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 落としたものがあるのなら、立ち止まり振り返って来た道を戻ればいい。道を引き返すのは間違いではないのだから。
 その歌手は、なんとも力強い声で俺にそう言い聞かせた。どの歌手も馬鹿の一つ覚えみたいにひたすら前を向け、振り返るなと追い立てるように歌う中で、少なくともその言葉は、俺にとっては新鮮に思えた。
 だから、というわけでもないのだろうけれど、俺は何か落し物をしてしまったように思えた。今まで生きてきた十八年の中で、何か大切な何かを、その長い道のりの中にポツリと置き去りにしてしまったような、そんな気がした。



 大学一年の夏休み。俺は地元に戻ってきていた。両親になるべく帰って来いと言われたから、ということもあるが、何より俺はその「落し物」を探したかったのだ。そうじゃなかったら、大学の夏休みという貴重な時間に、友達の誘いを断ってまで、地元に戻ってきたりはしない。
 俺は半年前まで通っていた高校にやってきた。自宅から自転車で二十分ほど走った場所にある、この地区ではそれなりの進学校だった。
 駅前の一番栄えた通りを一本外れた郊外に、その学校はある。よほど注意して探さなければ、きっと見逃してしまうだろう。駅前通りから裏通りに続く道にある小さな校門、その奥まった場所にある校舎。それが俺が三年間通った母校だ。
 俺は小さな校門をくぐって、校舎へと続くロータリーを歩く。私服姿の俺は、傍から見れば大分怪しいだろう。だけどさすがに夏休みなだけあって、人影はない。ただ校舎の向こう側にあるグラウンドや体育館からは、部活に励んでいる生徒の声や笛の音が聞こえる。それから校舎の中からか、トランペットやフルートの音色が聞こえてきた。吹奏楽部が個別に練習しているんだろう。
 俺は職員玄関から校舎に入り、勝手にスリッパを拝借して廊下を歩きだした。校舎の中は妙にひんやりしている。どこからともなく聞こえる音色は、どこかこの校舎という空間を世界から切り離してしまっているように思えた。
 校舎の中は静まり返っている。人っ子一人いない。運動部は皆グラウンドか体育館で、確か吹奏楽部の部室は三階の音楽室だ。この聞こえてくる音色は、三階の教室を使っている生徒が奏でているものだろう。
 俺は裏側の階段を使って二階に上がった。その先には職員室がある。数人の教師の声は聞こえてくるが、冷房をかけているためか扉はしっかりと閉められていて、中の様子をうかがうことはできない。せっかく来たのだから挨拶でもしていこうかと思い当たったが、確か俺のクラスの担任は俺の卒業と同時に離任してしまったのを思い出した。俺はそれほど目立つタイプではなかったし、担任の他に仲の良い教師はいなかったので、わざわざ挨拶することもないな、と考えを改めた。
 だから俺はふいと踵を返し、職員室に背を向ける形で廊下を歩む。そこから渡り廊下を渡って管理棟から教室棟へ移る。教室棟の二階の廊下に連なるのは、最後の一年を過ごした、つまりは三年の教室。俺がいたクラスは五組。渡り廊下から出てすぐ左手にある教室だ。
 教室棟はしんと静まり返っている。どの教室を覗いても誰もいないが、その方が気兼ねなくていい。俺は五組の教室に入った。その途端に、どこか懐かしい匂いが鼻腔をついた。具体的なこれという匂いがあるわけではないのだが、何故か懐かしいと思える。真っ先に嗅覚を通して懐かしさが染みてきた。
 俺は教室を見回した。廊下や他の教室に比べれば妙に白い壁。それは学校祭に向けてクラスメイト全員で磨いたからだ。そしてその大掃除でも消えなかった、廊下側の壁の妙な顔のような落書きは、クラスメイトの中では五組名物だった。確か誰かに「ま―ぼくん」と名付けられていたと思う。「まーぼ」はカタカナではなくひらがななのだ、と誰かが力説していた。何故「まーぼ」なのかは、結局知れない。
 そのまーぼくんは、未だに白い壁の中で笑っている。
