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※注意!

この作品には同性愛・近親愛の表現があります。
それにカニバリズム・流血表現も少々。
苦手な方は閲覧をお控えください。





原始の底で再会




 俺に両親はいない。何故なら幼いころに双子の弟が食べてしまったからだ。
 冗談のように聞こえるが、これは冗談ではない。嘘でもない。紛れもない本当だ。弟は本当に、自分の実の親を食べてしまったのだ。
 俺がまだ幼い時、弟が両親を殺してその肉を喰らっている場面を目撃した衝撃は大きかった。いやいや、衝撃なんて言葉で片付けられるものか。それは世界の崩壊にだって匹敵したんだから。
 俺と弟は一卵性双生児で顔も体格も全く同じなのに、弟はカニバリズムだった。そして俺はそうじゃなかった。
 双子なのに。もとは一つだったのに。なんで、そんな違いが。
「劉。食べさして」
「……またかよ」
「だって、食べたいんだもん」
 食―べーたーいー、と手足をバタバタさせて駄々をこねる弟に、俺は仕方がないと観念して、その口元に腕を差し出す。その腕に弟は嬉々とした様子でがぶりと噛みついた。痛い。
「いてえ、遼」
 んー、と弟は腕に噛みついたまま返事する。何を言っているのかわからなかったが、腕に食い込む歯の力は緩んだ。ふっと息をつく。
 俺の腕に噛みついた弟は、得体の知れない目をしている。とろりと陶酔したような目をしていると思ったら、急に狂気走った目で体をがくがくと震えさせる。まるで何かに憑かれたような、怖い弟。
 前に聞いてみたら、噛んでいる最中は欲望がむき出しになるそうだ。むき出しになって、止まらなくなる。初めは欲した肉が口の中にある喜びに浸り、そしてそのうちに本当に食べてしまいたい、噛み千切ってしまいたいという衝動に襲われ、それをこらえるのに苦労する、と弟は言った。それを聞いた時、食べてしまえばいいのにと思ったことを、弟はわかっているんだろうか。
 にちゃ、と音を立てて弟の歯が離れた。腕には見事に歯形がついている。弟はティッシュを取って俺の腕についた唾液を拭く。弟が俺の腕を噛むたびに繰り返される、いつもの光景。
 弟は俺の腕を拭きながら、自分がつけた自分の歯形をじっと見ている。そうしているうちにまた衝動に襲われたのか、弟は再びがぶりと同じところに噛みついた。何度も何度も噛んでいくうちに弟も俺が痛がらない強さを覚えたのか、適度な強さでがぶがぶと噛んでくる。
「いつも思うんだけどさ、おいしいの?」
 問うた俺に、弟はふっと視線を向けて口を離した。またティッシュで唾液を拭く。
「おいしいよ。味とかじゃなくて、歯ごたえが」
 それにさー、と弟は答える。
 食人って、人間最大の禁忌じゃん。
 とてもいい笑顔で、とても楽しそうに。
「禁忌だからこそ犯したくなるのが人間ってやつだし。食った後の高揚感とか周りの反応考えるだけで興奮するし」
 もし俺が誰か食っちゃったのがニュースになったらさー、すごいことになると思わねー? 歴史に残るかな、佐川事件みたいに。
 そんなことを嬉々として語る弟に、思う。お前はもう禁忌を犯しているだろう。概念的な世界で、人間から外れてしまっただろう。
(人喰いのお前は)
 あ、また食べたくなった、と腕に噛みついた弟に、俺は視線を落とす。俺の腕に歯を立てた姿は、捕食する肉食動物のようで。
(人外、だ)
 人外の弟に、俺はちょっとだけ微笑む。




