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エースは自分の王国の中で漂っていた。

大きく茂った果樹から、たわわになっている実を取り、味見する。
程よい酸味と甘み、豊かに広がる芳香が口いっぱいに広がり、上手く育った事を伝えてくる。

上出来の酒のような、バランスの取れた味がするよく熟れた果実を、自分に抱きついて漂っているマルコの口にも運ぶ。

梢にはまだ花も咲いていて、柔らかな蜂の羽音が眠気を誘う。
空気全体が甘い蜜の香りに満ちている。
心地よい南国の、永遠に続く昼下がりの中で、ふわふわと二人で漂う。


この部分のエコスフィアはうまくバランスが取れたようだ。
顔の傍に浮かんだワークパッドに手短にメモを吹きこんで、枝を掴んで反動をつけて、次の木に移る。
硬い殻に守られて、栄養価が高いナッツが出来る木だ。マルコの好物だったな、と思う。
ピリッとした刺激があり、これを肴にしてよく、強い酒を飲んでいた。
ちょっとまだ時期は早いけど、そろそろいちばん最初の実が生ってもいい。

梢の一番上まで行って、早成りの実を探す。
一番日当たりがいい枝に、一塊の収穫を見つけ出す。

マルコ食べるかな?と胸の上で軽くしがみ付きながらウトウトしている顔を眺める。
さんざんエースの味見につきあって、おなかがふくれたのかぼんやりしているが、まだうっすらと瞳は見えるから起きているだろう。

「ほら、マルコ…これも実ってたよ」

硬い殻を割って中の柔らかい種を取り出し、口にいれてやる。
刺激の強い味に、油断していた顔がしかめられる。
ペッ、と辛い実を吐きだしてマルコはエースを睨みつけた。

「あははは、かーわい〜〜。マルコでも、子供の時はこの味苦手なんだ?」

ギュッと抱きしめたら、腕の中で小さな体が暴れた。
短い足が精いっぱいの力で何度か腹を蹴り、宙に浮いて鳥の姿に変わる。
報復に数回鋭いくちばしで小突かれエースは頭を抱えて逃げ出した。


鳥のくせにはっきり、ふん、と鼻を鳴らし、ゆらりと羽ばたいて離れた木の梢に向かう。

「あ!ダメだよ、マルコ。サルナシばっかり食うな。それはまだちゃんと熟してないしおなかを壊すから…」

慌てて追いかけるがエースには翼はない。ゼロG環境でも上手く動けるよう訓練されているが、マルコにはかなわない。
強い跳躍力を使って追いかけるが、上手い具合にひらひらと逃げ回られる。
わざと手が届きそうな枝にとまり、小馬鹿にした様子でこちらを眺めている。

「…ったくもう!イジワルなのは生まれつきかよ。大人をバカにしたら、痛い目にあうんだぞ!」

意地になったエースが本気を出して追いかけると、マルコも本気で逃げ出し、羽ばたきながら奥の方まで飛んで行こうとした。

「マルコ危ない!そっちはGがあるんだから落ちちゃうよ。戻れって…」

マルコの飛んで行く方向で、好き勝手な方向に伸びた枝の隙間から、別の木の梢が通り過ぎるのが見えた。
遠くへ行くほど早く動く林の中に、蒼い鳥は飛びこんでしまう。
制止など聞く耳を持たず、奥の方へと飛んで行ったが、いきなり感じる自分の体重を幼い翼は支えられず落下する。



慌てて能力を消して、戻した腕で高い梢にしがみ付いているマルコの傍に、撥ねながらエースは近付く。

「ほら、言うことを聞かないと痛い目にあっただろう?ごめんなさいって言えば助けてやるよ」

驚きで見開いていた目が、うっすらと涙を浮かべてかぶりを振る。
ぷい、とそっぽを向くが不安定な枝の上で、プルプルと腕が震えて、いまにも落っこちてしまいそうだ。

「まったく意地っ張りなんだから。そっちに行くから、もうちょっとだけちゃんと掴まってろよ」

ひょいひょい、と身軽に枝を掴んで上がって来るエースを、マルコは驚きの目で見つめている。
強い筋力が背中を波打たせ、軽く汗ばんで光って見えた。

「ほら、捕まえた。こっちにおいで」

滑らかで、その真ん中にくっきりと自分たちの誇りが刻まれた背中を見て、マルコはなぜか恥ずかしくなり、またそっぽを向く。

「もう、拗ねるなよ!ここ2Gあるんだぜ?こんな高いとこから落ちたら痛いし、怪我したら、イゾウのとこだぞ、いいのか?」

マルコはちょっと考えた。
エースならどんなに怒ったふりをしても怖くなんかないが、イゾウはそうはいかない。
注射を嫌がって逃げ出した時には、本気で殴られたし、自分が怒ってもニヤニヤ笑うだけだ。
今恥ずかしい方がまし、と判断してしぶしぶ差し出された背中に縋る。こっち側なら、赤くなった顔も見られないから、まあ、いい。