 俺は教卓の前を横切ってベランダへ出る窓を開けた。そこから見えるのはグラウンドと、その向こうに張ってあるネットと木々。そしてそれらを覆うような包むような青空と、立派な入道雲。グラウンドでは、ちょうど半分でグラウンドを共有した野球部とサッカー部が走り回っている。その隅にいるのは陸上部か。
 俺はベランダに出て手すりに頬杖を突いた。もしかしたら不審者と間違われてしまうかもしれないが、今は気にならなかった。今この場所は日陰になっている。風が吹けば涼しさも感じられた。いい日和だ。
 ふと、思う。俺がここに来た理由だ。
 何かを落としてきてしまった気がする。何かを置き去りにしてしまった気がする。だから俺はここに来た。過去を過ごしたこの場所へ。歩んできた道をたどれば、落としたものを見つけられる気がした。そして置き去りにしたものが何なのか、気付ける気がした。
 忘れてきたものはなんだろう。置き去りにしたものはなんだろう。取り戻したいものはなんだろう。
 ……期待はずれは、なんだったのだろう。


 恋をしていた。
 高校生活はどうだったかと聞かれれば、真っ先に思い浮かぶのはそれだった。
 俺は恋をしていた。相手は同じクラスの女子。名前は明石由真。漆黒の髪を肩ほどまで伸ばした、清楚な雰囲気の女の子だった。彼女は文学部に入っていた。だからそれを知った俺は二年から同じ文学部に入った。
 文学部というのは、ただ本を読みその本の感想を言い合うだけの部活だった。活動と言えるものはその程度しかない。だから部員数はそれほどでもなかったし、幽霊部員も多かった。
 彼女の追っかけで入部した俺だったけれど、部活には真面目に出ていた。その理由は彼女が真面目に出ているからでしかなかったのだけれど、それでもひたすら本を読むだけの部活は苦ではなかった。元々本を読むのは嫌いではなかったし、それで彼女と一緒にいられるのだったら何の憂いもなかった。彼女はいつも俺の向かいや隣で静かに本を読んでいたし、しゃべる機会も多かった。俺はそれなりに幸せだった。
 だけど訳あって卒業間近という頃に告白した俺は、彼女に振られた。俺を恋人のように思うことはできないという理由だった。
 その時の彼女の顔を、俺は今でも覚えている。形のいい眉を困ったように下げ、目には悲しみ、唇には小さな笑みを浮かべて、ごめんなさい、と言った彼女の顔を。俺のことを労わった、彼女らしい表情を。
 だから俺は何となくだけれど、置き去りにしてしまったのはそれなのではないかと、そんな訳のわからないことを思っている。


 一瞬、眠っていたのかと思った。
 ベランダから教室に戻り、かつての自分の席――窓際の後ろから二番目――に座った俺は、開けっ放しだった窓から吹き込んだ風に瞼を押し上げる。
 頭は寝起きのようにぽうっとしていたけれど、時計の針は数分しか進んでいなかった。或いは睡眠にも相当するほどに、意識が深く沈んでいたのか。
 俺はゆっくりと立ち上がった。開けっ放しだった窓を閉め、まーぼくんにじゃあなと一声かけて教室を出た。廊下を歩む足は揺るぎない。向かう先は決めているのだから。
 夢のような記憶を見て、また向かいたくなったのだ。文学部の部室だった、図書室に。
 教室棟の廊下を歩き、また渡り廊下を渡って管理棟へ移る。その右手にあるのが図書室だ。他の教室とは違う、ガラスの引き戸を開けた。冷房に冷やされた空気が、耳の上あたりを掠めた。
 図書室は夏休みの間も開いている。だから受験を控えた三年生がちらほらと机に向かっているのが見えた。その横を通り過ぎ、幾多も並ぶ本棚の横のカウンターへ向かうと、そこに見知った栗色を見た。
 どくり、と心臓が鳴る。こちらに背を向けるように座り、カウンター席に座った司書さんと楽しそうに、でも声をひそめて会話している。その見知った背中は見慣れた制服ではなく私服だったけれど、その上で揺れる栗色を見間違えることなんてなかった。
「あれ、佐伯くん」
 ふと、司書さんが俺に気づき、俺の名を呼んだ。それにつられるように、栗色もこちらに振り返る。栗色は俺を見て一瞬驚いたような困ったような顔をしたけれど、すぐにいつもの朗らかな笑顔を浮かべた。
「佐伯くん、久しぶり」