 両親がいない俺たち兄弟は、安いボロアパートに二人で暮らしている。小中のころは親せきの家に引き取られてそこで育てられたが、元々引き取りに消極的だった家で過ごす時間は苦痛でしかなく、今年高校に上がった俺たちは、その家を出て二人で暮らすことにしたのだ。
 両親は、表向きには行方不明ということになっている。幼いながらも、俺は弟が食べきれなかった両親の死体を裏の林に埋め、証拠を隠滅した。弟が両親を殺すのに使った拳銃と血まみれの絨毯も一緒に埋めた。しかし俺は今でもなんで拳銃なんてものが家にあったのか、未だに知らない。いきなり両親がいなくなっても、まさか幼い俺たちが両親を殺したなんて誰も思わず、そして俺たちも何も知らないとしらを切ったから、両親は行方不明ということになった。だから両親は誰にも知られず土に還り大地に一部となり、弟に吸収されてその血肉となった。
 それを知っているのは、俺たち二人だけ。二人だけの、秘密。
 或いは、その秘密が俺たちを閉鎖的な世界に閉じ込めているのだろうか。俺は弟だけを見ていた。弟は俺だけを見ていた。そんな、二人だけの、二人だけで完結する、閉鎖された世界。
「りゅーうー」
 甘い猫撫で声が、背中から降ってくる。次いで、どさりと背に圧し掛かってくる重み。
「遼、重いぞ」
 雑誌から目を移すこともせず言うと、弟はえー、劉冷たいー、と耳元でブーイングを垂れてくる。
「ねえ、劉、一緒にお風呂入ろうよう」
「はあ?」
 これには思わず、振り返って弟を見る。俺と全く同じ顔の弟はとても近いところでにこー、と嬉しそうに笑って見せた。俺が振り返ったのが、そんなに嬉しかったのか。
「今日は俺がお風呂入れたからさ。劉と入ろうと思ってピカピカにしたの。だから入ろうー。入ろうようー」
 何が悲しくて、十五にもなって双子の弟と一緒に風呂に入らなければいけないのだ。でも何度も何度も甘えた声で入ろう、と訴えてくる弟についには折れて、俺はわかった、と返事をしていた。その時の弟の嬉しそうな顔は、ちょっと忘れられそうにない。
「じゃあ早く入ろうぜ! 今から!」
「え、今から?」
「そーだよ! 早くしないとお湯が冷めちゃうだろ」
 ぐいぐいと腕を引っ張ってくる弟に仕方ないと腰をあげ、二人で風呂場へ向かう。
 二人で風呂なんていつ以来だろうとふと思って、俺は渋々だった入浴が少し楽しみになった。




