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愛でる私に拳銃を。眠るあなたに殺戮を。



「カニバリズム」という言葉を知ってる?
 私も最近授業で知った。
 カニバリズム。人肉を喰らうこと。食人・人食主義。
 その授業を聞いているときはとてつもなく気持ち悪かった。人の肉を食うなんてなんて悪趣味、とさえ思った。
 でもそれからふとした瞬間に人間の素肌を目で追っていることに気付いた。
 そしてとんでもないことに自分が人間を食べたいという衝動に襲われていることに気付いた。気付いてしまった。
 私はカニバリズムに陥った。
 夏が近づき暑くなってきたころのことだった。衣替えになり生徒全員が半そでの制服を着てくる。健康的な青少年の腕が、私の目の前に晒されることになった。
 我ながら最悪な時期にカニバリズムに陥ったものだと思った。
 学校は、地獄に変わった。  


 

 廊下ですれ違う生徒を見ても、「こいつはおいしそうだ」とかそういう目でしか見れなくなっていた。そしてその度に歯が疼く。あの腕を噛みたい。噛み千切って咀嚼して味わって喰らってしまいたい。喰らい尽くしてしまいたい。
 そういう衝動に襲われるのは、たいてい男だった。
 女のほうが肉が柔らかくておいしいという噂もあるが、私が男を喰らいたいと思うのはやはりそれは私が女だからだろう。
 衝動はなんとか抑えられた。でも抑えると吐き気がする。
 男の中でも、スポーツなどをして適度に筋肉が付いた男が食欲をそそった。それに好みも追加されて、私の食欲の対象はビジュアル系のスポーツマンに限られた。
 男の腕。筋肉と脂肪の釣り合いが取れてるとどんな味がするのだろう。脂肪と筋肉じゃやっぱり味は違うのだろうか。肩から切り取って切断面から手首のほうに肉を食らっていきたい。骨は残して後からしゃぶろう。骨は硬いから齧れないだろうから味がなくなるまでしゃぶろう。髄液っていうのは、骨の中にあるんだっけ。おいしいのかな。
 男の手。私は手フェチだから、手は残してやろう。でも手も食べてみたいから片手は食べて片手は残そう。スポーツしてる男の手はごつごつしてて本当においしそうだ。残した手は、冷蔵庫で保存かな?
 男の血。どんな味だろう。鉄の味なんだろうけど、他人の血だったら違う味がするかもしれない。絶対に飲んでやろう。甘かったら一滴残らず飲んでやろう。
 内臓とかはおいしくなさそうだから胴体は食べないでおこう。胴体だけならあんまり重くなさそうだし穴掘って埋めればわかんないだろう。
 あと、首。首は残そう。ずっとずっと手元に残しておこう。腐らないように防腐剤を打たないと。ホルマリンは液体漬けで触れないから、注射できるタイプの防腐剤を使おう。詳しいことはわからないから調べて勉強しないと。
 目とか脳みそとかも食べてみたいけど、それだと首も解体するようだからやめよう。
 ……そんなことを考えていた。
 地獄だった。食べたいものが目の前にあるのに食べれない。食べちゃいけない。
 私は檻の中の獣か。案外そうかもしれない。
 私は獣だ。理性という名の檻に閉じ込められた獣だ。
 私は暴れる獣を抑え、毎日を過ごした。




 地獄の終わりは唐突だった。
 帰り道の通学路で、私は最高の獲物を見つけた。
 私の好みど真ん中で、浅黒い肌で、手がごつごつしてて、首筋がとてもきれいで。
 とてもおいしそうな体をしてて。
 他の男に目がいかなくなった。気がつけばその男を目で追っていた。
 その男を学年名簿で調べた。同じ学年の……違うクラスの「矢崎」………名前は読めなかった。
 他の男なんてどうでも良かった。他の男に向けられていた食欲が全て矢崎くんに向いた。
 そしてその食欲は、矢崎くん一人に集中されたせいで強くなってどろどろになって私に耐え難いほどの苦痛を与えた。
 矢崎くんを見て衝動を抑えるたびに吐き気がする。気持ち悪くなる。頭が痛くなる。
 矢崎くんを食べたい。喰らいたい。肌をなめて堪能して肌を破って肉を噛み千切って骨をしゃぶって首は残して髪は毎日梳いて愛でてやりたい。
でも私は矢崎くんが好きで。
 普通の女の子みたいに付き合いたいと思う。
 私なんか平凡で可愛くもなくてちっとも目立たないけれど、どうしても夢見てしまう。
 一緒に帰ってみたり、友達とするような話をしたり、矢崎くんがよく見るテレビを知れたら話題を作るために見てみたり、恐る恐る手をつないで顔を赤らめちゃったりして、普通の彼女になって、矢崎くんを陰からじゃなくて真正面から、見つめていたい。
 その夢は、想像していて胸が温かくなるくらいキラキラして、本当に綺麗で、きっと泣いてしまうぐらい素晴らしい世界だ。
 でも。
 でも、矢崎くんを喰らう想像をすると、その夢とは違い胸が熱くなって狂いそうなほどの快感で何もわからなくなる。
 それは温かくてキラキラした夢でも、どうでもいいとさえ思わせるほどの快感だった。
 酷くどろどろしてて、振り切ろうとしたって私の四肢に絡み付いて離してくれないだろうと思える快感だ。
 この快感に私はもうどっぷり浸かってしまったんだ。
 だから喰らいたくてたまらない。
 矢崎くんが好きだ。
 だから喰らってしまいたい。
 ……嗚呼。御免ね矢崎くん。私は君のことが好きだけど。この「好き」は食物に対する「好き」みたい。
 もちろん矢崎くんのこと、男としても「好き」だよ?でもそっちの「好き」の方がずっと強いみたい。
 御免ね矢崎くん。