 遠藤小梢。違うクラスだが、同じ文学部の部員。いつもにこにこしていて、どこか抜けていて、だけど天然とは少し違う雰囲気を持つ女の子だ。天然というより、素直、という方がしっくりくる。私は嘘がつけないんだよ、とかつて彼女が言っていたように、小梢は純粋なのだ。きっと。
 そして俺が好きだった彼女――由真とは中学からの友達らしく、クラスは違ってもいつも仲良くしていた。
 小梢と由真、それに俺の三人が、主な文学部のメンバーだった。他の部員は何人かいたけれど、時々やってくるか、全く来ないかのどちらかだった。毎日放課後に図書館に集まってちゃんと活動していたのは、俺たち三人だけだった。活動と言っても、本を読むか司書さんも交えて四人でおしゃべりをしているか、そのどちらかだったのだけれど。
「遠藤さん、来てたんだ。すごい奇遇だね」
 適当な椅子を引っ張ってきて小梢の隣に座ると、彼女はにこりと笑った。彼女は笑い方一つでさえ多彩だ。嘘をつけない、と言ったとおり、心が映した感情をそのまま表情に表してしまう。だから、多彩。
「そうでもないよ。私ほとんど毎日ここ来てたし」
「実家に戻ってきてるんだ?」
「うん。もう少しで向こうに戻るけどね」
 淀みなく会話をしながら、自分のあまりの動揺のなさに、俺は少し驚いていた。
 彼女――遠藤小梢は、俺に告白をした。
 丁度、一年前。高校三年の夏休み。由真を交えた俺達三人は、夏休みの課題兼受験勉強をしようと、この図書館に集まることにした。だけど由真が急用が入って来れなくて、司書さんは職員会議があるからと言って席を外していた。そして何故かその日は、いつもより人が少なかった。少なくとも俺と小梢の周りには、誰もいなかった。
 そんな中で、彼女は――小梢は言ったのだ。私、佐伯くんのことが好きなんだ。
 或いはそれは、ただ雰囲気に流されて言ってしまったのかもしれない。だけど嘘をつけない純粋な小梢の言葉は、きっと嘘でも冗談でも偽りでもなかった。
 その告白を、俺は断った。俺が好きなのは小梢ではなかった。由真だった。だからその気持ちに応えることはできなかった。
 彼女はそっか、と悲しそうに笑っただけで、それ以上何も言わなかった。だけどそれから俺と小梢はどこか気まずくなり、よそよそしくなって、結局卒業まであまり口をきかずに終わってしまった。俺も小梢も、器用な人間ではなかったから。
 だから今、一年前のように普通にしゃべれている自分に驚いた。彼女の栗色の髪に気づいた時あれほど動揺したのに、いざしゃべるとなると、手を返したように全く動揺しない自分に、驚いた。
「大学、どこだっけ」
「東京だよ。その気になれば日帰りで行けるところ」
 東京。それを聞いて、由真も東京の大学に進学したことを思い出す。二人の大学はそう近くもなかったはずだが。
「そういえば、明石さんは? 一緒に帰ってきてないんだ?」
 そう言うと、小梢は少しだけ悲しそうな色を瞳に浮かばせた。
「由真はサークルが忙しくて帰って来れないんだって」
「サークル? 明石さんサークル入ったんだ」
「うん。文芸サークル。小説を書くんだって」
 そういえば、由真は小説を書いていた。暇さえあれば、分厚い原稿用紙の束を引っ張り出してさらさらと文字を連ねていく。一度びっしりと文字に埋まった百を超える原稿用紙を見せてもらって、驚愕したことを覚えている。思えば俺は、そんな彼女の生真面目さというか、ミステリアスというか、どこか違う人間のような雰囲気に惹かれていたのかもしれない。俺は小説を読もうとは思うけれど、書こうとなんて思ったことは一度もなかったのだから。
 ふいに、きゅう、という何とも間の抜けた音が俺と小梢の間に響いた。一瞬何の音かわからなかったけれど、慌ててお腹を押さえた小梢と、弾けるように笑いだした司書さんの反応で、わかってしまった。
「……お腹すいた」
 小梢が蚊の鳴くような声でそう言った。さっきの間の抜けた音は、小梢の腹の音だ。
「コンビニ、行くか」
「佐伯くんも行く?」
「ついでだからな」
 二人で立ち上がり、司書さんの図書室じゃ食べちゃだめだからね、という声にはーいと返事をして、図書室を出る。
「佐伯くんは、どこの大学だっけ?」
「京都」
