[携帯モード] [URL送信]
−その人を思い出す時はいつも、薄紅色だった−



ある晴れた春の日、僕が見つけたのは桜色の人。

風に長い髪をなびかせて、桜並木の下を歩いていく姿は、とても幻想的で空想的だった。
いや、そんな抽象的な比喩なんて必要ないのかもしれない。
つまり、この世のものとは思えないほどの美しさだったのだ。
木々の隙間から洩れる光に当たると、柔らかな表情で、笑った。
その笑顔はまるでまるで舞い散る桜の花びらみたいに美しくて、僕は目が離せなくなったんだ。

それが、入学式の日に僕が見つけた彼女の姿。
本当の出会いをするのは、その少し後の話。

入学して1週間目の雨の日、その人はビニール傘をさして佇んでいた。
雨の雫の重さで降る桜の花びらを受けながら、哀しい目をしていた。


なんていうのは僕の主観だ。

それはそうあってほしいという僕の願い。
このまま彼女が消えたって全然不思議ではないという空想。ファンタジー。


不意に。

現実へと引き戻されたかのように桜から目をそらして、歩き始めるその瞬間。
その人と目が合った。
一瞬、連れ去られるかと思った。
どこか知らない、御伽噺でしか出てこないような不思議な国に、連れ去られるのではないかと思った。
けれども次には彼女は、僕の空想ともあの晴れた日とも違う明るい笑顔で、言った。


「ねぇ、キミさ、音楽科1年の志水くんでしょ?」


その時僕の世界から、空想という名のフィクションが消えた。
代わりに、現れたのは得体の知れない色。この季節を彩るに相応しい、かつて見たことのない色だった。


「そうですけど、あなたは…?」



半信半疑で問いかけた。
僕はいまだにそれが幻ではないかと思っていて、ここに存在するのは僕だけだという意味のわからない妄想に捕らわれたりもした。
けれどもその人は何一つとして謎めいた仕草を見せずに、快いまでに明るい表情と言葉で答えた。


「あぁ、私のこと?私は報道部の天羽菜美。今後キミのことも追いかけていくつもりだから、よく覚えといてね!何せ音楽科話題の新人だからね。」


正直僕には彼女の言っていることがよくわからなかったけれど、後に聞いた話によると彼女の方は、この次に僕が言ったことの方が全く理解できなかったらしい。


「そうですか…。やっぱり幻覚だとか幻想だとかそういうものじゃないんですね。」


それが、僕とその人の出会いだった。


それから幾らか時が流れ、天羽菜美という人間が本当に存在することを僕は理解した。

コンクールの参加者に選ばれ、彼女はますます僕の前に姿を現すようになった。
最初はそれが何なのかわからなかった。
音楽について何も知らない彼女が、どうしてチェロや僕の音楽について何かを質問してくるのかとか、そんな疑問は数え切れないほどで、けれどもそれだけじゃない。
僕の中を支配する得体の知れないあの色は、そんなものじゃなかった。
それが何か、僕には見当もつかなかった。

少なくとも、あの時までは。


次に彼女を見つけたのは、学校から程近い所にある公園を少し歩いた遊歩道だった。
そこには川が流れていて、物珍しげに、それを覗き込んでいる。
いつも奇妙な行動ばかりの人だと僕は思った。


「あの、天羽先輩…」


僕は何気なく、声をかけた。条件反射という名のものだと思う。
すると彼女は振り返って、僕を見つけると校内にいるのと同じように振る舞って、笑ってくれた。


「あっ、志水くん!何やってんの、こんなとこで?」


で、その言葉を僕がそっくりそのまま返したわけで。


「私?私はねぇ…ほら、あれ。」


指差したのはさっきまで真剣に眺めていた川の中。
僕は同じように視線を送って、すぐにその違和に気付く。


「…何ですか、あれ。」
「いや、私も気になってさ、公園のあたりの川からずっと逆流してみたわけさ。そしたら何となく答えが見えたかなって。」


そう言って、今度彼女は僕たちのいる場所から遥か進んだ先を示す。


「あぁ…。」


そして僕もようやく、それの正体に気付いた。
春ももう終わりかけているというのに、新芽に混じっていまだにその薄紅色を薫らせている花びら。ちょうど河川沿いに咲いているから、風が吹いたりするとその花が形を崩さずにそのまま落ちる。すなわち咲いている状態のまま川を放浪するな羽目になるなるわけで。
もともとそういう散り方をするのかはわからないけれど、そのまま川を流れる姿はまるで御伽噺みたいだ。
彼女と出会ってから、ずっとそういった空想が尽きない。


