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11月22日・いい夫婦の日&リスペクト:「月は無慈悲な夜の女王」ロバート・A・ハインライン





宇宙は過酷だ。わずかなミスですぐに大事故になる。

「!!!エースッ…」

一斉にエマージェンシーが表示され、モニターに映っていたエースの顔が緊張で歪む。
アトモスが自分の危機管理コンソールに突進し、猛然と手を振りまわしてパネルを叩き続けた。

「どうなってる!!ジョズ!」
「船尾から圧力消失、O2低下……おい、エース!スペーススーツはどうした」
『すぐ帰還だから、付けてね…』
「ばかやろい!おい、ラクヨウ!!…」

指示を出す前に、ドックからラクヨウ達の小艇が救助に飛びだしたのを見る。
しかし、エースの顔色は急激に青白くなり、艇内のデータも危機的状態を示していた。

探査に降りた原始惑星から、帰還する途中、レーダーに漏れた微小惑星に衝突したらしい。
爪の先ほどの小石でも、ストライカークラスの一人艇には致命的なダメージになる。惑星面では邪魔になるから、と宇宙服を着ていなかったことがさらに事態を悪化させた。

『マルコ…ごめ……ドジった。ちょっと…さみし、…の、我慢して、て……』

もはや、意識も朦朧としているらしいエースは、それでも微笑みを浮かべようとした。
絶対零度の暗黒が、その微笑みさえ凍らしていく。

「……エース…」

もはや呼びかけても応えない。
愛しい者の命が消えていくのを、シグナルに告げられても、マルコは目の前に浮かんでいる画像から目が離せなかった。



ラクヨウ達が牽引して帰ってきたストライカーを迎えにドッグで待つ。
船尾部分にわずかな穴があいている。
わずかな、ほんの小さな亀裂が、エースを連れ去ってしまった。

ハッチを開き、冷たく固まったエースの身体を抱きあげる。
最後の息吹がまつ毛に凍りつき、かくん、と首が折れた衝撃でマルコの胸の上にはらはらと舞い落ちた。





凍りついていた身体は、暖かなエースの王国に入ると、溶けて柔らかくなってきていた。
寝入ってしまった時にベッドに運んだように、腕の中に抱えたエースの手脚は、マルコの歩みに合わせてふらふらと揺れている。
しかし、凍てついた表面は溶けてきても、何度も慈しんだ温もりは戻ってはこなかった。

黙りこくって一人エースを抱え、触れることも拒絶するマルコを心配して、ついてきていたクルーたちをあごで追い払う。
目指すのは、エースとマルコだけが訪れる小さな温室。
それを見届けた仲間が黙って引き下がるのに、感謝を感じていても、まだ、マルコは険しい顔を緩めることはできなかった。

エースの指をタッチパネルに当て、ドアを開く。
さらに暖かく、香り高い空気がマルコを包んだ。


モビーのクルーにとって、事実上死は遠い存在だ。
今頃はイゾウの手で、エースのスペアボディが覚醒槽に移され、コープシクルから生きたからだにと変化を始めているだろう。
順調に生命の息吹を持たせるのに数日。その後メモリーを流入させ、神経マップを整え、思考から、発声、運動が行えるようになるまで、トラブルが起こらないように見守りながら何カ月か…

それさえ済めば、また、いつものエースがマルコのもとに帰ってくる。
少し長い探査に出ているのと変わらない。本当にそれだけのこと。

だから、悲しむことなどないのだ、と理解していても、マルコは苦しかった。
最後の呼び声まで凍らせる闇の中で、エースが一人で命を手放したことが耐えられなかった。
今、呼べば応えてくれるエースはいない、それが、どうしても受け入れられなかった。


通路を歩いている間は、鋼のような意志力と、どこか痺れたような感覚のおかげで、せき止められていた涙は、二人のための小さな楽園で温められ、流れ始めた。
ここだけで飼い続けている、色鮮やかな蝶たちが、マルコの回りを飛び交い、濡れた頬に触れていった。



