に口から出たわけでもないが、きっとみんな心の中でそう思っていた。

新曲がどんどん追加され、サタはサタらしさを増し、田中時代バンドとしての実力が増した時のように、今度は音楽性が広がっていた。きっと。
高1時代、邪馬台国やブレイクが校外ライブを行っていたが、4年もやっている俺達が何故やらぬとばかりに
夏休みに入る前入った後ライブを行う。
記念すべき1回目は、下北沢サウンドファクトリーで。主催?の藤井さんに「もうこんなバンドはこの先生まれないだろう」と評される。
2回目も下北沢サウンドファクトリーで、藤井さんに「この前より断然良くなってる。ソニーに応募するべき。それ以外の会社に出しても、絶対どこか拾うはず。」と評される。
サタが調子に乗る。
3回目は渋谷の路地裏ストリート。森田さんが意外に普通の人だった。後、企画会社から派遣されている福島さんが話上手だった。
演奏的には普通の結果だった気がする。

ライブを経験して何か言葉では得られないものを得た。

7月の後夜祭ライブオーディションにて堂々たる4位となる。
「マイクたおすのない」
きっと僕達は忘れない。
ガービッジブルースの衝撃さに主に軽音側が耐え切れなかったのだろう。そこで点を落とした。

文化祭を向かえるサタに、今までにないマジメさがあったのだろう。
今まで文化祭ライブで成功したことなどなかったから。

中2の時は、純粋にヘタ過ぎ、または君の山

中3の時は、これもヘタであったが、それよりも、ファッキンスモールフィールドによるところが大きい。
「お前こいつらに仕事任せれば昼飯食えるだろ」「ぃいやでぅす」
きっと僕達は忘れない。

高1の時は、これもまたヘタではあったのだが、まぁ他に問題はなかった。

これらの経験が、僕達を否が応にも真剣にさせたのだ。

そして文化祭が始まった。
その時の思いはそれぞれ持っているはずだ。
だからこの時の文化祭がどうだったかは一々書かれない。



まぁぶっちゃけ成功したよね。

今まで応援してくださった方々に感謝、そしてサタニックマジェスティーズロンリーハーツクラブバンドに感謝。
これでホントの終わりだ。
しみじみとしたいところだけど、せぬ

終わつちまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる





Satanic Majesties Lonely Hearts Club Band


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