「八重桜だって、あれ。」


彼女が言った。
僕はただその言葉を聞きながら、流れているピンク色を見ていた。


「きれいです。」


単純に、そう思った。
けれどもそれ以上に彼女は愛しげにそれを見つめていて。


「私もそう思う。桜ってさ、一枚一枚散るからきれいだとか言われるけど、ああやって形を残したまま川を流れていくのも、悪くないよね。私は好きだな、ああいうの。」


確かに僕も、彼女を初めて見た時に、ひらひらと舞い落ちる花びらの下で佇んでいることがたまらなく美しい光景に見えたけれど、こうして川下りを敢行する八重桜はなんと勇ましいことか。


「ねぇ、私さ、一番最初に志水くんに会った時に言われたこと、結構印象に残ってるんだよね。今ならあの言葉、ちょっとだけわかった気がする。」


と、突然、そんな突拍子もないことを言い始めた彼女に、僕はあの雨の日のことを思い出した。


「…僕、何かおかしなこと言いましたか。」


彼女と、衝撃的な出会いを果たしたあの日。思いのままを口にしたはずなのに、それが伝っていなかったなんて。
すると彼女は笑いながら、首を横に振った。


「ほら、幻想とか幻覚とかってやつ!今こうして見ている風景がさ、夢なんじゃないかって思う時、あるよね。つまり、志水くんはそういうことを言いたかったんじゃないかなって私は思ったわけよ。」
「はぁ…。」


そういうことも何も、僕はそう言ったつもりなんだけど。
1人で勝手に盛り上がっているその人は何もわかってなどいなくて、それでも僕はそんな彼女がやっぱり手の届かない人のように思えて。


「なんか、桃太郎みたいだよね、あれ。川で洗濯してたら、いきなり大きな桃が流れてくるわけよ。そういう時の驚きに似てる。公園でおもしろいネタ探してたら、いきなり川から花が流れてくるんだよ?そりゃビックリするでしょ、普通。しかも数え切れないくらいだよ。よくもまぁ無事にここまでたどりついたわねーって感じよ。でも他の桜なんかに比べて、一枚一枚命を削るより、よっぽど潔いと私は思うけどね。」


かと思えばひどく現実的な言葉を並べる人。
そのギャップは、時として癖になる。もっと色々、嘘みたいな姿で、本当のことを言ってほしいと、思う。
その人はいつも何にも恐れなくて、好奇心旺盛で、危険だってわかってても敢えて飛び込んでいくような性格で。
それなのにどうしてあんなにも見る人を魅了する儚さを持ち合わせているのだろう。
それは何かのカモフラージュなのか、それともそれが本当の姿なのだろうか。
僕はそれを知りたかった。けれども知り得るはずがなかった。だって幻想なのだから。
所詮それは、僕の作り出したフィルターの中の彼女の姿だから。どんな角度から覗いても、僕の思い通りの姿に見える。最初に出会った彼女のままで、いつまでも変わることはない。
つまり裏を返せば、最初に出会ったあの日、やっぱり彼女は儚げな表情をしていたということの肯定で。
だって離れないんだ。
あの日の、あの哀しげで優しげで、美しい表情が。
彼女は何かを忘れるように、消し去るように、うそっぱちの日々を過ごしているような気がした。
本当は、消えてしまっても不思議ではないように見えるのではなく、消えてしまいたいと思っているのだと。



「先輩、何かあったんですか。」


僕にはわからなかった。
どうしてこの人がそんな表情をするのか。
だから、訊いた。
すると彼女は面食らったような顔をして、苦笑い。


「…私はさ、ああいう風にはなれないの。」


ああいう風とは、あの、僕たちの視線を捉えて離さない八重桜だ。
ひどく、自嘲的な表情で話す。


「未練がましく一枚一枚花を散らして、それでも忘れられなくて、いつか再び巡り会えるんじゃないかって舞い落ちて、同じ場所で待ってる。そんなのは、全然潔くないと思う。きれいでもない。それに比べてあれはさ、名残を惜しまず豪快に落ちて、それでも流れる姿は美しいまま、変わることはないんだよ。なりたいよ、あんな風に。潔く、忘れることができればいいのに。澄ました顔で、毅然とした姿でいられればいいのにね…。」