この温室は小さなものだが、外より暖かいのは、小さな培養槽があり、中で茂っている木々の落ち葉などを常に発酵させ、豊かな栄養に変えているからだ。
じんわりと発熱を続けるその場所は、二人でもぐりこむベッドのように優しい温もりがあった。

巨大なモビーは、長い虚無の中を進むため、完璧な閉鎖系の環境システムになっている。
毎日の食事も、水も、衣服や装備、たくさんのクルーが毎日出すものまでが、循環し新しいものに生まれ変わっている。
それは使えなくなったボディも同じだ。

エースのボディも、モビー全体のシステムの中で解体され、再構築されるのが本来なのだが、手放すのを嫌がるマルコのため、ジョズがこの小さな培養槽を作ってくれた。

その、暖かく柔らかな寝床に、エースの身体を横たえる。
黒く豊かな土はゆっくりと攪拌され、徐々にエースの青白い顔を隠していった。

この土は、マルコでもある。
今までに何度か、自分の身体もこの土の寝床に横たえられた。この中で、掻き混ぜられ、エースとマルコは分子レベルで一つになる。

培養が終わり、豊かな土に変われば、木々の根元を覆い、流れ出た体液も浄化され、水に変わり、木々の根から吸い上げられ、実りや花になり、蝶として生まれる。

そしてその命が終われば、また、培養槽に戻り、いつまでも命の循環を繰り返す。

大きな閉鎖系であるモビーの中で、二人のためだけの小さな閉じた楽園。
この中で花開き、実るものは、ほとんど外には出さない。
この花も、あの果実も、その蝶も、皆、かつてエースであり、マルコだったものでできている。

また蝶が頬に触れていった。

あの蝶はエースの魂のかけらで、黙って涙を流すマルコを宥めようと、キスを贈ってきたのだ、と、素直にマルコは感じる。

遠い昔、初めは鉢植えから始めた温室は、いつの間にか、木々が茂る明るい林になっていた。

(今度の土にはさ、ぺミカンナッツ植えようよ。マルコ好きだろ?実ったら、おれだと思って食ったらいいから)

そんな戯言を言い、植えた苗も十分に大きくなった。エースが好きだから、と植えた桃も、ちょうどたわわに実っている。

今回の実りは食べてやるものがいないな、と思い、今にも熟して落ちそうなものを幾つか摘み取り、培養槽に継ぎ足す。

この桃はマルコだ。土に帰るエースの身体と混じり合い、分かちがたいものとなる。
しかし、微かな産毛の手触りや、ほんのり色付いた丸みが、エースの頬を思い出させた。

もう一つ、桃を取り、薄い皮をはぎとり、柔らかな果肉に噛みつく。
甘い汁が溢れ、マルコの指を濡らした。
食べているのは桃だ、でも、エースでもある。

柔らかい香りを吸い込み、垂れ落ちる雫一つ逃さないよう、丁寧に、ゆっくりとマルコは桃を食べる。

時間をかけて味わううち、マルコの涙は止まっていた。
手の中には、最後にコロンと一つ、種が残った。

どうしようかな、とマルコは少しためらう。
培養槽に入れてもいいが、桃の種は端がとがっていて、エースにひっかき傷をつけそうだった。

痛がるわけはない、と理性では判っていても、マルコはなんだか、その種を入れるのはいやだった。



しばらく、手のひらでもてあそんでいたが、ふっと思い付き、マルコは種を握りしめたまま立ち上がる。

イゾウはスペアボディを覚醒シークエンスに移行させれば、その後で、次のスペアボディを育成し始める。
その栄養タンクも同じような、高度循環槽になっているはずだ。その中に、この種を入れよう。

マルコでもありエースでもある種が、今までに繰り返してきた命を繋げてくれる。


マルコは待っていればいいのだ、エースが戻ってくるその時まで。
この、命をつなぐ木立の中で。







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