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あなたを初めて見たのは丁度1年の春で、手が綺麗な人だと思った。きっと繊細な人なんだろうと思った。目線をずらしてみたら綺麗すぎる銀色の髪がさらりと伸びて先で束ねられていて、思わず惹かれざるを得なかったことを覚えている。同時に、その、綺麗な手で触られたならば、私はどうなってしまうのだろうと、柄にもなく真剣に考えてしまって、ドキドキするという感覚で眠りにつけなかったことは初めてだった。







「仁王くん」


私の呼びかけに立ち止まって振り返ってくれた仁王くんは、3年前と変わらない綺麗すぎる銀色の髪を後ろでしっかり束ねていた。髪は少し伸びたかな、多分定期的にカットしているんだと思う。背が高い仁王くんを見上げる形で、私は仁王くんに近づいていった。


「これ、胸に付ける花」


ああ、と言って私の手から花を取り上げると、ありがとうと言ってまた歩き出す。後ろ姿がもうどこにも中学生だという雰囲気を残してはいなかった。すぐに胸に付けるでもなく、手に持って歩いて行った仁王くんの、その手の指先を目で追うようにして見送った。今日は、立海大付属中の卒業式だ。





仁王くんを目で追うようになったのは3年前で、今だってその姿さえあれば自然と目で追ってしまう。彼には人を寄せ付けない分、なぜだか惹きつけるものがあるように思えてならない。飼い主に飼われた猫のような、いつでも毎日その時間になれば餌が貰えるような、そんな優雅な暮らしさえできない、餌にありつけるだけで幸せなような、野良猫のような立場に置かれている錯覚、そして、餌を与えられた猫こそがこの私だと、思う。

その指先で振れられたらば、多分幸せなんだろう。その指先で撫でてもらえて、懐にまんまと入っていけたならば、私はそれで幸せなんだろうと勝手だけど思う。この気持ちは、恋やら愛やらとはまた違うような気がする。一種の依存した形だと思った。仁王くんとたまに交わす会話にはいつも胸が締め付けられる。仁王くんが近くにいるだけで、目眩が起きそうになる。今ここで、あなたの目の前で倒れてしまったら、あなたはきっと私を介抱し、そして私はそこにつけ込み、あわよくば仁王くんの懐に入り込んでしまうことばかりを考えている。触れたい、振れられたい。どんな形でもいいから。だけど、今日で終わりだ。





綺麗な肌だと思った。透き通るとまではいかない、だけどどこか透き通すような肌が綺麗だと思ったのは、3年前の春だ。じっと見つめかけたところで、やめた。どうにかなってしまいそうだったからだ。あの白い肌に自分の肌が重なるところを想像しただけでおかしくなる俺がいた。これは危ない、だけど触れたいと、強く思ったことは脳裏に焼き付いている印象だ。






「仁王くん」


呼びかけられたその声がお前だと分かるのはなんでなんじゃろう。遠くに丸井を見つけた俺は歩き出したすぐのその脚を止めて静かに振り返ってみせた。俺より小さいお前が、俺に近づいてくるたびに、その縮む距離とうまく比例して、俺の平常心という言葉が崩れ落ちていくような衝動。これは危ない。もう3年もお前を忘れようとしたけれど、忘れようとして他のヤツに手を出して、そいつの肌と俺が重なったときに感じる嫌悪感は今思い出しても反吐が出る。極めて危ない。いつの女もお前を重ねなかったことはなかった。そのお前の白い肌と、浮き出るような鎖骨、豊満な胸に俺を刻み込んでしまいたかった。お前を思って抱いた女は、俺に心底愛されていると感じていたことだろう。


『ありがとう』


精一杯だった。自分で自分がひどく情けないと思った。お前の手から取った1つの花が少し暖かい気がして嬉しくなった。手が触れそうで触れなかった。俺の理性も壊れそうで、壊れなかった。あくまでも平常心で丸井を追うようにして歩き出した。お前に触れたい、お前の肌はきっと俺とうまく交わる。これはもう俺の中で決まっていることだった。触りたい。触りたい、触りたい。でも、今日で最後だ。





