男は明朗で、話もテンポが良く面白いことを言うので、すぐにトキヤは気に入ります。
彼との会話はさながら古い旧友に出会ったかのようでした。
しかし、彼と話をしていては音美を探すことはできません。
ひょっとしたら裏口や窓から、彼女が逃げてしまうかも……。
木イチゴの甘く口当たりのいいところが気に入り、半分飲み干した頃のこと。
トキヤは、男の話が途切れたのを見計らって、切り出しました。
「あなたとお話をするのは退屈しませんね」
「それは光栄だにゃあ」
「ただ、私が今日此方に来たのは、用事があってのことなのです」
「林檎さんに?」
「いいえ。此方に先ほどやって来た筈のお嬢さんに、です」
男が座る背後のドアの向こうで、物音がことりとしました。
きっとその音を立てたのは音也だ、とトキヤは考えました。
耳をそば立てて、今も話を聞いているに違いありません。
男は優しげな夜空色の双眸を細めて微笑みました。
「へえ、それは珍しいね。ボクの許嫁さんにどんな用事かな」
「イイナズケ?」
トキヤは聞き慣れない言葉に目を丸くしました。
「つまり、将来一緒になる約束が取り交わされてるってこと」
「音也と?」
「そうだよ」
目の前にいるのは、追い掛けてきた少女と将来が約束された男。
すると、トキヤは急に男に興味がわいてきてしまいました。
これでは音也を探しにいくどころではありません。
「それはいつ約束されたんですか」
「今から十年前に出会った頃、ずっと仲良くして下さいって言われたときから」
「素敵な話ですね」
「でしょ? いつかハヤトさんって呼んでもらうんだ〜」
トキヤはハヤトの夢を見ているような表情に、懐かしい気持ちになりました。
そして同時に、お腹が空いて獲物を求めて森を歩いていた自分とは大違いだ、と思いました。
こんなにも生きていることが楽しそうな人間は他には知りません。
今は何て呼ばれているんですか、と口にしようとしたそのときのことです。
不思議なことに、トキヤは急に眠たくなってきてしまいました。
お腹が空いていて、狩りに人里に近いところに出てきたというのにです。
食欲が満たされない内は眠れないというのに、こんなことは初めてでした。
持っていたカップがテーブル転がったと思ったら、瞼が重くなってきました。
此方を見ているハヤトと目が合ったとき、彼はちっとも夢心地な顔ではありませんでした。
トキヤは、椅子に座っていられずに床へ転がりました。
すぐにハヤトは部屋に掛けてあった長縄で、その腕を縛ります。
後ろ手でギュウギュウに縛っても、トキヤは目を覚ましません。
飲み物に入れた薬が効いていることに、ハヤトはホッとしました。
寝室へ行くと、いつも林檎おばあちゃんが使っているベッドに、音也が丸まっていました。
身体を守るように腕を組んで、横たわるその姿は、まるで天使のようでした。
「イチノセさん」
起き上がろうとする音也に、ハヤトは手を前に出し、制します。
「いいよ、まだ寝てて」
「ありがとう」
答えてから再び横になる音也の目に、怯えた色が見えました。
ハヤトは、ベッドの傍に木のまるい椅子を持ってきて腰かけると、音也の手を握りました。
「今あの人は眠ってるから、大丈夫。処分は林檎おばあちゃんに決めて貰おう」
「うん……遠くまで行ったのかな、おばあちゃん」
「もうすぐ戻るよ。そういえば、春歌お母さんは元気?」
「とっても元気。イチノセさんに会いたがっていたよ」
今日は、音也が大人の仲間入りとして認められる歳になる日。
10年前、林檎おばあちゃんと少年だったハヤトの親の間で、音也を花嫁に貰う約束をしていました。
音也が此処へやってきたとき、ボロボロの衣服から覗く素肌にはとても驚きました。
おばあちゃんは薪を取りに出掛けており、音也の身体にぴったりのサイズがありません。
そこで、仕立て屋で頼んだ、ウェディングドレスを音也に着させたのです。
ドレスは、ふんわりとしたプリンセスライン、白いレース素材をあしらっていました。
まだ幼い花嫁の清純さを、優しく可愛らしく見せていました。
時折、不安そうに音也が見つめ返すので、ハヤトは握った手を頬に寄せました。
なめらかでしっとりとした肌……。
この身体に他の男が触れたかと思うと、ハヤトは内心、嫉妬で腸が煮えくりかえりそうでした。
頬に引き寄せられた手に安心して、音也は身を乗り出してハヤトに抱き着きます。
小さな身体に似合わない、豊満に育った胸が押し当てられ、反射的に身体が火照るのには困りました。
まだ15歳になったとはいえ、身体はもう大人です。
ハヤトは、少女の括れた腰回りに手をあて、とんとんと摩るように撫でました。
さりげなく身体を引き離し、両腰を持ち上げてベッドへ戻すと幼い花嫁に微笑みました。
「それまでボクとお話してよっか。今日は面白い話があるよ」
途端に、音也はぱあっと表情を明るくさせます。
「どんな話し? 聞かせて聞かせて!」
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