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  音也は段々と眠たくなってきました。
 追い掛けてくる狼人間から走って逃げてきたので、とても疲れていたのです。
 ですが、隣の部屋には拘束されている狼人間が眠っています。
 とても眠ることはできません。

 「ちょっと様子を見て来よう」

  起き上がった音也は、ドレスの裾を手で手繰り寄せて扉のところへ行きました。
 恐る恐る隣の部屋を見ますと、狼人間は床に倒れているままでした。
 その手足は厳重に縛られており、起き上がる気配はありません。

  ほっと胸を撫で下ろし、そっと窓へ近付きました。
 音也が見上げた空に、暗闇が広がっていました。
 いつのまにか日が沈み、月が雲に覆われていました。
 眺めていると、風で流れた雲の隙間から、ぼうっと月明かりが差して来ました。

  音也はある夜のことを思い出しました。
 馬車でやってきたハヤトとの出会いから、10年の月日が流れていました。
 春歌お母さんに頼まれたお使いを終えると、正式にハヤトと夫婦になるのです。

 「イチノセさんもこの月を見ているのかなぁ」

  丸みを帯びた月は妖艶に白光りして、風にそよぐ木々の音はまるで囁いているようでした。
 美しい情景に見惚れているとき、粘着質な笑い声が頭上から降ってきました。

 「これはこれは、素敵なお召し物を。よくお似合いですね」

  振り返ろうとする音也は両腕を掴まれ、上半身が動かせなくなりました。
 とても強い力と長い爪が肌に食い込むと、その痛みに唸り、半ば叫ぶように訴えます。
 トキヤだ、と血の気が引きました。

 「離せ! 離してよ!」

  腕をいっぱいに揺り動かしてもビクともしない腕力に恐怖し、音也は目に涙を浮かべます。

 「あなたの旦那さんは上手な縛り方ですね。随分とSッ気があるのでは?」

  トキヤは屈んで胸を密着させてきていました。
 音也の背中に、トキヤの体温が伝搬して来ます。
 耳には吐息が掛けられて、いよいよ気分が悪くなって来て、膝から崩れ落ちました。

 「おっと……危ない」

  抱き止めるトキヤの掌が、音也の片方の乳を包み込み、柔らかな曲線を指で辿りました。

 「今日は興が削がれました。またあなたに会いに来ます」

  触れられているのに、恐怖で身体が動きません。

 「次はあなたを抱きます。日取りは……完全に女性になった夜にしましょうか。
  あなたは未熟なのに美味しそうでした。ならば睦んだ後は、もっと美味い筈ですから……」

 音也は後頭部に口付けられた後で、トキヤに手を離され、床に膝を付きました。
 そのまま背後で足音が遠のくのに耳を傾けながら、音也は震えていました。

 「ただいまっ! アタシの可愛いお孫ちゃん! ……ってあら? どうしたの」
 「おばあちゃん……」

  林檎おばあちゃんとハヤトが帰ってくると、音也はボロボロ泣き出しました。
 ハヤトは音也に掛け寄り、震える肩を抱いて、身体を心配してくれます。

 「どうしたの、この腕。縄が切られている……まさか。大丈夫、何もされてない?」

  ハヤトが摩ったその腕に浮かび上がる、ミミズが這ったような跡。

 「ごめんね、一緒に連れて行けば良かった」

  そう謝りながら、彼の抱く腕で、花嫁は泣き続けていました。



  お使いを終えた音也は、ハヤトの操る馬車に乗り、春歌お母さんの居るお家へ帰りました。
 優しく出迎えてくれるお母さんに、心底ほっとし、音也は電池が切れたように眠りました。

  それからぱたりと狼人間に出会うことはなくなりました。
 あの日のことは夢でも見たのかと思うことすらあります。
 結婚式は、街の教会でひっそりと行われました。
 ハヤトの両親と林檎おばあちゃん、春歌お母さんが集って祝福の宴をしました。
 音也は幸せでいっぱいでした。
 
  しかし、その幸せを打ち消すようなことが、初夜に起こりました。
 薄暗い部屋で、音也はハヤトに触れられるのが怖いのです。
 最愛の夫の顔が、あの男と重なってしまいます。
 人相も、話す調子も、身に纏う雰囲気も何もかもが違う――。
 頭ではそうとわかっていながら、営むことを拒絶してしまう音也に、ハヤトは怒りません。
 暗がりの中でも、音也は気付いていました。
 彼から向けられる眼差しの中には、寂しさと優しさが混在していました。

 夫婦となった後も、ハヤトは愛情を注ぐことを欠かしません。
 先に目が覚めてから、先ずは音也を抱き締めて、髪に触れ、首筋に口付けをくれていました。
 
 「おはやっほー、音也くん」
 「ん、おはよう」

  音也が夢心地で腕枕に甘えると、とても嬉しそうに破顔しながらハヤトが囁きます。

 「大好きだにゃあ」

  夫の言葉は、太陽の日射しのように温かく幸せにしてくれていました。
 満ち足りた幸せの中で、音也は思い至ります。
 ハヤトに時折、あの男の面影を抱くことを克服しよう――と。  




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