 もう私は、君を獲物としてでしか見ることができないみたいだ。





 ………気付いたらそこは真紅色の世界だった。
 空も夕日も地面も墓石も金属バットも鉈も出刃包丁も私も矢崎くんもみんな真紅。
「あー…―――――?」
 ずいぶんと、おかしな声が出た。
 矢崎くんが、体から頭と右腕を切り離されて真紅になって。
 ……死んでいた。
 まあそれはそうだろう。首を切り離されて尚生きてるなんて逆に怖い。
 矢崎くんを染める真紅は、どうやらその切断面からあふれる血らしい。
 私も、真紅だった。体を見回してみたけど矢崎くんのようにどこも切り落とされてないし怪我もしてない。どこも痛くない。ということでこの真紅は矢崎くんの血だろう、と結論付けた。そうするとこの口の中の甘いどろどろした紅い液体も矢崎君の血だろうか。
 しかしこの血落ちるかな?制服なのに。
 真っ赤な地面に転がってるのは同じく真っ赤な金属バットと鉈と出刃包丁。
 おお、なんて見事に揃えられた身近な殺人道具。…なんて思ってる場合じゃない。
 何で私はここにいるんだ?
 空を見上げる。地面と殺人道具と私と矢崎くんと同じ真紅色。
 これは血の色じゃない。
 なんてきれいな夕焼け空。
 ああ。私。


 矢崎くん殺したんだった。
 このバットで鉈で出刃包丁で殺したんだった。


 あれから私は矢崎君を殺して喰らうことを決意して。矢崎君を尾行して殺すチャンスを窺ってたんだった。
 確か家が近くて通学路も途中まで一緒で。その途中に昼間でも人気の全くない墓地があったからそこで矢崎君を殺すことに決めて。そして今日ここで矢崎君を殺したんだった。
 金属バットは確か今日ソフトボールの授業があって。そのバットを片付けるときに一本拝借して茂みに隠しておいて。帰るときにかばんの中に隠して持ち出したんだっけ。
 なんて用意周到。自分でやったことなのにやたら感心した。
 そういえば鉈と包丁はおじいちゃんちから持ってきたんだっけ。確か最初は出刃包丁だけにしようとして。でも出刃包丁はなんとなく「刺す」というイメージがあったから「切る」に物足りないかも、と思って一応鉈も探し出して持ってきたんだった。
 新聞とタオルに包んでかばんの中に潜ませて、今日一日ずっと持っていたんだった。
 そして。………そして……………。
 私はいつものように矢崎くんを尾行してこの墓地の前の誰もいない道にたどり着いて隠してた金属バットを取り出して意外とそれは重くて強く両手で握り締めて矢崎君に駆け寄って大きく振り上げてそして。
「矢崎くん」
 なぜか矢崎くんの名を呼んだ。今思うとそれは初めて私が矢崎くんに声をかけた言葉で初めて矢崎くんが聞いた私の声でそして矢崎君がこの世で聞いた最後の音だった。
 私はそうして振り向きかけた矢崎君の首に、遠心力の乗った一撃を。
 矢崎くんを殺す一撃を。
 骨が折れるすごい音がした。
 その音はきっと身の毛もよだつようなおぞましいもののはずだったのに。
 そのとき私が感じたのは失禁さえしてしまいそうな快感だった。
 矢崎くんが倒れる。首がぶらぶらしていてすぐに死んでいるとわかった。
 私を支配するのは恐怖ではなく、快感だった。
 矢崎くんが死んだ。
 矢崎くんが死んだ!!


 矢崎くんがやっと私のものになってくれた!!!