ごちゃごちゃとした3年も、式の最後には感無量といった趣があった。そんなもんに浸らない、かすりもしない俺を冷たいヤツだと言う丸井は、からっとした笑顔を俺に向けていた。泣きたいのなら、泣けばいいのに。そう思って言葉を飲んだ。丸井には彼女がいて、彼女に泣き顔を見られたくないんだろう。男の意地だ、わからなくもないから。
俺は前の方にいるお前が気になって気になって仕方がなかった。今日で最後という言葉が頭をかする。感動なんかより、確実に俺を揺さぶった。卒業式なんてもんは、ただ長いだけでつまらないと思った。抜け出してやろうかとも思ったけど、最後の最後まで担任に泥を被すような真似はやめようと思った。最後だけは孝行してやろうなんて思った。けど、やっぱりそういうわけにもいかなかった。倒れたヤツがいた。すぐにわかった。なぜだかは、俺がずっと見つめていたヤツだったからだ。孝行、最後までできんくてごめんな。





倒れた。倒れてしまった。卒業式も終盤、別れの言葉だとかなんとか、生徒会長が送辞を呼んでいたことまでは覚えていた。テニス部が3年連続で全国制覇を成し遂げることができなかったと言っていた気がした。仁王くんに興味はあったけれど、テニス部に興味がなかった私はそんなすごいことを知らなかったことが周りから遅れを取っているようで逃げたくなった。そこまでの記憶しかない。あとは、今、なぜだかわからないけど、横に仁王くんがいるということだけ、わかる。


「、仁王くん」

『ああ、起きたか』


少しだけ口元を緩ました彼を見て心臓が爆発しそうになった。私の好きな手が、そこにあった。


『大丈夫か、貧血らしい』

「大丈夫、ありがとう」


会話はうまく続かなかった。なんで目が覚めてしまったんだろう。ずっとずっと寝ていたかった。寝てしまっていたかった、そう思ったけど、横に仁王くんがいる現実は変えられそうになかった。
吐き出してしまいそうなくらい激しい心拍数がする心臓をどうにも止めることができない。うまくいかない。意志で動かす事のできる筋肉ってなんていう筋肉だったかな、なんてわけのわからないことを考えてみたりした。


『卒業式で倒れるなんて、珍しい』

「思ってもみなかった」


あなたがここに、隣にいることも。どうやら仁王くんが先生に許可を貰ってここにいるらしかったけど、仁王くんも卒業生、式に出ないことなんて先生が許可するのかななんて思ったけど、余計なことを言って仁王くんがいなくなってしまうよりは、会話が続かなくったってそばにいてもらえるほうが幸せだと思ったからやめた。それにしても仁王くんは、綺麗な手をしている。綺麗すぎる。


「仁王くん」


思わず名前を呼んでしまっていた。恥ずかしくて口をもぎ取りたい気分だった。


『ん』

「仁王くん、彼女何人いるの」

『5人くらい』

「本当に好きな人っているの」

『多分いない』

「5人の人はもう抱いたの」

『何回かヤった』

「よかった」

『全然、全く、これっぽっちも』

「別れないの」

『今日で終わりかのう』


スラスラと出た。卑猥な言葉がスラスラと流れた。仁王くんもスラスラと流すから、私もスラスラと流された。今日で終わりという言葉にひどく胸が痛くなった。今日で終わり、今日で終わり、今日で終わり。


「仁王くん」


こんな機会をいつだったか想像した。今、私はやっと餌にありつけた野良猫で、餌をくれた人物は私の、私の人。昔その人が餌をくれたから、もう私は他の誰からも餌を貰うことをしようとしなかった。今、私はやっと欲しかった餌にありつけた野良猫だ。ただの、欲の塊だ。猫は思う。このまま連れて帰ってください、と。だけどただの人にはわからない。猫が何を喋ろうともわからないのだ。だけど違う、私は猫だけど、猫じゃない。懐が待ってる。大きな口をして待ってる。


「仁王くん、私、仁王くんに触れられたいって思ってた」





耳鳴りがするようだった。振れられたいと言うなら、もう触れないでというまで触れてやると思った。抱かないでと言われてももう抱けなくなるまで抱いてやろうと思った。俺は極めて危ないヤツだと思った。こいつをどうにかしてやりたい気持ちが一気に湧き出して、お前を押し倒して、その肌に、紅をつけてやろうと思った。最後のチャンスを神様は俺にくれたんだと思った。俺は、クリスチャンにでもなれると思った。


『俺はお前を泣かせたいと、思っちょった、ぐちゃぐちゃにしてやりたいと思っちょった』





塞がれた唇は離れることを知らなかった。私はまんまと仁王くんの懐に入ることが出来た喜びで今にも昇天してしまいそうだった。仁王くんのキスはうまくてうまくて、だけど私は仁王くんの指先で触れて欲しかった。
唇が離れたあとで、私はきっと仁王くんの唇をくわえてやるんだと強く思った。

胸についていた花が床に自然と落ちた気がした。



罠にはまる
(私も、仁王くんも)



2008/03/01 (C)mika. 






 


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