また身軽に枝を伝って下まで降り、居心地のいいゼロGに戻ろうとしたら、背中でマルコが暴れ出した。
襟足の髪をぐいぐい引っ張り、脇腹を蹴りつけてエースの足を止める。

「ちょ!痛えよ、マルコ。なんだよ、口で言えよ…」

耳を引っ張られ、無理やり振り向かされて、小さな手が示す先を見たら、赤い実がいくつか生っていた。
今の、マルコの好物だ。それを取ってくれ、と言うことらしい。

「こっちに生ってるのは小さいし硬いんだぜ?だから……ああ、もう!解ったよ。暴れんなって…」

また、背中にマルコをしがみ付かせたまま、エースは梢まで登る。
ご要望の枝を取ってやり、肩越しに差し出すと精一杯口を開いてかじりついてきた。
が、期待に満ちキラキラしていた目が、とたんに曇り、ギュウっと眉が寄せられる。

「な?こっちにあるのは、味は濃いいけど種ばっかりで固いだろ?Gが違うと味も変わるんだ。ゼロGだと柔らかくって甘いからあっちに戻ろ?…」

ぷっと頬を膨らせて、また拗ねたマルコを軽くゆすってあやしながら、快適な場所まで戻り、ぽい、と飛び上がる。



そのままの勢いで回転する中心軸まで漂っていく。
高い位置にくると、エースの王国の全貌が目に入りだした。

「ほら、マルコ見てごらん。あっちの植えてある木が動いてるとこには、回転でGが発生してるんだ。だから今の力じゃ落ちちゃうのさ」

見通せば向こうの壁が霞んでいるほど広いエースの王国は、枝の中に居れば野生のままの世界に思えるが、すべてがコントロールされた巨大な温室だ。
大きなモビーでも端の部分に作られ、船内環境の1Gを使った場所がまずあり、それに繋がってそれを打ち消したゼロGスぺースが広く取られ、その奥は回転が上げられた高G環境になっている。

「ここだといくらでも飛べるけど、もうちょっと練習して力がつかないと、あの木が動いてるとこに入っちゃだめだよ。怖かっただろ?」

本来は重力場をコントロールしているので、こんな原始的な方法に頼ってはいない。
でも、幼いマルコの飛行訓練が出来るように、スピードジルとアトモスに相談して設定を調整してもらったのだ。
マルコが判りやすいように、自分の力に合わせて飛んで行けるように。



ひゅ、と小さく口笛を鳴らしてワークパッドを呼び、また、いくつかのメモを記録し、仕事に戻る。
マルコはまた、ちょっと鳥になって飛んでみたり、梢の中の珍しい花を覗きこんだりして遊んでいた。


エースは漂いながら仕事を続けていたが、ふと下を見て、船内に続く1Gスペースの端に、見慣れた大男の姿があるのに気がついた。

「あれ?ジョズ。どうしたの、何かあった?」
「ああ…ちょっと悪いんだがな、マルコに見て欲しいデータがあって…なんか星間物質が濃い場所があるみたいなんだ」
「ふぅん…マルコォ!ちょっと来てくれってさ」

遊んでいた梢から、鳥の姿で舞い降りてエースの腕の中で人型に戻ったマルコは、怪訝な顔でジョズを見つめた。

「すまんな、マルコ…観測データがM−oファイルに入れてある。キング・デューが言うにはスペクトルが怪しいと…」

エースはメモリーパッドから必要なデータを呼び出して、マルコに示す。
眉間にしわがより、細められた目が強い光を放つ。

「…腐食性ガス雲。距離1・2パーセク。要回避行動。運動角3ラジアン。3象限0−30−82」

小さな指が的確にパットの上を滑り、次々にデータを呼び出し、新しく指示を打ちこむ。
打ち込む手の斜め上に、小さなキング・デューの姿が浮かび上がり、新しいデータを覗きこむ。

「……3.6h後0.1Gで5分加速。その後0.2Gで12分。102h後減速。0.1G20分」
「ラジャ…」
「ジャンプポイントを3976WB−whに変更。ATA−2h。ジャンプ後修正…オヤジに報告」