「へー、京都かあ。いいなあ、お寺とか行ける?」
「近くにあるから、行こうと思えば」
「いいなー。私も京都にすればよかったなあ」
 階段を下りて職員玄関で靴を変えながら、そんな会話を交わす。俺の靴は玄関に並べて置きっぱなしだったけれど、小梢の靴はきちんとロッカーに入れてあった。小梢はいつもぼんやりしているが、こういう妙なところではきちんとしている。
 俺と小梢は校舎から出る。途端風がふわりと小梢の栗色をなびかせた。
「いい天気だね」
 栗色を押さえて空を見上げる。空は濃い青で、輪郭の濃い入道雲がのんびりと浮かんでいた。夏らしい強い日差しは注いでいるが、吹く風は涼しい。小梢の言う通り、いい天気だ。
 学校の近くのコンビニへは裏門を通っていく。裏門へはグラウンド横の道を通らなければならない。部活中の生徒の声がより鮮明になる。
「そういえばさ」
 砂まじりのアスファルトは、歩めばじゃり、と音を立てた。すぐ横で生徒たちが走り回っている。
「佐伯くんはどうして学校に来たの?」
「どうしてって……」
 母校に来るのに理由があるだろうか。実際小梢だって、ほとんど毎日来ていると言っていたのに。
「だって佐伯くん、先生とか司書さんとかに会いに来るなら普通お土産とか持ってくるのに、何も持ってきてないんだもん。だから、他に理由があるのかなーと思って」
「あ……」
 小梢はぼんやりしているようで、妙にきちんとしている。そして変なところで鋭い。
「……なんか、遠藤さんには敵わないなあ」
「あはは、なにそれー」
 笑う小梢に、そう隠すことでもないし、話してみようかと思う。俺がここに来た理由。
「実は、探し物をしに来たんだ」
「え? 探し物?」
「そう。探し物」
 俺は道すがら、理由を話した。とある歌を聞いたこと。その歌を聞いてから漠然とした予感を感じたこと。何か、落としてきてしまったものがある気がする。置き去りにしてしまったものがある気がする。だからそれを、探しに来たことを。
「あ、その歌ってこれでしょ」
 そう言って小梢は、綺麗な声であの歌を歌い出した。俺が新鮮に感じたあの歌詞を、澄んだソプラノで歌い上げる。
「佐伯くんってこういう曲も聞くんだね。ちょっと意外かも」
 それだけ歌って、小梢はくすくすと笑った。垂れ気味の目尻が、すっと細まる。
「なんていうか、漠然とした予感だけどさ、何か不安なんだ。このままじゃ駄目なんじゃないかって。落としてきた何かを拾っていかないと、俺は駄目なんじゃないかって、そう思うんだ」
「……そう」
 手を後ろに組んで、小梢はぶらぶらと足を放り出すように歩く。俺はその、斜め後ろを歩いていく。
「遠藤さんはないのか? そういうこと」
 漠然とした不安。自分のどこかが欠落しているような予感。そしてそれが何かもわからない、恐怖。
 それを小梢も感じているのか、いないのか。
「私はね、私がもし、何かを置き去りにしてしまっているとしたら」
 小梢はわずかに目を閉じる。その時涼しい風が吹いた。いい風だ。
「それは多分、高校時代、そのもの、だよ」
噛みしめるように一句ずつ、だけど微かな声で発せられたその言葉に、俺は「……え」と声を洩らす。それに彼女はごまかすような曖昧な笑みで応えた。
「私には、落としてきたものなんてないよ。落とす余地なんてなかったよ。私の過去は、過ぎ去った時点で完結してる。完結してもう、そこで終わるんだよ」
 それは小梢の、心の中の話だ。彼女にとっての、過去の話。俺と由真と過ごした、大切な高校時代の話。
「私はね、過去は道じゃなくて、宝石箱だと思ってるんだ」
「……宝石箱?」
「そう。宝石箱」
 小梢は悪戯っ子のように笑う。ずいぶんとゆっくりと歩いているから、コンビニはまだ遠い。
「過去にはもう、戻れないし変えられない。過去に落としてきた何かを拾いに行くこともできない。過去はね、小さな箱に閉じ込めて鍵をかけた世界なんだよ。だからもう、そこで終わる。宝石箱に閉じ込めた過去は、もう開くことはなくて、だからずっと……美化され続ける」
 美化。その言葉に俺は思う。彼女の中では、俺のことも美化され続けているのだろうか。俺はもう、過去だから。
