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宇治川の先陣争い

鎌倉を出発するときに梶原景季は源頼朝に名馬生食(いけづき)を賜るように
願ったが、頼朝はこれを許さず代わりに磨墨(するすみ)を与えた。
ところが、頼朝は後で生食を佐々木高綱に与えてしまった。
軍中で高綱が生食に乗っていることを知った景季は恥辱と考え、
高綱を殺して自害しようと決意する。
高綱が機転を利かせて、これは賜ったのではなく盗んだのだと言うと
景季は「自分も盗めばよかった」と笑った。

義経の軍と義仲の軍は宇治川で対陣し、高綱は生食、景季は磨墨に乗って
一番乗りの功名を立てんと川に乗り入れようとした。
高綱が「馬の腹帯が緩んでいる。絞め給え」と助言し、
景季は落馬しては一大事と馬の腹帯を締め直していると、
その隙に高綱が川に進み入ってしまった。謀られたと知った景季も
急いで川に乗り入れ、川中で激しく先陣を争い、結局、
高綱が一歩早く対岸に上陸して一番乗りを果たした。



あきゅろす。
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