 嬉しさに発狂しそうになりながらそれでも私の体は計画通り動いた。いや、欲望に忠実に動いた。
 食欲と性欲に、忠実に。
 私は重い矢崎くんの死体を墓地の奥まで引きずって隠した。
 お彼岸でもないのにこんな小さな墓地に来る人なんていない。矢崎くんを殺した道からも、私たちの姿を認めることはできない。
 ずっと前から計画してた、ここが私の食事場だ。
 そして私は……食事を始めたんだった。
 まずはとりあえず矢崎くんの見開かれた目を手で閉じて、半開きのまま動かなくなった口を閉じる。あんな驚愕と恐怖に満ちた表情のまま死後硬直で筋肉が固まったら大変だ。そんな矢崎くんに全く似合わない顔を、ずっと手元に置いておかなくちゃいけないことになる。そんなのは絶対に駄目だ。矢崎くんは私が「好き」になった顔のまま私の元にいなくちゃいけないんだから。
 矢崎くんを穏やかな寝顔のような表情にして、私はかばんから新聞とタオルの鞘に納まった鉈と出刃包丁を取り出した。
 とりあえずまずは出刃包丁で矢崎くんの首を切り始めた。切り口はなるべくきれいにしなきゃいけない。私がずっと愛でる矢崎くんになるんだから。
 骨が折れているだろうと思われる位置に刃を入れた。案外さくさく簡単に切れた。筋だけちょっと手間取ったけど、あとは大きな牛肉でも切るみたいに楽に切れた。
 頭を切り離された矢崎くんの胴体から、弱い勢いだけど血が噴き出した。それで思い出す。ああそうだ。血を飲まなくちゃ。
 私は屈んで切断面に口をつけた。ちょうど噴き出した血が私の舌の上に散る。
 それは、じんわりと甘かった。
 私の興奮は最高に達して、無我夢中に矢崎くんの血管に吸い付いた。噴き出す血を一滴残らず飲み込む。
 甘い。
 驚いたことに、それはとても甘かった。
 鉄の味もする。夏の夜の空気の匂いのような生臭さ。どろどろした鉄の味。
 でも甘い。
 切断面に顔を押し付けたせいで顔中が真っ赤になったけど、どうでも良かった。むしろ嬉しかった。
 首からはもう血は噴き出さなくなって、まだ飲み足りなかった私は、今度は鉈で右腕を肩から切り落とした。
 切り離した矢崎くんの右腕は重く、硬く、それでもまだ暖かかった。頬を寄せると産毛のさらさらした感触を返してくれる。
 その腕を抱きしめ、舐めた。少し歯を立て、噛み跡を残した。
 できれば生きているときにやってみたかったこと。でも内気で声をかけることもできなくてただ遠くから見ていただけの私じゃ、そんなことできない。
 だから矢崎くんを殺したんだし。
「矢崎くん」
 腕を抱いたまま、首と右腕がない矢崎くんの体に触れた。
 もう動かなくても、たとえ死んでいるとしても、シャツの上からでも。


 その体はとても暖かかった。


「ごめんね」


 そうだ。
 そうだった。
 私は矢崎くんを殺して、その首と腕を切り落として、その甘い血を飲んで。
 矢崎くんを、喰べたんだ。
 矢崎くんの腕は私の腕の中にある。
 でも、首はどこに行った?
 それだけ記憶になくて、きょろきょろを周りを見回す。上を見た私の目に夕日が染みる。
 ああ、そういえば私が矢崎くんを殺してからあんまり時間経ってないんだな。矢崎くんの体もまだこんなに暖かい。
 夕日と空を見つめているうちに、私は見つけた。
 目と口を閉じた矢崎くんの首。どこか眠っているようにも見える死に顔。
 矢崎くんは、私の目の前の墓石の上で眠っていた。
 切断面を下にして。あふれた血で墓石を紅くして。
 ……嗚呼。
「矢崎くん」
 私は腕を地において、すっと立ち上がった。改めて自分の姿を見下ろしてみると、本当にどこまでも真紅だ。制服のブラウスもスカートも両手もきっと顔も。
 それに対して矢崎くんの首はとても綺麗だ。血まみれの墓石の上にあるのが嘘みたいに、その肌は全く血に汚れてない。嘘じゃなかったら、さしずめ幻だ。
 そんな矢崎くんに手を伸ばす。血で真っ赤の手を伸ばす。
 矢崎くんの頬に触れた。矢崎くんの肌が血で汚れる。それでも柔らかく、暖かい頬。まだこんなに柔らかく、まだこんなに暖かい。まるで生きているときのように。
 矢崎くんの髪に触れた。矢崎くんの髪が血で汚れる。それでも柔らかく、さらさらした髪。死んでしまっても生きているときと全く変わらない、綺麗な髪。
「ごめんね矢崎くん」
 殺してごめんね。
 喰べてごめんね。
 矢崎くんの首を持ち上げる。
 私が触れたせいでずいぶんと汚れてしまった首。
 でもとても綺麗で、とても暖かい首。
 とても恋しい首。
「でも、愛してるから」
 これからも。いつまでも。


 だから私は、矢崎くんの閉じた唇にキスをした。
 血まみれの唇で、矢崎くんの生首にキスをした。
 初めてのキスは、ひどく錆びた甘い味がした。


 矢崎くんを胸に抱く。
 私のものになった矢崎くん。
 重く軽く、紅い私の腕の中にいる。
 私があなたを愛でてあげる。
 誰よりも愛してあげる。
 だから、たとえ私が死んでも、必ずここにいてね。矢崎くん。
 

 私は。そうして私は、血色の夕日に背を向けて、夕焼けを侵食する闇へ、矢崎くんと共にふらりふらりと歩き出した。



 君と二人なら、どこへだって逝ける。




end.


あきゅろす。
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