「過去はね、そこで終って大切に抱えてるものだよ。その過去に忘れものをしても、何かを置き去りにしても、その過去そのものを大切に抱えていれば、きっと大丈夫だから」
 ああ、そうか、と思う。小梢は純粋だから。純粋とはつまり、いつでも正直で、いつでも精一杯で、その時その時を、力強く生きているということだ。そんな生き方だから、不安なんてない。精一杯に生きた過去を、精一杯に生きて完結した過去を、満足して抱えていることができるから。
 きっとそれが、前を向いて生きる、という生き方だ。
 きっと、過去に引き返して置き去りにした何かを探すのは、間違いではないだろう。そんな遠回りでゆっくりとした生き方も、余裕があってかっこよくて、とてもいい生き方だ。
 だけどそんな生き方より、小梢のようにきっちりと過去を完結させて前を向く生き方のほうが、俺には、何よりもかっこよく思えた。
「……佐伯くん?」
 いつの間にか、足を止めてしまったらしい。少し離れたところで、小梢は振り返って俺を見ている。
 ふいに、思った。置き去りにしたのは、もしかしたら彼女だったのかもしれない。俺が想い続けた由真ではなく、俺を想い続けてくれていた、小梢を――
 そこまで思って、俺は小さく首を振った。たとえそうだったとしても、俺も、そして小梢も、そんな答えは求めていない。
「どうしたの?」
 どこか間の抜けた声で、小梢は俺を呼ぶ。少し離れた道の先で、俺を待つように、佇んでいる。
「……なんでもない」
 だから俺は歩き出す。探してたものは、きっとその先にあるから。



「そういえば」
 コンビニでそれぞれ買い物を済ませた、帰り道。小梢はコンビニで買ったソーダアイスを舐めながら、俺は同じくコンビニで買ったコーラを傾けながら、二人で歩いている。
「ずっと言おうと思ってたんだけど」
 行きと同じように俺の前を歩いている小梢が、そんなふうに切り出した。
「ごめんね」
 突然の謝罪に、俺は思わず足を止めた。それを予測していたかのように、俺の少し前を歩いていた小梢は同じように足を止めて振り返った。
 濃い青と入道雲を背負った小梢は、どこか綺麗だ。
「佐伯くんは、ずっと由真のことが好きだったんだよね」
 それは、と言い訳しようとしたところを、小梢の笑顔に何も言えなくなる。
「それなのに、私全然気づかなくて、告白なんてしちゃって」
「……明石さんに、聞いたのか」
「うん。卒業以来会ってないけど、メールとかはしてるし」
 俺が卒業間近に由真に告白したのは、小梢の存在があったからだ。
 俺が由真に告白をしたら、俺に告白をした、同時に由真の親友である小梢は、とても傷つくだろう。だからせめてそれを知るのが少しでも遅くなるように、それを知る可能性が少しでも低くなるように、卒業間近のころに告白した。
 だけどそれは、結局は無駄だったわけだ。
「……うん。だから、ごめん」
 謝る小梢は、とても綺麗に微笑していた。だから俺は何も言えない。彼女の表情は何にも勝る真実だから。
「……そう、か」
 俺はすでに過去だ。彼女にとってはもう、彼方でキラキラと輝き続ける過去の一部だ。
 だから俺はもう完全無欠に、彼女の中で終わろうとしている。
 俺がいて、小梢がいて、由真がいた。きっとこの三人にとって、高校時代とは三人きりの世界だった。三人がいて初めて成り立つ、一人でも欠けたらあっけなく瓦解するような、だけど何よりも大切な、小さな世界だった。
 その世界が今、そのかけがえのない小梢の中で、終わるのだ。
「ありがとう」
 俺の小さな礼を聞いて、小梢は笑った。史上最高クラスの満面の笑みだった。そして彼女は手に持った溶けかけのソーダアイスを、空に向かって思い切り放り投げる。
 アイスは溶けた水滴を散りばめながら、夏の日差しを受けてキラキラと光っていた。それを俺と小梢、二人で見上げている。
 きっとその空に放り出された空色の水滴の中には、俺たちの高校時代が、映っているのだ。



end.


月別御題
七・八月「ルキンフォー」


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