 或いは、それは羨望だったのかもしれない。
 わしわしと髪を洗っている弟の細い体を眺めながら、そんなことを思う。シャワーからは水が出しっぱなしで、弟の背に当たって跳ねたそれは、ぱらぱらと湯船のふちに寄りかかっている俺に降りかかってくる。そうしてしとど濡れた俺の前髪からは、したりしたりと水滴が落ちていく。弟はシャワーの雨に頭を突っ込んで、シャンプーの泡を洗い流した。細い体のラインに沿って流れ落ちる泡は、少し官能的だと思う。
 俺と全く同じ体。肉がつきにくくて、ひょろりと骨ばった細い体。俺と全く同じ、それが少しコンプレックスな、細い体。
 俺と弟は、かつて一つだった。つまりこの体は、元々俺と同じものだったのだ。それが分かれて、俺と弟、二つになった。
 でも、と俺はそこまで考えて、逆接の接続詞を頭に浮かべた。
 でも、違う。かつては一つでも、元は同じものだったとしても、今の俺の体と弟の体は、全く違うものだ。
 なぜなら、弟は両親をその血肉としているのだから。
 両親の肉をその体に取り込んだ弟の体と、そうではない俺の体は、今ではもう違うものだ。それは圧倒的なまでの違いだ。
 俺は幼いころの、あの衝撃的な映像を思い出す。壊れた人形のように血まみれになって床に放りだされた両親と、その中心で両親の肉に喰らいついた、弟の姿。
 脳裏に焼きついた凄惨な映像に、俺は熱い湯の中でブルリと体を震わせた。あれは、恐怖だ。だけどそうじゃないものもある。或いは、それが。
 羨望だったのかもしれない。
「あー、きもちー」
 髪を洗い終えた弟が、ふるふると頭を振って髪の水気を払う。犬かよ。
「劉、ちょっと退いて」
 弟が狭い浴槽に入ってくる。ボロアパートの小さな浴槽に、男二人は狭い。浴槽の隅に向かい合うように座り折り曲げた足をお互いの腰の横に差し込んで、ようやく二人が湯に浸かることができる。よいしょ、と弟が湯船に腰を下ろすと、溢れた湯が大量にこぼれて排水溝に消えていく。勿体ない。
「はは、やっぱ二人じゃ狭いな」
 濡れた髪から水滴を滴らせて、弟が笑う。対面して座った、まるで線対称のような俺達。
「二人で入ったの、いつ以来だっけ。小学校以来かな。中学に入ってからは別だったもんな」
 濡れた前髪をいじりながら、弟が尋ねてくる。俺はその問いに、ぼんやりと記憶を巡らせてみた。
「違うよ。中二の時に、今日みたいに遼が一緒に入ろうって言ってきて、一緒に入っただろ」
「あー、そんなこともあったっけ。すっかり忘れてた」
 よく覚えてるなー、と笑う弟に、また思い出す。凄惨な映像。網膜に、脳髄に焼きついて離れない。両親を喰らった、獣の、人外の弟。
 あれから、弟は成長した。映像の幼子からはずっと大きくなって、もう青年とも言っていいような姿にまでなっている。だけど俺は、今でも弟が両親を食べた理由を知らない。知らなくていいと思ったし、それは今でも思っている。知らなくてもいい。そんなことは知らなくてもいいんだ。知りたいのは。俺が知りたいのは、もっと別の……。
 ふいに弟が、俺の脇腹からざぶりと足を引き抜いた。あがるのかと思ったら弟は立たずに湯船の底に膝をついて、俺の頬を手で包み俺に覆いかぶさった。
「劉」
 覆いかぶさっているせいで、影になっている弟の顔。あの凄惨な映像からは成長しているといっても、そのどこか大切な歯車が壊れてしまっているような無邪気な笑みは、健在だ。
「食べたくなっちゃった」
 ぐいと、弟は俺の唇に噛みついた。噛みつくようなキス、じゃない。正真正銘、噛みついたキスだ。
 ブチ、と嫌な音がした。
「…………っ、!」
 鋭い痛みに体が跳ねる。じわり、と生暖かさと共に口の中に広がったのは、鉄臭い味。べろり、と唇を舐めた弟の舌が、その鉄臭さを持っていく。
「……あ」
 唇が離れると、お湯ではない温かな液体が顎を伝っていくのがわかった。顎から滴って湯に溶けたのは、凄艶な血の色。
「ごめん。またやっちった」
 薄い皮の唇はいまいち力加減がわからないのか、弟はよく俺の唇を噛み千切る。よくとは言っても、こんなキスはそう頻繁にするものじゃないから、そのせいで唇がボロボロになるようなことはないのだけれど。
 弟の舌が、べろりと顎を伝う血を嘗めとる。赤い舌の上に染みた血はもっと赤く、それを嚥下した弟の喉を、俺はじっと見つめてしまう。
 そうやって何度も何度も飲み下されてきた俺の血は、弟の血肉となっているのだろうか。
 かつて喰われた、両親のように。
「劉、今日さ、ヤろうよ」
 覆いかぶさってくる弟の誘い文句に、俺は小さく苦笑する。
 俺と弟はずうっと昔から肉体関係にあって、もう数え切れないほど体を重ねている。正真正銘の、紛れもない近親愛で、近親姦だ。その上同性愛。我ながら、最悪。
「劉の血見たら、興奮しちゃった」
 ちゅ、と弟は俺の唇に軽くキスをする。触れるだけのキス。だけどそれでも、弟の唇には俺の血がついていた。
 それが、またあの映像をフラッシュバックさせる。
 口の周りを真っ赤に汚して、大切な歯車を失くしてしまった笑顔で、両親を喰らった弟。獣の弟。人外の弟。化け物の弟。