それは、何かの懺悔だった。
静かに流れる言葉は、どこまでも鮮やかに僕の記憶へと留まる。


「志水くんたちが入学する前に卒業した先輩の中にね、好きな人がいた。卒業前に思い切って告白したら、冗談だと思われちゃってさ。それでも…忘れられなかった。今でもまだ、好き。どこにいるのかだって知らないのに、笑っちゃうよね、ホント。」


暫く川を流れるのは冷たい水と名前も知らない魚だけになって、彼女は息を吐く。


「破れた恋をいつまでも引きずってるのはみっともないと、私は思うの。だけどどうやって忘れたらいいのかわからなくて…」


落ちた。
遥か遠く、風に流されてまた1つ形を残したまま、ピンク色の花が川を下る。
同時に、彼女の頬に流れるのは透明の、透き通った雫。
やっぱりきれいだと、僕は思ったんだ。
手を伸ばして、そっと、触れた。
温かい熱だけが指先に触れて、消える。
彼女の驚いたような表情が僕を捉え、初めてその瞳から零れ落ちたものに気付いたようだった。
やっぱり。


「…やっぱり幻でしたね。」


その美しさは決して触れてはならないもので、僕の期待を何ら裏切らない幻想。
彼女はこれまで見たことのない、本当に今にも泣き出しそうな表情を浮かべながら、それでも笑ったんだ。


「幻だよ、全部。この想いも、この涙も。」


ひらり、と一枚の花びらが彼女の傍を舞い、地に落ちた。
それで全部だった。
この春を彩ったソメイヨシノは、1つ残らずその花びらを散らす。
残ったのは、いまだ毅然と咲き誇る、川の中の八重桜。
流れても流れても、変わることのない美しさ。
きらきらと光って、鮮やかに、馨る。


「先輩は八重桜のような人です。」


指先が熱い。
一瞬だけ触れたその雫が、その場所から、身体中に染み渡っていく。
いつか掴みたいと、その幻影を、本物に変えたいと、僕は思った。


「ありがとう、志水くん。」


僕がその時見たのは、初めて出会った時の、桜色の笑顔をしたその人の姿だった。

それが、その時僕が初めて知った、この想いの色。



それからずいぶんと時が流れて、彼女が卒業していく時がきた。
いつだったか、彼女は言った。


「キミはさ、私みたいに辛い恋をしちゃダメだよ。ちゃんと気持ち伝えて、本気だってこと、わかってもらわなきゃダメだよ。届かない想いなんてそんなの、見ている方にはきれいに映るけど、想ってる方にとっては泥沼でしかないんだから。」


いつまで経っても僕にはその言葉の意味が理解できなかった。
確かにその人の言う通りそれはとてもきれいに見えて。


同時にそれは、どんなに薄汚い泥水の中でも凛と咲いていることのできるものだと、僕は知ってしまったから。



春がきて、その人が去って、ひとひらひとひら花びらが散っていく。

やがて全てが舞い落ちるころ、あの季節がやってくる。
遅咲きの桜が花開く時、僕はその人を思い出す。

落ちても、流れても、たとえその姿が見えない季節でも、いつだって同じ姿を思い起こすことができる。

その人はいつだって、桜色の、ひと。





-end-





虹茅ユメジ様に頂きました、志天です。
何ですか、この文章の綺麗さ!(お前が何)

何かね、もうその場所を見ているかの様な臨場感!
桜っていいですね(何)

天羽ちゃんの科白とかときめきっぱなしでどうしようかと思いました!本当に好きだったんだなぁってすっごい伝わって来て、自分このお話すごく好きです。
文章がどかんって胸に来る感じなんですよ(意味不明)
いいもん読んだなーって思います、ほんとに。

自分もこんな素敵な天羽さんが書きたいです(無理)

虹茅様、本当にありがとうございましたv
もうめさめさ嬉しかったです!


あきゅろす。
[グループ][ナビ]

無料HPエムペ!