ReD 紅き守護神獣 3 少年の瞳に宿るのは、恐怖と悲哀。 そして、それらに勝る、消極的な憎悪。 人間へ向けられるのは、嫌悪心だった。 にわかに信じられなかった。 貧弱ではあるが、このレプリカドールは感情を持っているではないか。 殺人人形としてあるまじき感情を抱いている。 言葉なんて、交わす必要もないのか。 少年は、ガイの手を払いのけようとする。 「…!!」 「動くな、傷口が広がってしまう」 ガイは少年を制する。 少年は満身創痍だ。 特に、左腕が惨状だ。 血は止まらず、肉は抉られ、骨格が見えるほど。 あまりに生々しい。 しかも、打撲ではなく、人為的に為された傷のようだ。 その負傷部位を、ガイは少しでも早く隠してやりたかった。 《レプリカドール》としての、ナンバリングを認めたくなかったのもあった。 ガイは包帯を取り出し、止血を試みる。 安易だが、しないよりはマシだろう。 恐怖と手際よく、ガイは患部を手当てしていく。 傭兵という職業に携わっているから、ある程度の医療の知識は有しているのだ。 その様を、少年は信じられないといわんばかりに眺めていた。 両目は見開かれ、口は半開きで茫然としている。 人間の、《レプリカドール》への認識を考慮すれば、仕方ないことだ。 人の皮を被った化け物、という意識が人間には強い。 過去、現在ともに忌み嫌われているのだ。 その人間の手により癒されるなど、考えもつかないに違いない。 激痛であろう自身すら、忘却の対象だ。 その間にも、傷の処置は進んでいく。 「…よし、一応はこれで大丈夫だ」 傷口を圧迫しないよう、ガイは包帯を結った。 一方、少年は葛藤していた。 人への信頼を認めるべき否か、苦悩しているかのようだ。 少年は、僅かに口を開いた。 「…俺、は……」 声帯が発育途中なのか、未熟な声。 そのときだ。 少年がこれから何を呟こうとしたのは、もう知り得る術はない。 ガイの背筋を、おぞましいほどの悪寒が這い上がったからだ。 ──来る。 肉迫する、憎悪。 ガイは察する。 確かに、危険な何かが近付いて来る。 疾風のごとく、木々をすり抜けて切迫してくる。 そして、実像に具現化した。 駆け抜けた、紅い旋風。 続けて舞い上がるのは、紅い衝撃。 ガイは身体を翻し、後退した。 そこに、紅色が突進してきたのだ。 紅は残像を残し、大地を削り取る。 素早く、ガイは愛剣を抜刀した。 鞘から抜き放たれた刀身は、神速の風刃と化す。 一閃とともに、無空の衝撃──真空波が紅色に襲いかかる。 しかし、捉えることは出来なかった。 その紅色は、身軽に跳び退いた。 そして、レプリカドールの傍らに音もなく着地した。 思わず、ガイは目を見張った。 巨大な狼だった。 鮮血で染色されたかのような、真紅の巨狼だ。 爛々とした、鋭利な刃のような藍碧の双眸。 しなやかな巨躯に、しっかりとした肢。 装飾を伴った、逆立ったたてがみ。 雄々しい風貌は、心情を顕著に表しているかのようだ。 どちらかといえば、華奢な体型。 その身には、黒い複雑な刺青が彫られている。 先の紅い襲撃者だ。 その美しい毛並みは、手負いだった。 少年と同じく、それなりに身体を負傷している。 だが、警戒心まで負傷しているわけではない。 紅狼は鼻頭に皺を寄せ、鋭利な牙を剥き出しにしている。 威嚇の唸り声からは、殺意が滲み出ていた。 太い尻尾をさらに膨張させているのは、怒気を孕んでいるからだろう。 明らかに、紅狼はガイを敵として認識していた。 眼前の少年の憎悪が内散的なものに対し、彼の憎悪は激しい攻撃性を秘めていた。 紅狼は、少年を守る絶対者だった。 その紅い背後に、緋色は溶け込んでいる。 少年は真紅のたてがみをしっかりと掴み、その陰に隠れていた。 翡翠の双眸に宿るのは、恐怖心。 そして、それらを凌駕する憎悪と悲哀。 負の感情は、人間に向けられる。 少年は、紅狼の背に跨(またが)った。 それでも、前方の人間を視界から外さない。 紅狼の獣眼も、同じだ。 威嚇というよりも、それは殺意だった。 その紅い耳が、ぴくりと動く。 獣の感覚は、人間とは比較できないほど、精密なものだ。 紅狼は、後方からの何かを察知したようだった。 危惧を抱いている。 人間への殺意を惜しみながらも、危険からの退去を選択したようだった。 紅狼にとって、重力は障害にもなりえなかった。 ガイに憎悪の一瞥をくれると、一気に飛び上がったのだ。 少年を背に乗せ、垂直に上昇した。 樹木の枝を伝い、真紅と緋色は去った。 葉が揺れる音は、徐々に遠退いていった。 静寂だけが残った。 程なくして、ガイも不穏な空気を察知する。 駆け足の音が、こちらに近付いてくるのだ。 しかも、かなりの多人数のようだ。 ガイは、紅狼の逃走を理解した。 とっさに、近くの茂みに身を潜める。 現れたのは、人間たち。 大陸の軍人だった。 やはり、相当な人数だ。 指揮官らしき男は周囲を見渡すと、部下に何事かを命じる。 何故、軍属の人間がこのような辺境地に──。 確かなことは、非公式の任であるということ。 秘密裏にしなければならない、ということでもある。 ガイは呼吸を殺し、聞き耳を立てる。 僅かに聞き取れたのは、《レプリカドール》という単語のみ。 推測するには、少年に対する追っ手なのだろうか。 しばらくして、軍従たちは足早に去って行った。 感情のあるレプリカドール、そして真紅色の狼。 これが、彼らとの出会いだった。 決して、翡翠の双眸が頭から離れなかった──。 〜紅き守護神獣〜 終 BACK [グループ][ナビ] |