 なんで両親を食べてしまったの? 違う。そうじゃない。俺が聞きたいのは、俺がずっと弟に問いかけたかったのは。
「……なんで」
「劉?」
 さすがは双子と思うべきなのか。弟はほとんどノータイムで俺の異変に気付いたようだった。少しだけ驚いたような心配するような声で名を呼ばれても、俺の脳裏に焼きついた映像は消えない。
 血まみれで転がる両親。その肉を喰らう弟。その映像に伴う感情は、恐怖ではなく、……羨望、だ。
「なんで食べてくれなかったの」
「……りゅ、う?」
「なんで、あの時」
 あの時俺はきっと、羨ましかった。
「お父さんとお母さんと一緒に、食べてくれなかったの」
 壊れた人形のように転がったお父さんとお母さん。弟に食われた両親。俺はそれが羨ましかった。弟に食べられた両親が心の底から羨ましかった。
 俺はきっとその瞬間から、両親を羨ましいと感じたあの日から、ずっと弟に食べられることを望んでいたんだ。
(遼が、食べてくれれば)
 弟に食われた両親は、弟と一つ。弟の血となり肉となり、弟と一緒になる。
 そして俺たちは、元々一つだった。俺と弟で、初めて完全だった。だから俺は、完全になりたかった。弟に食べられて弟と再び一つになって、全てが満たされていた完全なる原始の底に還りたかった。
(俺は、完全になれる)
 弟に食われて俺が死んでも、俺は弟の血となり肉となり、俺が分かたれた欠落を俺で補って、弟の魂の中で、完全になれる。
「……ねえ、遼」
 俺は両腕を弟の首に絡ませ、ぐっと鼻先がくっつくほど近くまで引き寄せた。焦点が合わなくなるほど近くにある弟の目を覗き込み、吐息が混じり合うほど近くにある唇を動かす。
「俺を、食べてくれ」
 ずっと、食べられることを望んでいた。俺の腕に噛みつく弟を見るたび、何度も食べてしまえばいいのにと思った。
「骨も残さずに、全部全部全部。俺のこと、食って食い尽して消化して俺をお前の一部にしてくれよ。お前と同じものにしてくれよ」
(そして完全にしておくれよ)
 俺はずっと、弟と一緒に、完全になりたかったんだ。
「……、っりゅ、う」
「遼?」
 弟がノータイムで俺の異変に気づいたように、俺もノータイムで弟の異変に気づいた。焦点が合わないほど近づけていた顔を離す。
「……遼?」
 弟の、俺と全く同じ形、同じ色の目から、零れ落ちるものがあった。透明な色のそれは同じ透明な色の湯にぽたぽたと落ちて……弟は泣いていた。
「なんで……」
 熱い湯船の中で二人向きあい、ともすれば汗か湯に間違えてしまいそうな中で、弟はそれでも確かに、泣いていた。
「なんで、そんなこと言うの?」
 泣く弟を見たのは、いつ以来だろう。こんなふうに心から悲しげな弟を見るのは。
「劉を食べちゃったら、俺、一人ぼっちになっちゃうだろ」
 弟が流す涙は、綺麗だ。透明で、澄んだ色の涙。きっと、俺とは全く違う色の、涙。
「俺、劉が好きだよ。劉を食べたくないよ。それなのにどうして、そんなこと言うの?」
(何、を)
 何を言っているんだろう。弟はいつも俺を食べたい食べたいと齧りついてくるのに。それなのに、食べたくない?
「じゃあなんで、」
 好きだから食べないというのなら、なんで。
「なんで、お父さんとお母さんは、食べたんだ」
 お父さんとお母さんが好きではなかった、ということはまずない。かすかな記憶だが、弟は年相応に両親が大好きだったし、だからこそ弟が両親を食べてしまったあの映像が、あれほど衝撃的になったのだ。じゃあなんで弟は両親を食べたのか。ずっと知らなくていいと思っていた答えを、俺は知る。
「だって、俺は劉がいればそれでいいもの」
「――――」
「お父さんも、お母さんも、好きだったよ。だけど俺には劉がいるからいいやと思って、食べちゃった。それなのに劉まで食べちゃったら駄目だよ。劉が死んじゃったら、嫌だよ」
(……あ、)
 閉じる、と思った。このまま閉じて、抜け出せなくなる。
「そばにいてよ、劉。大人になっても、おじいさんになってもそばにいて。そして最後に、死んだ劉を食べさせて」
 世界が、閉じる。俺と弟だけの、二人だけで完結する、小さな世界。その世界が、閉じる。完全に閉じて、俺たちはそこに閉じ込められて、もう、逃げ出せない。
 でも。
「遼は俺を、食べてくれる?」
「うん」
 それは甘美な世界だった。
「劉、好き」
「うん」
「ちゅうしたい」
「……ん、」
(いつ、か)
 弟の唇を受け入れながら、俺は思う。
 いつか俺が死んだら、弟は俺を食べてくれるんだろう。そしてきっと俺たちは、原始の底でまた会うのだろう。
 この小さな世界に閉じ籠った俺たちは、死んだ後でさえ、原始の底という誰も到達できないような世界で、二人溶け合い混じり合い一つとなって完全になるのだろう。
 俺はそれを、この甘美な世界で待っているのだ。



end.




ホモっぽくないホモ。エロくないエロ。それに括弧を使う書き方を試してみたかった。
うーん、でもホモっぽくないホモっていうのは失敗かな。ガチホモになってしまった……。



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