キング・デューの姿が消え、代わりにオヤジの顔が浮かび上がった。

「おう!ご苦労だったな、マルコ。さすがじゃねえか、グララララ…」
「…あ……」

とたんに真っ赤になって膝の上でもじもじしだすマルコが、上手く言葉を出せないみたいで、エースは助け船を出す。

「ほら、マルコ。オヤジに今したお仕事の報告しなきゃいけないだろ。何をしたんだ?」
「…あ、…オヤ、ジ…ちょっと軌道修正した、よい…到着時間が2時間早くなるかもしれないよい…」
「ん?オーズのとことランデブーだな。それで大丈夫か?」
「うん…ハイパーウェーブだと細かい座標が狂うかもしれねえから、ジャンプ後に修正する」
「そうか、上手くやってくれ。おれの自慢の息子だな、てめえは…」

3D映像に実体はないが、大きな手が伸びてきて頭を撫でてもらい、マルコはにっこりと笑った。



暖かい笑いを浮かべたオヤジの視線が、背後のエースに向けられる。

「てめえにも苦労をかけるな、エース。どうだ、今日、マルコはいい子にしてたのか?」
「えっ…え〜〜とぉ、どうだったかなぁ…」

とたんにがつん、と小さな足が思いっきりすねを蹴飛ばした。

「いてっ!…あはは、いい子だったよね、お仕事もちゃんとしたし…言うこと聞かずに、勝手に飛んでったりは、ひなぁ、ふぃっ…」

振り向いたマルコが、両手でエースの口を掴んで言葉を封じようとするのに、オヤジはまた、上機嫌な笑い声を浴びせる。

「まあ、元気ならそれでいい。その悪ガキの世話は頼むぞ、エース」

ふっとオヤジの姿も消え、マルコはようやく安心してエースの口元を捻っていた手を離してくれた。

「ひててて…本当にオヤジにだけはいい子なんだからな…」
「…なあ、エース。お前、マルコの成体を促成するの断ったそうだが…」
「ん?……そうだよ、ジョズ」
「いいのか?今のマルコは、航法の専門データを先に記憶させただけで、生活や個人の記憶はまだなんだろう…」
「うん。でも、今みたいに仕事には差しさわりはないぜ。星に降りてなきゃおれも暇だしさ…」
「それでも、食事も何も一から教えないといかんのだから、大変だろう。成体を培養する方が時間もかからないのに」
「そうでもないさ。それに……一度に二人のマルコはタブーなんだから、いつものマルコが戻ったら、こいつを“消去”しなきゃいけないし…」
「このまま成長するの待ってたら、お前のことを思い出すまでかなり時間がかかるんだろう?…」
「そうだね…ちゃんと脳が育ってくれないと、大量の記憶注入はできないから…まずは生活記憶が先だしね…」
「まずい事故が続いたからな…次のボディが成熟するのが間に合わないなんて、運が悪かった」
「だから、今度は無茶しないように、ちゃんと躾けてやるんだ!おれ…やっぱマルコいないとやだし…」
「つらくないか、エース…」
「いや、全然!大丈夫さ、たかだか15年ぐらいじゃないか。だいたい、いつもマルコがおれの事ガキ扱いしてたし、お返しだよ」
「マルコがいつもお前を甘やかしてたのに、逆ってわけか」
「そうだよ!このまま育ててやったら、今度はさ…ケンカになってもちょっとは勝てるかもしれねえじゃん?」
「そうか……おまえが良いなら、おれ達もそれでいい」



ジョズが少し諦めたような、困った笑顔で帰っていき、エースはまたマルコと二人きりになる。

おれがわがまま通したから、みんなに心配かけちゃったな、とエースは申し訳なく思う。
でも、エースはマルコが必要だった。暖かさを伝えてくれる実体が。

運行を管理するだけなら、メモリバンクで緻密に再構成されたメタ人格でも対応できる。だから、次のボディが成熟するまで待て、と言われたがエースが無理だった。
辛くなるだけだから、と皆が止める中、ハルタだけが味方になってくれた。
エースはマルコがいないと不安だし、マルコもエースといれば、怖がらないだろうから、と。

未成熟な幼生の状態で目覚め、エースのもとに帰ってきたマルコは、いつもとはまるで違う。
抱きしめた感触も、髪の香りも、肌触りも、すべてがふにゃふにゃしてて頼りない。
何よりも、エースに対する態度が違った。

覚醒プログラムが終わって、目が覚めた時、目の前で泣いていたエースを見返した冷たい瞳を思い出し、少し胸が痛んだ。


今のマルコはエースのことなどひとかけらも憶えてはいない。絶対に壊れないと、無意識に頼っていた守りは、今は消えてしまった。
熱い抱擁も、いくら話していても尽きない思い出も、今はまだ、メモリーバンクの素子の中で眠っている。

