余す事なくそれを、記憶の中に閉まっておきたいから。
何度も何度も再生されるシーンは、どんな映画よりも強く心を捉えて離さない。
スローモーションというその世界の中で、隅から隅までがそれらは鮮明に映し出されていた。
「…俺って…変態なのかな」
ぼそりと呟かれたそれに、答えてくれる声はない。
どこからの返事もないまま、それがそのまま自分に戻ってきてしまった。
益々自分は、その道を踏み外してしまったのだろうか。と、本日も頭を抱える一日だ。
何百何千と言うもの人々が渦を作っていたとしても、自分はきっと、彼を見つけ出す事ができる。どこに居ても、きっと、見つけ出せる。
だから、変態だと言っているのだ。
「…惚れてるよなぁ…これ」
ガシガシと痛む髪を掻いて、視線の先に捉えて離さない彼を、一時も反らす事なく見つめている。
手を伸ばせばそれは、すぐに届く距離だと言うのに…。
どうすれば、俺を知ってくれる?
どうすれば、言葉を交わす事ができる?
どうすれば、少しでも君を、知る事ができる?
恋する乙女はきっと、毎日こんな事を考えているのだろう。
知らない彼に、自分もそうやって問い掛けている。
一緒だと、思った。
恋をしてしまったら、人も自分もみんな一緒なんだと。
恋…?ああ、そうか、やっぱりこれは恋なんだ。
「…今更だろ、俺」
何だか虚しくなって、微妙な表情に変化する。しかし、視線は依然として彼から反らされる事はない。
本日は、一体何の曲を聴いているのだろうか。学生鞄から、茶色い癖っ毛の合間へと伸びる白いコード。
柔らかそうなあの髪は、触れるとさぞ気持ちが良いのだろう。
伏せられた切れ長の瞳が、合わさる事はないけれど。それでも、その自分ではない先へと向かう視線をじっと見つめている。
それだけで、今はどうしようもなく幸せだから。
やがて、それでもその幸福な時間は奪われていってしまう。
ホームのアナウンスが、夢のような時間から意識を現実に引き戻す。
限られた短いこの時間だけが、君と僕を繋ぎ止めているんだ。
もし、この時間が少しの間だけでも止まってくれたなら…僕は、勇気を出してこの踏み出せない一歩を踏み出す事ができるかもしれないのに…
隣駅からやってくる電車を止めてやりたい気持ちで眺めた。
ああ、幸福な時間も終わってしまう。
この時間があるから、自分は一日を強く生きる事ができるんだ。
大袈裟かもしれないけど、君は僕の、そんな存在です。
見つめる先の、不意に上げた彼の視線が今、迷う事なく確かにこちらを向いていた。
その一瞬すらを、運命だと自惚れてしまった僕を、どうか許してください。
「…おい、八」
「……へ?」
パチッと弾けたような衝撃が脳内を走った。
間抜けに見開いた瞳の中には、覗き込む彼が、映っていた。
ここは、夢の世界でも、天国でもない。
自分の足で立つ、現実の世界だ。
それなのに、柔らかそうに風で揺れる髪は、白い頬は、機嫌のあまり宜しくない表情は、全て手を伸ばせば届いている。
「…なに?」
「……三郎、だ」
「……ふ、何だよ」
彼の名前は、鉢屋三郎。
君を好きになって、三年目の春がやってきた。
今彼は、僕の隣にいる。
ソッと絡めた指は、もう暖かい季節だと言うのにまだ冷たかった。
「…思い出してた」
「…何を?」
「……毎日この駅で、三郎を見てた事」
君を知って、それから毎日毎日。飽きもせずにずっと君を見ていた。
「…もういいって、その話は」
「……嫌だ、いくらでもしてやる」
そっぽを向いたその頬が、仄かに赤く染まっていたのを見逃さなかった。
やっぱり、運命だって、自惚れた自分は間違いなんかじゃなかったんだ。
こうして繋ぎ合わせた手と手は、こうなる運命だったんだ。
「…なぁ、三郎」
「……」
「…好き、大好き。…愛してる」
「…っバカか」
夕方は、人の居なくなる田舎駅をいい事に、距離を縮めてソッと口付けてみる。
少し渇いた唇は、冷たくそれを受け入れてくれた。
「…しね、このアホ」
「…へへ。……三郎は、俺の事、好き?」
「……」
「……なぁ、好き?」
「…っだから!そうじゃなきゃ、ここにいる訳ないだろ!」
真っ赤な彼は、どうやらそこまでが限界のようだ。
好きと言えない唇に、もう一度だけ重ねてみた。
―バシッ―
「…っいって〜」
「ふんっ、自業自得だ!」
先へと走って行ってしまった彼を、頭をさすりながら追いかけた。
一年生だった君は、もうすぐ、あの頃の僕と、同じ歳になる。
三年目の春。
今年の桜は、まるで僕らを祝福しているように
ひらひらと、優しく舞いあって絨毯を作り上げていた。
そしてこれは、ここだけの話。
ずっと見ていた彼もまた
ずっと僕の事を
見てくれていたんだって…。
≫駅で毎日見かける君みたいな出会いもベタでいい(笑)
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