そう、眠っているだけなんだから、とエースは気を取り直す。
自分のことを忘れていたって、快楽を共にできなくたって、マルコはマルコだ。

ただそこにいてくれるだけでいい。
今自分が世話をしなければ、何も出来ない幼いからだを抱きしめているだけで、甘い喜びが滲みだす。

欲には限りがない。
でも、情はもっと限りなんてない。

愛だとか、恋だとか、熱い想いだとか、はっきり言ってめんどくさい時もあるのに、その面倒が、どうしても、どうしても必要になるのはなんでだろう。


ぼんやりと、取り留めのない想いを追いかけていたら、つい、きつく抱きしめてしまい、腕の中のマルコが不機嫌そうに身じろぎをした。

「あは、ごめんごめん…痛かったか?…そうだ。ちゃんと今日はお仕事したし、特別にすっごく甘いの食べさせてやるよ」

マルコの世話をするなんて、今までしたくてもさせてもらえなかったし、めったにないチャンスだと思って思いっきり甘やかそう。
座り心地がいい、柔らかい葉の上にマルコを置いてやり、少し離れた大きな木の洞に向けてジャンプする。

ここにはミツバチの巣箱が隠してある。
もう、何百万もの世代、繰り返し飼われてきてすっかりおとなしくなったが、たまに先祖がえりして刺す奴がいるので、万が一にもマルコを傷つけないよう、樹脂の強い生木を折り取って、能力でいぶしながら、慎重に蜂を眠らせる。
蜜がたっぷりついた巣板を一枚引き出し、そぅっとマルコのもとに運ぶ。

「ほら、見てなよマルコ…綺麗だから」

対角線に指を当て、くるくる、と回転させる。
粘り気のある、金色の蜜が動き出し、ゆっくりと端の方から、光を固めたような輝く珠になる。
自分の方に漂って来た珠をぱくん、と口に入れ、エースはにやりと笑って見せる。

「すっごく甘いぜ。上手く捕まえられるか、マルコ?」

ちょっと警戒した顔で、顔の前まで飛んできた小さめの雫を口で受けたマルコの顔がぱっと明るくなる。
続けざまに、顔の近くにあった珠を捕まえる。つい、指で触って綺麗な珠を崩してしまい、あっという間に汚れていく顔を見て、エースは思わず笑い出す。

飛んでいる蜂蜜の珠を追いかけるのが楽しいのか、マルコもキャラキャラと笑い始める。
だんだん拡がっていく甘い雫を追いかけ、ふわふわと二人で漂いながら、大人に戻ったマルコは、こんなバカな遊びにつきあってくれるかな、とエースは思う。

自分が出来るだけ大きな珠を口にしようと、エースを押しのけたり、乗り越えようとしたりするうちに、マルコの全身はべたべただ。
余計に甘い匂いになっちゃったな、とエースは思い、耳の後ろについていた塊をぺろりと舐めた。
うきゃあ!とマルコが悲鳴を上げ、真っ赤な顔で怒りながら、エースの鼻の横についていた塊にかじりついてきた。

またじたばたと空中で絡みあいながら、今度はお互いにくっついた塊を舐めとろうとする。
マルコは鳥になって逃げようとするが、鳥だと今度は上手く舐められない。
リーチの長さもあり、今度は明らかにエースが有利だった。
つかまってしまい、膝小僧をしゃぶられて、くすぐったさのあまり呼吸困難になるほど笑ったマルコは息を荒げている。

子供の体力を使い果たして、マルコは本格的に眠くなってきたようだ。
シャワーは後だな、と思いエースはそのままちょっと寝かせようと空中に漂っている不安定なからだをまた胸に抱えた。

「マルコ…どうだった?モビー特製エース蜂蜜の味は…美味しかったか?」

コクン、と頷くマルコはもう、ほとんどまぶたを閉じてしまっている。

「ほら、言葉で話さないとよく分らないって…どんな味だった?」
「甘い…よい…」

薄赤い唇が、まだ少し残っている甘さを探して、エースの胸を這う。鎖骨に少したまっていた蜜をぺろり、と舐められて、エースの背を軽い戦慄が走る。

「マルコ……これ、好きか?…」
「……好きだよい…」

その言葉の響きが、また少し胸の中を温めて、押し殺している鈍い痛みを和らげてくれる。


これでいい。
こうして、また、少しずつ、マルコと好きを重ねていけばいい。

今までにたくさんマルコから貰った、好きという気持ちを、今度はおれがマルコに渡していけばいい。


この長い午後の時間に、ゆっくりと大きくしていけばいい。
焦らなくたって、大切なものはもう腕の中にある。まだ、眠っているだけ。

軽い寝息をたてはじめた姿に安心して、マルコの額にキスを落とす。

まだ肌には蜂蜜の香りが残っていて、ああ、甘いな、とエースは思った。







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